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その空に未来を捧ぐ  作者: うわの空
第七章
32/33

あたたかな雨

 私は、とてつもなく残酷なことをしたのかもしれなかった。


「なんで……」


 信じられない。信じたくない。そんな顔をしたエミリアが、上半身を起こした。彼女はまだ、自分の数字を見ていない。けれど、私の数字が減っている意味をきっと理解したのだろう。いまにも叫び出しそうな顔をして、こちらを見ている。


「――――ごめん」


 私は目を伏せた。エミリアは恐らく、これを望んでいなかったはずだから。

 これは、私が勝手にしたことだ。彼女に確認もせずに。もしも確認したら、彼女が拒否するのは目に見えていたから。

 私の一言でおおよそのことを把握したらしいエミリアは、その瞳を曇らせた。


「っ……カトレア!」


 エミリアは叫びながら、ベッドから足を下ろした。立ち上がる彼女の手首を、私は強く引っ張る。こちらに向けられる青色に、私は首を振った。緩く笑って、カトレアに教えてもらったことを――エミリアにとっては最悪だろう事実を伝える。


「この魔法も、一方通行なんだって。私からエミリアに余命を『移す』ことはできても、エミリアから私に『戻す』ことは、できない」


 私の数字は、増えない。

 エミリアの瞳がどんどん揺らいでいく。それを直視できなくて、私はまた目を伏せた。


「――……嘘だ」


 頭上から、冷たい雨のような言葉が降ってくる。その声には、期待も希望もなかった。楽しさも嬉しさも、ない。

 あるのは、大きな絶望だけだった。


「……ごめん」

「カトレアがお前をだましただけだ。戻せるに決まってる」

「あの人が、そんな嘘をついてどうするの?」

「……仮に戻せないなら。それを知っていて、どうしてあいつは」

「私が頼んだの。カトレアは何も悪くない」

「――っ!」


 掴んでいた手が振り払われ、どん、と肩を叩かれた。……二回、三回、四回。叩けば叩くほど、彼女の力は弱くなっていった。


「――なんで、なんで、なんで!」


 それと反比例するように大きくなっていた声は、やがてその勢いをなくした。私の肩に拳を乗せ、俯いたままでエミリアは小さく吐き出す。


「……なんで、こんなことをしたんだ」


 脚から力が抜けたように、彼女はそのままぺたりと床に座り込んだ。両手で顔を覆い、細い肩を震わせる。ちょうど朝日が入り込んでいる位置に彼女の髪があるせいで、金色の髪はこの場にそぐわないくらい、綺麗に輝いていた。


「ごめん」


 私は何度、この言葉を使うことになるだろう。計算もできないことを考えながら、エミリアの隣にひざまずいた。彼女は俯いたまま、小さく首を振っている。


「エミリア。私は……」


 私は、とても残酷なことをしたのかもしれなかった。

 死に怯える時間を、一か月から二十一年に延ばしてしまったのかもしれない。

 恐怖と戦う時間を、二十一年も与えてしまったのかもしれない。

『他人の余命を貰った』という考えが、彼女にとってどれだけ重いのかも分からなかった。

 それでも、


「私は、エミリアが死ぬのが、怖かった……!」


 彼女の数字の少なさが。一秒ずつ減っていく数字を見るのが。彼女が削れていくのが。いつか手を繋げなくなる日が来るのが。私は怖くてたまらなかった。

 耐えきれなかったのはエミリアではなくて、私の方だったんだ。

 ぱたた、と床に雫が落ちる。私は両目をこすった。

 泣く権利なんてないくせに。エゴを押し付けただけのくせに。酷いことを、したくせに。

 夜空から降る雨は、ただ天候が悪いだけだ。何の意味もない。


「……あたしが」


 泣きじゃくりながら、エミリアが声を出した。


「あたしが、変なことを言ったから。弱音を吐いたから。だからお前」

「違う。私が勝手に決めたの」

「あたしのせいだ」

「……違う」

「お前に未来を与えたいと言いながら、あたしがっ……あたしがいなければ」

「違う!」


 彼女の肩に両手をかけて、こちらを向かせる。ぐらぐらと揺れる青空を、私は見据えた。


「初めて会った時。エミリアは、与えられてばかりだって言ったよね。だから私に未来を与えたいって」


 エミリアは頷く。二粒、雨が落ちた。


「――私はもう、与えられてたんだよ」


 だって、そうだ。私はオークションに出された時、死を意識していた。覚悟はできていなかったけれど、そんな未来しか予想できていなかった。事実、そうだ。あのオークションは、私ではなく私の余命を出品されたようなものだった。十三億と言ったあのおじさんに落札されていたら、私の未来は変わっていた。


「あの時エミリアが私を引き取ってくれなかったら、私はもう息をしていない。他の人に買われていたら、私はあの日、確実に死んでたの。――ねえ。エミリアは最初から、私にくれてたんだよ。四十二年以上も」

「――ちが」

「違わない。私はもう貰ってた。あなたから、未来を」


 屁理屈だと言われてもいい。それでも。


「だから、私はそれを少しでも返したかった。すっごくわがままな方法だけど」


 それでも私は、彼女に死んで欲しくなかった。


「――……半分くらいしか、返せなかったけど」


 私の言葉に、エミリアは顔を歪ませた。彼女の左腕が動いて、私はぶたれる覚悟をする。けれど、違った。

 エミリアは、私の数字を掴もうとした。

 頭上にあるそれを、何度も何度も掴もうとする。はっきりと見えていて、平等に減っていく、その数字を。

 けれども彼女の手は、ただただ宙を掴んだ。

 知っているはずなのに。この数字は絶対で、掴むことなんてできなくて、止めることもできなくて。

 この世界で生きてきた彼女なら、そんなこと知っているはずなのに。


「……エミリア」


 それでも彼女は掴もうとする。止めようとする。


「エミリア」


 それでも、数字はひとつずつ減っていく。残酷に、平等に。


「エミリア」


 無我夢中で動いていた彼女の手が、止まった。腕が下ろされ、口元がぐうっと歪む。歪んだ口で何か言いかけて、けれどそれは言葉にならなかった。言葉は悲痛な叫び声になって、私の耳をつんざく。

 アルコールの力を頼っても取れなかった最後の一欠片が取れたのだろう。叫び声と共に、大粒の涙がこぼれ落ちていった。「酔った」と言い訳した時とは、比べものにならないくらいに。きっと、子供でも滅多としないような泣き方だった。

 十八年。彼女が一人で耐えてきた時間が、濃縮されたような雨粒だった。

 抱きしめようとしたら、思いきり拒絶された。エミリアは叫ぶのをやめて、腕を突っ張り私を拒否する。


「……幸せにならなきゃいけない、なんて義務のように思わないで」


 拒否されたまま、私はエミリアに声をかけた。エミリアは俯いたまま、身体を大きく震わせている。彼女が嗚咽を漏らすたびに、涙が一粒ずつ床に落ちた。


「私の分も幸せにならなくちゃとか、毎日ずっと笑顔でいなくちゃとか、そんな苦しいこと考えないで。悲しい時や苦しい時は、泣いていいんだよ。誰かを頼っていいんだよ。――無理して笑うのも、泣くのを我慢するのも、とてもつらいことだから」


 エミリアから小さな声が漏れて、腕の力が抜けた。ゆっくりと彼女の身体をこちらに寄せる。今度は、拒絶されなかった。支えを失った彼女の身体は、たやすく私の腕におさまる。力強く抱きしめてもまだ、彼女の身体は震え続けていた。あるいは、私も震えているのかもしれなかった。悲しみも苦しみもつらさも、伝染してしまうから。


「……でもね」


 続きを言うべきか少し悩んだ。けれど言いたかった。私は、わがままだから。


「重いと思われるかもしれないけれど……できる限り、笑っていてほしいと思う。無理やりじゃなくて。心から笑える時間が少しでも多ければいいなって、そう思う。――好きな人にさ、不幸になってほしいなんて思わないよ」


 少しだけ泣き止み始めていた彼女の身体がまた大きく揺れて、小さな悲鳴が空気を震わせた。私の肩のあたりは酷く濡れていて、けれどそれはとてもあたたかかった。

 青空から降る雨は、どこまでも清らかで、とても優しい。

 私はそれを知っていた。教えてもらったから。

 誰よりも強く、けれどとても弱い、彼女に。



「……あのね、エミリア」


 輝いている金色の髪を梳かすようにしながら、私は声を出した。


「エミリアは鏡を見てないから、気付いてないと思うけど。私の余命、エミリアより五分長いの。ちょうど五分。秒単位で『移せる』って教えてもらったから、五分ずれるように調整してもらったんだ」

「――……なぜだ?」


 囁くような彼女の声は、がらがらに掠れていた。私は微笑む。


「手。繋ぐって約束したでしょ」


 私の腕の中で、エミリアの身体がびくりと動く。

 ここに来る直前、神様ではなく私に言ってくれた願いごと。


「もしもエミリアが私のことを要らなくなってさ、離ればなれになる時が来たとしても。エミリアが死ぬ前に、手を繋ぎにいくよ。眠る時みたいに。エミリアがちゃんと眠るまで、しっかり握りしめておく。……嫌だったりしたら、やめるけど」

「お前、馬鹿じゃないのか」


 エミリアはようやく顔をあげた。寝起きでもなかなか見られないような、いままでで一番ぐしゃぐしゃの顔を。それでも、それすらも綺麗だと思えるから、彼女はずるいと思う。


「あたしが」


 そこまで言って、少し言いよどんだ。けれど今度は、私の目をまっすぐに見て、言いきる。


「あたしが、お前のことを要らないと言う日が来ると思っているのか?」


 半分だけ笑ったその顔は、けれどやっぱり泣いていた。目を閉じると、雨が降る。私は人差し指で彼女の涙を拭った。


「……分からないよ、そんなの」

「いや、分かりきってる。あたしには分かる」

「素敵な王子様が現れて、結婚するかもしれないじゃない」

「お前以上に素敵な奴なんか現れるか、馬鹿」


 意表を突かれた。私は思わず、意味もないまばたきを繰り返す。


「……エミリア、女に興味があったの?」

「ない。挨拶にキスをする習慣も、初対面の女とキスをする趣味もない」

「え、じゃあ、いまのは何」

「……お前、本当に馬鹿じゃないのか」


 エミリアが眉間にしわを寄せて、こちらを見る。


「手を繋ぐのもキスをするのも。ナシロじゃないと嫌だと言ってるんだ」


 ――そこまでストレートに言われるとは思っていなくて、やっぱり虚をつかれた気分だった。呆然とする私に、「やはり馬鹿だ」とエミリアは言葉を刺す。


「こういう時、どうすればいいかも分からないのか?」

「え?」


 どういうこと、という言葉は続かなかった。唇を塞がれたから。彼女の唇で。

 柔らかな唇はかすかに塩気があった。この前キスをした時も、同じ味だったろうか。必死だったせいなのか、覚えていない。

 そっと唇を離したエミリアは、今日初めての笑顔を見せた。半分の笑顔でもなく、いつも見せてくれる自然な笑顔を。


「まさかの三度目だな。言いたいことはあるか」

「……いつもあれだけ甘いもの食べてるのに、涙はしょっぱかった」

「当たり前だ、馬鹿。あたしをなんだと思ってる」


 エミリアが、ふっと息を吐いて笑う。笑っているのに、まだ雨はやんでいなかった。

 私はそっと、彼女の頬に手を伸ばす。

 数字には触れられなくても、その頬に触れることはできた。

 数字を止めることはできなくても、涙を止めることはできるかもしれなかった。

 無理やり泣きやめとは言わない。けれどやっぱり、笑ってほしい。思いっきり泣いた後は、思いっきり笑ってほしかった。

 私の意図に気付いたのか、エミリアは私の手に自分の手を重ね、首を傾げた。


「……お前こそ、いざと言う時は言え」

「なにを?」

「素敵な男が現れた時だ。女には、興味ないんだろ?」


 今度は私が、眉間にしわを寄せる番だった。


「エミリア、馬鹿なの?」

「お前に馬鹿と呼ばれる筋合いは」


 ある。だから、その口を塞いでおいた。当然、手は使わずに。



 私のしたことは、正しくない。最善でもない。


『あなたの願望は……多くの希望と、大きな絶望をもたらします』


 エミリアを救えた、なんて単純な話ではなかった。私は、彼女を酷く傷つけた。怖がらせたかもしれない。私の数字が減っているのを見た時、彼女はきっと絶望したはずだ。

 アルバートの望み通りにできた訳でもない。エミリアのパパの余命は三十二年あるから、『最期を看取ってもらいたい』という彼の願いを叶えることもできない。お嬢様をお願いしますと言っていたカムパネルラさんも、きっとこんな結末を望んではいなかっただろう。

 私は、中途半端な道を選んだ。

 唯一叶えることができるのは、『エミリアが死ぬ時に手を繋ぐこと』だけかもしれない。


 この事実を知ったら、多くの人が悲しむのだろう。絶望するのだろう。

 それでも。


 選んだ未来に、『多くの希望』があることを、信じたかった。

 大きな絶望より、ひとつでも多い希望があることを、信じたかった。



 私には、選択肢がいくつかあった。


 エミリアに余命をまったく移さず、彼女の最期を看取るか。

 私の余命をすべて、彼女に移してしまうか。

 彼女の方が長く生きるように調整して、余命を移すか。

 同時に死ぬようにするか。

 私の方が少しだけ長く生きるようにして、彼女の最期に付き添うか。


 どれを選ぶのが正しくて、どれが最善だったのだろう。


『誰もが絶対的にしあわせになる道は、ありません』


 その道を、私はやっぱり見つけられなかった。

 そんなものがあったのかどうかも、分からなかった。



 壁にもたれたまま、二人で手を繋ぐ。太陽が確実に高くなり始めていて、日の当たる位置が変わってきていた。――樹海ちゃんとカトレアも、きっともうすぐ帰ってくるだろう。


「……ねえ」


 私が声を出すと、エミリアがこちらを向いた。


「これから、どうしようか」


 アオキ・ガ・ハラ・ジュカイに行く。それ以降はノープランだった。


「お屋敷に帰る? それとも、もう少し旅を続ける? いっそ、このまま旅人になっちゃう?」


 選択肢は山のようにあった。きっと、どの道にもつらいことは沢山あって、楽しいことも沢山あるのだろう。

 エミリアはしばらく黙っていた。けれどやがて、薄く口を開く。



 ――その答えを聞いて、私はそっと微笑んだ。


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