表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
その空に未来を捧ぐ  作者: うわの空
第二章
8/33

ドラゴン

 私はしばらく桜のそばから離れようとしなくて、エミリアは桜ではなく私のことを観察しているようだった。桜の花を愛でるのは、よほど珍しいことらしい。

 そうして、少しずつ日が落ち始めた頃になってようやく、私とエミリアは街に戻った。


「さて」


 エミリアは特に声色も音量も変えずに言う。


「あとは、ぱんつだな」


 そうでした、まだ買ってませんでした。


 私は、エミリア行きつけの店だという下着屋に向かった。街中に堂々とあるそれは、看板にでかでかと『ぱんつ・ぶらじゃあ屋 ~ロマンスをあなたに~』と書かれていた。ロマンスがない店名に、目眩すら覚える。日本だったら絶対に入れない。

 店に入ると、ドアベルがカランカランと乾いた音を立てた。私は日本にあった下着屋を想像しながら中に入り、言葉を失った。

 なんというか、暗い色のものが圧倒的に多い。黒か、濃い紫か、モスグリーンか。セクシーといえばセクシーだけれども。異世界ではこれが主流なの? え、じゃあ、エミリアもこういうのをつけてるの?


「好きなのを選べ」


 私の趣味およびサイズがエミリアにばれる。そう思いつつも、日本では無難だったピンク色を取ろうとした。それを見て、エミリアが短く「え」と声を出す。私もつられて「え?」と返した。


「おま、おまえ……」


 エミリアは何故か、顔を赤くしていた。


「そ、そんな、エロいのを……」

「えっ」


 手に取った下着を見る。特別装飾が素晴らしい訳でもなく、むしろフリルもほとんどないような地味な代物だった。しかし、異世界では色々と価値観が違うのは知っている。


「……そんなにやばいの? これ」

「いや、あの……お前の趣味に文句を言うつもりはない……」


 珍しく、エミリアが口ごもっている。よほど変なチョイスなのだろうか。


「ごめん、異世界ではどういうのが無難なの? 十六歳がつける下着って」


 この質問には答えやすかったのか、エミリアは気を取り直したようにいくつかの商品を手に取った。

 ――あずき色。ラクダ色(ベージュ)。灰色がかった茶色。ごちゃごちゃと飾り付けられ、アゲハチョウのようになっている上下セット。

 今度は、私が口ごもる番だった。エミリアの服を脱がせて、いま身に着けている下着を見てしまいたい衝動に駆られる。だって、エミリアは私と一歳しか違わない。

 エミリアもこういうの、つけてるの?

 いや、下着なんてしょせん個人の趣味だから、何色でもどういう装飾でも文句は言えないのだけれども。そうなんだけど。そのはずなんだけど。


「……逆に聞くけど、大人っぽいのとか、エロいのは何色?」

「白、黄色、ピンク、水色。全体的に淡い色だ」


 日本では十六歳でも普通につけてる色ですそれ。

 ああそういえば、私が魔導士の家で転んでぱんつを見られた時、白とかピンクとかで男たちが妙に興奮していた。あれはそういう意味か。泣きたい。

 けれど、アゲハチョウの下着で日本に帰るのも……。少なくとも私の趣味じゃないし。

 結局私は、「日本では淡い色の下着が普通につけられていた」という話をして、そんな感じの地味な下着を買った。なるべく地味なのを選んだのに、エミリアは相変わらず動揺を隠せていない。多分、初めて紐パンを買う時が来たら私もああいう反応をするのだろう。


 どうして私はここまで、異世界の下着事情について詳しくなってしまったのだろうか。


 店内には二十分もいなかったと思うけれど、どっと疲れた。やっとの思いで外に出る。エミリアもまた、相当疲れた顔をしていた。というよりも、相当ショックを受けた顔をしている。そうだね、エミリアからすれば相当エロい下着を買ったんだもんね私ね。

 会話の糸口がつかめず、無言でとぼとぼと歩いていたら、道の向こうから一匹の猫がやってきた。どこにでもいそうな、茶トラの猫だ。猫の余命は見えない。この世界で見えるのは、人間の余命だけらしかった。

 会話の糸口と癒しを同時に見つけた私は叫んだ。


「見て見て、エミリア! 猫! かっわいいー! 首輪つけてないし、野良猫かな」


 私のはしゃぎ声に、エミリアは呆れたような言葉を返した。


「あれは、この近くに住んでいる貴族の飼っている猫だ。そもそも、野良猫なんているはずないだろう」

「え? そうなの?」


 茶色のもふもふを触ろうとしていた私は、『貴族』という言葉におののいた。手をひっこめながら、エミリアの方を振り仰ぐ。エミリアは当然だろうと言わんばかりの顔をしていた。


「猫ほど高貴な生き物が他にいるか? しなやかな身体、完全なる曲線美、愛くるしい顔、透き通った瞳、繊細かつ柔らかな体毛、つややかな尻尾、触る者すべてを魅了する肉球。あれはもう神の使いだろう、そうとしか考えられない」


 あなた相当な猫好きじゃないですか。

 口を半開きにする私に、エミリアは力強く断言した。


「そのような神々しき生き物が、野良になるなど考えられん!」


 彼女が日本の猫島に来たら、ものすごい反応をするのだろうなあ。

 微笑ましく思っていたら、エミリアが付け加えた。


「野良なのは、ドラゴンくらいだろう」

「えっ!?」


 ドラゴンいるの!? ていうか野良なの!? どっちに突っ込めばいいの!?

 ……いや。ここはとりあえず、順序を守って突っ込むこととしよう。


「えーっと。この世界には、ドラゴンがいるの?」

「当然だろう」

「ドラゴンっていうのはその、野良じゃなくて野生って言うんじゃないの?」

野生それは山や崖に棲んでいる、大きな個体のもの限定だ。――たったの一匹で、この世界の半分を焼き払うことができると言われている伝説の火吹きドラゴンのレベルになれば神扱いだが、それ以外は野生だし、街におりてきているものは野良だ」

「……ドラゴンが街におりてきて、大丈夫なの?」

「というか、ドラゴンなら先程からそこにいるぞ」

「え?」


 エミリアが指さしたのは、私の足元だった。慌てて下に目をやる。

 果たしてそこにはドラゴンがいた。

 ……私が想像していたドラゴンというのは、何メートルもあって、人間を背中に載せて飛べるような生物だった。しかし、足元にいるのはそんな生き物ではない。

 全長は十センチほど。トカゲに似ていて、けれど二足で立っている。両前足は古き良き幽霊のように胸の前にあり、手の甲を前に向けている。ツノらしきものが頭にふたつあり、たてがみと言っていいのか不明だけれども、頭と背中には若干毛が生えていた。更に、片翼二センチほどではないかと思えるくらいに小さな翼。小さすぎて、飛べるとは思えないけれども。

 ドラゴン……。確かに、これはドラゴンだ。しかし、


「なにこれちっさ! ていうか、えっ、すっごくかわいい!」


 黒くてつぶらな瞳が、私の方をじっと見つめている。というか見上げている。しかもこのドラゴンは、うろこがサンゴ色だった。ピンク色のドラゴンっているのか、女子力が高すぎる。

 ドラゴンはこちらを見たまま、首を傾げた。そうして小さく鳴く。


「きゅう?」


 やばい、どうしよう、連れて帰りたい。私は思わず、ドラゴンを手に乗せた。軽い。小さい。かわいい。

 私は鼻の下を伸ばしたまま、エミリアを見た。彼女は『解せぬ』という言葉を全身で体現している。なんか半歩引いてるし。


「……そんなにかわいいか?」

「だって、すごく小さいし」

「手乗りドラゴンだからな」

「手乗り……。道理で小さいわけだあ。ねえ、ドラゴンを飼ってる人はいないの?」

「いるにはいるが……」


 エミリアはなんとも言えない顔でこちらを見ていたけれども、やがて諦めたように言った。


「……いいだろう。そいつも旅のお供に連れていこう」

「ほんと!?」

「ああ。見る限り、それ以上大きくはならないだろうし、邪魔になることもないと思う」


 大人になってこのサイズなのか。私はますます驚きながら、手のひらの生き物を眺めた。ドラゴンは大人しく、私の手に乗ったままだ。かと思えば、きゅうきゅうと小さく鳴きだした。声まで小さくてかわいい。


「……すごく鳴いてるんだけど、なんでか分かる?」

「腹が減っているんだろう」


 そこで私は思い至った。

 ドラゴンって、生肉を食べるのではないか。

 いつか、友人が飼っていたフクロウを見に行ったことがある。与えられていたエサは、ピンクマウスという、毛も生えていないようなネズミの赤ちゃんの死骸だった。真空パックにされた、ピンク色のネズミ。

 ぞっとして、私はエミリアに訊ねた。


「ど、ドラゴンって何を食べるの……?」


 エミリアは即答した。


「甘味だ」


 ……かんみ、って甘いもの?

 え、ドラゴンの主食って甘いものなの? 甘党なの?


「えーっとそれは、主食が甘いもので、あとは肉をあげるとか……」

「いや、ドラゴンは甘味しか食べない」


 カルチャーショックというか、ジェネレーションギャップというか、いや、ジェネレーションギャップはおかしいのでワールドギャップだろうか。とにかくそういう感想が頭に浮かんだ。

 ドラゴンは甘いものしか食べないのですか。おかしい、私の予想では生肉を食い散らかしてるイメージだったのに。

 私はエミリアにもらったクッキーを一枚取り出した。直径四センチほどのクッキーでも、手乗りドラゴンと比較すれば大きく見える。ドラゴンは短い前足でしっかとクッキーを掴み、サクサクと端をかじり始めた。かわいい、本当に可愛い。トカゲや爬虫類が好きだった訳じゃないけれど、ドラゴンはまた別だった。

 ドラゴンがクッキーを食べる様子を眺めながら、私はふと思った。


 ――このクッキーをくれたおばあさんは、もう。


 エミリアの方を見る。彼女はドラゴンの方を見ながら、けれども何も言わなかった。

 影が随分と長くなり始めていて、そろそろ帰るかとエミリアが呟く。私は頷いた。


 避ける必要はなかったのかもしれないけれど、私はおばあさんの話題を振らないようにした。それに気づいているのか、それとももう別れの挨拶は済んだからと思っているのか、エミリアもその話をしない。私は、拾ったドラゴンについてあれこれとエミリアに訊ねた。ただでさえファンタジーに疎い私は、ドラゴンについてはまったくの無知だった。


「この子、何歳くらいなんだろ?」

「さあな。そもそも、ドラゴンには寿命がない」

「へえー。性別はある?」

「ああ」

「この子はどっちだろうね」

「ドラゴンの性別はうろこの色で決まるんだ。青ならオス、赤ならメスだ。……ピンクというのは正直初めて見たのだが、まあメスだろう。色素が薄いだけだと思う」

「そうなんだ」


 ドラゴンはまだ、クッキーをかじっている。ようやく半分ほど食べたところだけれども、まだ食べるつもりらしい。その小さな身体で、直径四センチのクッキーを一枚食べきれるのだろうか。

 エミリアの家に向かう坂道を上りながら、私はふと思いついた。


「そうだ、この子の名前どうしよう」


 エミリアは私の顔を見て、それからドラゴンを一瞥し、


「たわし、というのはどうだ」


 真剣なまなざしと真面目な声でそう言った。


「た、たわし……」


 どこからその単語がでてきたのだろう。笑いそうになる私を見て、エミリアは口を尖らせた。


「不満か。ならば……ドラっち」


 エミリアのネーミングセンスがどんどん迷宮入りしていく。吹きだすのをこらえている私の顔を見て、エミリアはますます険しい表情を作った。顔のパーツをすべて中央に集めるような、美人が台無しになる表情だった。


「ならばこれしかない」


 大富豪で『革命』を起こすプレイヤーのようなドヤ顔で、エミリアは断言した。


「ちくわぶっ!!」


 吹いた。

 エミリアは口を開いたまま凝り固まっている。これが漫画なら、バックに稲妻が走り、大量の汗を流し、『がーん』という擬音が使われているに違いない。そういう表情だった。


「いやむしろ……この世界にちくわぶってあるの」

「ある。冬によく食べる。オ・デンという料理に入っているものだ」


 変なところで区切られているけれども、多分同じ料理だろう。私の世界にも『おでん』があったと教えると、エミリアは目を輝かせた。エミリアはおでん……いや、オ・デンが好きらしい。


「具のバリエーションが豊かだろう。コーンニャック、卵、じゃがいも、ダイコーン、ちくわぶ、牛すじっすじ、オアグラマ、もちバッグ、ブッツローニ……」


 やっぱり時々、変な単語や、聞き慣れているけどどことなく違う単語が入った。

 というか、話がずれている。いまはドラゴンの名前を決めているところだ。私はオ・デンの話を適当に聞き流しながら、ぱっと思いついた。


「樹海ちゃん! この子の名前、樹海ちゃんにしよう!」


 私の叫び声に、エミリアはぎょっとしたようだった。しかし、我ながらナイスネーミング。

 エミリアは訝しげに、こちらを見た。


「……どこからその名が?」

「私のいた世界で、『まじカル☆ドラゴン樹海ちゃん』っていう小説が流行ってたの。すっごい人気作かつ名作なんだから。天界にいた無名のドラゴンが地球に降りてきてね、女の子の姿になって地球を旅するの。口癖は「まじカルマ」。服装はへんてこりんでさ、タイトスーツに赤いランドセルで、」

「いやもういい、長くなりそうだ。そのドラゴンの名前も、もうそれでいい」


 エミリアは、まじカル☆ドラゴン樹海ちゃんに興味を持てなかったらしい。その作品の大ファンである私がしょんぼりしていると、エミリアは「ニッポンという国は物騒なのか?」と訊いてきた。


「どうして?」

「そんな、世の終わりのような名前の小説が流行っているとなると、暗い国しか想像できん」

「……世の終わりのような名前?」

「ジュカイなんて、墓のようではないか」


 私はぎょっとした。樹海、というのは特定の場所の名前ではなく、広い森のことだ。けれど日本で樹海というと、どうしても一か所しか思い浮かべられない。そして日本の樹海も、確かに暗い想像が膨らむ場所だった。


「……この世界に、樹海っていうお墓があるの?」


 気になって訊ねてみると、エミリアは頷いた。


「死者の魂が行くと言われている場所だ。正式名称は、アオキ・ガ・ハラ・ジュカイ」


 今度こそ、私は悲鳴を上げた。手のひらにいた樹海ちゃんが震えて、クッキーを地面に落としてしまう。エミリアもまた、驚いているようだった。


「な、なんだ?」

「日本にもあったの」

「なにが」

「青木ヶ原樹海っていう場所」


 アクセントやイントネーションは違っていても、それは間違いなく「あおきがはらじゅかい」だった。これまで聞いたこともなかったカタカナの国名ばかりだったのに、ここだけがぴたりと当てはまっている。エミリアも、何か考えたようだった。


「……お前の世界のジュカイというのは、どのような場所だった?」

「森っていうのかな……。一度入ったら二度と出られないって言われてるところ。多分、あそこで行方不明になってる人も多いと思う」

「こちらのアオキ・ガ・ハラ・ジュカイも、森林だ。入ったら出られないという噂もある。それに……その森に迷い込んだら、『ここではないどこか』に連れていかれるという噂も」


 二人、顔を見合わせた。樹海ちゃんが首を傾げ、きゅうと鳴く。


「……これは希望的観測というか、一種の妄言だが」


 エミリアは口元に手を当てながら、考え込むようにした。


「繋がっているのではないか? お前の世界のジュカイと、こちらの世界のジュカイは。ジュカイ同士が繋がっていて、お前の世界からこちらのジュカイに迷い込む人間がいれば、こちらの世界からお前の世界に迷い込む人間もいる。ジュカイに入った者が帰ってこないのは、迷子になったのではなく、違う世界に転移したから。……森同士が繋がっているから、名前も同じ『アオキガハラジュカイ』になっている」


 私も同じ妄想を、一瞬だけしていた。

 まさかとは思う。けれど、可能性はゼロではない。

 エミリアは私の目を見て、その下にある思考も見抜いたようだった。


「決まりだな」


 力強く、エミリアは言った。


「旅の目的地は、アオキ・ガ・ハラ・ジュカイだ」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ