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その空に未来を捧ぐ  作者: うわの空
第四章
17/33

秘密の場所

 ――むりむりむりむりむりむりむり!!


 余の辞書には無理という文字しかない。少なくとも、いまは。


 なんとか地面に這いつくばっている体勢からは脱出できたけれど、反撃という単語を神様は私に与えてくれなかった。神様がいるのかは知らないけれど、こういう時は神様に頼るしかない。たすけて神様。

 リザードマンの攻撃は先ほどから一点集中攻撃――すなわち『突き』のみだ。それにある意味救われていた。一点さえ避ければ、致命傷は避けられる。ただし真正面からあの攻撃をくらったら、多分私は死ぬ。

 余命四十二年の運命とか、これ嘘なんじゃないの。いま鏡を見たら、余命三分になっている気さえする。

 前傾姿勢で走っていると頭を狙われ、私は慌ててのけぞった。マトリックスとかイナバウアーとか、もうそんな勢いだ。ただし運動音痴になっているので、実際はそんな華麗かつ可憐な見た目にはなっていない。十六歳の女がただエビぞりになっているだけだ。そしてそのまま転ぶ、と。

 転ぶと同時に、樹海ちゃんが「きゅ!」と鳴いた。せめて樹海ちゃんだけでも逃がした方がいいかもしれない。でもどうやって。

 考えごとをしている暇すら与えないような、鋭い攻撃が飛んでくる。慌てて上半身を起こした。何故か、回避だけは素早くできている。もしかしたらいまの私には、戦闘離脱だけはやたら早い雑魚モンスターみたいな能力があるのかもしれない。だからといって、それが役立つとも思えなかった。私が回避ばかり繰り返しているせいで、壁や床には無数のくぼみができている。


 私は、リザードマンがやってきた道を見た。

 ドームのようになっているここには、通路が二か所ある。ひとつは、私が通ってきたところ。もうひとつは、リザードマンが通ってきたところだ。先程から、リザードマンの通ってきた通路に近づこうとする度に激しい攻撃を受けるので、恐らくあの先に宝箱があるのだろう。それは分かった。

 問題は、どうやってここを突破するかだ。背中を見せたら、高速の金属バット攻撃が飛んでくるだろう。というか、本当に何でこのリザードマンは金属バットの使い方を間違えているんですか。振るのです、金属バットは振るのです。無論、そんなの教えてあげるつもりはないけれども。

 ――エミリアは無事だろうか。このリザードマンは二人がかりでもまず間違いなく倒せないと思うけど、オーガだって一人で倒すのは難しいはずだ。エミリアはどうするつもりなのだろう。

 などと考えていたら、眼前にリザードマンの顔があった。


「ひいっ!」


 しびれを切らしたらしいリザードマンの噛みつき攻撃をかわす。というか、メトロノームのごとく身体を右に傾けた。しかし私はメトロノームではないため、そのまま左に起き上がれる器用さはなく、ばたりと倒れる。リザードマンの、鋭利な歯がよく見えた。


 むりむりむりむり、あんなのに噛みつかれたら本当に腕が飛ぶ!


 噛みつき攻撃を見た私の頭はもう、逃げることしか考えていなかった。お宝などと言っている場合ではない。すたこらさっさと逃げねばならない。逃げるのくらい、見逃してくれないだろうか。無理だろうか。無理な気がする。だって怒っていらっしゃる。また咆哮していらっしゃる。これ無理。多分無理。

 余の辞書にはいまだに、無理という文字しかない。

 そうこう言ってるうちに二回目の噛みつき攻撃が来る。腰の骨が折れそうな勢いで身体を捻り、それを避けた。

 と、その時だった。


「きゅう!」


 樹海ちゃんがぱっと、私の肩から飛んだ。リザードマンが、――いや、リザードマンの顔がこちらに近づくのを見計らっていたかのように。ちたちたとした飛び方で、けれども瞬時に首輪の部分に到達した樹海ちゃんは、そこについていた鍵を奪い取った。厳密に言うと、鍵の付いていた鎖を引きちぎった。

 え、樹海ちゃん、結構パワフルなの?

 樹海ちゃんは両手で鍵を握りしめて、リザードマンから離れようとする。けれど、ちたちたとした飛び方は変わらない。つまり、分速百メートルくらいの樹海ちゃんは、リザードマンから逃げられなかった。リザードマンと比較すれば、樹海ちゃんはカナブンくらいの大きさだ。噛みつかれたら腕がちぎれるどころか、全身が潰れるだろう。


 リザードマンが、樹海ちゃんめがけて大きく口を開くのが見える。


「ナシロ!」


 背後から、エミリアの声がした。


「樹海ちゃ……」


 樹海ちゃんは、鍵を握りしめたままリザードマンの大きな口を見ている。


 逃げて、という言葉すら出なかった。

 リザードマンの鋭利な歯が、徐々に樹海ちゃんに近づくのが見える。

 そんな、濃縮された時間の隙間で、


「きゅうーっ!!」


 樹海ちゃんが、炎を吹いた。


 それは、エミリアのパンを焼いた時のような『火』ではなかった。炎だった。それも、三メートルはあるだろうリザードマンはおろか、ドームのような場所すらも一瞬で包んでしまうくらいのオレンジ。樹海ちゃんの身体の大きさからは想像もできないような、とてつもなく大きな炎だった。

 熱気による上昇気流が巻き起こり、私の髪は上を向いた。肌を焼いてしまいそうな熱気が、ちりちりと音を立てる。

 リザードマンは火柱を上げ、唸りながら地面に突っ伏した。しばらくのたうち回っていたけれど、その身体もやがて動かなくなる。水色だった皮膚は黒く染まり、ところどころ皮膚が裂けて肉が露出していた。リザードマンが持っていた金属バットも、ものの見事に変形してしまっている。


 私は唖然としたまま、ちたちたと飛んでくる樹海ちゃんを眺めた。樹海ちゃんはふらふらとこちらに飛んできて、両腕に抱えていた鍵を私に差し出す。そのまま目を細めて、「きゅう」と鳴いた。「どうぞ」なのか、「どうだ」なのかは分かりかねた。

 放心した状態で、樹海ちゃんの頭を撫でる。樹海ちゃんはしっぽをパタパタと振りながら、私の手のひらに鍵を落とし、肩の上にちょこんと座った。


「――ナシロ、無事か」


 エミリアの声に、私はようやく我に返った。それでも、訳は分かっていなかった。エミリアは私の横に座り、私の身体を確認する。


「怪我は?」

「わき腹がちょっと痛い程度で、私は大丈夫なんだけど……」


 炭のようになったリザードマンを指さす。


「いまの樹海ちゃんの、……見てた?」

「ああ」

「手乗り火吹きドラゴン、というのは、あんなにすごい火を吹くの?」


 質問する声が震えた。エミリアは首を振る。


「あれほどまでの火を吹くドラゴンは、初めて見た。もしかすれば、気分が高まると火力が上がるのかもしれない」

「そう……」


 物干しざおで空を飛ぶ魔導士よりも、樹海ちゃんの方がよほどすごいのではなかろうか。私は半分本気でそんなことを考えながら立ち上がった。エミリアが「膝」とだけ言って、ハンカチを差し出してくれる。よく考えれば、オーガの攻撃を避けて転んだ時に擦りむいたんだった。


「……このハンカチも高級なんじゃないの」


 カムパネルラさんのことを思い出しながら言うと、エミリアは首を振った。

 転んだ拍子にできてしまったジーンズの穴から除く膝頭。そこに滲んでいる血は、ほとんど乾いている。私の脚を見ていたエミリアが、安堵の溜息をついた。


「あたしはいま、心の底から、お前にジーンズを穿かせて正解だったと思っている」

「どうして? ……あ。転んだ時、脚に受けるダメージがスカートよりも軽減されるから?」

「いや」


 エミリアは酷く真剣な顔で言う。


「もしもお前がスカートを穿いていたとしてだな。転んだり、先ほどのような上昇気流に巻き込まれた時――お前のあのエロいぱんつが丸見えだったと考えると、もう……」


 どんだけ私のぱんつに耐性ないんですか。


 オーガは鍵を持っていなかったと言うエミリアにリザードマンの説明をして、樹海ちゃんがくれた鍵を見せた。なるほどと頷く彼女に、私はそういえばと訊ねる。


「オーガは倒してきたんだよね? どうやったの」


 エミリアは「ああ」と頷いた。


「あのオーガは、オスだった」

「ああ、そうだね」

「うむ」


 ……会話が終了した。意味が分からない。今のが答えだったのだろうか。


「ええと……。ごめん、それで?」

「え? だから、あるだろう」

「なにが」

「男の急所が」


 青ざめる私に、お嬢様は微笑んだ。


「そこを鉈で攻撃したら倒れた。切り取っておくべきか悩んだのだが……」


 何この人めっちゃ怖いんですけど。



 リザードマンが出てきた通路を説明し、歩きはじめる。エミリアは後ろからついてきた。

 その通路は高さこそあるものの、息苦しさを感じる程度に狭かった。恐らく、リザードマン一匹通るのでぎりぎりの広さだろう。鍾乳石の光を頼りに一分ほど歩くと、またもや開けた場所に出た。


 そこには、少しだけ亀裂の入った天井と、そこから漏れる光に照らされた青い湖があった。


 ――湖、なのだろうか。水たまりなのかもしれない。洞窟の構造に詳しくない私は、そんなことよりもその青色に目を奪われた。青空とはまったく違う、深く澄んだ青。いつかテレビで見た、ブルーレイクという場所にそっくりだった。

 けがれを知らないような水は、綺麗を通り越して畏怖の念すら抱かせた。


「……この世界に、こんな場所があったんだな」


 感嘆したエミリアの声。後ろを見ると、エミリアもその景色に見とれていた。――当然だろう。むしろこれを見て、「ふーん」で終わる人間の方が少ないように思う。

 しばらく無言で景色を眺めていたけれど、やがて思い出したようにエミリアが指をさした。


「宝箱、というのはあれか?」


 見ると、湖の奥に小さな箱が見えた。多分、と言いながらそれに近づく。横長で、蓋の部分が盛り上がった形をしている箱。まさに『ぼく、宝箱!』と主張しているような造形だった。箱に触れてみるとひんやりと冷たく、木製ではないことが分かる。恐らく、鉄か何かだろう。


「……開けてみる?」

「ここまで来て、開けずに帰るほうがおかしいだろう」


 それもそうだ。私は樹海ちゃんから受け取った鍵を、南京錠に差し込んだ。ゆっくり捻ると、かちゃん、と小さな音を立てて鍵が外れる。私は再度、エミリアの方を振り返った。


「ねえ、開けるよ?」

「いいから早くしろ」


 何故か、確認しないと不安だった。

 もしもこれで本当に、私が帰る方法の書かれた書物か何かが入っていたら?

 そうしたら、私は帰るのだろうか。元の世界に。

 ――エミリアに、何も返さないまま。


 ゆっくりと蓋を開ける。これほどまでに緊張したのは久しぶりだった。願望なのか、葛藤なのか。自分でも自分の気持ちを掴めなかった。

 そうして、宝箱の中から出てきたものを見て、


「…………」


 言葉を失った。エミリアもまた、黙りこんでいた。


 中に入っていたのは、猫耳だった。きちんと言うなら、猫耳カチューシャだった。黒猫の。

 日本ならいくらでも手に入るパーティーグッズは、この世界に存在していなかったらしい。エミリアは「なんだこれは」と言葉を漏らした。私も内心で「なにこれ」と思った。これを宝箱に入れる理由が分からない。

 けれど、この世界の住民であるエミリアには理解できたようだった。


「こんな……こんなものが世間にあると知れたら、大混乱になるぞ……」


 わなわなと唇を震わせるエミリア。それを不思議に思いながらも、私は宝箱の奥にあった手紙を発見した。四つ折りにされたそれを、開いて読む。




 この宝箱を開いてしまったあなたへ


 これが読まれたということは、私はもうこの世にいないはずだ。そして恐らく、鍵を守るよう言いつけた私の相棒、チビも倒されてしまったのだろう。

 魔導士の端くれである私はこれを、とある森の奥で見つけた。見つけた時は、たいそう驚いた。なにせ、これをつければ、私は『有力な魔導士』のふりをすることができるのだ。

 ――そう、猫耳は有力な魔導士のあかしだ。この世で猫耳の付いている魔導士なんて、両手で足りるほどの数しかいない。それのふりができてしまうこの装置を、チートと呼ばずに何と呼ぼうか。

 私は悩んだ。森の奥に置いていこうかとも考えた。けれども、持って帰ってきてしまった。この装置自体に、なにか魔力があったのかもしれない。

 自分の部屋で猫耳をつけて、チビに見せてみた。チビはびっくりしていた。私もびっくりした。

 これをつけると、ちょっとした優越感に浸ることができる。しかし、それと同時に恐ろしかった。

 これを使えば私は、有力な魔導士のふりをして、様々な人間から金をむしり取ることができるだろう。詐欺にすら使えてしまうこの装置は、とてつもなく危険だ。有力な魔導士のふりをするなんて、法に反している。露見すれば、とんでもない罰が待ち受けているに違いない。


 しかし私はこれを捨てることができなかった。どうしても、どうしても、できなかった。


 だから私はこの装置を、洞窟に隠すことにした。私以外には懐かないチビに鍵を任せることで、この装置が人目に触れるのを避けることにしたのだ。しかし、たまにここに来て、チビから鍵を借り、一人でこの装置を頭につけた。許してほしい。たまにやりたくなるのだ。優秀な人間のふりをしたくなるのだ。私の愚かさを、どうか笑い、そして許してほしい。


 これを読んでいるあなたは、この装置をどうするだろうか。

 どうか、悪用することだけは避けてほしい。私のように、一人でひっそりと楽しむ程度にとどめてくれ。

 ああどうか、どうかこの装置が、心優しき人間のもとに渡りますよう。


 追伸。私の髪は茶色なので、できれば茶色の猫耳がほしかった。




「…………」


 異世界の価値観が真面目に分からない。猫耳は、それ程までにすさまじいパワーを持っているのか。いや、猫耳を持つ魔導士がすごいのか。そして、それの真似をして猫耳カチューシャをつけるのは、法に違反するくらいにまずいことなのか。

 この手紙を書いたのは、男性だろうか女性だろうか。一人で猫耳をつけている人間を想像すると、なんというか、……切なかった。

 あのリザードマンの名前がチビだった件については、とりあえず無視する。


「……エミリア。これどうしよう」


 珍しくぱんつ以外のことで動揺しているエミリアに、私は訊ねた。日本では普通に販売されていた猫耳カチューシャの価値は、私には分かりかねる。

 エミリアは「そうだな、そうだな」と何度も頭を振り、やがて決心したようにこちらを見た。ブルーレイクよりも淡く、けれども澄んだ青空で。


「ナシロ。お前、綺麗な黒髪だな」


 …………うん?

 エミリアはもじもじと両手をこすり合わせながら続けた。


「ちょっと一度、その……猫耳をつけてみろ」

「なんで!?」


 私の声が、洞窟に響き渡った。エミリアは恥ずかしそうに、右に左に視線を泳がせている。


「いやあの……お前なら似合いそうだと……思ってだな……」

「嬉しいけど嬉しくない、その微妙な褒め言葉はなに!? エミリアがつければ!?」

「そんな恐れ多いこと、できるはずなかろう! 大体、あたしの髪は金色なんだぞ! その猫耳は黒色で、どう見たってお前用だ!」


 いいか、とエミリアは私を諭すような声を出した。


「一度だけだ。一度だけ装着して、再度これは封印しよう。鍵は、そうだな……森の中に埋めてしまえ。それくらい、これは危険なのだ。ナシロには分からないかもしれないが、このような代物がこの世界にあると分かったら……!」

「いやいや、なんでそんな危険なものを私がつけなきゃいけないの!?」

「お前なら似合う、あたしが保証する! 一度だけ、一度だけ!」


 一度だけコールは止まらず、結局私は根負けした。危険を冒してここまで来てもらった恩義もある。

「じゃあ一度だけ、本当に一度だけだからね」と念を押して、私は猫耳カチューシャをつけた。生まれて初めて。女子会でサンタの帽子を被ったことはあるけれど、猫耳はない。ので、自分がどういう状態になっているのかはよく分からなかった。

 エミリアは真面目に、大真面目に、穴があきそうなくらいに私のことを見つめた。ここまでまじまじと、誰かに見られたことはあっただろうか。多分ない。記憶にある限りでは、なかった。

 私の頭を見て、全身を見て、再度頭を見たエミリアは


「……よくお似合いですよ」


 何故かショップ店員口調で、そんな感想を漏らした。しかもなんか、半分笑ってるじゃないですか。頬まで赤らめて。デレてる、エミリアがデレてる。

 猫耳の魔力、こわい。

 私はさっさと猫耳をはずし、エミリアの落胆の声を聞きながらそう思った。


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