8
楽浪は、昨日今日生まれたのではない、古参の神である。それは間違いない。
けれど、どれくらい昔に生まれたのか、何百年あちこちを彷徨ってきたのか、まったく覚えていない。
長い放浪に記憶も擦り切れ、錆ついてしまった。
だが、刀を振るっている間はそれを忘れることもできた。
緋縅の鎧武者を切り崩しながら、楽浪は二の太刀を振るった。
放たれた矢を振り落とし、再装填が終わる前に童子たちの首を絶つ。
初めからこうすれば良かった。
自分に残されたものは、刀を振るう楽しみだけ。
この楽しみ以外、何を望むことがあるだろうか。
「『望月の欠けたることもなしと思えば』――ああ、楽しいですねぇ」
屋敷の内部は、どこまでも広がる庭であった。さすが、絡繰を千体も集めることのできる人物だけあって、富貴を極めているらしい。
その背後には童子人形たちが横に並んでいる。
「っ、小癪な手を使いますね!」
さすがに払いのけるのは不可能だと見て、楽浪は上に跳んだ。矢がすれすれを通るのを無視して松の枝を掴み取り、そのまま身体を持ち上げる。
そのまま足元を一閃し、他の樹の枝を斬り落とす。
降り注いだ枝に押しつぶされ、土煙が噴火のように上がる。
「はは、愉快愉快――」
と。跳び降りた拍子に、ふと足に痛みを覚えた。
白単衣の裾に赤い小霰が舞っている。避けたつもりだったが、矢の何本かは払い損ねたらしい。くるぶしに刺さっていた矢を一気に引き抜く。いくらかの血もこぼれ、肉も抉れたが……瑣末なことだった。痛みすらも感じない。
ず……ず……
楽浪は、動きにくくなった足を引きずって前に進む。視界が暗いのは夜だから?
早く物の怪を見つけ出して斬らねばならぬ。斬って斬って――それが楽しみだ。
と。
何か、動く小さな影が見えて楽浪は刀を構えた。また人形だろうが、今ならば目をつむっていても首を斬り落とせる自信がある。
その影は走りながら、何やらわめいている。間合いまで、あと十歩ほど。
「ら、ら、楽浪さあああああん!」
叫びながら猛烈な勢いで突進してくるのは少年だった。十ばかりで小柄な、まだ前髪も剃っていない、生意気に思えて実は心の底から素直な少年。なぜか、大き目の黒羽織を手にして必死の形相で走っている。
あれは、確か――そう。
楽浪は、目をぱちくりと瞬かせた。
酔いから急に覚めてしまったように、肩をこけさせる。
「――はい? 坊ちゃん?」
ぽろり、と手から刀が落ちた。
同時に、憑き物が落ちた気がした。あれほど暗かった視界が今は晴れて、こんなにも月が明るい。
ぽかんと呆気にとられている楽浪に、甘斗は涙目で抗議した。
「先生がどっか行って、探しに来たらなんか稲荷の人が大勢いたんですけど――って、どうしたんすか。この怪我! 着物が台無しじゃないですか!」
「い、いえ坊ちゃん、どうかお待ちを。これにはそう、奈落よりも深い、深ーい訳がございまして……あ痛っ! そ、そこはどうか優しく……ああ平に、平にご容赦を!」
引っ張られた足から甘斗をなんとか遠ざけると、楽浪はため息をついた。自然と口調も子供に言い聞かせるようなものになってしまう。
「どうされたのですか、坊ちゃん。来てはならないと、私はきちんと申し上げましたはずです。あなた様らしくもない」
「す、すんません……けど、先生がどっか行っちゃって。大変だったんですから」
「はぁ、ヌシ様が? ここに来たと?」
楽浪は驚いて、思わず聞き返した。
甘斗はよほど怖い思いをしてきたのか、怒っているのか泣きそうなのか区別がつかない。恐らくはその両方なのだろうが。
「そうですよ! 表の稲荷の人たちもなんか殺気立ってて。見つかったらどうなるかわからないし、オレ、もうどうしようかと……」
「――ちょっとお待ちを」
楽浪は甘斗を制止した。
何か、ぴんときた。物の怪との戦いは、要は奇策との戦いだ。
上から眺めた時には稲荷たちは大半が刀傷だった。確かに刀を持った絡繰も多くいたが、集団の先頭を得意とする稲荷たちが人形程度に後れを取るとは思えない。
奇妙なことならば、楽浪自身も覚えがある。
屋敷の庭、絡繰の群れの中に突っ込んだ時、ひどく昂ぶっていた。高揚していた。
楽浪自身は何事も楽しむことを旨としているが、ただ刀を振るうだけであそこまで楽しいと思ったことは今までになかった。まるで、戦いそのものが目的であるように。
楽浪はひとり、頷いた。
「――なるほど。お陰様で絡繰が解けましたよ、坊ちゃん」
「へ?」
楽浪は、すっと片膝をついた。ちょうど甘斗と目線が合わさる。
「ですから、申し訳ありません」
楽浪が頭を下げた。ふわりと長い髪が視界いっぱいに広がり、甘斗は目を丸くした。
わずかに黒が混じった髪は積もった雪か、それとも銀か。
そう思った次の瞬間。
白かった目の前が、真っ暗になった。