時計の街
その街は、時計で溢れていた。
時計の種類は様々で、懐中時計から壁時計、振り子時計、鳩時計、腕時計もあった。様々な細工がされていて、中には『腕時計型鳩時計』という、どちらを優先させているのか分からない代物まであった。
街の中央には花時計がある。けれどもそれは、花壇に針をつけているものではなかった。時間ごとに咲く花が、丸い花壇に植えられているのだ。十二時にしか咲かない花、一時にしか咲かない花、二時にしか咲かない花――。欠点は、長針がないため『何分』なのかが分からないこと。そしてその花は夜には咲かないため、朝の六時から夕方六時までしか示さないことだった。
エミリアは「時計が古くなってきたから、新しいものを買いたい」と街をうろつき始めた。私はスマホで時刻を確認するタイプだったので、腕時計を持っていない。「お前の分もついでに買おう」と、エミリアは私の手を引っ張った。
「懐中時計とか、可愛いね」
ディスプレイされている商品を見ながら指をさす。エミリアは一瞥し、
「白ウサギが持っていそうだな」
少しメルヘンな返事をした。
「お茶会する話だよね、それ」
「それ以外に、ウサギが時計を持っている話があるか?」
この世界のおとぎ話と、私の世界のおとぎ話はたまにクロスしている。ただし、若干ずれていることが多い。ヘンゼルとグレーテルがいい例だ。
――なんとなく嫌な予感がして、訊ねた。
「ちなみに、その物語のタイトルは?」
「不思議な人間のアリス」
国ではなくアリスそのものが不思議ちゃんになってしまっていた。
エミリアはディスプレイされている懐中時計の、秒針が進んでいく様子を見ながら呟く。
「――……時間が止まり、永遠に続くお茶会というのもどうなんだろうな」
返答に困る私に気付いたのか、エミリアは「この店に入ってみるか」と、再び私の手を引っ張った。
時計屋の中には、白ウサギのぬいぐるみが飾られていた。お店の人はカウンターにおらず、『どうぞご自由にご覧ください』と書かれたプレートが立てかけられているだけ。その下には小さく『店主はただいま仕事をさぼっております』と書かれていた。正直すぎるだろう。
店内は思ったよりも広く、私とエミリアはひとつひとつ時計を見た。一般的な形のものから、少し変わった造形のものまで幅広く取り扱っている。中には、変わった機能を持つ商品もあった。びっくり目覚まし時計という、一見何の変哲もない時計の下に書かれた説明文を私は読んだ。
【びっくり目覚まし時計の使い方】
1、人には絶対に聞かれたくない秘密を時計に吹き込みます
(えっちな本の隠し場所や、深夜に書いたポエムのありか等)
2、起床したい時間に針をセットします
3、セットされた時間に目覚めないと、時計が秘密を話しだします
(近所に響き渡るくらいの大声を出すので注意しましょう)
【使用者の声】
・時間通りに起きれず、黒歴史ポエムが朗読されてしまった。
・毎朝強制的に目が覚めます。むしろ眠れません。
・近所の人に「巨乳が好きなのね」と言われて引っ越しました。
・セットした時刻の一時間前には目が覚めてしまう。
・お父さんが、不倫してたのが分かりました。家庭崩壊。
・特に何も吹き込んでいなかったのに、セットした時刻になると勝手に秘密を話しだしました。びっくりしました。こわいです。捨てても戻ってきます。どうすればいいですか。
「…………」
「なんだナシロ。それが欲しいのか?」
「いや結構です」
私は即座にびっくり目覚まし時計を棚に戻す。なんだこの、いわくつき商品。
「エミリアは? なにか欲しいのあった?」
「これなんかどうだ。かっこいいと思わないか」
エミリアが取り出してきたのは、リボルバー式の拳銃だった。私が思わずのけぞると、「時計だぞ」とエミリアは苦笑する。
「……どこに時計がついてるの?」
「ここだ、ここ」
「どこ?」
「銃口を覗き込んでみろ」
目玉を撃たれそうだと思いつつ、おそるおそる銃口を覗く。確かにそこには時計があった。視力検査かと思えるくらいに小さな円が。検査なら、これが見えたら1.2くらいかと思えるほどに小さい。つまり、時計の針なんてほとんど見えない。
「…………」
「かっこいいだろう」
「実用性はどこにあるの?」
「うっ……」
エミリアも、その点は気にしていたらしい。それ以上何も言ってこなかった。
拳銃型ライターよりもはるかに実用性のないそれを、私は棚に戻した。そもそも私は、時計なんかは細工よりも文字盤の見やすさを重視するタイプだ。いくら可愛くても、文字盤が小さいとイライラする。
対するエミリアは私と逆のタイプらしく、可愛さやかっこよさを重視していた。針の見やすさはどうでもいいらしい。拳銃型時計の次は、黒い文字盤に黒い針という、信じられないくらい見にくい時計を持ってきた。昼でも見えないのに、夜なら尚更見えないだろう。私の意見を聞いて、それもそうかとエミリアは黒い時計を元の場所に戻した。
そうして次に持ってきたのは、
「こっちに近づかないで!」
――見事なまでにゴキブリを再現した、グロテスクな腕時計だった。羽を広げると中に文字盤があり、触覚の部分がバンドになっている。しかも、おしりのボタンを押すと脚が高速でかさかさ動くのだ。信じられない。
「綺麗かと思ったのだが……」
「絶対いや! エミリアがそれをつけて旅するなら、私もう隣を歩かない!」
私の言葉に、エミリアは相当なショックを受けたようだった。いつか見た、叱られた子供のような顔で、ゴキブリの腕時計を棚に戻す。その姿を見ていると、なんだか急に申し訳なくなった。彼女は別に、私に嫌がらせをするためにゴキブリを持ってきたわけではないのに。
エミリアは切ないような悲しいような顔をして、「じゃあお前はどういうのがいいんだ?」と訊いてきた。私は無難な、どこにでもありそうな普通の文字盤かつ普通の形をした腕時計を指さす。途端、エミリアは「うーん」と唸った。
「地味すぎではなかろうか……」
「私、地味なのが好きだから」
「う、嘘つけ! ぱんつはあんな派手でエロい色を選んでいたくせに!」
「あれ、私の世界では普通だしむしろ地味だからね!? 私が変態みたいに聞こえる言い方するの、やめてくれる!?」
「ピンクや白や水色や黄色のぱんつが横行している世界なんて本当に存在しているのか!? どれだけエロに寛容な世界なのだ! ぴ、ピンクなんてっ」
「じゃあなに、樹海ちゃんはエロいの!?」
「きゅう?」
「ジュカイはピンクのドラゴンであって、エロくない! しかしピンクのぱんつはエロい! 分かるか!?」
「まったく分からないんですけど! どういう理屈!?」
「ピンクはピンクでも、ピンク色の『ぱんつ』はエロいという理屈だ! つまり、それをつけてるお前はエロい!」
がちゃーん、と店の奥から音が鳴った。私とエミリアは同時に、音のした方へと顔を向ける。カウンターにはいつの間にか、白髪のおじいさんが座っていた。作りかけだった時計を落としてしまったらしく、パーツが四方八方に飛んでいる。
おじいさんは空中に視線をさまよわせながら、申し訳なさそうに言った。
「……あ、す、すみません……お声をかけようかと思ったのですがその……お話が続いていたので……あの、どうぞ私におかまいなく、その、……ぱんつの話を続けてください」
私のぱんつについて聞かれていた泣きたい。
ぱんつの話はなかったことにして、私たちはカウンター越しにおじいさんと会話した。どういう時計がお好みですかと言われたので「針と文字盤が見やすくて、実用性があって、地味なのを」と伝えると、「……お色はピンクですか」と返ってきた。ぱんつの話が、なかったことになっていない。
そうしておじいさんが持ってきてくれたのは、私が注文したものにぴったりの商品だった。色や形状はいくつかあって、好きなものを選べる。私はとりあえずピンクを避けて、無難に茶色のベルトのものを選んだ。茶色なら、文句あるまい。
夜になると蛍光塗料で針が光るらしいそれに、私は大満足した。
一方、エミリアは時計選びに苦戦した。彼女の趣味は定まっておらず、おじいさんがどれを持ってきてもうんうんと唸るばかりなのだ。趣味が定まっていないと言うよりかは、趣味が広すぎると言った方が正しいのかもしれない。「あれもいいこれもいい」で、なかなか決まらなかった。
「ゆっくりとお選びください。閉店まで、まだ時間がありますから」
おじいさんはふっくらと笑い、時計を作り始めた。時計作りの工程を見たことがなかった私は、「見ていてもいいですか?」と訊ねる。おじいさんは嫌な顔ひとつしなかった。
パズルのピースのように歯車が組み込まれていく様子を、私は見つめる。おじいさんの細い指は、時計を作るために細くなったんじゃないかと思えるほどだった。繊細な作業を難なくこなしていく。
そうしてひとつの時計ができあがりそうな頃になっても、エミリアはまだ悩んでいた。食堂でメニューを選ぶのは早いのになあと思いながら、私は腕時計で時刻を確認する。午後の三時過ぎ。そうして顔を上げた時、カウンターの奥にひっそりと置かれている振り子時計の存在に気付いた。
それは、午後の三時をさしていなかった。止まっているのか、ずれているのか。そう思った時、私は異変に気付いた。
左回りの秒針。つまり、その時計は本来とは逆回りだった。
時計をひとつ作りあげ、私の視線の先に気付いたおじいさんが、「ああ」と微笑む。
「あれは、売りものではございませんよ」
「ええと、……失礼ですけど、不良品か何かですか?」
「いいえ」
おじいさんは手を伸ばし、その時計を撫でた。
「これはね。いまから五十年前に作ったんです。針が左回りになるようにしたのは、わざとですよ。それからこの時計には、もうひとつ細工をしておりましてね」
「それはどういう?」
「――私の数字がゼロになるのと同時に、この時計も止まるように作っているんです」
腕時計と睨めっこしていたエミリアが一瞬だけ視線を上げ、けれどもまた腕時計に視線を戻した。私は言葉を失う。お爺さんの寿命は、あと五年だった。
「時計職人になりたての頃に作った代物です。私の数字がゼロになる時、この時計の針が「12」を……ゼロをさすように、作りました。精巧に、精密に。何年経ってもずれることのないよう、細心の注意を払ってね。けれど……数年に一度、二秒ほどずれるんですよ。厳密には、今でも少しずつずれています。何度か分解して組み立てなおしましたが、何度やってもずれてしまいます」
おじいさんはそう言って、「お嬢さんたちの時計も、故障したらいつでも仰ってくださいね」と苦笑した。
「結局ね、一秒もずれない時計を作るという私の夢は、叶わなかったのですよ。私の余命はあと五年ほどですが……『壊れるまで一秒もずれない時計』を作れるかどうか、分かりません。頭上にある数字は、一秒もずれることなく減っていくのにね」
けれど、それでよかったとも思います。おじいさんは断言した。
「一秒もずれることのない時計が完成しなかったからこそ、私は死ぬまで夢を追うことができます。だから、それでいいんです。……時計職人として、時計が完成しないことを喜ぶのも妙な話ですが」
おじいさんの話を聞いていたのかいなかったのか、エミリアは「これにする」と商品を指さした。
彼女が選んだのは、ごくごく普通の懐中時計だった。それこそ、白ウサギが持っていそうなものだ。けれどなんとなく、エミリアに似合っていると思った。
彼女はちらり、と私を見た。それから少しだけ、目を伏せる。
「もしかすれば、これを持っていればお茶会に飛び入り参加できるかもしれないと思ってな」
時間が止まり、永遠に終わらないお茶会。
――それに参加したいの? とは言えなかった。
「……帽子屋さんにジャムを塗られて、壊されちゃうかもしれないね。その時計」
私が言うと、エミリアは「お前の世界ではそういう話だったのか」と笑った。こちらの世界で、お茶会がどう書かれているのか、そしてどう締めくくられているのかは、怖くて聞けなかった。
店の扉までおじいさんが見送ってくれて、私とエミリアは外に出る。
「お客様」
おじいさんの声に、私たちは振り向いた。
「我々の数字は減り続けます。しかし、数字が減るほど、増えるものもありますよ。時間は私たちの最大の敵ですが、心強い味方にもなり得ます。……どうかそれを、忘れないでください」
おじいさんは優しく目を細め、私たちに頭を下げた。
「お気をつけて」
宿に着いてもご飯を食べている時もお風呂から出た後も、エミリアはずっと懐中時計を見つめていた。針は逆に回ることもなく、ちっちっと小さな音を立てながら進み続ける。
「……ずっと見てて、面白い?」
「いや」
思わず訊いたけれど、返事は二文字しかなかった。そろそろ寝てもいい時間なのに、眠いとすら言わない。いつもなら彼女より遅くまで起きている私の方が、眠くなってきてしまった。
「ごめん、先に寝ていい?」
「ああ」
テーブルの上で眠る樹海ちゃんと、時計と睨めっこしているエミリアを残し、私はふたつあるベッドのうちのひとつに横たわる。目を閉じ、本格的に眠りそうになった頃、部屋の電気が消された。足音がこちらに向かってくる。
「ナシロ」
「んー……?」
「一緒に寝ていいか」
「え?」
急速に目が冴えた。エミリアが一緒に寝ると言い出したのは、最初のお菓子の街以来だった。大体あの時は、ベッドがひとつしかなくて、ある意味添い寝しても仕方がない環境だったともいえる。
けれど、今日の部屋にはベッドがふたつある。おまけに、八月の半ばである今は暑い。普通、添い寝をするようなタイミングではなかった。
「……やはり、駄目か」
諦めたように、エミリア。その声は、悪い夢を見た子供のように頼りなかった。
私は寝返りを打って、エミリアを見る。月明りの差し込む窓が、エミリアの顔をぼんやりと浮かび上がらせていた。その顔は声と同様に、とても頼りなく見えた。
頭上の黒い数字は、夜でも何故かはっきりと認識できる。
『0y 4m 17d 18h 43m 12s』
「……いいけど」
私が左側に寄ると、エミリアは急いで枕を取りに行った。あいているスペースにさらりと入り込んできたエミリアは、狭いとも暑いとも言わない。私も、言わなかった。暑さのせいか、お菓子の街の時のように後ろから抱きしめてくることはなかった。
ただ、ふいに服の袖が引っ張られた。というよりも、掴まれたと言った方が正しい。
「エミリア?」
呼んでみたけれど、返事はなかった。私の服の袖を握りしめたエミリアは、狸寝入りを決め込んでいる。起きているくせにと思ったけれど、やっぱり言わないことにした。
「……終わらないお茶会って、楽しいのかな」
湿気の強い空気の中に、湿気た言葉が溶けて消えた。返事がないことを確認して、私は目を閉じる。彼女と時間を共有することに慣れたせいだろう。ベッドを共有しても、昔のように緊張することもなくなっていた。
そうして私の意識が半ば薄れた時、
「――ナシロと旅をしている方が、楽しいと思う」
小さく聞こえたその声は、けれどもはっきりと震えていた。




