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その空に未来を捧ぐ  作者: うわの空
第五章
21/33

幸福の国

 アオキ・ガ・ハラ・ジュカイへ行くのに、いくつかの国や街を経由するのが分かった。山道ばかりが続いて野宿することになったらどうしようかと考えていたけれど、樹海までの道のりには国がぽつぽつと点在していて、眠る場所に困ることはなさそうだ。

 国に着く度、エミリアは聞き込み調査をした。転移者を戻す方法を知らないかとか、昔ながらの魔術書がないかとか、有力な魔導士がここにいないかとか。けれど、首を横に振られるばかりだった。

 がたた、ごとと。いつの間にか慣れ始めた馬車の音と揺れは、エミリアの寿命を削っていっているようにすら感じられた。

 私はエミリアの数字を見る。


 5mは、4mに変わっていた。



 その国は、特別な入国審査を必要としない場所だった。


「この国はね、基本的に出入りは自由なの。ただし、住むのには条件があるわ」


 私たちを中に案内してくれたおばあさんが、優しい口調で説明する。大きくも小さくもない声は、どこか気品のある貴婦人のようだった。……お菓子を食べながら私の隣を歩いているどこかの公爵令嬢とは大違いだ。けれど、おばあさんはエミリアのことをたしなめようともしなかった。

 エミリアは住人に目を配らせ、「なるほど」と呟く。


「住む条件は、察しが付く。余命か」

「お嬢様、頭がいいのね。そうよ。この国に住む条件はね、『余命が一年を切っている』こと」


 私は案内してくれているおばあさんの数字を見た。余命は八か月。周囲の人間も、11m以上の数字を持っている人間はいない。けれどみんな、笑顔でカードゲームをしたりお茶を飲んだりしていた。どうしてそこまで笑顔でいられるのだろうと思えるほどに、ここは笑顔であふれている。

 旅人さんは出入り自由だけど、この国に宿はないのよとおばあさんは申し訳なさそうに言った。この街を少し西に行ったところに違う国があるから、そこで宿をとればいいわ。言い終えたおばあさんに、エミリアはお礼を言ってから質問した。


「何故、余命の少ない人間を集めているんだ?」

「……あなた、死ぬ前までつらい思いをしたい?」


 あなた、は私にではなくエミリアへ向けられたものだった。おばあさんは両手を広げる。


「――この国の方針はね、穏やかで豊かで、幸福に満ちた街をつくることなの。他の国も似たようなスローガンを掲げているでしょうけれど、この国のそれは特別よ。だって、国に住むみんな、余命一年もないのだから。最後の一年を、平和に幸せに暮らしたいと心から願っているの。一時間、一分、一秒。そのすべてを幸せで埋め尽くしたい。だってもうすぐ、死んでしまうのだから。最後に、とびきり幸せになりたいと、みんな願っているの」


 だからね、とおばあさんは誇らしそうに続けた。


「この国の人間は誰も、他の誰かを傷つけるようなことはしない。つらいこともない。学校へ行く必要もないし、仕事をする必要もない。誰かに怒られることもないし、誰かに罵られることもないの。そういうものはすべて排除した、幸せだけが残った場所なのよ。だからみんな、毎日笑顔で過ごせるの。最後の一年、毎日ずっと幸せなのよ。素晴らしいでしょう?」

「……家族が、会いに来たりはするんですか」


 私が思わず口を挟むと、当然よとおばあさんは微笑んだ。


「時々遊びに来るわ。けれど……家族だからこそ、酷い喧嘩をしてしまう時もあるでしょう? 血が繋がっているからこそ、酷いことを言ってしまう時だってあるでしょう。――この国にいれば、そういうことも起きないわ。この国に住んでいるみんなは、ちゃんと分かっているの。喧嘩するのは悲しくてつらいことだって。毎日笑って過ごす方が、絶対的に幸せだわ」


 私たちの後ろから「通るよー」と声が聞こえ、おばあさんが「ごめんなさいね」と私たちの身体を壁際に寄せた。道の中央を、花束を詰んだ馬車が通り過ぎていく。あれは? とエミリアが訊ねた。


「今日はね、夜の七時におじいさんが一人、亡くなるの。だからもう、お葬式の準備を始めているのよ」

「葬式も、ここでするのか」 

「ええ。住民全員、笑顔で見送るわ。――今日亡くなるのはおじいさん一人だけれど、多い時は一日で五人ほど亡くなってしまうの。そういう国だから」

「……だからここは、ジュカイの一歩手前と言われているんだな」

「そう。死者の魂が集まるジュカイの手前。死ぬ寸前の人間が集まる場所。――けれど、とてもとても、優しい場所よ」


 そこまで言って、おばあさんはエミリアを見つめた。あなたは居住審査を受けに来たの? という質問に、エミリアは首を振る。おばあさんは「ここに住むのはどう?」と提案した。


「他人に危害を加えない人格であるかどうかの居住審査があるのだけれど、あなたならきっと通るわ。そうね……正直少しだけ、不愛想だけれど。でもきっと、あなたもここに住めば毎日笑顔で暮らせるし、幸せになれる。四か月間の幸せが、保証されるの。どう?」


 私はエミリアを見た。何を考えて居るのか、彼女は自分の瞳と同じ色をした空を眺めている。

 もしもエミリアがここに住みたいと思ったのなら、私は彼女と別れるべきだと思った。私はここに住めないし、彼女の幸せを邪魔したいとも思わない。ここに住むことでエミリアが幸せになれるのなら、その方がいい。エミリアがここで穏やかに暮らしたいと願っているのなら、私はそれを引き留めたくない。


「……エミリア、私」

「悪いが断る」


 私に対してなのか、おばあさんに対してなのか。あるいは両方に対してなのだろうか。エミリアは拒絶の言葉を口にした。おばあさんはきょとんとしている。私はエミリアの服を引っ張った。


「エミリア、もしも私のことを気にしてるなら」

「別にお前は関係ない。ここに住みたいと思わなかっただけだ」

「どうして?」


 疑問を口にしたのはおばあさんだった。エミリアは笑う。


「幸せに対する考え方なんて、人それぞれだろう」


 エミリアは街ゆく人々を、その笑顔を目で追った。


「常に幸せ。それで、お前たちは本当に幸せなのか? ……確かにそうだな。あたしは、人生の九割が、つらいことやどうでもいい毎日で構成されていると思っている。不幸と幸福が、五対五だとも思っていない」

「だったら尚更」

「――だが、一割しかないからこそ、その幸せがとても貴重で、美しく、大きく見えるのではないか? 宝石の山に紛れている一粒のダイヤモンドと、なんでもない砂浜に落ちている一粒のダイヤモンド。どちらが綺麗に見える」


 エミリアは蒼穹の瞳を、私へ向けて微笑む。私は、何も言えなかった。


「あたしは最後まで、その一割を探して生きたい。そうすることで、残りの九割にも幸せを見出したいんだ。常に笑顔で過ごせるのは確かに魅力的かもしれないが、……毎日幸せが続くなんて、そんな人工的な生活はごめんだ」


 おばあさんは溜息をついた。呆れているわけではなく、ただ満足したような表情をして。


「そう。……人の価値観って、やっぱり人それぞれなのね」

「ああ。だから、尊いのだろう」

「――そうね、分かったわ。ここに来てくれてありがとう。素敵なお話を聞けたお礼に、これを持っていって」


 おばあさんはエミリアに、シャボン玉を握らせた。それから、「といってもこれは、ここに来てくれた旅人さん全員にプレゼントしているものなんだけどね」と微笑む。

 余命八か月のおばあさんは、私たちの姿が見えなくなるまで、その笑顔を絶やさなかった。



 おばあさんに言われた通り、西の方角へ向かう。道中、誰ともすれ違わなかった。

 徒歩三十分ほどの距離にある隣国は、普通の場所だった。無表情で歩く人もいれば、子供を叱っている大人もいる。数十分前までいた、笑顔だけで構築された国が本当に嘘のようだった。

 私とエミリアは適当な場所にあったカフェに入った。昼食時だからか、それなりに混んでいる。店の外にはテラスがあり、八月にしては涼しい風が吹いていた。

 テラスの中でもとびきり風通しのいい席に座り、私はアイスティーを、エミリアはアイスココアを飲んだ。樹海ちゃんは、私のアイスティーについてきたシロップをなめている。


 本当にあの国に住まなくてよかったの? とは訊けなかった。訊いても、三十分前と同じ言葉が返ってくるだけだろう。

 ……私なら、あの国に住んでしまうかもしれないな、と思った。最後くらい、つらいことも感じず幸せに暮らしたい。

 何を考えているのか、あるいは何も考えていないのか、エミリアも無言だった。そうして二人で飲み物を減らしていた時、私たちの横を男が通り過ぎた。

 男は、ふらふらと右に左に蛇行しながら進んでいた。不健康そうな乾いた肌は、気温に似合わないくらいに青白い。俯きぶつぶつと呟く男の声を、私は確かに聞いた。


「――……あの国にいるのは余命の少ないやつばっかりだ……。あいつらは僕に殺されるためにあそこに集まっているんだ。どうせ死ぬ運命なんだ……あいつらは死ぬ運命なんだ……だから僕が殺したって問題ない……」


 私はぎょっとして、思わず男の顔を見た。眼鏡をかけた二十代前半の男は、私の視線に気付いたらしく、こちらにぐるんと顔を向けた。血色の悪い彼の顔。頭上の数字を、私は確認した。


『0y 0m 0d 1h 5m 55s』


 エミリアもまた、男の顔を見た。けれど、その顔色を変えたりはしない。先程の国の人のように表情を「つくる」ことも、しなかった。虚ろな目をした男に、エミリアはぽとりと言葉を落とす。


「余命五秒の人間が目の前にいたとしても。――だからといって五秒後に、お前がその人間を殺していい道理があるのか?」


 男は虚ろな目のままで、エミリアを見つめた。それから、肩を上下に揺らして笑い始めた。奇妙な笑い声の隙間に、言葉を挟んでいく。


「お前は、お前はなーんにも分かっちゃいないんだ! お前はまだ、自分の余命はあと四か月あると思ってるんだろう? それは大間違いだ。四か月なんてな、食って寝てる間にすぐ終わっちゃうんだよ! 僕だけじゃない、どうせみんな、いつか数字はゼロになる! みんな死ぬんだ! 僕が数字をゼロにするんじゃない、数字が勝手にゼロになるんだ。僕は、僕は悪くない!」

「お前は、殺すという言葉を使っていた。話が矛盾している」

「うるさいうるさいうるさい! 僕は自分に残された最後の一時間を、好きに過ごそうとしているだけだ。それをお前が、邪魔する権利があるのか!?」

「ああ、ないな」


 エミリアは即答した。


「お前の一時間をあたしの説教で潰せるほど、あたしは高尚な人間でもない。――好きにしろ」


 エミリアの言葉に、男は勝ち誇ったような奇声をあげ、東の方角へ走っていった。


「……エミリア」


 ようやく出せるようになった声で、私はエミリアを呼ぶ。彼女はココアに口を付けたまま、表情を変えない。


「止めなくてよかったの?」

「あいつの余命が長ければ、止めていただろう」


 飲み干したグラスを机に置き、エミリアは頬杖を突いた。例の国でもらったシャボン玉の容器を、机の上で転がす。


「でも……余命が短いからって何をしてもいいわけじゃ」

「そういう意味ではない。――あの男が向かっていった国では、今日は一人だけ死ぬという話だった。それは何時だと言っていた?」

「……夜の七時」

「いまは、午後一時だ。では、あの男の余命は?」


 一時間。私はそこでようやく気付いた。エミリアが頷く。


「少なくともあの国の住人は、あの男が原因で死ぬことはない。今日見てきた人間の中で、あの男より余命の短い人間も見なかった。あの男が誰かを殺すことは、まずないだろう」

「でも、……例えば包丁を振り回して、誰かを傷つけたりはしたかもしれないのに」

「ジュカイ」


 いつの間にか地面にいた樹海ちゃんが、「んきゅ!」と鳴いた。足元を見る。樹海ちゃんは――サバイバルナイフを持っていた。


「あの男のポケットからはみ出ているのが見えたんでな。あたしが話しかけている間に、ジュカイに奪わせておいた。ジュカイにも確認させたが、持っていた凶器はこれだけだ」

「それじゃ……」

「――笑顔の溢れる幸せな国で、あの男は最後に何を見るだろうな」


 エミリアはそう言って、少し寂しそうに口の端をあげてみせた。グラスに残っていた氷が溶けて、からん、と音を立てる。

 思い出したかのように吹いたそよ風が、エミリアの髪を揺らした。彼女はしばらく頬杖を突いたまま、樹海ちゃんの奪ったナイフを見ていた。


「――ナシロのいた世界でも、殺人というのはあったか」

「うん」

「人を殺す理由は、なんだった?」

「……色々」

「そうか。この世界では、大体みんなが同じ理由を言う。あの男と、似たような言い分だ」


 ――数字がゼロになりそうな人間が身近にいたから。自分が殺したのではなく、数字がゼロになっただけだ。


「……この数字は時に、殺人すら正当化させようとする」


 エミリアはナイフを拾い上げ、机の上に置いた。人の命を奪うことすらできるそれは、片手で持てるくらいに軽い。頭上に見える数字は重く、けれど見えるからこそ、命を軽く感じさせるのかもしれなかった。


「あの男の人……笑えたらいいね。さっきみたいな笑い方じゃなくて」

「そうだな」


 エミリアはシャボン玉の容器をあけ、ストローを使って吹き始めた。七色に光る球体が、ふわふわと宙を舞う。樹海ちゃんはそれを初めて見たらしく、きゅうきゅうと鳴きながら、次々と飛ばされていくシャボン玉を追いかけた。

 最初のうち、シャボン玉はすぐに地面に落ちて割れた。ほとんど、音もたてずに。その度に樹海ちゃんは首を傾げ、シャボン玉が消えた地面をしげしげと眺めていた。

 そのうちに涼しい風が吹き始めて、シャボン玉は空高くまで飛んだ。樹海ちゃんも嬉しそうに、シャボン玉にあわせて高く飛ぶ。それを見ながら、エミリアは言った。


「シャボン玉はどれだけ綺麗であっても、風がないと飛べないな」


 当然といえば当然であるその言葉の意味を、私がきちんと理解できたかどうかは分からなかった。


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