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樫木達は、木でできた、重い扉を引いた。
すると、目の前に、五つ星ホテルの様なロビーが飛び込んできた。
まず、足下は、上京したての大学生が住めそうな程広い靴置き場で、白地に黒い粒が所々入っているタイルが敷き詰められていた。靴は、なん足もあったが、全部揃えられていた。靴の数は、明らかに個人の住宅レベルではなかった。そして、そのまま目線を奥に移すと、赤い絨毯が現れる。端には、金色の縁がついた、大変豪華な代ものだった。奥の壁には、螺旋階段が三つ。どれも木でできていた。ジャックの豆の木の様に上に伸びている。樫木は昔流行ったアクションゲームを連想した。大抵ゲームの場合は、一番右か、真ん中がボスに辿り着く場合が多い。だが、一番左は左で宝箱が大抵あるので、注意が必要である。ある意味、ここもダンジョンに近い匂いがするが。
螺旋階段の下には、それぞれ扉が一つずつあった。それ以外にも、右を見ると、また扉が一つ。左にももう一つ。初めて来たら、絶対悩むだろうな、いや、十回来ても、悩む様な気もする。天井を見上げると、雪の結晶の様なシルエットのシャンデリアがあった。樫木は、本ものを初めてみた。こんなに眩しいものだったのか、と少し呆れる。
「お待ちしておりました」右の扉から、絵に描いた様なメイド服の女性が出てきた。「私、柳家でお仕えさせて頂いています、寿洲貴ゆうと申します」
「いえいえ、こちらこそ、お世話になっております。私、茶話矢まやと申します。以後よろしくお願い致します」茶話矢は、エプロンから名刺入れを出し、一枚名刺を抜き取り両手で寿洲貴に渡す。茶話矢は、なん度か櫻蘭館に来ていたが、寿洲貴とは、この時初めて会ったそうだ。(樫木は後で茶話矢からそう聞いた)
「わざわざどうも、ありがとうございます」寿洲貴は、両手で名刺を受け取る。
「彼は、アルバイトスタッフの、樫木です」茶話矢は樫木に掌を向ける。
「樫木です。よろしくお願いします」樫木は深く一礼。
「私達、お知り合いなんですのよ」星座は一歩前に出る。「ところで、麒麟さんはどこにいらっしゃいますか?」
「奥様ですか?」寿洲貴は、一瞬口に手を当てて考える仕草。「北西の二階の間にいます」そしてすぐさま微笑んだ。「ご案内致しますね」
「寿洲貴さんは、お仕事に戻られて」星座は微笑み返す。「ここは、私の顔を立てると思って。大丈夫、私、記憶力だけは、あるのです」
「それでは、お言葉に甘えて」寿洲貴は一礼した。「ありがとうございます」
寿洲貴は、樫木のメイドという職業のイメージとは、少し離れていた容姿だった。なんというか、丸の内や銀座にいそうなOLの様なイメージ。また、活発そうな喋り方だった。黒い、肩まで伸びた髪をセンターで分けている。制服を着て、拳銃を持てば、誰がどう見ても刑事に見える、と彼は思った。勿論、これらは、樫木の、独断と偏見である。彼は、意外と俗な部分があった。
「この館は、大きく五つのフロアに分かれています」星座は、左の螺旋階段に向かって歩く。樫木と茶話矢は後ろをコバンザメの様について行く。「まず、ロビーの左にあった扉の奥が、西の間。反対側の扉が、東の間」
「旅館みたいですね」樫木は呟く。
「螺旋階段が三つありましたでしょ?」星座は淡々とした口調で続ける。三人は、螺旋階段を一歩ずつ上っていく。「左の階段が、今向かっていますけど、北西の間。真ん中の螺旋階段が北の間。右が北東の間。また、ロビーの左右の間は、一階しかございません。ただ、北西と北東の間は、二階までです。北の間だけは、三階まであります」
螺旋階段を二回転程上っただろうか? 二階とおぼしき場所に到着した。丁度、館の玄関を正面にして、左側に通路が伸びている。道には、赤い絨毯。通路の右側には、黒い、全身セットの甲冑の鎧。正しく中世ヨーロッパ。その右上には、かの有名な、モナリザの微笑みの絵画があった。レプリカだろうが、それでも、値段は張るだろう。樫木は、そう推測した。また、その右下には、白い鉢にスコップの様なシルエットの葉が生えている、植木があった。これもゲームっぽいな、と樫木は思う。
奥には、突き当たりの白い壁があった。上を見上げると、またシャンデリア。先程のものよりは小さい。パラボラアンテナ程の大きさだ。ただ、それでも、満月と半月程の違いだろうと樫木は思う。どちらも明るい事には変わりはないからだ。
「ったく、これだからさあ、やんなっちゃうわよっ」
壁の突き当たり、右側に位置する、扉から、声とともに一人の少女が出てきた。
髪は、サイドのツインテール、その付け根にはリボン。白のタンクトップに、ジーンズ生地のオーバーオール、青と白の星印が入ったスニーカー。目はツリ目。猫が、鶴の恩返し方式で、人間になったら、こんな顔になるだろうな的な顔だった。背は小柄。体も小さい。後ろから見たら、小学生に見えるかもしれない。
「あら、深美さんじゃないですか」星座は上品に右手を振る。
「あ、星座じゃん、遅いよっ。なにやってたのよ」深美は、両手を腰に当てる「まあ、いいわ。今日は、パーティだから、パーティ」
「夜からでしたよね」と星座。
「あ、茶話矢さん、お久しぶりです」
「ええ、お久しぶりです」茶話矢はにっこりと微笑む。
「寿洲貴とは、今日が初対面だったわよね?」深美は茶話矢に聞く。「彼女、長期休暇をとっててね。とっても、優秀よ。なんていうのかな、もうパーフェクト」
「素敵な方でした。本当は、もっとお話したかったです」茶話矢は言う。
「あれ? 横の男の方は?」
「樫木です。茶話矢花屋店で、アルバイトさせてもらってます」
「臨時なの」茶話矢は、苦笑する。「うち、人数少ないから」
「へえ? あなた、歳は幾つ?」
「十六です」
「うっそ、私と同いじゃん? へえー、大人っぽい。いつもこういうアルバイトとかしているの?」
「以前、郵便のバイトを少しだけ」
「いいなあ、憧れるぅ。あ、樫木くん、うちって、家の中にも庭園があるんだけど」
「はあ」
「でね、すっごい重い植木鉢があるのよ」
「はあ」
「すんごーい、重いのよ。なんていうの、ゴジラぐらいっ!」
「はあ」
「だから、運ぶの手伝ってよ。勿論ただとは言わないわ。特別ボーナス進呈するから」
「は?」
「なによ、私の手伝いをするのが嫌な分け? そんな事は言わせないわよ?」
「いえ、そうではないんですが」
「じゃあ、決定ね」深美は、樫木の右手を掴んで走り出す。「茶話矢さん、樫木くんを借りていくわ」
「えーと」茶話矢は、頬を掻きながら、目を細めた。小さい声で呟く。「なんだ、これ?」
「茶話矢さーん」扉の奥から、深美の母である、麒麟の声がした。
「はいっ、ただ今伺いますっ」
樫木は、茫然自失の茶話矢を、横目に、螺旋階段を下っていった。