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その空に未来を捧ぐ  作者: うわの空
第一章
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転移

 誰にともなく訊ねるけれども、もしも自分が道を歩いている最中、いきなり足元に大きな扉が現れたなら、あなたは冷静にそれをかわしたり、ジャンプして避けることができるだろうか。


 できる、と答えた方は多分、夢を持ちすぎている。恐竜のいる世界に放り込まれても、自分だけは肉食恐竜と仲良く暮らせる特殊体質を持っている、などと思っていないだろうか。

 かくいう私もどちらかといえばそのタイプで、どのような非常事態に遭遇しても、それなりに対処できると信じていた。例えば隣に立っている人がいきなり倒れて息をしていなくても、さらっと人工呼吸してさらっと心臓マッサージを施し、「名乗るほどの者ではありませんよ」などと言い残してその場を去る、クールな女子高生になれるのではないかと思っていた。


 ここで夢を打ち砕くことを言うけれども、そのような『素のクール人間』はまったくと言っていいほどいない。少なくとも、私の場合は違った。


 私が女子高生になって二か月経った頃、その事件は起こった。

 学校からの帰宅途中、人気のない住宅街を歩いていた私の足元に、急に扉が現れたのだ。

 足元に、扉。考えただけでもおかしな構図だと思わないだろうか。しかもその扉といったら、安物臭い木製のうえ、ピンクのペンキで塗られたような代物だった。分かりやすく言ってしまうと、耳のない猫型ロボットが持っている、どこにでも行けるドアにそっくりな形状。それが突如、道路に浮かび上がった。道路というか、私の足のちょうど下だ。

 妄想上の私ならば、次の瞬間に華麗なジャンプを決め、回転しながら道路に着地し「……物騒な世の中になったものね、まったく」とクールに囁いているはずだった。


 しかし実際問題、そのような行動はまったく取れなかった。


 私の第一声は「え」の一言のみ。そうして、私が「え」と言っている間に扉が開いた。外開きという表現で正しいのかどうかは分かりかねるが、私の足元にドア一枚分の穴ができたのだ。お笑い番組で、ネタを披露した直後に床が開いて、発泡スチロールだかスポンジだかの海に没収される芸人を想像してみるといい。いまの私がまさにそれだった。

 つまり、一瞬で回避するなど不可能だった。

 次の瞬間には、暗闇の中に落ちていた。引きずり込まれたと言うより、落ちたの方が正しい。なにせ、道路にいきなり穴が開いたのだから。


「物騒な世の中になったものね」などというセリフは思い浮かばなかった。

「今度はどんなミッションかしら?」などという女スパイ的セリフも思い浮かばなかった。

 ましてや「とんだ災難ね」と、クールに溜息をついている場合でもなかった。


 穴には、芸人が落ちる時に見られる緩衝材のようなものは一切なかった。床もない。どこまで落ちるのだろうかと思えるくらいに、真っ暗な闇が続いた。

 私はジェットコースターの乗客よろしく、両手をあげた状態でひっくり返った悲鳴をあげ、お花畑と三途の川と針の山と血の池とその他もろもろをいっぺんに見た。走馬灯とすら呼べないそれは、すなわち死をさしている。私は泣いた。泣き叫びながら落ちた。

 もしもこれで私が死んだのなら、私の遺言は「え」と、大絶叫のふたつのみだった。




 ぼんやりとした頭がとらえたのは、歓喜の声だった。何人かの、男の声。――男?

 覚えているだけでもあれだけ落ちたのだから、骨折していてもおかしくない。けれど、身体に痛みはなかった。うっすらと目を開ける。最初に見えたのは、黒いフードを目深まぶかに被った人間……おそらく人間だった。フードと言っても、パーカーではなさそうだ。頭から足元までを、黒い布が覆っている。なんというか、魔法使いが着ている服のような。ローブ、だったろうか。

 次に頭が意識したのは、古い木の匂いだった。ローブの後ろに見える壁は、木でできている。木の壁……木造住宅? いやちょっと待て、私は道路から落っこちたはずなのに、どうして家の中にいるのだろう。

 室内はランプらしきもので照らされ、最低限の明るさを維持しているようだった。ただし本当に最低限で、つまりは薄暗い。

 私が頭を動かすと、男たちの悲鳴が上がった。――男?


「マグナ様! 成功おめでとうございます!」

「ああ、百年ぶりの転移者だ! それも、生きている!」

「いくらで売れるだろうか!」

「マグナ様、あなたは名実ともに高名な魔導士です! 転移魔法を成功させるなど、我々にはとても信じられません!」


 ――おかしい、なんだか日本では聞き慣れない単語がいくつか耳に入った気がした。転移とか魔導士とか言ってなかっただろうか。


「――……ええと」


 私が声を絞り出すと、どうやら私を取り囲んでいるらしい男たちがまたもや悲鳴を上げた。


「喋った! 聞こえたか! 喋ったぞ!」

「ええと、と言った! グンパゼリウス語だ!」

「こ、この転移者、グンパゼリウス語が使えるのか!?」

「この世界の人間ではないはずなのに、なぜグンパゼリウス語が!」


 グンパゼリウス語ってなに。

 騒ぎ立てる男たちの中で唯一黙っていたローブの人間が、静かな声を出した。


「通訳魔法を同時にかけてある。彼女がいま話したのは、ここではない異世界の言葉だが、我々にはグンパゼリウス語に聞こえる。逆に彼女には、我々の言葉は『彼女の世界の言葉』に聞こえているはずだ」


 その声は綺麗なアルトで、少なくとも男であることが分かった。

 それよりなんだ。この人たち、日本語を喋ってないの? グン……なんちゃらこんちゃら語を喋ってるの? 私には、ばっちり日本語に聞こえているのに。というか、何がどうなっているのだろう。なんで私は男に囲まれて、訳の分からない木造住宅にいて、グンなんちゃら語がどうこうとか、魔導士や転移がどうこうという言葉を耳にしているのだろう。


 ここにきて私は、男に囲まれているというとんでもない事態に気付いた。訳の分からない、現実味のない単語よりも、男が周りに沢山いることの方がはるかに問題だ。

 私の脳は一気に覚醒し、あっという間にふたつの推論を提示した。


 ひとつ、電波系男どもに拉致され、今から犯される。

 ふたつ、変なAV撮影に巻き込まれてしまい、今から犯される。


 ――どちらにしても犯されるというのが結論だった。少なくとも、声を聞く限り五人の男がいる。まずい。脱出しないと。けれど、どうやって。

 私はそっと頭を動かし、ローブ男の左斜め後ろに木製の扉があるのを確認した。それは質素な扉だったけれど、ピンク色で塗られているような間抜けなものではなかった。

 ……一瞬で起き上がり、あそこに向かってダッシュ。扉を開けてできる限り走り、近所の家か交番に逃げ込む。それしかない。

 決意した瞬間、私は立ち上がった。意表を突かれたのか、背後で男たちが「あっ」と声をあげたのが聞こえる。いける。今から猛ダッシュして扉を開いて全力疾走――する前に、立ちくらみで足がもつれ、私は前のめりに転んだ。我ながら無様だった。


「あ、ぱんつ」


 男の一人が、はっきりとそう言った。言われなくとも帰宅途中だった私は制服姿で、つまりはプリーツのスカートを着用しており、このように派手に転んだ挙句、背後に誰かがいれば、ぱんつが丸見えなのは理解できた。ここはあえて軽く言うが、もう死にたかった。


「い、異世界の女は白のぱんつを穿くのか? フリルは見えたか?」

「いや、薄暗くてちゃんと見えなかった。それに、色は淡いピンクかも」

「淡い水色かもしれんぞ。少なくとも紐ぱんではなかった」

「紫や黒でないのは確かだ。モスグリーンでもない」


 自分のぱんつについて、知らない男たちにこれほど熱く語られたのは生まれて初めてだ。ここはあえて軽く言うが、もう死にたい。私のぱんつの実態については、私の心中にとどめておくこととする。

 唯一ぱんつの話に乗っていなかったローブの男が、うんざりしたように咳払いした。途端、男四人(だと思われる)のぱんつ雑談がぴたりと止まる。


「女が目覚めた。早く連れていけ。今ならば、明日のオークションに間に合う」


 オークション? 私はぎょっとした。状況も事情も経緯もさっぱり分からない。

 再び逃げようとする私の肩を、骨張った男の指が掴んだ。悲鳴を上げる私をよそに、両腕は麻縄でぐるぐると固定される。混乱と恐怖が一緒くたになって、私はむせび泣いた。


「すみ、すみません、私なにも悪いことしてないと思うんです、あの、あの、見逃してください、自力で家に帰りますから、誰にも言いませんから、家に帰してください、ごめんなさい私処女なんです許してくださいごめんなさい」


 最後にとてつもなく余計な情報を付加してしまったような気がする。男の一人が私の真正面にやってきた。肩幅だけでも分かるくらいに、ガタイのいい男だ。この男一人でも、十分に私を押し倒せるだろう。私は怖くて、男の顔もろくに見れなかった。


「売り物を傷つける気はないから、安心しな。嬢ちゃん」

「うり……売り物?」

「そう。大事な商品だからね、手荒な真似はしないよ」


 スキンヘッドの男はそう言って、それから少し考えて


「……これだけ教えてくれると、おじさんは嬉しいのだけれども。嬢ちゃんのいた世界では、その、――ぱんつは白とかピンクとか水色が流行ってたのか?」


 もはや、変態という言葉すら忘れそうだった。なにせ、その顔が酷く真剣なのだ。知らないものを知りたい、そういう顔だった。子供が好奇心をむき出しにした時の顔。そこに、下品という単語はない。ただ単にぱんつについて知りたいだけで、その中身はどうでもよさそうだった。

 嬢ちゃんのいた世界、というのを頭で咀嚼する。つまりここは、日本ではない? いや、まさか地球ではない?

 けれどその情報を、私はうまく嚥下えんげできなかった。


「ええと……白もピンクも赤も青も黄も緑も紫も黒もありますけど……」


 律儀に答えてしまった自分を殴りたい。しかしいまの私は、「ぱんつの話をしたら見逃してくれるかも」という思いでいっぱいだった。

 私の答えを聞き、背後に立っていた男たちが「ええ!?」と叫ぶ。もちろん、私の眼前のスキンヘッドも。


「黄色!? え、黄色!? それはどういう黄色!? 濃いのか薄いのかそれともまさか黄色のぱんつにピンクのフリルなどという荒業の」

「おい」


 ローブの男が、パーカーの下から声を出した。


「もういいだろう。早く連れていけ」

「し、失礼いたしました、マグナ様!」


 男たちはマグナ様、と呼ばれた男に向かってぴしりと背筋を伸ばし、深々とお辞儀をした。それから、私の前方後方、更には左右を取り囲むようにして歩き始める。私は力ずくで引っ張られ、よたよたと前に進んだ。

 目の端で、ローブの男をちらりと見る。男もまた、こちらを見ていた。パーカーの下にあるのは、黒でも茶色でもない――金色の瞳だった。


「悪いな」


 ローブの男が低い声で囁く。


「これも、仕事なんだ」


 その言葉の意味は分からない。けれどもその時、奇妙なものを見た。

 ローブ男の頭上に、数字とアルファベットがあったのだ。


『71y 5m 12d 4h 44m 32s』


 私の前を歩く、スキンヘッドの男を見る。身長は軽く百八十センチを超えているだろうその頭の上にも、やっぱり数字があった。


『55y 8m 25d 8h 32m 57s』


 sの隣の数字が、どんどん減っていく。なんだろう、これ。


 男たちは私を連れて、外に出た。森なのか、山なのか。とにかく木々で覆われている場所だった。針葉樹林らしく、とげとげしいシルエットをした木々が密集している。空はどんよりと薄暗く、雨が降りそうだった。

 背後を振り仰ぐ。木造住宅かと思っていたそれは確かに木でできていたけれど、住宅というよりかは掘っ立て小屋と呼んだ方が正しいのではないかと思えるくらいにボロボロだった。

 そして、私の背後に立っていた男の頭上にも、数字とアルファベットが見えた。

 男は私の顔――ではなく頭の上を見ながら、ううむと唸った。


「……四十二、半かあ。ちょっと短いな」

「転移魔法が成功しただけでも奇跡なんだ。高値で売れるさ」


 右の男がそう言って、背後の男は「まあそうだろうけど」と返した。

 四十二、半? 私は眉をひそめた。何の話だろうか。


 質問することもできず、私は男たちに連れられるがまま道を歩いた。舗装されていない土の道なんて、学校のグラウンド以外あまり見かけない。そのまましばらく歩くと、馬車があった。……目隠しされた馬が二頭並んでいて、車輪の付いた屋根付き荷車のようなものに連結されている。それは、どこからどう見ても馬車だった。実際に馬車を見たことがないけれど、映画なんかで登場する馬車と同じ形をしている。

 馬車を見るなり、私は尻もちをつきそうになった。これは多分、本当に、日本ではない。どこ。ここどこ。

 男たちは再び泣き始めた私を、馬車の荷台にあった鉄の檻へと詰め込んだ。檻は狭く、体育座りしてようやく余裕ができる程度の広さしかない。扉は大きな南京錠で固定されて、私は本格的に閉じ込められた。

 膝を抱えて泣きながら、「ここどこですか」を繰り返す。もはやそれしか思い浮かばなかった。お父さんとお母さんと友達に会いたい。


「道中で説明してやるから、まあ泣き止め」


 檻の両脇を挟むように男二人が乗り込みながらそう言って、馬車がゆっくりと動き出す。残された男二人は、掘っ立て小屋に戻っていった。


 どこにでもいる平々凡々な高校一年生。そんな私は六月のある日、日本ではないどこかに突然飛ばされてしまったのだった。


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