11
鳥の声が響く。浅蜊売りや卵売りの威勢の良い声が響く。
飯と味噌がほんのりと香る。朝の匂いだ。
日差しがきつく、開け放した窓から入ってくる風はすでに暖まっている。
今日も一日、暑くなりそうだ。
「おっかしいな。昨晩、オレたち出かけましたよね? 先生」
「さあ? 昨日は家から一歩も出てないけど。寝ぼけてたんじゃないのー」
しらじらしく目線をそらし、納豆をかきまぜていた鈴代が答える。なぜか、眠そうに何度も欠伸を繰り返している。
明らかに怪しい。
昨夜、確実に出かけていたはずなのだ。
けれど、朝起きてみれば神田の、ちゃんとした寝床の中にいた。
帰った記憶はないというのに、だ。
「でも、昨晩会いましたよね、楽浪さん。本所の屋敷で」
「はて、とんと心当たりがございませんが。夢じゃないですかねー」
わかりやすくぎくりとして、おひつから炊きたてご飯を盛っていた楽浪が答える。隣では茶碗を受け取った輪廻が不思議そうに首をかしげている。
どう考えても嘘だ。
昨夜、逃げ回った屋敷の中で走りまわった先に楽浪がいたのだから。
何があったのかわからないが、合戦でもあったように鎧や矢が落ちていたし、何かとんでもないことがあっただろうに。
けれど、ここまで知らぬ存ぜぬと言われれば、攻め込みようがない。
現に、夜中にどこかに出かけていたという証拠はないのだから。
「…………」
大人たちを疑わしげな目で見る甘斗だったが、ふと昨夜の出来事を思い出す。
「っと、そうだ」
甘斗は隣で正座していた楽浪の着物の裾を持ち上げる。
記憶が途切れる前に見た時、楽浪は怪我をしていたはずだった。
「な、何をなさるのですか坊ちゃん! 急に着物の裾をからげるなんて! いやん!」
「気持ち悪い声出してないで、きりきり見せてください……ってあれ?」
甘斗は首をかしげた。白い足には傷跡ひとつない。あれだけ単衣が赤く染まっていたというのに。
「もう、坊ちゃんたら、はしたない。そんなに私の下着が見たければ初めからそうおっしゃってくださればいいのに」
「ちょ、見たくないですって、んなもん! 持ち上げないでくださいって!」
立ちあがった楽浪を殴って止めさせ、甘斗はため息をついた。
「そうすか、わかりました。じゃ、もう聞きませんから」
「……はい?」
素直にうなずいた甘斗に、かえって鈴代と楽浪は顔を見合わせた。
甘斗はうつむいて、小さな声でつぶやいた。
「ちゃんと帰ってきてくれたから、今回だけは許します」
ぽかんとしばし呆気に取られて、楽浪は面の下で顔をほころばせた。
その下の表情が見えなくても良い。
たとえ言葉にしなくても、理解できなくても、伝わるものはある。
「ねえ、何のお話?」
「輪廻さんには関係のない話っす」
「む。何それ、甘ちゃんひどい!」
冷たく言って飯をかっこむ甘斗と、頬をむくれさせる輪廻の間に入り、楽浪は笑った。
それはもう、楽しくて仕方がないというような明るい声だった。
「まあまあまあ、お二人とも。今は朝食の時間でございますよ。喧嘩は後、今は食事を楽しもうではありませんか、ねえ?」
屋根の上では雀が鳴いて、一日の始まりを告げて飛び去ったところだった。
お初にお目にかかる方、初めまして。
そしてそうでない方、ご機嫌よう。楽浪です。
第一話以来、ほとんど出番のなかった彼が主役です。
ちなみに名前がアレですが、作者とは何の関わりもございません。
別に分身とか作者の自己顕示欲が出ているというわけではないのです。
この話が一回凍結した時にとにかく気に入ったこの名前だけ作者名に頂いた次第なんですよねぇ。
ちょっとまともではないですけれど、作者よりしっかりしています。料理とか洗濯とか縫物とか。
この話を考え始めた最初からいた人なので、思い入れは強いのですけれどね。
うっかりすると出番を増やしてしまいそうなので、意識して書かないようにしています。
うっかり出番が増えてきたら作者が化かされていると受け止めてください。
まだ短編続きます。というか、書いた分があります。
どうぞ、これからもお付き合い下さいませ。
楽浪