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その空に未来を捧ぐ  作者: うわの空
第五章
24/33

弱る身体

 九月になって一週間経った頃、エミリアが風邪を引いた。「少しだけ、朝と夜が涼しくなってきたね」なんて話をした次の日だ。朝型人間のエミリアが、八時を過ぎても一向に起きないので様子を見てみると、彼女は顔を真っ赤にしてぐったりと横たわっていた。眠っているのではなく。


「寒気がする、身体の節々が痛い、喉が痛い、頭が痛い、鼻水が出る、くしゃみが出る、熱がある、咳が出る、身体に力が入らない、気持ち悪い……」


 総合感冒薬のコマーシャルのごとく、風邪に該当するすべての症状をエミリアは述べた。お医者さんを探してこようかと提案する私に、エミリアは首を振る。振ってから「頭が痛い」と再度口にした。


「ただの風邪だと思う……。寝ていれば治るはずだ……」

「風邪でも、お医者さんに診てもらった方が治りが早いでしょ」


 それでも市販の薬でいい、とエミリアは言う。そして、「これで薬を買ってきてくれ」と紙幣を私に握らせた。


「それとお前、あたしから離れろ。風邪がうつる」

「馬鹿は風邪引かないから大丈夫」

「……その言葉、そっちの世界でもあったのか。しかし、その言葉だが、最近は逆だと言われている」

「どういうこと?」

「頭がいいやつは、予防をきちんとしているから、風邪を引かないらしい。逆に、馬鹿は予防をしないから風邪を……引くそうだ……。つまり……馬鹿なのは……あたし、」


 そこまで言って、エミリアは盛大なくしゃみをした。エミリアの枕元で彼女を見守っていた樹海ちゃんに色々と飛んだらしく、樹海ちゃんはぶるぶると身体を振る。あとでお風呂に入れてあげなければ。

 エミリアは、深呼吸しているのか息切れしているのか分からないような呼吸をしながら、「すまない」と謝った。


「明日までには治すから……明日の朝にはこの街を出発しよう。お前を元の世界に戻すための情報も、ここには特になかったし……」

「いやいいよ、この街でしばらくゆっくりしようよ」

「しかし……お前が元の世界に戻るのが……遅れ、ごほごほっ! んぐえっ」

「美人でも『んぐえっ』とか言うんだね。ごめんちょっと感動した」


 私は笑って立ち上がった。薬屋は確か、街の端にあったはずだ。樹海ちゃんは相変わらず、私とエミリア、どちらの元に残るか迷い


「ジュカイ、ナシロと行け」


 エミリアの言葉に従って、私の肩に乗った。


「じゃ、薬買ってくるから。あったかくしてるんだよ」

「布団は暑いんだ……しかし、何故か寒いし……」

「よく効きそうな薬を買ってくるから」

「頼む。あと、お前も何か買っておけ。風邪を予防できるドリンクなんかがあるかもしれん……」


 分かったと答えて、私は街に出た。



 いま滞在しているのは、特別変わった様子のない街だった。エミリアの屋敷近くにあった街に似ているかもしれない。市場はもちろん、アクセサリーショップや服屋さんなんかもある。

 建物は、オレンジの屋根に白の壁。石畳の地面は、水色を混ぜたような灰色。その街並みには、青空がとても似合っていた。

 街には大して風が吹いていないけれど、屋根の上にある風見鶏はくるくるとその方向を変えている。薄そうな雲はみるみるうちに形を変え、流れていった。上空では風が強いのかもしれない。

 市場の人間に「これどうだい」「おすすめだよ」といった言葉をかけられながら、私は薬屋さんを目指した。大通りをまっすぐに歩き、街の中央にある噴水を通り過ぎる。そこから更に下ったところに、それはあった。


「すみませーん」


 ドアベルのない木製の扉を、ゆっくりと開く。棚には様々な商品が並んでいて、けれどどれが効くのかはよく分からない。店の人に聞いた方が早いだろう。

 店内は無人で、誰もいなかった。客どころか店員もいない。私は再度、すみませんと声を出した。


「はあい」


 子供みたいな声だなあと思ったら、本当に子供が出てきた。四歳ほど、だろうか。室内にもかかわらず麦わら帽子を被った女の子は、小さな歯を見せてにかっと笑った。お留守番をしているのかもしれない。余命が八十年あるところからして、「実は三十歳です」ということはないだろう。よほど長寿でない限り。

 女の子は私の方を見たまま、動かない。私は困って、店の奥を覗いた。


「ええと……お父さんかお母さん、いるかな」

「わたしがここの『てんしゅ』ですよ、おきゃくさま」

「えっ」

「さんさいの時、この店をひきついだんです」


 ……異世界こわい。この子はあと何十年、この店で働くのだろう。


「なにか、おさがしものですか?」


 しかし、店主と言われたからにはこの人に相談するしかない。私は頷いた。


「風邪に効く薬、ないかな」

「おかぜですか。とくにつらいしょうじょうはなんですか?」

「えーっと……」


 朝のエミリアを思い浮かべ、答える。


「ぜんぶかな」

「なるほど。では、『そうごう』のものがいいですね。よいしょっ……!」


 私からすれば低い位置にあるそれを、女の子は背伸びしてなんとか手に取った。ふう、と溜息をついて、私に笑顔を見せる。


「これがおすすめです。かいふくまほうがかけられているので、よくききます」


 女の子が差し出してきた薬の箱を見る。パッケージにリアルな虫の絵が沢山描かれたその薬の名前は、


「……スーパーフンコロガシ・アリジゴク・ゴキブリエキス。――……カマドウマタイプ」

「その、スーパーフンコロガシ・アリジゴク・ゴキブリエキスというくすりは、だいにんきなのですよ。そうごうのものならカマドウマタイプ、のどでしたらムカデタイプ、はなみずにおこまりでしたらトウチュウカソウがよろしいかと」


 どうして、どれもこれも虫の名前ばっかりなんだ?


「……箱の中身は虫、とかじゃないよね?」


 おそるおそる私が確認すると、女の子はふふふ、と笑った。年相応とは言えない笑い方だった。


「なかみはカプセルですよ。虫のエキスも入っていません。しょくぶつの『ねっこ』がおもなげんりょうです」


 つまり漢方みたいなものか。私は安心した。それから思い出して、言った。


「風邪をうつされないようにする薬はないかな。滋養強壮の」

「ああ、それならこれがいいかと。ひとつ飲めばいちねんほど、かぜをひかなくなるくすりです」


 女の子はまたしても、ぐぐっと背伸びして、棚から商品を取り出した。箱に書かれている薬の名前を、私は読み上げる。


「……ゴキブリスタミナ・アブラゼミ・ムツゴロウ・フナムシ・バヌグルリーニ」


 最後だけ知らない単語がきた。私は女の子に目をやる。女の子は悪気のない顔で笑っていた。


「これも、中身は草の根っこ?」

「はい」

「そう……」


 じゃあどうしてこんなに虫の名前が羅列されているんだ?


「ちなみにこの、バヌグルリーニっていうのは何?」

「きせいちゅうのなまえです。なんでしたら、しゃしんをおもちしましょうか」

「いえ結構です、このふたつをください」


 写真を見たら飲めなくなる自信があったので、私は即答した。値段を確認して、ぴったりの金額をカウンターに置く。女の子は薬の箱を紙袋に入れながら、私の顔をちらりと盗み見た。ようだった。


「……おじさんにきいたとおりですね」

「おじさん?」

「白いフクロウの、おじさんです。くすりやさんの」


 ああ、と思いだす。いつか、ゴキブリパワーなんちゃらという、信じられないくらい滲みる薬を売ってくれたフクロウの店主。この女の子と知り合いなのか。


「――……きいたとおり、まよってますね」


 とん、と商品をカウンターに置いて、女の子は私を見上げた。麦わら帽の下にある瞳は、綺麗なグレーだった。曇り空のようにどんよりとしている訳ではなく、むしろなにもかもを透かしたような色。


「おきゃくさま。おきゃくさまは、何をすべきかで、なやんでいるようです。どれが正しくて、何をすべきなのか、さいぜんのほうほうをかんがえている。けれど、かんがえてもかんがえても、こたえが出ないのでしょう。はっきり言いますが、きっとさいごまで、そのこたえはでません」

「……どういう、こと」

「さいぜんのほうほうなんて、ないんですよ」


 女の子はまっすぐに私を見据えて、はっきりとそう言った。


「たとえ、あなたにとってさいぜんだとしても、だれかにとってはさいあくかもしれません。あなたにとって正しくても、だれかにとってはまちがいかもしれない。――これから先、あなたがえらぶこうどうは、きっと正しいし、けれどもまちがえているでしょう。それでも……えらんでください。えらばなければいけない時が、きたのなら」


 女の子は棚の下から、クッキーの箱をひとつ、カウンターに乗せた。それはいつか、白いフクロウがくれたのとまったく同じものだった。おまけですと笑うその顔は、やはり年相応のものではない。


「ところで、おきゃくさま。いまからちょうど、いっしゅうかんごに、このまちで『しゅうかくさい』があるのはごぞんじですか?」

「え? ううん」

「もしよろしければ、さんかしてみてください。色んなやたいが出ていて、たのしいですから。それに、それを『こうじつ』にして、おじょうさまをゆっくりさせることもできるでしょう? 明日にでもしゅっぱつする! なんて言っていたようですが、そうとうつかれていますよ、エミリアおじょうさま。このまちで、少し休んでいかれたほうがいいです。そのくすりでも、かんちするまで三日はかかるでしょうし、ジュカイまではまだきょりがありますから」

「……え?」


 女の子は微笑み、麦わら帽子を脱いだ。ロシアンブルーのような青みがかった灰色の髪と、――その色と同じ猫耳があらわになる。


「すみません。きおくをぬすみ見ることができるのは、あのフクロウさんだけじゃないんですよ」


 フクロウさんはわたしより少し力が弱いので、猫耳ははえてませんがと女の子は笑う。それから頭を下げ、「おだいじに」と澄んだ声を出した。その声自体に回復魔法でもかかっているんじゃないかと思えるくらいに、綺麗な声だった。



 宿に戻る途中、青果店でみかんを買った。風邪といえばビタミン、という昔ながらの思考回路だ。

 エミリアは私が部屋から出ていった時とほぼ同じ体勢で、うつぶせになっていた。私の足音に気付いて、ふっと顔を上げる。寝ていた訳ではないようだ。


「おかえり。薬はあったか……」

「これ」


 間違えないよう、カマドウマの薬と水を渡す。中身は確かにカプセルだった。


「風邪によく効くって」


 私は言いながら、自分用の薬を飲んだ。こちらはドリンクタイプで、葛根湯のような独特のにおいと苦みがある。思わず、薬を飲んだ直後に水を一気飲みした。

 エミリアは風邪薬の箱を見ながら、呟いた。


「これでもしも効かなかったら……風邪じゃないかもしれないな」

「え? 何言ってるの?」

「……もしも私の死因が病なら、そろそろ症状が出てもおかしくないと思ってな」


 右手に持っていたドリンクの瓶を、床に落としてしまった。幸か不幸か、床にはカーペットが敷かれていて、瓶は割れなかったけれどカーペットにはシミができた。

 私はエミリアの数字を見る。左の数字は3。――残り、三か月。


「……ねえ。やっぱり病院、行こう」


 我ながら弱々しい声だった。それに同調するように、エミリアも小さく首を振る。


「病院に行っても行かなくとも、病気なら治らないし、延命も何もないだろう」


 母さんの死因も病だった、とエミリアは鼻声で呟いた。


「最後の一年は、倒れたり熱を出したりの繰り返しだった。あたしの寿命が短いのも、自分の虚弱体質がうつったのかもしれないと母さんは気にしていて……。けれど違うと思う。今まであたしは大病を患ったことはないし、父さんは母さんとは正反対で、風邪ひとつ引いたことがないからな。あたしは父さんに似ているのだと思う」

「でも」

「風邪だ、ただの」


 エミリアは力なく微笑み、再び横になった。ごそごそと私に背中を向ける。私は隣のベッドで体育座りして、エミリアを見た。心なしか、初めて会った時よりも痩せているような気がする。気のせいかもしれないし、事実かもしれない。


「……ねえ、エミリア」

「なんだ」

「一週間後にね、この街で収穫祭があるんだって。私、見てみたい」


 エミリアは顔を少しだけこちらに向けた。熱のせいなのか、少しだけ目が潤んでいる。


「……一週間後か。出発が遅れるぞ」

「ちょっとだけ長居しようよ。この世界のお祭りがどんななのか、見てみたい」

「どこの国の祭りも、似たり寄ったりだぞ。前に見た、川沿いの蚤の市と似たようなものだ。あれに、食べものの屋台が加わる程度で」

「それでも、エミリアと一緒に行ったらきっと楽しいよ」


 会話が途切れる。私は少し待ってから、続けた。


「一緒に行ってくれる?」


 エミリアは少し考えているようだった。けれどやがて、ふいっと私から目を逸らし、壁際を向いた。


「――……お前が望むのなら」


 半分ここにはいないような声に、私はありがとうと返す。それから思い出して、半分ここにはいない彼女に声をかけた。


「そっち、行こうか? エミリアが眠るまで」

「……風邪がうつる」

「人にうつした方が、早く治るって言わない?」

「お前に風邪をなすりつけてまで、早く治りたいとは思っていない」

「ごめん嘘。私なら大丈夫だよ、風邪がうつらないようになる薬まで飲んだから」


 部屋に静寂が訪れる。ごそ、とエミリアが寝返りを打って、私の方に顔を向けた。顔は真っ赤で、それでも瞳は空色のままだった。

 掛け布団の中から、そっと左手が出される。私は笑って、その手に指を絡めた。エミリアがびくりと震える。握りしめた彼女の手は、しっとりとしていて熱かった。


「……服の袖でいい」

「手じゃ駄目なの?」

「…………」

「服の袖『が』いいなら、そうするけど」


 エミリアは反論しなかった。力が入らないのか、なんとか指を曲げる程度の力で私の手を握り返す。そして、そっと目を閉じた。


「――あたしが眠ったら、」


 何故かそこでいったん言葉を区切り、


「……手を、離してくれ」


 離してくれの「れ」で、エミリアの意識は途切れたようだった。言葉の後に続いた呼吸は明らかに寝息で、身体から力が抜けているのが分かる。

 それでもしばらく、私は手を握ったままその場を動けなかった。何故かは分からない。けれど、その手を離してはいけないような気がした。



 そんな私の感傷を嘲るかのように、翌朝、エミリアは元気になっていた。「あの薬は本当によく効くな」などと言いながら、私が昨日買ったみかんを食べている。実についている白い筋は、すべて取り除いていた。一房もらったらしい樹海ちゃんは、自身の身体を果汁でベタベタにしながらもみかんにかじりついている。


「……ほんとに、ただの風邪だったんだね」

「だから、そう言っただろう。なんならあたしは、いますぐにでも出発できるぞ」


 エミリアはどうも、先を急いでいるようだった。けれど、


『そうとうつかれていますよ、エミリアおじょうさま。このまちで、少し休んでいかれたほうがいいです。そのくすりでも、かんちするまで三日はかかるでしょう』


 私はエミリアに近づき、自分の額をエミリアの額にあてた。こつ、と小さな音が鳴る。


「……何をする」


 エミリアが至近距離で文句を言った。私はエミリアから額を離す。


「まだ、熱が出てるじゃない」

「あたしは基礎体温が高いんだ」

「鼻声で言われても説得力ないからね」


 私に連れられ、エミリアは不服そうにベッドへ戻る。

 結局、薬屋の女の子の一定通り、エミリアの風邪が完治するまで三日かかった。

 その間ずっと、私は彼女が眠るまで、あたたかな手を握りしめていた。


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