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その空に未来を捧ぐ  作者: うわの空
第五章
23/33

プレゼント

 九月の初め。夏をすべてさらって行くかのような大型台風がやってきた。台風が直撃する前から激しい雨と風にみまわれ、交通手段はすべてストップ。徒歩で進めるはずもなく、私たちは宿で足止めをくらっていた。

 ちらり、と外を覗く。窓ガラスはがたがたと酷い音を立てながら揺れていて、下手をすれば割れるのではないかと思った。ガラスの向こうは一面灰色で、雨が降っていること以外、何が起こっているのかすらよく見えない。時折空が光り、数秒後に低い唸り声が聞こえた。唸っているのが空なのか、大地なのかは分からない。


 台風が近づき始めてからというもの、エミリアの口数は減っていた。てっきり、台風が来たらテンションの上がるようなタイプかと思っていたのに、逆らしい。


「エミリア、怖いの?」

「……十八にもなろう人間が、怖いはずないだろう」


 頭からすっぽりと布団をかぶり、必死におへそを隠しているエミリアが、説得力の欠片もないことを言う。――いや、いまなんて言った?


「エミリア、今年十八歳なの?」

「ああ」


 私は五月生まれで、今年十六歳。以前、屋敷でエミリアの年齢を聞いた時、彼女が「十七」と答えたものだから、私はてっきり一歳差かと思っていた。けれど、実は二歳差だったのだ。考えてみれば、エミリアの誕生日までは確認していなかった。金色の頭しか見えないエミリアに、訊ねる。


「誕生日はいつなの?」

「……明日」

「えっ!?」


 隣のベッドに寝ころんでいた私は思わず上半身を起こした。エミリアも、布団からごそりと顔を出す。


「なんでもっと早く言ってくれなかったの!? いまこの話が出てなかったら、何もせずに終わってたじゃない!」

「……訊かれてもいないのに、自分の誕生日を自ら言う方がおかしいだろう」


 それもそうだ。

 しかし、せっかくの誕生日なのに祝わないというのも嫌だ。嫌だけれど、私はこの世界のお金を持っていない。誕生日プレゼントを買うお金はないし、エミリアの誕生日プレゼントを買うために、エミリアからお金を貰うのも妙だ。大体、外は雨風が強く、ほとんどの店が閉まっている。

 布団の中で身じろぎ一つしないエミリアに、私は声をかけた。


「何か欲しいもの、ないの?」


 エミリアは少し悩んだ。口を開いて、けれどきゅっとつぐむ。それから


「特に何もない」


 一番困る返答を、した。


 出会ってからずっと一緒にいるけれど、私はいまだにエミリアの趣味を把握できていない。この前の時計の時なんかがいい例だ。ゴキブリの時計だとか、拳銃の時計だとか、そういうのが好きなのかと思えば彼女が選んだのは懐中時計だった。私の選んだ時計を「地味だ」と評した彼女だけれど、最終的に彼女の選んだ時計だって、地味な部類と言える。

 そもそも、この世界と私の世界では色々と価値観が違うのだ。変なものを渡して、「エロい」などと言われても困る。私は悩んだ。

 夕方五時にも関わらず、エミリアは「もう寝る」と言いだした。台風は、今夜通り過ぎるだろう。けれどいま現在、外は酷い状態だ。今回選んだ宿が、木造ではなくレンガ造りだったことに感謝する。古い木造だったら、吹き飛ぶ心配をしていたかもしれない。子豚の作った家のごとく。

 エミリアは眉間にしわを寄せ、深刻な表情のまま再度口を開いた。


「ナシロ、あたしはもう寝る」

「うん。私はまだ寝ない」

「ちょっとこっちに来い」


 ぽふぽふとベッドのふちを叩かれて、私は素直にそこまで行った。慣れ始めていたのだろう。


「……あたしが寝るまで、そこにいろ」


 エミリアが、眠る前、私の服を握りしめることに。

 最近彼女は、私のベッドに潜り込んで来たり、服の裾を引っ張ってくることが多い。以前のようにベッドの中でぴったりと密着することこそなかったものの、彼女が私に、そばにいるよう要求するのは徐々に増えていた。

 私はベッドに腰掛けて、エミリアが眠るのを待つ。待ちながら、話しかけた。


「エミリア、雷が怖いんでしょ」

「……そんなことはない」

「樹海ちゃんが雷ドラゴンだったら大変だったね」

「……『手乗り』雷ドラゴンなら、平気だ」

「ということは、普通の雷はやっぱり怖いんじゃない」

「…………そんなことはない」


 返答までの間隔がどんどん長くなっていることを確認して、私は黙った。しばらくすると、エミリアの手が私の服から離れ、すとんとベッドに着地する。その手を掛け布団に押し込んで、私はエミリアの数字を確認した。

 眠っていても起きていても、笑っていても怒っていても減っていく、その数字を。

 私は少し考えて、樹海ちゃんと食堂へ向かった。この宿には食堂があって、三食ついてくる。台風で動けないいま、本当にありがたい宿だと思った。

 厨房で夕食の準備を始めていたおじさんとおばさんが、私の存在に気付く。じゃがいもと思しき野菜の皮をむいていたおばさんが、どうしたのと声をかけてきてくれた。


「もしかして、雨漏りかしら?」

「いいえ」


 私は首を振り、おじさんとおばさんに頼みごとをした。


「夕食の準備や後片付けを手伝うので、食材を少し分けてもらえませんか。それと、厨房を貸してください」



 理由を聞いたおじさんとおばさんは「お安い御用だよ」と笑ってくれた。アットホームな宿って素晴らしい。

 私は見たこともない野菜の皮をむいたり、聞いたこともない食事を作る手伝いをした。食堂にスプーンやフォークを配置したり、お客様に料理を出す役も担う。食後、お皿を洗うのもすべてやらせてもらった。それくらいしないと、見合わないだろう。


「じゃあこれ、好きに使ってね」


 そうして分けてもらった小麦粉や砂糖や卵を睨む。時刻は夜の十二時。宿泊客はもちろん、おじさんとおばさんも眠ってしまった。

 エミリアには言っていないが、私は日本にいた頃、お菓子作りに凝っていた。ケーキでもクッキーでも、ある程度のものは作れる。ただし。


「レシピが……ないんだよなあ……」


 そう。作れるのは、レシピがあればの話だ。基本、普通の料理と違ってお菓子作りは『分量』がものすごく大切だ……と、私は思っている。少なくとも、目分量でやると酷い目に遭う。というか、何回か遭った。

 宿の厨房には意外にも、ベーキングパウダーなんかもあった。しかし、レシピがない。おばさんも「持ってたはずなんだけどねえ」と探してくれたけれど、結局見つからなかった。

 ここまでくると、腹をくくるしかない。今まで作っていたお菓子を思い出して、どうにか作りあげねば。

 だって私は、エミリアが好きなものといえば、お菓子くらいしか思いつかなかったのだから。


 まず、クッキーをつくることにした。適当にバターを溶かし、適当に砂糖を入れ、適当に卵を入れ、適当に小麦粉を入れる。ベーキングパウダーはどうしようか。レシピによって、入っていたり入っていなかったりするパウダー。……ちょっと入れてみるか。

 こねて、適当な形にして、温めていたオーブンに放り込む。クッキーを作る工程はこんな感じだったはずだ、と頭の中で呪文のように唱えた。が、


「…………」


 妙に膨らみ、妙に焦げた、妙な物体がオーブンから出てきた。

 とりあえず一枚食べてみる。外は焦げているくせに中が半生という、ある意味でテクニックを要するような仕上がりになっていた。狙っていたのならいいが、私のこれは単に失敗しただけである。

 樹海ちゃんが手を伸ばしてきたので、一枚渡してみる。一口かじった樹海ちゃんは沈黙した。


「……樹海ちゃん、素直に言ってほしいんだけど」


 二口目を食べようとしない樹海ちゃんに、私は訊ねる。


「まずい、よね?」


 樹海ちゃんは俯いたままである。しかし、それが答えだ。


 クッキーは潔く諦め、パウンドケーキをつくることにする。クッキーと同じ材料を放り込み、心もちベーキングパウダーの量を多くした。これまた都合よく厨房にあったケーキの型に生地を流し込み、オーブンに入れる。そうしてできあがった代物は


「…………」


 生地がいびつに盛り上がり、更には型から溢れ出している、噴火した火山のような物体だった。ベーキングパウダーを多くしたのが失敗だったのだ。そして今度は焼きすぎている。

 食べてみると、口内の水分をすべて吸い取ってくれそうな、パッサパサのスポンジが舌の上を転がった。おまけに、ところどころダマになっていて、もはや手の施しようがない。自分も食べようと手を伸ばす樹海ちゃんに、私は首を振った。これは絶対に、食べない方がいい。マラソン中の人に渡したら、窒息しそうな食べものになっている。


 分けてもらった材料の量から鑑みて、もう一回ずつクッキーとケーキを作れるだろう。逆に言うと、チャンスはあと一度ずつしかない。この失敗をバネに、次を成功させるしかないのだ。


「……樹海ちゃんも、スイーツに詳しいよね? 作るの、手伝ってくれる?」

「んきゅ!」


 そうして私は樹海ちゃんと二人で、エミリアに渡すお菓子を作った。

 最後に厨房を掃除した時間も含めると、その作業は明け方まで続いた。


 しかし。


「努力が報われるとは限らないんだよねえ……」


 チョコクッキーでもないくせに黒く染まった物体と、膨らみもしなかった平らなケーキもどきを手に、私は部屋へと向かっていた。樹海ちゃんも、お菓子に関する嗅覚や味覚は優れているけれど、作り方までは知らなかったらしい。できあがった謎の物体エックスを見て、二人でがっくりと肩を落とした。

 私たちが苦戦している間に、台風は通り過ぎたようだった。しんと静まり返った廊下には、朝日が差し込んでいる。太陽を久しぶりに見た気がして、私はしばらくそれを眺めた。

 屋敷にいた頃、エミリアは誕生日をどのように過ごしていたのだろうかと思う。あのお屋敷だ、相当豪華なケーキや食事を用意されていたに違いない。パパのことだから、大量のおもちゃを買い占めていた気がするし、気のききそうなアルバートも、花束かなにか用意していただろう。

 それが今年のプレゼントは、異世界から来た人間が作った、食べられもしない物体である。このグチャグチャなお菓子が、日本のスタンダードだと思われたらどうしよう。私は溜息をつきながら、部屋に入った。そして、悲鳴を上げかけた。


「……ちょうど、お前を探しに行こうかと思っていたところだ」


 扉の前に、エミリアが立っていた。寝起きらしく、衣服が若干乱れている。髪もまとまっていなかった。


「あ……ごめん。心配した?」

「雷にやられたか、台風に飛ばされたのかと思った」


 その声は、冗談も笑いも一切含まれていなかった。私は反応に困って、けれどとにかくエミリアに言うべきことを先に伝えた。


「エミリア、お誕生日おめでとう」


 エミリアは目を見開いた。私からそれを言われると、思っていなかったのだろうか。


「……あたしの誕生日を覚えていたのか?」


 昨日聞いて、今日忘れている方がすごい。

 エミリアは視線を下に向け、私が手に持っている物体に気が付いた。そして、それをそっと指さす。


「それ」

「あ、あのう……」


 プレゼントです、とは口が裂けても言えない代物だ。むしろ、これを食べるのは罰ゲームに近い。返答に窮する私に、エミリアは言った。


「食べる」



 炭になる一歩手前のクッキーと、もっさりしたレンガ上のパウンドケーキを、エミリアはぱくぱくと食べていた。普通の食事のように。私も樹海ちゃんも、エミリアの向かいに座り、ただそれを眺めるだけだった。というのも、彼女が一人で食べると譲らなかったからだ。


「あのー……」


 私は思わず、口を出した。


「残してもいいんだよ?」

「確かに、うまくはないな」


 黒い塊を口に放り込み、エミリアは噛み砕いた。


「が、まずくもない」


 エミリアが味音痴でないことは私も知っている。まずくない、というのはきっと違う意味だろう。

 それに、とエミリアは言葉を繋げた。


「母さんの作る菓子も、こんな感じだった」

「え?」


 エミリアの口から初めて「母さん」という単語が出てきて、私は少し驚いた。エミリアの母親は、彼女が小さい頃に亡くなったとしか聞いていない。

 私の思考を読み取ったように、エミリアは言う。かたいパウンドケーキをかじりながら。


「……母さんはあたしが七歳の時に死んだが、それまでずっと、誕生日に菓子を作ってくれていた。しかし残念ながら、料理のセンスは皆無でな。菓子作りも同様だった。成功しているのを見たことがない。アルの誕生日の時も、火山が噴火したようなケーキが出されていた」


 思い出したらしく、エミリアはくすりと笑った。火山が噴火したようなケーキといえば、私の失敗作第一号と似たようなものだろう。ちなみにあれは、樹海ちゃんと二人で頑張って食べきった。


「父さんは料理なんてまったくしないからな。シェフが作ったわけでもなく、売りものでもない菓子を食べるのは久しぶりだ」

「……そう」

「なんでもかんでも売りものに頼る父さんに比べ、母さんは自分の手で作ったものを子供に渡すのが好きだったからな。松ぼっくりで作った訳の分からんオブジェや、犬なのか猫なのか区別もできない絵で構成された絵本や、ものを入れると持ち手がすぐに千切れる手提げ鞄なんかをプレゼントされた」


 もしかしたら、エミリアの部屋に飾ってあったものの一部は、エミリアの母親が作ったものだったのかもしれない。私は、綿のはみ出ていたウサギのぬいぐるみを思い出した。

 エミリアはどう考えてもまずかっただろうクッキーとケーキをすべて平らげ、それから下を向いた。


「誕生日を祝ってもらったのは、十年ぶりだな」

「え?」


 信じられなかった。だって、あんなお屋敷に住んでいて、誕生日を祝わないというのは考えづらい。パパの性格から考えて、街中のおもちゃや雑貨を買い求めそうなのに。

 あたしが祝うなと言ったんだ、とエミリアは付け足した。それから、


「今日は……母さんの命日でもある」


 空っぽになったお皿を見つめて、呟いた。


「この世界では、生まれた瞬間から命日が分かる。――母さんは、あたしの誕生日と自分の命日が重なっていることを知っていた。それでも毎年、あたしの誕生日を祝ってくれた。だが、母さんが死んでから、あたしは自分の誕生日を祝えなかった。祝いたくなかったんだ」


 台風が通り過ぎるのを待ちわびていたかのような、鳥のさえずりが聞こえ始めた。人々も活動を始めたのか、外が少しにぎやかになる。その中で、この部屋だけが静かな時を流していた。


「――ナシロ。この世界では、自分がいつ死ぬのか、はっきりと分かる。だから人は、『いつ来るか分からない死』に怯えることはない。自分の死も他人の死も、最初から受け入れているし、覚悟できている。だが……」


 少し悩んで、エミリアはこちらを見た。


「人の死を悲しいと感じる心も、あるんだ」


 その瞳の色は、台風が過ぎ去った後の青空よりも、幾分薄く見えた。

 エミリアは「今日は昼食抜きでも問題なさそうだな」と笑う。私は私で、朝食は要らないと思った。それは、失敗作のケーキやクッキーを食べたせいではない。


「ナシロ」


 椅子から立ち上がりお皿を持ちながら、エミリアは微笑した。


「ありがとう」


 食器を食堂に持っていくために歩き出すエミリアの頭上を、私は見つめる。


 十八歳の誕生日を迎えたその日。



 エミリアの数字は、4mから3mに、変わった。


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