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「やれやれ……貴方様もお人が悪うございますよ。ヌシ様」

「はは、ごめんごめん。どうしても付いてくるって聞かなかったから。仕方なく、ね」

 庭木の影から姿を見せたのは鈴代だった。今は若葉色の着物姿であるから闇と草に紛れ、楽浪ですら気づかなかった。

 ゆっくりと歩いてくる主に対し、楽浪は珍しく恨めしげな声を出した。

「どうして何もお言いになられなかったのですか? 私は、これ以上坊ちゃんに嫌われてしまうのは嫌でございますよ」

「何も言わなかったのはお互い様でしょ。大丈夫、嫌いになるなんてあり得ないから」

 それを言われてはどうしようもない。楽浪は口を閉じると、黒羽織を手渡した。同時に、甘斗も預ける。

「後は任せても平気だろう? この子はこっちで預かっておくから、思い切りやるといい」

「まったく――貴方という御方は。ちいとも食えぬお人でございますよ」

 楽浪は嘆息とともに答え、取り落とした刀を拾い上げる。

「ああ、そうだ」

 散歩でもするように悠然と歩いていた鈴城が、くるりと振り返ってくる。

 悪戯っぽい表情の下に、ぞっとするような冷たいものが潜んでいる。

 それに楽浪が気づいたのは、同じく面を付けているようだったからか?

「さっきの君の戦い。それは物の怪の仕業? それとも君の本心?」

「さて――どちらでしょうね?」

 曖昧に濁すと、鈴城もそれ以上は追及せず、軽く手を振って木立に紛れて見えなくなる。

主が視界から消えたのを確認して、鞘に収める。この技に刀は不要だからだ。

そのまま下げ紐を外すと地にひざまずき、鞘ごと刀を地に突きたてる。

今夜、どれくらいの物の怪を斬ったのだろう。ふと、楽浪はそう思った。

数えてみてもきりはないが、百体に届いているかと問われれば自信はない。千体人形の名が本当ならば、他の稲荷の分を含めても、まだ半分も倒していないことになる。

けれど、いくら残っていようとも関係ない。

呼吸を整え、丹田に力を込め、精神を刃のように研ぎ澄ませる。足の痛みも、不安や焦りも刀を抜かずとも消えうせる。

 そうして、ぼんやりと浮かんできた言葉を掴み取る。

 これが、言霊だ。


 ――もみじ葉の 青葉に茂る夏木立

    春は昔になりけらし――


 歌うようにささやかれた言霊は、静寂に染みいるようにして、やがて消えた。

 余韻もなく、応答もない。誰も聞かず、誰も気にせず、言葉は波紋を残しもしない。

 ――だが、効果はすぐに現れ始めた。

 ひらり。

 楽浪の肩に葉が一枚、舞い落ちた。

後を追うように一枚、また一枚と落ちる。季節外れに赤く染まったもみじ葉が。

ざあああああ――

木が、草がざわめいている。冷たい風に煽られ、大きく葉を波打たせる。そのたびに青々とした夏葉が徐々に唐紅に彩られる。

けれど、塀を越えた隣の屋敷は未だに葉が青い。この屋敷の庭だけが紅葉しているのだ。

 まるで、秋が訪れたように足元の草が、頭上の葉が、赤、黄色、茶色と色とりどりに染まり、彼の周りにだけ鮮やかな錦が広がる。

 ――神域・《白秋》。

稲荷たちとは違うこの力に名を付けたのは主だった。

 だが――紅葉の赤は華やかな戦装束。同時に、冬に向かう艶やかな死装束でもある。

 カタカタ……タ。

庭のあちこちに散らばっていた人形たちが、将棋倒しにしたように次々に倒れていく。

 地面に散らばった歯車も動きを止める。無数の物の怪が力を失い倒れていく。

 ――その一方で。

遠く離れた池では魚が一匹、二匹と浮かび上がってきた。屋敷の中で眠っていた人間たちも、ごく僅かだが苦しげに呼吸を荒らげる。

草が枯れ、水は濁り、生き物は徐々に死に向かっていく。

身を切るように冷たい風が、楽浪の頬を撫でる。

「…………っ」

 刃を通して己に流れ込んでくる力に、どくんと胸が強く高鳴った。

 これを他の稲荷が知れば、決して彼を生かしておかないだろう。

 楽浪は与えない。ただ相手から生命を奪い、食らうのみ。

 草を。水を。空気を。人を。物の怪すらも食らってしまう。

 それこそが《白秋》の由来だ。実りの裏に潜む死。生命を与える稲荷の、対極の力。

 全てを取り込んでしまいたい、己の身からあふれ出してしまっても構わないという欲求が首をもたげる。生命は蜜のように甘く、その味に夢中になって酔いしれる。

 このまま全てを食らってしまいたい。このまま――


「……ぷはっ!」

 楽浪は刀から引きはがすようにして身を起こした。背から降り積もった朽ち葉が落ちる。見渡すと、辺りは一面の赤に埋もれていた。

その向こう側に夏の風景を見つけ、楽浪はほっと息をついた。どうやら完全に死んでしまった場所は、僅かだけで済んだらしい。

軽い目眩がして、楽浪は狐面の額を押さえた。けれど、実際は健やかな気分だった。冷たい空気すらも美味く感じられる。生命を食らったことで疲労も消え、今は身体中に力が満ち満ちている。

「はぁ。毎度のことですけれど、大博打にも限度があるでしょうに。次に目を開いて、もし私以外の全てが死んでいたらどう思われます? まぁ――それよりも前に、私が目を開かなくなる方が早いかもしれませんから、それもいいでしょう。ほうほうほう」

 ひとりで軽口に笑い、精一杯に伸びをする。

生きているのが楽しいのはいつものことだが、それ以上に今は気分がよろしい。軽やかな足取りで、踊りだしてしまいたいほどだ。

 不謹慎だとは分かっているが、こればかりは仕方がない。

「さーて、ヌシ様と坊ちゃんをとっとと探しますか。ああ、今ならばどのような無理な願い事も叶えて差し上げられそうな気分だというのに、あのお二人は一体どこに行ってしまわれたのやら!」

 楽浪は、鼻歌交じりに紅葉の錦を踏みわたる。

 仕えるべき主と、その弟子を探して。


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