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その空に未来を捧ぐ  作者: うわの空
第二章
6/33

隠れた名店

 食べたことはないけれどテレビで見たことならある、北京ダックに似た鶏料理。

 その横には、みずみずしい緑色でテーブルを飾るサラダ。ドレッシングはハーブ、レモン、塩、ごまからお好きなものを。

 バスケットに入っているのは焼きたての、五種類はあるパン。その横に並べられた瓶の数々。はちみつ、メープルシロップ、チョコシロップ、イチゴジャム、マーマレード、バター。

 ちょうどいい半熟具合の巣ごもり卵。カリカリに焼けているベーコン。

 ほこほこと湯気の立つスープは、オークション会場地下で出されたそれとは比べものにならないくらい具が多い。鶏肉、エビ、たまねぎ、……見たこともない野菜。ぷかぷかと浮かぶのは、ワンタンのような何かだ。

 中華なのか西洋なのかよく分からない朝食に、私は唖然としていた。


「……朝食の量が多いと言っているだろう。パンとバターで充分だ」


 私の向かいに座っているエミリアは、超がつくくらいの不機嫌な声でそう呟き、一番安そうに見える食パンをかじった。今日は、薄手のブラウスに紺色のショートパンツを合わせている。相変わらずラフだ。

 私はとりあえず、エミリアに一から十まで料理名を訊ねた。思ったよりも、日本と同じ料理名のものが多い。パンだってそうだ。クロワッサン、黒糖パン、ロールパン、ライ麦パン、食パン、あんぱん。――え、あんぱん? あんこがあるの? この、中世ヨーロッパ的な街に?


「これは?」


 巣ごもり卵を指さすと、エミリアは面倒くさがりもせずに教えてくれた。


「引きこもりエッグだ」


 ――ひどい。

 北京ダックに至っては『グンパゼリウス・ターキー・カラメラ・ハボチョイ・ドンスコ』が正式名称だった。この世界の名前であるグンパゼリウスと、ターキーはまだいい。そのあとなんて言った。ハボチョイ・ドンスコってなに。

 味付けは、ごくごく普通だった。スープはポトフに近く、パンやベーコンも日本のものと変わらない。私は少し安心した。これでもしも、ゴキブリを食べる世界に飛ばされていたら確実に泣いていただろう。


「昨夜はよく眠れたか」


 エミリアが食パンにバターを薄く、ものすごく薄くつける。薄すぎないですか、貴族なんだからもっとがっつりつけないんですか。


「うん、おかげさまで」

「それはよかった」


 昨夜、転移してきて疲れているだろうとの理由で、私はさっさと客室に通された。そこにあった、自分の身体が沈むんじゃないかと思えるくらいのふかふかベッドは、あっという間に私を眠らせてくれた。よく考えてみれば、オークション前日の夜は不安でほとんど眠っていない。私は泥のように眠り、眠りすぎて、気付けばエミリアに扉を叩かれていた。――朝食だ。エミリアはそれしか言わなかった。ごはんと味噌汁が出るとは思っていなかったけれど、こんなに統一性のないラインナップになっているとも思っていなかった。

 エミリアがずぞぞーっとスープを飲むと、隣に立ってあれこれと世話をしていた執事のセバスチャンさんがたしなめた。


「お嬢様。そのように音を立てて飲むのはおやめください」


 やっぱりそれ、行儀悪いんですよね。

 エミリアは横目でセバスチャンさんを睨みつけたまま、先程よりも大きな音を立ててスープを飲み干した。


「うるさいぞ。あたしは好きなようにする」

「あたし、ではなく、わたくしで」

「だからうるさいと言っているんだ。本当ならば、おいらと言いたいくらいだ」


 貴族のお嬢様が「おいら」はやめたほうがいいと思う。セバスチャンさんは小さくため息をついて、紅茶とデザートをご用意しますと食堂から出ていった。ちなみにこの食堂だけで、私の家が一軒建てられそうな広さを誇っている。どこかの山で空中ブランコする少女が、意気地なしとまで言われた金髪女子の家に行った時。あの時の食事風景をさらに拡張したのがこの食堂である。

 エミリアは疫病神でも追い払ったかのような顔をして、私と向かい合った。


「ところで。昨日聞き忘れていたが、ナシロはいくつなんだ」

「十六」

「……十二歳程度かと思っていたのだが」


 確かに私は童顔だけど、それは失礼なのではなかろうか。身長だって百五十七センチはあるし。エミリアは興味深そうにこちらを見る。もしかしてこの人、実は四十歳だ、とか言うのだろうか。


「エミリアはいくつなの?」

「十七だ」

「なんだ、一歳違いじゃない」


 年相応の顔だと思った。あるいは、少し大人びている。エミリアは切れ長の目を細めた。


「ナシロよ。お前のいた世界の名はなんという」

「え、世界? ええと、地球かな?」

「チキュー、チキュー。……奇妙な名だ」


 すみませんね、変な星の名前で。


「出身国は?」

日本にほん。いや待て、にっぽん?」

「どっちだ」

「どっちなんだろう」

「そうだな……。ニッポン、の方が奇妙だから、恐らくそっちが正しいのだろう」


 どういう理屈だ。

 そうこうしている間に、セバスチャンさんが紅茶とデザートを運んできてくれた。りんごのコンポート、バニラアイス添え。すごい。朝からこんなのが出るんだ。

 エミリアは特に感動する風でもなく、デザートに取り掛かった。


「アップルぐつぐつ、凍り牛乳添えか」


 正式名称それですか。



 一週間ここで生活したら五キロは太るんじゃないかと思える朝食を食べた後、エミリアは「出かけるぞ」と私の手首を掴んだ。セバスチャンさんに出かける旨を伝え、散々止められ、我々も同行しますと言われて、けれども「侍女がついているから問題ない」と押し切った。侍女とはすなわち私のことだ。

 セバスチャンさんは、細い目を最大限に見開いた。それでも、一般的な目の大きさだ。


「お、お嬢様が侍女を!? 侍女というものを、あれほどまでに毛嫌いしていたというのに!」

「お前はいちいちうるさいのだ。次に何か余計なことを言ったなら、前歯を粉砕骨折させるからな」


 歯って骨折するんだっけ。

 エミリアは半ば強引に、私の手首を引っ張った。昨日見た広い庭を、門に向かってずんずんと突き進む。私は困惑した。


「ええと、どこに行くの?」

「下だ」

「下って……地下?」

「馬鹿か、下がりすぎだ。街だ、街!」


 街といえば、私がここに来るまでに通り過ぎた街のことだろう。そういえば、市場のような街並みだった気がする。昨日そこを通った時はドナドナしていたので、あまり覚えていない。

 運動だとかなんとか言って、エミリアは馬車を拒否した。ここでようやく気付いたけれど、エミリアは恐らく、執事だとか馬車の御者……つまりは自分の家に仕えている人間が同行するのを酷く嫌がるようだった。


 緩やかな坂道を二十分ほど下ると、街が見えてきた。そこは思ったよりも活気に溢れていて、木箱に山積みにされた野菜だとか、ドライフルーツだとかが売られていた。アクセサリーショップなんかもある。いつか海外旅行したら絶対に見たいと思っていた、オレンジとトマトが山になっている市場を、私は異世界で初めて見ることになった。

 甘い香りのする建物を覗くと、ふくよかなおばさんがクッキーを焼いている様子が見えた。なんだかいかにもそれっぽい。エミリアに訊いてみたら、やっぱりクッキーはクッキーという名前だった。お菓子もある程度、名称は同じらしい。


「マカダミアナッツンや、ココナッチョの入ったクッキーがうまいんだ」


 たまに、どことなくおかしくなるが。

 私は田舎者のように……というかある意味で田舎者なのだけれど、首をあちこちに振りながらエミリアに訊ねた。


「ねえ、何買うの?」

「決まっているだろう。旅の必需品だ」


 ああ、なるほど。

 頷く私に、エミリアは真剣な顔で続けた。


「まず、ぱんつを買おう」


 それは最後でいいんじゃないかな。


 結局私の言うことに従ってくれたエミリアは、旅に必要そうなものを求めて、街をうろうろとした。まずはトランク。エミリアは専門店を一回りして、「これがいいだろう」と黄土色の大型トランクを手に取った。値札も確認せずに。そのままさっさと会計しにいき、「フロディーテ家に請求してくれ」と一言告げる。たったのそれだけで、トランクは手に入った。

 それからタオルが数枚、着替えの服、サバイバルナイフ、小型のランタンなど。修学旅行以外これといって長旅をしたことがない私は、それらが必要なのかどうかも分からなかった。

 エミリアはどうも、自分の旅支度は済ませてあるらしい。買い求めたのはすべて、私用のものだった。私はどんどん増えていく荷物を、買ったばかりのトランクに詰め込みながら街を歩く。通行人が「エミリア様」と驚愕しては、頭を下げた。公爵令嬢というのは、そんなにすごい存在なのだろうか。エミリアは頭を下げられる度に顔をしかめていた。

 ひょこひょことエミリアの後ろに続いていた私は、奇異の目で見られた。異世界の人間だと、ばれているからだろう。


「……まったく、歩きにくい街だ」


 呆れたようにエミリアは言って、細い路地を指さした。


「寄り道するぞ。こっちだ」


 綺麗に舗装された石畳ではなく、コケの生えた湿気の強い道を、ブロンドの公爵令嬢がツカツカと歩く。私は若干早足になりながら、後を追った。エミリアは足が長い。私は……エミリアに比べればマンチカンとかダックスフントとかそこら辺だ。彼女が普通に歩く速度でも、私からすれば早歩きのレベルだった。


「ここだ、ここ」


 エミリアが立ち止まったのは、年季の入った建物だった。オレンジ色の屋根瓦はすすけている。壁にはつたが絡まっていて、お世辞にも綺麗とは言えなかった。じめじめとした路地裏にあることも、それを助長しているのだろう。年季の入った建物というのは良い言い方で、悪く言ってしまうのなら不衛生な感じのする店だ。そこから漂うのは、甘ったるい香り。

 エミリアは私の方を振り向いた。


「ここの菓子がうまい」


 ……公爵令嬢ご用達の店にしては、酷い外観のような気がせんでもない。けれどエミリアは何のためらいもなく、店内に入った。焼きたてのクッキーと、チョコレートの香りが室内を支配している。マカロンを棚に並べていたおばあさんが、顔をあげた。


「いらっしゃ――エミリア様!」

「様をつけるなと散々言っている。お前の方が人生において先輩だ」


 そういうエミリアも、先輩に敬語をまったく使っていない。鼻の尖ったおばあさんは、エミリアの背後に隠れるように立っていた私を見て「まあ」と声を出した。


「噂の転移者ね! お名前は?」

「香川なしろです」

「カガ・ワナシロ?」

「いやすみません、なしろです。なしろ」


 どうして毎回変なところで区切られてしまうのだろうか。エミリアは私たちの会話を止めることもなく、店内をうろつき始めた。大きなクッキーを手に取り、おばあさんの方を見る。


「これ、新作か?」

「そうよ、昨日から発売したの。急にレシピを思いついちゃってねえ。自信作なのよ」


 おばあさんは嬉しそうに微笑んだ。エミリアは「ふうん」と呟いて、扉付近にあったバスケットにそのクッキーを放り込む。おばあさんは嬉しそうに説明を続けた。


「砕いたゴマと、カシューナッティとマカダミアナッツン、それからゲゲベロとピンチラが入ってるの。味付けはシナモンと、クァンバイラで」


 ……知っている単語と知らない単語が入り混じる。しかしエミリアにはすべて通じたらしく、口角をあげた。


「なるほど、うまそうだ」

「でしょう? この店の看板商品になりそうよ」


 ――空気が硬くなった、ような気がした。私の主観だろうか。

 ここは、先祖代々受け継がれている店なのかもしれなかった。けれどエミリアの次の言葉は、私の期待を裏切った。


「この店を継ぐ者はいないのだろう? ならば、あたしがこの店に来るのは今日が最後だ。旅に出るんでな」

「――そう」


 おばあさんは、ちっとも顔色を変えなかった。チョコやパウンドケーキやフィナンシェを次々とバスケットに放り込みながら、エミリアはおばあさんを見る。その顔色もやっぱり、変わりなかった。


「長い間、世話になったな」

「子供の頃から、エミリア様はこの店をごひいきにしてくださってたからねえ。月日が流れるのは本当に早いわ」

「貴様は、あたしが子供の頃からばあさんだった気がするな」

「そうかもね。私から見れば、エミリア様はまだまだ子供よ?」

「ふん。――だが、菓子の味は確かだった」


 お菓子がてんこ盛りになったバスケットをカウンターに置くと、エミリアは「会計」とだけ言った。おばあさんは首を振る。


「お代はいらないわ。旅の餞別として、受け取って頂戴」

「ならばあたしの方こそ、餞別を渡すべきだろう」


 エミリアの言葉に、おばあさんはくしゃりと顔を潰して笑った。


「あの世に持っていけるかどうかも分からないものを、餞別に? そんなの、気持ちだけで充分よ。……お金は生者が使うべきだわ」


 私は、微笑むおばあさんの頭上を見た。


『0y 0m 0d 4h 32m 6s』


「……店の閉店時間よりも、迎えの方が先だな。今日の営業はどうするつもりだ」


 エミリアはまっすぐにおばあさんを見つめる。

 紙袋にお菓子を丁寧に入れながら、おばあさんはくすくすと笑った。


「今日の閉店時間は、私の余命が残り十分になった時よ。残り十分はそうねえ、売れ残ったお菓子を食べながら一人で過ごすわ。子供もいないし」

「……ばあさん」

「最後は、一人がいいわ」


 エミリアの言葉を見透かしたかのように、おばあさんは微笑む。悲しみも恐怖も、何もない顔で。

 紙袋にお菓子を詰め込んだおばあさんは更に「これはおまけね」とチョコレートをふたつ追加してくれた。「持ってろ」とエミリアに渡されたその紙袋は、嫌に重く感じられる。

 エミリアは溜息をつくと、店の扉を開いた。振り返り、一秒ずつ削れていくおばあさんに声をかける。


「うまい菓子をありがとう」


 おばあさんは目を細めた。


「こちらこそ、楽しかったわ。ありがとうエミリア」

「……最後になって呼び捨てか」

「最後くらいね」


 それから、おばあさんは私へと視線を移した。


「ナシロちゃん。エミリアをよろしく」

「――……はい」


 私の顔を見たおばあさんは、きょとんとする。理解できないものを見るような顔をして、そのあと感心したように微笑み、かと思えば優しい表情をした。


「転移者って、本当に死を恐れるのね。あなたが泣く必要はないわ」


 おばあさんはしわだらけの指で私の頬を撫でて、でもそうねえ、と呟いた。


「昨日新しく作ったお菓子。もう少し早く思いついておけばよかったわね。あれは、看板商品になれるはずだったから」


 おばあさんは首を傾げて笑い、狭い通路に立って、私たちの姿が見えなくなるまで見送ってくれた。


 私の涙を拭ってくれた指先はとてもあたたかくて。

 けれど五時間後には、その温度も消えてしまうのだろう。

 その優しい姿だけを、私たちの頭に残して。


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