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その空に未来を捧ぐ  作者: うわの空
第七章
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戻る方法

 座るようにすすめられ、私とエミリアは隣同士の席についた。木製の椅子は相当使い込まれている感じがして、けれどガタついていたり軋んだりすることはない。どこかあたたかな木は、違和感なく私の身体を支えてくれた。


「どうぞ肩の力を抜いてください。それと、わたしのことは呼び捨てにしてください。その方が、わたしは嬉しいですから」


 そんなことを言うカトレアは、キッチンで何かを用意している。彼女の細い身体は、そつなく丁寧に、けれどもきびきびと動いていた。優雅なのに、それを見せつけようとはしない。エミリアとカトレア、どちらが公爵令嬢だと思うと訊かれたら、百人中百人がカトレアと答えるだろう。そんなことを思った。

 座ったまま、室内を見渡す。窓からでは見えなかったけれど、部屋の奥には階段があった。二階は寝室か何かだろうか。その他には、これといって何もなかった。本当に何もない。本棚すらないのだ。普段、何をして過ごしているのかと思えるくらいに。


「お待たせしました、どうぞ」


 カトレアがトレイに乗せてきてくれたのは木製のカップと、木製のお皿だった。お皿には樹海ちゃんの大好物である、赤いジャムつきのクッキーがのせられている。樹海ちゃんはとてとてとお皿に向かい、クッキーを一枚とってきゅうきゅうと鳴いた。後ろ足を伸ばして座り、クッキーをかじり始める。


「んきゅ!」


 よほどおいしかったのか、歌い始めた。今日の歌は、らんらんるぅの出現率が非常に高い。

 カトレアは机の上でクッキーをかじる樹海ちゃんを見て、目を細めた。


「かっこいい火吹きドラゴンさんですね。頼りになります」


 ……ピンク色の樹海ちゃんのことを『かっこいい』と表現したのは、カトレアが初めてだった。そして彼女は何故か、『手乗り』という単語を使わなかった。樹海ちゃんは満足そうに目を閉じる。カトレアは細い指で、樹海ちゃんの頭を撫でた。

 私は、カトレアに渡された木製のカップに目を落とす。きちんと角の落とされた、丸いラインのカップ。そこに入っているのは……透明の液体だった。ほこほこと湯気が立っている。

 私はそっとカトレアを見た。まさか、熱燗ではないだろう。だとすれば白湯、なのだろうか? エミリアを見ると、彼女も困惑した顔をしていた。


「お酒ではありませんよ」


 私たちの反応を見ていたカトレアが苦笑する。そこでようやく、私たちはカップに口を付けた。一口飲み、ふっと笑みが漏れる。それは久しぶりに飲めた、なつかしい味だった。


「香ばしくておいしい緑茶ですね。こっちの世界にもあるんですか」

「見事なアップルティーだ。甘味と酸味のバランスがちょうどいい」


 私とエミリアは同時に別々の感想を述べ、


「え?」


 同じ声を出し、顔を見合わせた。それを見ていたカトレアが笑う。


「……私たちに、別々の飲み物を用意してくれたんですか?」

「いいえ、ごめんなさい。――それは、ただのお湯です」


 私とエミリアは再度、顔を見合わせた。思わず、もう一口飲む。……緑茶だ。どう考えても、何度味わっても。けれど確かに、最初見た時はお湯かと疑ったし、現にいまでもカップの中身は透明の液体だった。

 エミリアもカップの中を見ている。アップルティーなのに、無色透明なのだろう。


「どういうことだ?」


 眉をひそめて、エミリアが言う。カトレアは少しだけ肩をすくめた。


「ただのお湯が、お二人の『いま飲みたいもの』の味になるよう、少しイタズラをしました。もしもお二人がコーヒーを飲みたいと思っていたのなら、そのお湯はコーヒーの味になっていたはずです。……お酒ではないと先に言いましたが、もしもお酒を所望されていたのなら、お酒の味になっていたでしょう。よかったです、嘘にならなくて」

「……ならば、カトレアが飲んでいるそれの味はなんだ?」

「わたしのこれは、ただのお水です。わたしは基本、水以外のものを必要としませんので」


 その言葉に、私は首を傾げた。


「じゃあ、このクッキーは? あなたが食べる分じゃないんですか?」


 カトレアはまた、困ったように笑う。まさか、と先に呟いたのはエミリアだった。


「あたしたちがここに来るのを、予測していたのか?」

「……申し訳ありません。お茶菓子のひとつもないのは、さすがに失礼かと思いまして」


 答えになっているのかよく分からない返事がくる。けれど、多分それが答えだ。私たちが来るのは分かっていたし、私たちが樹海ちゃんをつれてくることも、樹海ちゃんの好きなお菓子も知っていた。あるいは、見えていたと言うべきなのかもしれない。以前会った白フクロウや薬屋の女の子が、『記憶を盗み見ることができる』と言っていたのを思い出した。

 それなら、


「私たちがどうしてここに来たのかも、把握されてるんですか?」


 私の質問に、カトレアは小さく頷いた。


「――お察しの通り、わたしは『魔法の使えるもの』です。人間のように一種類の魔法を極めるのではなく、あらゆる種類の魔法を使うことができます。あなた方がいつ、わたしのところに来るのかも分かっていました。どうしてわたしの元に訪れたのかも、何を聞きたいのかも、それぞれが何を考えているのかも、把握はしています」


 ただ、とカトレアは苦笑する。


「あなた方の思考を見抜いて、一方的にわたしが話す、というのは好きではないんです。確かにお二人が黙っていても、私がお二人の思考を見抜いて、一方的に話すことは可能です。けれど……せっかく人とお話しできる時間をいただけたのですから、わたしも人間のようにきちんと会話したいと思っています。なのでできる限り、心や未来を『盗み見る』魔法は使いたくありません。ご理解いただけますか」

「訊きたいことは、声に出して言えということか?」

「平たく言うのならばそういうことです。わたしも、『会話』をしたいのですよ」


 彼女が首を傾げると、さらりと揺れる新緑。それを見ながらエミリアが、「分かった」と頷いた。そして、


「ナシロを元の世界に戻す方法を、教えてほしい」


 単刀直入に、唐突に訊いた。確かにここに来た用件はそれで、けれど早すぎやしないだろうか。私はまだ、心の準備ができていない。

 カトレアは、少しだけ目を伏せた。そして「自慢するわけではないのですが」と切り出した。


「わたしは、何千年も前からこの世界にいます。それこそ、何千年前だったか覚えていないくらい、遥か前からです。この世界のことをすべて把握しているとまでは言いませんが、ほとんどのことを把握している、とは言えるでしょう。魔法に関しても、この世界にいる魔導士の誰よりも知っています。『わたしの言うことがすべて』とは言いません。けれど、『わたし以上に知っている人はいない』。これを前提にして、話を聞いてください」


 私とエミリアは頷く。それを確認して、カトレアは緑色の瞳をこちらに向けた。悪意を知らない、瞳を。


「――可逆と不可逆、というのは分かりますか?」


 いきなり化学のような話をされて、私は眉間にしわを寄せた。可逆と不可逆。私が以前、意地の悪い本に引っかかって、早口で何度も読んだ言葉だ。

 カトレアは自身の前に置いていたカップを、机の中央に持ってきた。中に入っているのは、やっぱり水だ。湯気はたっていない。


「たとえば」


 カトレアはそう言って、カップをぐっと握った。途端、中に入っていた水がぴしりと音を立て、凍り付く。私とエミリアは目を見張った。いくら肌寒い気候とはいえ、水が氷になる気温でもない。


「水は、冷やされると氷になります。そして」


 カトレアが手を離すと、たぷん、と音を立ててそれは水に戻った。


「氷は、温められると水に戻る。これが、可逆反応です。AがBになり、BはAに戻る」


 ところで、とカトレアは言った。


「ゆで卵を、元の卵に戻すことはできますか?」


 私とエミリアは何故か一瞬考えて、首を横に振った。いくら料理が苦手でも、それができないことくらいは分かる。カトレアは微笑んだ。


「AがBになっても、BをAに戻すことはできない。……不可逆反応の話をする時、人はよく、ゆで卵の話を出しますね。分かりやすいのでしょう」


 カトレアはそこで言葉を切った。目を伏せ、少しだけ考えて、けれどやがて決意したように顔をあげる。


「ナシロさん。あなたはここに転移してきた時、世界Aから世界Bに飛ばされただけだと思いますか?」

「……どういう、ことですか」

「あなたのいた世界から、こちらの世界に。ただ飛ばされただけだとお考えですか」

「違うのか?」


 口を挟んだのはエミリアだった。カトレアは頷く。


「転移魔法は、人間を世界Aから世界Bに飛ばすだけではなく、違う反応も起こす魔法です」

「違う反応?」

「変化、と言ってもいいかもしれません。ナシロさんが元いた世界と、こちらの世界では様々なものが違います。たとえば空気。――ごめんなさい、『見えたもの』を言ってしまいますが、あなたの世界の空気は窒素が約八割、残り二割が酸素。そして、その他のもので構成されていたんですよね? けれど、こちらの空気の成分はまったく違います。なのにあなたは、難なく呼吸できている。それは転移した際、あなたの身体がこちらの世界で生きていけるよう変化したからです」


 変化していなければ、呼吸もできていなかった。そう意識すると、呼吸の仕方が分からなくなる。怯える私に、カトレアは優しい目を向けた。それを見てまた、泣きそうになる。彼女の目は、まとっている空気は、すべてを知っているようだった。


「水や重力等も、ナシロさんのいた世界とこちらの世界ではまったく異なっているはずです。それでもこの世界で生きていけるように、転移した際にナシロさんの身体の中で様々な変化が起こっています。ナシロさん本人にも分からないようなレベルで。――ただ、その変化も一部は失敗しています。転移者のほとんどが、元の世界よりも身体能力が下がってしまうのはそのためです。こちらの世界に、身体の一部が順応できなかった」


 そして……、とカトレアは言葉を詰まらせた。これ以上は言いたくない、そう見える顔だった。


「ナシロさんの中で起こったその反応は、――不可逆的なものです」


 今度こそ、呼吸が止まったような気がした。エミリアも、その意味を瞬時に理解したのだろう。けれど、「どういうことだ」と訊ねた。聞かずにはいれない、そういう声色だった。


「ナシロさんの世界から、こちらの世界に転移してくるときに起こった反応。それは、卵をゆで卵にしたのと同じようなものだと思ってください。ゆで卵は、生卵には戻らない。……ナシロさんは元の世界に戻れたとしても、身体が元の世界に順応できません。あなたの身体はもう、こちらの世界に馴染んでしまった」

「じゃあ」


 エミリアの声は、かすかに震えていた。


「こいつを、元の世界に戻す魔法は」

「送還する魔法自体は、存在しています。望まれるのであれば、世界Bから世界Aに戻すまでは、可能です。ただ、こちらの世界に順応している身体を、元の世界に馴染むように変化させることはできない。――ですから、もしもナシロさんが元の世界に戻ったとしたら」


 流れるような、澄んだ声ではっきりと。カトレアは告げた。


「ナシロさんの身体は元の世界に順応できず、消滅するでしょう」


 エミリアは言葉を忘れたかのように、黙り込んだ。

 樹海ちゃんはクッキーから顔を上げ、私の方を見て鳴いた。

 私は――自分の気持ちがどうなっているのか、自分でも掴めていなかった。


 帰りたくなかった、といえば嘘になる。日本はいいところだったし、お父さんとは多少ぎくしゃくしていたとはいえ、両親のことは好きだった。それなりに友達はいて、普通の高校生をしていた。将来を不安に思うことはあっても、不満はなかった。

 けれどもしもいま、「帰る方法はありますよ」と言われても、私は戸惑っただろう。

 エミリアと別れるのが、嫌だった。彼女を一人にしたくなかった。たとえ、樹海ちゃんがエミリアのそばにいるのだとしても。

 彼女は、私が傍に居続けるのを望んでいないかもしれない。だって、私を元の世界に戻したいと言いだしたのはエミリアだ。けれど。


 ――あたしが死ぬ時、手を繋いでいてほしい。


 あれは間違いなく、彼女の本心だった。もしも私が、元の世界に戻る方法がなければ。そういう前提で言われたそれはいま、『もしも』ではなくなった。


「……お役に立てなくて、ごめんなさい」


 声を出したのは、カトレアだった。


「わたしも、転移者を元の世界に戻す方法をずっと模索してきました。それも、ずっと前から。なのに、見つからなかった。――ごめんなさい」


 口を開こうとしないエミリアの代わりに、私がカトレアに言う。


「どうしてそんなに謝るんですか。あなたは、悪いことをしていないのに」

「いいえ」


 カトレアは俯いた。新緑がかすかに震える。


「――転移魔法を最初に使ったのは、わたしだったんです。作った、と言ってもいい」


 一瞬、頭が働かなくなった。けれど口は、何故かきちんと動いていた。


「……なんで、そんな」

「誰かと、関わりたかったんです。けれど昔、この世界の人間はみんな、わたしのことを恐れていて……。それで、他の世界の人間を呼ぶことにしました。異世界の人間を転移させること自体は難しくなくて。なのに、送還することができませんでした。――転移魔法を作った時、相手を帰すことを念頭に入れていなかったからでしょう」


 ごめんなさい、とカトレアは再度謝った。


「転移魔法は、誰にも教えないはずだったんです。事実、わたしの口からは教えていません。けれど、『盗み見ている』者がいた。そして、あらゆる魔導士が真似をし始めたんです。……と言っても、実際に転移魔法が成功した例は、あまり多くありません。ただ、最初に転移魔法を成功させた魔導士が、『その事実』に気付いてしまった」

「それって……」

「転移魔法を応用すれば、転移者の余命をこちらの世界の人間に移せる、ということです。……寿命のないわたしは、そこまで考えていませんでした。自分の作った魔法で誰かが死ぬのを、予測できなかった。――確かにわたしは『未来を見る』ことはできますが、それでもすべて見えているわけではありません。本当に、浅はかだった」


 カトレアは、俯くのではなく頭を下げた。土下座しそうなその姿に、思わず「やめてください」と声をかける。たとえ、すべての元凶が彼女だとしても、だから彼女を責めようとは思えなかった。


「……はっきり言ってほしい」


 エミリアがゆっくりと声を出す。振り絞るような声に、私とカトレアは目を向けた。エミリアの青い瞳は、色を失いかけているように見えた。


「ナシロを元の世界に戻す方法が、あるのか、ないのか。はっきり言ってほしい」


 ――それはもう、カトレアが説明してくれたことだ。なのに確認する。本当は、エミリアだって理解しているはずなのに。

 カトレアは再び俯く。そうして、


「……ありません」


 息を吐くような、小さな声だった。

 けれどはっきりと、カトレアは言いきった。


「ナシロさんを元の世界に戻す方法は、ありません」


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