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その空に未来を捧ぐ  作者: うわの空
第一章
3/33

あらがえない数字

 まず最初に分かったことだけれど、ここは日本でもなければ、ましてや地球でもなく、『グンパゼリウス』という世界らしい。

 グンパゼリウスには魔法というものが存在するが、それを使えるのは超一流の魔導士のみで、更には『異世界の人間を召喚する』魔法(転移魔法と言うらしい)を使えるのは強い力を持つ魔導士のみだそうだ。つまり、私をこの世界に転移させたあのローブの男は、相当凄い魔導士だったらしい。


 この時点で信じたくないことが山積みだったのだけれど、事実を目にしてしまっているし、こうして異世界の人間と話しているのだから「嘘でしょう」とも言えない。


 私は、檻の両端にいる男を見た。べに色の、軍服のようなものを着ている。腰には剣のようなもの。――コスプレでもなさそうだ。馬車といいローブといい軍服といい、これがイタズラなら相当なお金がかかっている。

 景色にしてもそうだ。魔導士のいた山は相当な田舎だったらしく、馬車が進むにつれ、建物が増えた。その建物も、日本ではまず見ないようなつくりのもので、煙突がついていたり風見鶏があったり、はたまた藁で作られた質素なものだったりもした。

 私の右隣に座り、あれこれ説明してくれていた男が両手を開き、微笑む。


「転移魔法が成功したのは百年ぶりなんだよ。ようこそ、グンパゼリウスへ!」


 歓迎されても困る。私はおずおずと男を見た。刈りあげられた彼の頭上にも、やっぱり数字がある。


『50y 9m 12d 17h 4m 38s』


「あのう……」

「なんだい?」

「家に、帰してもらえませんか」


 無駄だとは分かっていたけれど、やっぱり無駄だった。男は豪快に笑い、「それは無理だなあ」と断言した。


「ちょうど明日、オークションがあるんだよ。君はその商品なんだ。一番盛り上がるだろうねえ。何せ、百年ぶりの転移者だから」

「ええと……。転移者っていうのは、そんなに価値があるんですか」

「そりゃそうだ。なにせ、『余命を移す』ことができるのだから」


 余命を、移す?


「どういうことですか」

「どうもこうも、そのままだよ。君の余命を、他人に移すことができるんだ。だから君は多分、明日の夕方頃には死んでるんじゃないかな」


 軽く死刑宣告されて、私の身体がガタガタと震えた。明日の夕方には死んでるって、なに。余命を移すってなんのこと。

 私の様子に気付いた男が、あれ? と声を出した。


「もしかして君の世界では、そういうことはできなかったのか」


 それから男は、自分の頭上を指さした。『50y 9m 12d 17h 2m 26s』。私の記憶が正しければ、さっき見た時とは数字が違う。そしてやっぱり、sの隣にある数字はひとつずつ減っていた。


「これは見えてる?」

「はい……。なんですか、それ」

「ああ、なるほど。君の世界には、この数字がなかったのかあ」


 男は笑った。噂には聞いていたが、そういう世界もあるんだなと左隣のちょび髭男も笑う。訳が、分からなかった。

 右隣の男は何でもないような、それこそ井戸端会議しているおばさんのような声で言った。


「この数字はね、残りの寿命を――余命を表しているんだよ」


 ……え?

 私は再度、男の数字を見た。『50y 9m 12d 17h 1m 8s』。先程よりも更に減っている、数字。

 男は「僕の数字は、先頭が五十だろ」と笑う。私は小さく頷いた。


「つまり僕は、五十年後に死ぬってこと。おい、ガンロ。正確にはどうなってる?」


 ガンロと呼ばれたちょび髭の男は、「五十年と九か月、十二日に十七時間、三十八秒だ」と答えた。頭上の数字は『50y 9m 12d 17h 0m 38s』とある。

 私は苦手なはずの英語を、何故かこの場ではたやすく思い浮かべることができた。


 50years 9months 12days 17hours 0minutes 38seconds


 ――日本語に直すなら、『50年9か月12日17時間0分38秒』。

 それが、彼の、余命。


「うそっ……」

「嘘なもんか。この数字がゼロになったら、僕たちは死ぬんだよ。――ああ、ちょうどいいのを見つけた。おやっさん、ちょっと止まって」


 おやっさんと言われた御者は、馬車をゆっくりと止めた。そこは薄汚れた街の中央で、すえた匂いがあたりを覆っている。いわゆる、スラム街と呼ばれるところらしい。


「あの子、見て」


 指さされた方に、私は目をやる。狭い路地に、一人の男の子がぐったりと座っていた。身体は黒く汚れていて、骨格標本かと思えるくらいに細い。着ている服は、灰色になってしまったタンクトップと半ズボンのみだ。空気が生ぬるいとはいえ、あの恰好では寒いだろう。

 彼の横顔から、頭上へと視線を移す。そして、私は息をのんだ。


『0y 0m 0d 0h 0m 12s』


 ――男の話が正しければ、あの少年の余命は残り十二秒ということになる。


「栄養失調か何かだろうね」


 どうでもよさそうに、右隣りの男は言った。年末のカウントダウンのように、数字は一秒ずつ減っていく。五、四、三、二、……一。

 ゼロになった瞬間、少年の上半身はぐらりと傾き、地面に落ちた。それきり、ぴくりとも動かない細い身体。私は小さな悲鳴を上げ、鉄の檻を揺らした。がしゃがしゃと金属の音が鳴り響く。


「た、助けないと! ねえ!」

「無駄だよ。数字がゼロなんだ。もう死んでるさ」


 男は面倒くさそうに肩をすくめる。信じられない。


「助けられたかもしれないのに!? 栄養失調なら、食べものを――」

「君の世界には、神様も存在しなかったのだろうか」


 男はそう言って、こちらを見た。その目にはなんの感情もない。目の前で人が死んだのに、それに対する悲しみも、何もなかった。


「この数字は、神にあらかじめ決められた運命なんだよ。彼は……恐らく十二歳ほどだろうけど、この世に生まれた瞬間から、彼の左端の数字は十二となっていたはずだ。栄養失調を避けても、事故で死んだかもしれない。事故を避けても、自殺したかもしれない。生まれてから十二年で死ぬことは、あらかじめ決められていた運命なのさ。あらがえやしない」

「そん、そんなこと」

「そういう世界なのさ、ここはね」


 ところが、と男はにやりと笑ってみせた。


「寿命を延ばす方法が、ひとつだけあるんだ」


 ――果てしなく嫌な予感がした。ねっとりとした汗が、背中を伝う。男は私の顔を見て、「あ、さすがに察した?」と笑った。


「恐らくは君が想像している通りさ。この世界では、異世界から来た人間の余命を『吸い取って』、他の人間に『移す』ことができる。この世界の人間同士では、何故かそれができないんだ。異世界の人間じゃないとね。――例えばの話、いま死んでしまったあの少年に、僕の余命はあげられない。けれど、君の余命なら一年でも十年でも移せた。君の余命を移していたら、彼はもっと長生きできていたはずさ」

「……つまり、あの」

「そう。君は明日、オークションに出される。恐らくは貴族のうちの誰かが君を……というか、君の余命を買い求めるだろう。君は誰かに買い取られて、残りの寿命をすべて『吸い取られて移される』。数字がゼロになる。つまりは、死ぬ」


 目の前が真っ暗になった。そんなことできるはずがない、と言いたかったけれど、目の前で少年が死んだことで、私の脳は急速にこの世界の仕組みを理解し始めていた。

 明日私は、いや、私の余命はオークションに出品される。そして、落札された私の余命はすべて、誰かに移される。

 私の数字はゼロになる。すなわち、殺される。

 気付けば、檻を両手で掴んで大きく揺さぶっていた。


「出して! ここから出して!」


 ――日本で読んだファンタジー小説なら、ここで誰かが助けに来てくれるなり、檻が壊れて自力で脱出するなりできたはずだ。けれど、そのどちらも起こらなかった。無慈悲にも馬車は動きだし、少年の死体をその場に置いていく。私の叫び声に、誰かがかけよってくれることもない。

 檻のどこか一部でも錆びていたり、壊れかけたりしていないかと私は必至に首を巡らせた。けれど、そんな隙は微塵もない。新品らしい檻に、私はまるで動物のように閉じ込められていた。

 刈りあげ頭とちょび髭男は、意気投合したかのように笑った。そこには、同情も何もない。


「ま、運が悪かったと思って諦めるんだね」


 特別大きな夢も持っていない、平々凡々な十六年の人生だったけれども、そんな簡単に諦められる十六年でもない。私は喚きながら、とにかく檻を破壊しようと試みた。異世界に来たことで、身体能力が上がっていることを夢見た。怪力になっているとか、特別な能力を備えているとか、そういう可能性をひたすらに追及する。けれどもちろん、そんなのは夢だった。

 地面に現れた扉を華麗に避けて、「物騒な世の中になったものね」などと言うキャラクターくらいにあり得ない夢だ。


「……そういえば、君の世界では寿命が見えてなかったんだよね」


 思い出したかのように、刈りあげの男が手を叩いた。それから、自身の胸元をごそごそとやる。何かと思ったら、


「最後に見とく? これ、君の余命ね」


 そんなことを言って、私の目の前に手鏡を持ってきた。

 私は、私の顔を見た。泣いて泣いて、泣きじゃくったせいで、散々な顔をしている。肩より少し下にある、ストレートの黒髪は若干乱れていた。

 そして、その頭上にある、数字。


『42y 6m 8d 8h 5m 3s』


 ――42年6か月8日8時間5分3秒。それが、私の余命だった。

 早ければ明日の夕方、私は死ぬ。

 けれどもしも明日生き延びれたとしても、私は五十八歳で死ぬのだ。彼らの話が本当ならば、それはもう、あらがえない運命だった。

「四十二、半か」という男の言葉の意味を理解する。四十二年と半年。それが、私の、余命。

 私は人生の中で一番大きな悲鳴を上げて、白い世界に意識を溶かした。




「……よう、具合はどうだ」


 目を覚ました私を出迎えたのは、いつもの布団でもいつもの部屋でもいつもの世界でもなかった。あわよくば夢ならいいと思っていたその世界の話は、まだ続いている。鉄格子に閉じ込められているのがその証だ。檻の中でもなければ馬車の上でもないけれど、四畳ほどの鉄格子の中で私は横たわっていた。そこにあるのは薄汚れた簡易ベッドと、むき出しのトイレだけ。トイレは水洗ではないらしく、汚い公衆トイレ特有のアンモニア臭を放っていた。

 私に声をかけてきた男は、見たことのない顔だった。眉間に皺が寄っているけれど、怒っている訳ではなさそうだ。恐らく、この表情がこの人の平常運転なのだろう。年齢は五十代後半、くらいだろうか。

 ――嫌でも頭上の数字に目がいってしまう。余命は……八年と三か月。


「なんか食うか? つっても、メニューは決まってるんだがな」

「ええと……」

「ここぁ、オークション会場の地下だ。出品される商品を一時的に置いておく場所。人間用のこの部屋が使われるのぁ、百年ぶりだぜ。運が悪かったなあ、姉ちゃん。ああそうだ、俺のことはおじさんと呼んでくれ。名乗ったところで意味ねえしな」


 私の質問を先取りしたかのように、おじさんは答えた。

 名乗ったところで意味がない。それは、私がもうすぐ死ぬからだろう。

 おじさんは鉄格子の前にしゃがみ込み、私の目を見た。


「姉ちゃん、食いもんで何かアレルギーはあるか?」

「いえ、特に……」

「んじゃ、ちょっと待ってろ」


 そう言って階段をのぼっていったおじさんは、三分ほどで戻ってきた。湯気の立つスープと、ライ麦パンのようなもの、それからバターが皿にのっている。

 ……明日死ぬかもしれないのに食べられるか! と声を荒げたいところだけれど、その気力すらもはやなかった。

 スープに浮かんでいる豆を、じっと見つめる。……大豆に似ている。もしかしたら、大豆なのかもしれない。この世界でも、地球と同じような生物や植物が育っていて、地球と同じような食べものがあるのだろうか。

 もうすぐ死ぬだろう私にとっては、とてつもなくどうでもいい話だった。


「食わねえのか」


 おじさんが目の端でこちらを見た。彼は先ほどから鉄格子の前に座り、何かの本を読んでいる。ランプだかカンテラだか知らない何かで照らされた地下は、魔導士の家を彷彿させる程度の薄暗さだった。


「食っといた方がいいぞ。姉ちゃんの出品時刻は、明日の正午だ。つまり、今日の夕食と、明日の朝食で」


 ここまで言って、おじさんは言葉を切る。その続きは安易に予想できた。

 今日の夕食と明日の朝食で、私の食事は最後になるかもしれない。

 この世界に来てからずっと泣きっぱなしだったので、もはや涙も出ないだろうと思っていたのに、私はまたもやぐずぐずと泣きだした。ここまでくると、自分でも笑えてくる。身体のどこに、これだけの涙を溜めていたのだろう。

 両親との最後の会話はなんだったかな。友達にちゃんと「ばいばい」と言っただろうか。部屋はそれなりに汚かった気がする。続きが気になる漫画も沢山あった。今朝、学校に行く前に「行ってきます」はちゃんと言ったっけ。親は心配しているだろうか。

 帰りたい。家に帰りたい。もっと言うなら、死にたくない。十六歳で、思春期で、高校生なりに大変で、軽く死にたいと思ったりして、それでもやっぱりいざとなったら死にたくなかった。


「……あー」


 めそめそしている私を見ながら、おじさんは困ったように白髪頭を掻く。それからズボンのポケットを漁り、檻の中に手を伸ばしてきた。


「おまけだ」


 おじさんはそう言って、外国のお菓子のような代物を私にくれた。異世界の食べものなので、パッケージを見ただけでは、何なのかは分からない。

「この世界で最近流行ってる菓子だ。せっかくだし異世界の菓子も食ってみな」とおじさんは笑った。私は泣きながら、パッケージを破る。そうして中身を取り出して、目を丸くした。

 それはどこからどう見ても、チョコレートだった。見た目からして、砕いたナッツが入っている。念のため匂いも嗅いでみたけれど、やっぱりチョコレートだった。


「……チョコ」

「お? なんだ、そっちの世界にもあるのか? そのチョコはなあ、一か月前に発売されたところなんだ。大人気なんだぜ。ピーチョコって名前だ」


『ピー』だけをやたら高音にして、おじさんはそう言った。恐らくはピーナッツチョコレートの略称だろうけど、『ナッツ』を省いたせいで、なんだか自主規制音みたいになってしまっている。

 そっと食べてみると、やっぱりピーナッツの味がした。


「うまいよな、それ」


 おじさんは笑う。私も笑った。きちんと笑えたかどうかは、分からなかった。

 都合のいい物語のように、おじさんが「ここから逃げな」と檻をあけてくれることはなかった。けれどおじさんは、翌日の朝食にも、チョコレートをおまけしてくれた。

 そうして私は、正午のオークションに出品されるため、午前十一時頃に地下牢を出た。おじさんは手を振って見送ってくれて、けれどやっぱり悲しそうではなかった。

 仕方ない、そういう顔だったと思う。けれど私はおじさんに手を振った。チョコレートのお礼をこめて。


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