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アジサイ笑って、走って逃げた  作者: お休み中
第一章 すってんころりん
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 花屋で花を買い、意中の誰かにプレゼント、等という、まるで古いタイプの少女漫画の中の、男の様な事は、彼は本来しない人間だ。むしろ、どちらかというと、花とは縁が遠い方だろう。しかし、彼は花屋へ向かっていた。しかも、それは、一週間に一度というかなりの髙頻度だった。ただ、別段、彼は毎週好きな女の子に、花を渡しているという分けでもなく、また、葬式がたまたま連続で重なったのでもなく、そして、突如として花の魅力に目覚めた分けでもなかった。彼は、花自体に、興味は、ないといっても、さほど問題はないと思われる。というか、彼は、未だに花を何故人にあげるのか、その理由がイマイチ理解できていなく、ややもすれば、彼の脳内で多数決を取れば、花に関する事柄は、否定的なものが多い程だった。ただ、彼は花自体が嫌いな分けではない。何故、人は人に花をあげるのか、この思考回路が理解できなかった。意味のない事をするのが、大嫌いなのである。

お年玉、バレンタイデー、結婚。人は、何故これらの意味のない事をするのだろうか?それとも、自分がまだ知らないだけで、本当は意味があるのだろうか? はたまた、そんな自分の思考こそ、意味がないのか? そんな答えはない、というのが、彼の考え方で、そもそも、答えなんて、その場限りの人間の錯覚だろう、それが彼の答えだった。それは、彼にとっては、暗闇の中でコンタクトレンズを探す様なもので、見つからなくて当然で、しかも、暗闇だから別になくても、構わない、それだけのものだった。

 右手には、通学用の鞄、足下には黒く光る靴。そして、全身は、真っ黒い学ランと、どこからどう見ても、彼は、男子高校生の格好だった。現に、高校生である。髪は、昨日切ったばかりの、俗にいう無造作ヘアーという部類に属すもので、当人お気に入りのものだった。耳が、隠れる程度の、長さで、色は黒。今日は、六月なのに、真夏の様に暑い。後ろのズボンのポケットから、花柄の、少し派手なハンカチを出し、彼は、汗を拭った。

 彼は今、坂を下りている。坂の下に、花屋があるからである。右には、見慣れた民家、左には、大きい道路、また、道路の向こう側には、マンションと公園があった。坂は、あまり急ではない。しかし、上る時は、いささか苦労する。道路の表面には、丸い様な、不思議な模様があった。滑り止めだろうか? ガードレールが、灰色にほのかに染まっている。花屋は、現時点で少しだけ見える。大凡、五百メートルと、いったところだろうか?花屋は、坂の突き当たりにある。つまり、例えば、ここでなにか丸い形状のものを転がすとすると、それは花屋にぶつかる事になる。よく、サッカーボールが落ちてくるらしい。店員に、そう聞いた事がある。

「あのー、すいません」

「はい?」

 彼は、振り返った。後ろから呼び止められたからだ。知らない女性だった。

「この辺りに、()()()花屋店があるとお聞きしたのですが、ご存知ではないでしょうか?」女性は、小さい声で呟いた。

「ああ、それでしたら」彼は坂の下を指さす。「あそこですよ」

 彼は、そう言いながらも、内心では、僅かながら自らの鼓動が高まっているのを、ひしひしと感じていた。その女性が、なんともいえない、非常に不思議なオーラを放っていたからだった。女性に向かって、不思議というのは、どちらかというと、いや、どちらともいわずとも、失礼な表現かもなと彼は思ったが、彼のボキャブラリーには、それ以外の単語がなかった。

 時代がかった、白のフリルのワンピース、黄色い紐がついた白い、つばが長い帽子。白いエナメル靴。右手には、今すぐにでもピクニックでも行けそうな、ノートパソコン程の大きさのバスケットを持っていた。髪型は、黒いおかっぱ。日本人形の様。否、人形という言葉では生温いかもしれない。まるで、芸術家の夢の中に出てくる人物が、現実の世界に迷い込んだかの様な、それ程美しく、そして澄んだ瞳だった。背は小さい。彼は、百七十五センチと、少し大きめの身長だったので、より彼女の背が小さく感じられた。

「あなたも」女性は少し首を傾げながら言った。「茶話矢花屋店に行かれるところだったのですか?」

「え、ええ、そうです」彼は頬を掻きながら言う。「よろしかったら、一緒に行きましょうか?」

 自分で、自分の台詞に驚いた。まるで、これではナンパ師ではないか。普段の自分では、こんな事は、絶対に言わなかっただろうな、と深く後悔した。

「あなた、茶話矢まやさんの事が、お好きなのですね?」

「は?」彼は、あまりにもいきなりの言葉で、口を大きく開けたまま、呆気に取られた。

 茶話矢まやは、茶話矢花屋店の、いわば、看板娘である。そして、彼が花屋に足繁く通う理由は、その、茶話矢まやと、少しでも仲良くなりたいという、ありがちで、下心だけの理由だった。よって、彼女の言葉は当たっているが、勿論、彼女にそんな事は話した覚えはない。

「まず、あなたが茶話矢花屋店という固有名詞を口にした瞬間」女性は無表情で言う。「口の角度が、非常に微少でしたが、五度から、十度程上がりました。これは、対象を、好意的なものとして認識している場合における、比較的よく見られる動作です。また、現在の日本の暦は、六月の一日。母の日でもなんでもなければ、今は午後の四時ですよね?こんな時間に、一介の男子高校生が花屋等よりますでしょうか? そして、あなたのズボンのポケットに入っているハンカチ。この柄は、すぐ先のデパートで安売りしているものです。おそらく、あなたのお母様が買われたものだと思われます。さて、この事実と、他の幾らかの自事象を照らし合わせると、あなたの性格の、ある程度の予測が立てられます。世間の流行には気にしないが、自らの意志は優先する、と思考回路が、あなたの中にあると思われます。一般論でいえば、母親の買ったハンカチを使う高校生は、マザコンか、親からの自立が出来ていない性格が多いと判断出来ますが、あなたはどうやら違う。まず、それなりに容姿を整えている。そして、靴が磨かれている。これによって、あなたのある程度の社会性は、私の中で確立されました。一般的な価値観で物事を捉えるならば、花屋の店員に会いに、花屋へ行くという行為は、多少の勇気と、行動力が必要です。ただ、あなたには、それがある、私はそう踏んだ」

「は、はあ」

「そして、あなたが、茶話矢まやさんを好きだと、私が推測した理由、その中で一番大きなものが、あと一つあります。それは、あなたの歩くスピードです」女性は、透明感のある声で、砂時計の砂の様に喋る。「茶話矢花屋店に近づく程に、スピードが増していました。最初は、坂の関係からかと思いましたが、それにしては、速い。これは、通常、花を買う人間の心理的には、あり得ないものです。急いで花を買う人間がいますか? いるかもしれませんが、それは、仕事の関係や、お葬式の場合等でしょう。ただ、その可能性は、あなたの服装から考えて、低い。また、茶話矢花屋店は、家族で経営しているお店ですから、店員は、まやさんのお母様、お父様、そしてまやさんしかいない。まさか、お母様を急ぎ足で訪ねる事は、ないでしょう。まあ、以上の理由で、私は、あなたが茶話矢まやさんの事を好かれていると、推測しました」

「は、はあ」彼は、もう一度同じ相槌を繰り返した。他に、なにを言っていいか分からなかったからである。ただ、一つだけ思った事がある。この人は、不思議な人なんかではなく、ただの、変な人だったな、と。

「この坂、斜面が急ですね」女性は、突然話を変えた。「これでは、足が絡まってしまいます。全く、地球はなにをやっているんだか」

「あ、あの」彼は、小さい声で女性に聞く。「なんで、僕にこんな事を?」

「理由はありません」

「な、ないんですか?」

「そもそも、生きる事に、意味等ありますか?」女性はすぐ切り返した。「だから、私のやった事に意味はありません。あなたは、茶話矢まやさんを、好きな理由がありますか?」

「い、いや、ある様な、ない様な」

「誠実な方なんですね」女性は、彼の目を、じっと見た。「質問に、逐一お答えしてくれる」

「えーと」彼は茶話矢花屋店を向きながら言う。「ここで話すのもなんですから、花屋さんに行きますか?」

「お聞きなさらないんですか?」

「え、なにをです?」

「お気になさっている事が、一つあるでしょう?」彼女は、空を、一瞬見る。また、すぐに彼を見た。「質問は、思った時に、するのが良いと思われます」

 彼は、躊躇しながら言った。「あのー、あなたは、茶話矢花屋店の、場所を、本当は知っていたんじゃないですか? だって、凄い、内情とか詳しいし」

「場所は知りませんでした」女性は言う。「話には、聞いていたんですけどね。私、迷いやすいんです。はあ、人間に、カーナビって、ついてないのかしら」

「携帯電話で、事足りるんじゃないですか?」彼は、首を傾げながら言った。「大体、今の機種って、ナビ機能ついてますよ」

「私、携帯電話使えないんです。ボタンって、いうんですか? あれ、なにかの嫌がらせとしか思えない。いつも、執事に持たせています」

「は、はあ。そうなんですか」

「あなた、お名前は?」

「え、名前ですか?」

「私、今日は、茶話矢花屋店にお伺いするのは、止めておきますわ」

 彼は目を丸くしながら答える。「どうしてです? すぐそこですよ」

「まあ。私にそれを言わせるのですか?」女性は、初めて少し微笑んだ。「恋愛は、しておいた方がいいですよ。それが、青春というものです」

「は、はあ」

「あなた、お名前は?」

(かし)()()(すみ)です」

「私は、(てのひら)(せい)()です」

 星座は、一礼をしながら言った。

「以後、お見知りおきを」

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