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その空に未来を捧ぐ  作者: うわの空
第四章
18/33

隠された事実

 猫耳を宝箱に戻し、鍵をかける。「鍵はお前が持っていろ」とエミリアが言った。……明らかにきょどきょどしてるし、顔が赤い。恐らく、この鍵を持ったまま理性を保つ自信がないのだろう。

 私は鍵を握りしめて、エミリアの方を見た。けれど何故か、エミリアは歩き出さない。彼女はこちらを見たまま、深刻な顔をしている。


「……猫耳はもうつけないよ?」

「分かっている」


 直立不動。彼女は私に向かい合うようにしたまま、一向に歩き出そうとしない。私は眉をひそめた。


「エミリア? どうしたの」

「……ナシロ。お前、あたしの前を歩け」

「え、なんで」

「いいから」


 なんとなく嫌な予感がした。そういえば、リザードマンと戦った場所からここにくるまでの間、エミリアはずっと私の後ろを歩いていた。慎重に、ゆっくりと。絶対に、その背中を見せようとはしなかった。

 エミリアの足元に目をやる。そこでようやく、私はその事実に気付いた。


「――……エミリア、後ろ向いて」

「断る」

「後ろ向いてよ!」


 エミリアは唇をかみしめて俯き、動こうとしない。私は彼女の背後に回った。見るな、という弱々しい声を無視する。

 腰まである彼女の金色の髪は、一部が赤色に染まっていた。その髪をそっと持ち上げる。エミリアの肩が若干震えた。

 右側の肩甲骨の下あたりから、左の腰あたりまで、一直線に服が切れていた。

 晒された白い肌も裂けていて、赤紫色に変色している。開いた傷の中だけは、真っ赤だった。

 出血はまだ続いている。沈黙するエミリアと私の足元にぽたりと赤い雫が落ちて、私はようやく口を開いた。


「……なんで黙ってたの」


 私の口から漏れた言葉は、なんで気付かなかったのだろう、の間違いでもあった。エミリアは小さく答える。


「平気、だから……」

「これのどこが平気なの!? こんなに血が出てるのに!」

「本当に平気なんだ。その……。攻撃を回避するのに失敗して、引っ掻けただけで」

「引っ掻けた!? 切れたの間違いでしょ!?」


 初めて見る傷の深さが不安で、気づけなかった自分が不甲斐なくて、それを紛らわすかのように怒鳴りつけてしまった。エミリアは身体を小さくして、でも、と呟く。


「死なないから、大丈夫だ」

「っ……、死ぬとか死なないとかの問題じゃないでしょ、馬鹿じゃないの!?」


 自分の命を救ってくれた公爵令嬢に、酷い言葉を投げつけた。馬鹿とまで言われたエミリアは黙り込む。彼女が何を考えているのかまでは分からなかった。

 ――死なないから。そう、この世界ではそれは分かっている。彼女はこの傷で、死んだりしない。まだ死なない。余命は、数字は、まだ残っているから。けれど。

 私はエミリアの数字を見る。

 初めて見た時、6m――6か月と記されていたその数字は、6から5に変わっていた。

 私は知らないふりをしていた。エミリアも、何も言わなかった。

 けれど、その数字は確実に減っていく。毎日、毎時間、毎秒。こうして二人で黙っている間も、そのカウントダウンだけは止まらない。


 赤い血痕の上に透明の雫が落ちて、私はそれの発生源を必死で拭った。私が泣いている場合ではない。たとえ死ななくても、放置していいような傷ではないのだから。


「……マグナのところに戻ろ。手当てしなくちゃ」


 私の言葉に、エミリアは小さく頷くだけだった。叱られた子供のように、視線を下に向けたまま。いつものように平然と「お前にそんな偉そうなことを言われたくない」とか、あるいは「傷が痛い」と言ってくれた方がよかったのにと思う。

 彼女は一言も、痛いと言わなかった。ただ、気まずそうに下を向いて呟く。


「……すまない。そんなに怒らせるとは思わなかったんだ」

「怒ってない! 怒鳴ってるけど怒ってないから!」

「怒ってるじゃないか……。すまない」


 その言葉がかえって痛々しくて、私は彼女の右手を握りしめて歩き始めた。背中の傷が痛まないように、ゆっくりと。

 彼女は、痛いと言わなかった。私は、悲しいと言えなかった。

 洞窟から出て、手を繋いだままで森の中を歩く。太陽が少しだけ西に傾いた空は、まだ充分に明るい。けれど、私とエミリアの姿はまるでヘンゼルとグレーテルのようだな、と思った。

 そっと後ろを振り向く。

 二人で歩いた道にはてんてんと、赤色の本音が落ちていた。



 やっとの思いで掘っ立て小屋に戻り、ノックもせずに扉を開く。私とエミリアのこわばった表情に気付いたマグナが、「あらー」と声を出した。


「目当てのものは見つからなかった?」

「……傷薬とかない?」

「ああ、そっちか」


 傷の具合は? と言われ、私はエミリアの方を見る。エミリアは観念したのか、背中の傷を晒した。マグナの表情がわずかに曇る。


「深いな。普通の傷薬じゃ無理だ」

「じゃあ、病院とか……」

「ここから三十分程おりたところに、街がある。そこで売ってる特別な薬なら、三日でどうにかなるだろう。ただ、値段が張るのと」

「……と?」

「――傷痕は残るだろうな」


 言いながら、マグナは茶色の瓶をこちらに投げた。慌ててそれを受け取る。


「その薬を買え。回復魔法のかけられた薬だからよく効くし、縫ったりするより治りも早い。ただし、よく効く分、死ぬほど滲みるから覚悟しとけ。あ、それはやるよ」


 がめついマグナが物をくれたけれど、あいにくそれは空瓶だった。一回分でも残っているのかと思ったのに。

 結局またもやエミリアのお金で、マグナの家にあったガーゼとテープを買った。それで最低限の処置をして、マグナの家から離れることにする。この状態のエミリアを歩かせたくはなかったけれど、この小さな掘っ立て小屋で一晩過ごすのも考えづらかった。ベッドも恐らくマグナの分しかないだろう。それなら街におりて薬を買って、宿を探すべきだ。

 斧が折れたことに関しては「あんたが古い斧を渡したせいだ」と文句を言って、損害賠償を回避した。事実、あの斧は古かったらしく、家には新しい斧が立てかけられていた。

 自分の荷物は自分で持つ、と言い続けるエミリアを無視して、両手でトランクをふたつ抱える。それを見ていたマグナが「そういえば」と面白そうな顔をした。


「結局、宝箱の中身はなんだったんだ?」

「……あんたには教えない」

「随分と嫌われたな。ところで、そっちのお嬢様」


 口数の少ないエミリアに、マグナは笑いかけた。


「気が変わったら、いつでもここに戻ってこいよ。あんたは、『その数字』を変える権利がある」


 エミリアはマグナの方を振り返る。そして、吐き捨てるように言葉を返した。


「ここには二度と来ない」



 近年のキャリーバッグに、コロコロことキャスターがついている理由とその存在価値を、私は実感していた。

 二人分のトランクはなかなかに重かった。右手にひとつ、左手にひとつ持っているけれど、このまま半日生活すれば、腕が伸びる気がする。マグナは確か、三十分と言っていた。あと二十五分程ある。

 けれど、絶対に「重い」と言うつもりはなかった。もしも言うなら、それはエミリアが「痛い」と言った時だ。


「……ナシロ。やっぱり荷物は自分で持つ。お前、息が切れているぞ」

「だい、じょ……ぶふぐぅっ!」

「それのどこが大丈夫なんだ?」


 先程とは逆の会話をしながら、道なりに歩く。鞄を放り投げたい衝動に駆られた。下り坂だから、街まで一直線に滑り落ちてくれないだろうか。……無理か。

 見かねたエミリアがせめて少し休憩しようと言いだして、私はその間に宝箱の鍵を埋めることにした。道から少し離れた草むらに、靴のかかとで穴を掘って鍵を入れる。それから土を被せ、これでもかと踏んづけておいた。土を固める意味と、こんなもののために、という意味を込めて。

 鍵を埋めてから更に十分ほど休んで、再び歩き出す。と、


「きゅ!」


 樹海ちゃんが、私の右手に握られていたトランクの上に乗った。持ち手の部分を小さな両手で握り、きゅうきゅうと鳴く。


「なに? 樹海ちゃん」

「きゅう!」

「……もしかして、トランクを持つって言ってくれてるの?」


 樹海ちゃんはこくりと頷く。私は思わず笑った。


「嬉しいけど無理だよ。だって樹海ちゃん、」


 十センチくらいしかないじゃない、と言おうと思ったら、強引にトランクを奪われた。私からトランクを奪った樹海ちゃんは両手でそれを持ち、二センチほどの羽をちたちたと動かし、


「――なんで飛べるの!?」


 低空飛行とはいえ飛んでいた。しかも、私たちの歩くスピードと同じ速度で前進している。

 私とエミリアの間に、トランクを持った樹海ちゃんが加わった。エミリアも、ふっと頬を緩める。


「心強い仲間だな」

「力強いの間違いなんじゃ……。というか、どうやって飛んでるんだろうこれ」

「翼を動かして飛んでいる」

「いやそれは知ってるんだけどね……」


 そんな会話をしながら、私たちは歩き続けた。

 結局樹海ちゃんは、街に着くまでトランクを持ったまま飛び続けた。疲れる様子も見せず、むしろ飛びながら歌ってすらいる。どうなっているのだろうか。



 街に着くと、私たちは早速宿を探し始めた。最初に見つけた宿は満室だったけれど、次に見つけた宿はツインがあいていたので、そこを取る。案内された部屋にトランクを置いて、エミリアを椅子に座らせた。


「私が薬を買ってくるから。エミリアは待ってて」

「しかし」

「待ってて!」


 わざと語気を荒げると、私がまだ怒っていると思ったらしいエミリアは、大人しく私の意見に従った。樹海ちゃんはしばらくそわそわと首を動かし、けれども私の肩に乗る。エミリアに寄り添うべきかで悩んだのだろう。私も樹海ちゃんを置いていくかどうかで悩んだけれど、ジュカイは連れていけとエミリアが言った。私は頷いて、マグナからもらった空き瓶と、エミリアがくれた紙幣を持って外に出た。


 そこは、魔法使いのための街のようだった。若干、テーマパークのような雰囲気を醸し出している。それは恐らく、すれ違う人たちの大半がローブを着ていたり、ゴスロリファッションをしていたりするからだろう。それと、物干しざお専門店がやたらと多かった。魔導士は、わざわざここで物干しざおを買っているのだろうか。

 宿から三分ほど歩いたところに「くすり」と書かれた看板を掲げている店を発見して、中に入る。いらっしゃいと顔を上げたのは、白いフクロウだった。


「…………」


「イラッシャイ」「コンニチハ」「アリガトウ」を覚えさせられた看板娘ならぬ看板九官鳥が、日本にいたのを思い出す。このフクロウもそのようなものだろうと、私は店主を探した。すると、フクロウが「ほほほ」と鳴いた。というか笑った。


「わたしが店主ですよ。お探し物で? ほっほほほっんぐふっ! ごほごほっ!」


 ……言いたいことは山ほどある。しかし、私もいい加減にこの世界で起こる奇妙な出来事に慣れるべきだろう。異世界なのだ、日本の常識は通用しない。私は茶色の瓶を、店主のフクロウに見せた。


「これと同じ商品、ありますか」

「ああ、はいはい。『ゴキブリパワー・フォー・ユー』ですね。……あ、間違えた。『ゴキブリパワー・フォー・ユー・エキゾチック・アーンド・エクセレントバージョン』ですねそれ」


 ……言いたいことは山ほどあったが、耐えた。

 ゴキブリなんとかという、日本では絶対に売れないだろう商品名の薬を、大量の紙幣で購入する。使用方法を聞いてみたけれど、「傷口にぶっかけてください」としか言われなかった。そしてやっぱり、「驚くほど滲みるので、覚悟してください」と付け足された。


「高い薬を買っていただいたので、よければこちらもどうぞ」


 フクロウはそう言って、クッキーを一箱おまけしてくれた。


「あ、ありがとうございます」

「いえいえ。あのお嬢様、無類の甘いもの好きでしょう」

「え?」

「あなた、噂の転移者でしょう? 『所有者』はエミリア・フロディーテ様。もう、有名な話ですよ」


 フクロウは、ほほほ、と笑った。そうだ、私の余命は赤文字で記されているから、転移者なのはすぐ分かるんだった。フクロウはくりん、と首を傾げる。


「……すみませんねえ。わたし、『相手の記憶を盗み見る』ことに長けているんですよ。お嬢様、背中に随分深い傷を負われていますね。どうぞお大事に。その薬を一日一回、三日間かけ続ければ治りますよ」


 さすがに驚いた。エミリアが背中を負傷していることは、私とマグナと樹海ちゃんくらいしか知らない。マグナが連絡を入れたのだろうか。それとも本当に、この人には私の記憶が見えているのか。

 なんとなく怖くなって店から出ようとする私を、店主のフクロウは引き留めた。


「お嬢さん。余計なおせっかいですが、――あなたにも知る権利はあるでしょう」

「……なにを、ですか?」


 フクロウはしばらく考え、小さなくちばしを開いた。


「エミリア様は、あなたに嘘をついています」



 ――息が苦しかった。徒歩三分程度の道なのに、ただ走っているだけなのに、どうしてこんなに息切れするのだろう。

 手元で、紙袋がガサガサと音を立てた。薬を早くエミリアに届けたいという気持ちもある。けれどそれ以上に、どうして、という気持ちが強かった。


 エミリアは、嘘をついていた。


 少し頭を働かせれば、すぐに気づけたかもしれないのに。自分の馬鹿さ加減に飽きれた。背中の傷といい、これといい、鈍感なのにもほどがあると自分でも思う。

 転がるように宿に入り、とったばかりの部屋に駆け込む。非常口のイラストのような光景だったのだろう。通りがかった従業員が、呆気にとられた顔をしたのが見えた。

 椅子に座っていたエミリアもまた、目を見開いていた。


「なんだ、そんなに慌てて」


 エミリアのそれは、いつもの口調だった。なのに私はまた、声を荒げてしまう。


「どうして嘘をついてたの」

「……なんの話だ」


 私の質問に対する返事に、若干間があいた。思い当たったのだろう。


「旅に出る前、エミリアは言ったよね。エミリアの屋敷から樹海まで、三か月もかからないって。あれ嘘なんでしょ? 本当は……」


 地図の縮尺が分からないから、樹海までの距離がよく分からないなと思った覚えはある。けれど、お菓子の街からマグナの家までの道筋を地図で確認した時、どうしてそれに気づかなかったのだろう。


「本当は。……この街からでも、樹海まで四か月はかかる」


 どうして、その遠さに気づけなかったのだろう。

 

 ――ここに帰ってきてください、必ず。

 ――約束しよう、必ず帰ってくる。


 エミリアは、アルバートにも嘘をついた。もしもいまから樹海に向かったなら、――彼女には、帰宅するだけの時間が残されていない。

 仮に、樹海で『私を元の世界に戻す方法』を見つけられたとして。

 そして、私が元の世界に戻ったとしたなら。


 彼女は残り一か月を、どう過ごすつもりだったのだろう。



 エミリアは微笑んだ。少しだけ、困ったような表情で。


「……なんで黙ってたの」


 私は数時間前とまったく同じセリフを、エミリアへ向けた。


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