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その空に未来を捧ぐ  作者: うわの空
第四章
16/33

モンスター

 洞窟を探検するのに必要なのは、ライトだと思っていた。けれどマグナは、「そんなものは必要ない」と断言した。行けば分かる、と。

 実際、中に入ってみてようやく分かった。洞窟の天井にあるつららのようなもの――鍾乳石が光っているのだ。光は照明器具よりかは頼りなく、けれども中を照らすのには適度な明るさだった。


「……鍾乳石自体が光っている訳ではないな」


 エミリアが観察しながら呟いて、私もまじまじと天井を見る。鍾乳石にはびっしりとコケのようなものが生えていて、それが光を放っていた。ヒカリゴケ、みたいなものだろうか。実際に見たことはないし、その原理も知らないけれど。


 武器を握りしめたまま、二人で洞窟を歩く。洞窟内部は、思ったよりも広かった。実を言うと私は、中学三年の修学旅行で、青木ヶ原樹海にある洞窟に入ったことがある。そこはあまりにも狭く、立って歩けるような高さもなく、挙句の果てには岩と岩の隙間に無理やり身体をねじ込ませるような場所まであった。閉所恐怖症だったらまず入れないと思う。

 それに比べれば、ここの洞窟は随分と高さも広さもあった。普通に立って歩けるし、私とエミリアが並んで歩いてもまだ余裕がある。洞窟と言うよりかは、トンネルを歩いている気分だった。

 分岐点も特に見当たらず、私たちは順調に歩を進めた。洞窟の中は七月にも関わらずひんやりとしていて、湿気が強い。地面は少し濡れていた。

 よくよく考えてみれば、この洞窟がどの程度の広さなのかマグナに聞いていない。寝袋を持っていくことをすすめられなかったところからして、一日以上かかるような広さではないのだろう。

 宝箱はやはり、洞窟の一番奥だろうか。私が奥を覗こうとしたとき、エミリアが右手でそれを制止した。


「――……何かいる」


 そっとひそめたエミリアの声ですら、ここではやたらと大きく聞こえる。私は一歩後ずさった。

 ひゅうー……、ひゅうー……。

 先ほどまで、隙間風か何かの音だろうと思っていたそれが、呼吸音だと気付く。あれだけ大きく聞こえていたのに、なんで気付かなかったのだろう。武器を持つ手が、大量の汗をかいた。

 やがて、呼吸音のする前方から物音が聞こえてきた。金属と岩がこすれるような音。何か、引きずっているのだろうか。


「……聞き忘れていたが」


 いつもよりも少し硬い声で、エミリアが言う。


「ナシロ。お前、運動は得意か」

「十段階の成績表で、十をもらえる程度に得意」


 他の成績は言えないけれども。私の言葉にエミリアは微笑む。


「なら、いざという時は逃げられるか」

「うん」


 ――と、思っていたのだが。

 目の前に現れた二メートルほどの男を見て、私は立ちすくんでしまった。


 そいつは確かに人間の形をしていて、なのになぜか肌は緑色だった。ガタイがいい、というかよすぎる。ボディービルダーも真っ青になりそうな全身の筋肉に、嫌でも目が行く。どこからどう見ても強いですよね分かります。

 ぼろきれのような布で下半身を隠している男の目は、真っ赤に充血していた。息遣いは荒く、男が息を吸っても吐いても、ひゅーひゅーと隙間風のような音が出ていた。

 男が一歩、こちらに近づく。男の足元で、がりり、と金属の音がした。

 そこでようやく、その男がスパイクの付いた巨大な棍棒を持っていることに、そしてそれを引きずっていることに気づく。気づいた時にはもう、棍棒は振り上げられていた。


「――っ!」


 左にいたエミリアが、私を思いっきり右に突き飛ばす。瞬間、私とエミリアの間に棍棒が振り下ろされた。金属と岩がぶつかる、硬質の音がびりびりと洞窟内部にこだまする。

 受け身を取れなかった私は、思い切り尻餅をついた。肩に乗っていた樹海ちゃんが、必死で私の髪にしがみついているのが分かる。

 ――エミリアが突き飛ばしてくれていなかったら、間違いなくあの攻撃は当たっていた。


「大丈夫か!」


 平気、と返そうとしたけれど、その時にはもう次の攻撃が始まっていた。エミリアに向かってフルスイングされた棍棒を、彼女は冷静にしゃがんで避ける。お嬢様なのに、やたらと運動できてませんか。どういうことですか。

 私は立ち上がりながら、エミリアに叫んだ。


「こ、この人がマグナの言ってた『宝箱を守る番犬』!?」

「人ではない、オーガだ。人型だが、実際は人を食う怪物。図鑑で見たとおりだな」


 ……今なんか、すごく怖い情報を聞いた気がする。食べるって言わなかっただろうか。人を食べるって言わなかっただろうか。え、じゃあなに、こいつにとって私たちは食べものに見えてるの?


「ナシロ!」


 エミリアの声で、我に返る。オーガの棍棒が、こちらに振り下ろされているのが見えた。


「うえああああっ!」


 我ながら気持ちの悪い叫び声を上げて、私は左に跳躍してそれを避けた。ギリギリ避けられたけれど、またしても着地に失敗する。無様かつ派手に転んだ私のジーンズは、膝の部分に素敵な穴が開いた。

 先程まで私がいた場所から、ごがん、と岩の砕けるような音がする。あの棍棒は何でできているのだろう。真面目に考えて、当たったら死ぬんじゃないだろうか。私の余命は、あと四十二年ある。つまりは四十二年先まで絶対に死なない運命らしいけれど、あの攻撃を食らって生きている方がある意味怖い。

 オーガが完全に棍棒を振り下ろしたタイミングを見計らっていたらしく、エミリアが背後から鉈で攻撃した。太ももに向かって振られた鉈は、けれどもあまりその肉を裂くことはなかった。おそらく、隆々たる筋肉のおかげで全身が硬くなっているのだろう。エミリアの渾身の攻撃は、相手の太ももに数センチの傷をつけるだけだった。それを確認して、エミリアは即座にオーガと距離を置く。それから、地面にはいつくばっている私に叫んだ。


「運動は得意だったはずだろう!?」

「いやそれがっ……」


 自分でも訳が分かっていなかった。最初は、恐怖で足がすくんだだけだと思っていた。けれど違う。確かに怖いけれど、足がすくんでいるわけではない。なのに、身体が妙に重いのだ。まるで水中にいる時のように、うまく身動きが取れない。

 私の知っているファンタジーな物語だと、異世界に行った人間は何故か『最強』になっていた。色んな意味で。身体能力がすごいとか、最初から呪文が使えるとか。なのにおかしい。呪文なんて使えないし、身体能力に至ってはむしろ下がっている気さえする。体育だけが唯一の救いだった私の成績表は、現在まったくもって役に立っていなかった。

 ……考えたくはない。考えたくはないが、ひとつの仮説が私の頭をよぎった。オーガと対峙しているエミリアに、思わず訊ねる。


「転移者の身体能力は全体的に低下する、とかないよね!?」

「何を馬鹿なことを言っ………………あっ」


 思い当たったらしい。


「なにそれ治らないの!?」

「知らん!」


 オーガからの攻撃を転がりながら避けたエミリアは、転がりながらも攻撃した。弁慶の泣き所とすら言われる前脛部に、鉈を食いこませる。エミリアの筋力のみならず転がる力までもを利用した一撃は、さすがに効いたらしい。オーガは苦しそうな叫び声をあげた。それを見て、エミリアは私に半ば命令する形で言う。


「ナシロ! お前、先に行け!」

「えっ」

「このオーガが、『番犬』で間違いないだろう。ペットとして飼われた事例は聞いたことがないがな。大体のオーガは臆病な性格だが、こいつは少し気性が荒いようだ。このままだとお前も危ない。あたしがこいつを倒して鍵を持っていくから、お前はそれまでに宝箱を探せ!」

「でもっ……」


 渋る私の方に、オーガが顔を向ける。エミリアが舌打ちして、オーガの背中――というよりも背骨めがけて縦に鉈を振った。弁慶の泣き所といい背骨といい、人体の中でも骨の形が分かりやすい、すなわち痛そうな場所ばかりを的確に攻撃している。オーガがまたしても、地鳴りのような悲鳴を上げた。


「訂正する!」


 背骨から鉈を引き抜くのに手こずりながら、エミリアは苦い顔をした。


「お前を『かばう』だけの余裕がない! だから先に行け! これは命令だ!」


 エミリアの言葉が本心なのかどうかは、分からなかった。けれど、私が足手まといになることは確実だ。ただでさえこんな怪物を倒せる気がしないのに、身体能力が下がっているとなれば尚更だった。


「……っ」


 オーガがまたこちらを向く気配を感じ、私は全力で洞窟の奥へと走り出した。エミリアに「気を付けて」と伝えることすら忘れて。樹海ちゃんは私のセミロングの髪になんとかしがみついているようで、髪の一部だけが重かった。

 背後から岩が砕ける音がして、思わず振り返る。オーガの棍棒が、壁にめり込んでいた。エミリアには当たらなかったようで、彼女は鉈で攻撃を続けている。

 オーガと比較してしまうと、鉈は情けないほど小さい。あれで、あの大男を倒せるのだろうか。けれど、私の持っている斧が役に立つとも思えなかった。


 凹凸がある上に濡れている地面は走りにくい。そのうえ身体能力が低下している。私はあっという間に息切れして、足を止めた。

 ――早く、宝箱を探さないと。

 もたつく足で、懸命に前に進む。あのオーガが番犬なら、宝箱は近くにあるはずだ。どこだ、どこにある。

 鍾乳石の光を頼りに、私はそれを探した。洞窟の終わりはまだ先らしく、光る天井が延々と続いている。もっと奥だろうか。

 更に歩くと、少し開けた場所に出た。天井が随分と高く、ドームのような形状をしている。鍾乳石は入り口にあったものに比べ、力強い光を発していた。それは少し幻想的な場所で、けれど宝箱は見当たらない。


「きゅう……」


 樹海ちゃんの鳴き声がして、髪が引っ張られた。


「きゅう、きゅきゅ、きゅう」


 樹海ちゃんが、せわしなく鳴き始める。まるで、危ないとでも言いたげに。


「樹海ちゃん? どうし、」


 ――ががっ。

 先ほど聞いたのと同じ、岩と金属のこすれる音が聞こえた。黒板を引っ掻く音よりもはるかに、血の気が引く音。私は愕然と、前方を見た。


 道の向こうから、金属の塊を引きずった何かが出てきた。


 それは、先程のオーガのような人型ではなかった。いや、ある意味人型だった。トカゲのようなのに、難なく二足歩行をしている。よたよたと歩く樹海ちゃんとはまったく異なる、どこまでも自然な歩き方だった。翼がないところからして、ドラゴンではない。

 水色のうろこで覆われた肌は、ワニの皮を彷彿させた。その肌はいかにも硬そうで、筋肉で身体を強化しているオーガとは格が違う。刃物なんて通じない、そう語りかけてくるようなうろこだった。

 何より、その獰猛どうもうな目。猛禽類もうきんるいのような。肉食獣のような。狙いを定めた、瞳孔。


「あ……」


 三メートルはありそうな巨大な体躯。その首に、赤い輪がつけられているのを見つける。輪にくっついている、鎖と鍵。マグナの声が、耳の奥に甦った。


 ――人間は、宝箱に『それ』を入れて、自分の『ペットの首輪』にその宝箱の鍵を取り付けた。


 オーガには、首輪なんて、ついていなかった。


「……あ」


 エミリアも言っていたじゃないか。オーガは臆病な性格だって。そんなのを、番犬にするだろうか。そんなはずない。

 きっとあれは、この洞窟に住み着いているだけの怪物だったんだ。宝箱とは、なんの関係もない。


 ゲームは滅多としない私だけれど、過去に一度だけハマったものがあった。

 そのゲームはRPGで、仲間と共にレベルアップしながらダンジョンをクリアしていくものだった。宝箱もあった。伝説のなんちゃら、という道具もあった。いや、そこじゃない。

 そのゲームは必ずと言っていいほど、ダンジョンにはボスが二人いた。

 ダンジョンの途中で現れて、倒してもダンジョン攻略とみなされない中ボス。

 ダンジョンの最後に現れて、それを倒すことによってイベントを回収できるラスボス。


 エミリアが闘っているあのオーガは、中ボスだった。


「うそ……」


 斧を持つ手が震えた。勝てっこない。中ボスにすらあの調子だったのに、私一人でラスボスに立ち向かえるはずがない。

 私を睨みながらぐるぐると唸っていたそれは、やがて咆哮した。びりびりと鼓膜が震え、天井からぱらぱらとコケが降ってくる。大きな口に、びっしりと歯が生えているのが見えた。それも、人間で言う犬歯のような尖ったものばかりだ。あれで腕を噛まれたら千切れ飛ぶだろうと、安易に予想できる。変なところで、頭は冷静に機能していた。

 私は持てる知識をフル動員させて、その怪物の名称を思い出した。少なくとも、私のプレイしたゲームでは、こんな名前が付けられていた。


 ――リザードマン。


 思い出した時には、リザードマンの攻撃が始まっていた。右手に持っていた金属の塊による突きは、私の左頬にものすごい風圧を与えながらも外れ、岩壁にくぼみを作った。

 そこで私はようやく、リザードマンの持っている武器が巨大な金属バットであることに気付いた。

 なんで、金属バットで突いてくる!? というツッコミをする余裕なんてあるはずもなく、私は全力で走り始めた。まともにやって、勝てるはずがない。どうにか、くなりなんなりしなければ。

 けれど、リザードマンはそれを許さない。二度目の攻撃は私の腹部めがけて飛んできた。


「うわっ!」


 脇腹に若干当たった。それだけなのに、全力で殴られたような衝撃を受け、私は地面に倒れた。肘に血がにじむ。夏だからと半袖で洞窟探検に来た自分を殴りたかった。エミリアも半袖だったけど。

 突くという攻撃方法しか知らないらしいリザードマンは、ハンコを押すような軽いアクションで、私めがけて金属バットを下ろしてきた。歯を食いしばり、右足で思いきり地面を蹴って、自分の身体を転がし攻撃をかわす。


「こんのっ……!」


 転がった体勢のまま渾身の力を込めて、持っていた斧をリザードマンの足めがけて振る。狙ったのはアキレス腱だった。切れたら相当痛いだろうし、相手の動きも鈍くなるはずだ。

 ところが、リザードマンの屈強な身体は、アキレス腱だってもちろん丈夫にできていた。斧ははじかれ、それどころか刃と柄の部分が分離した。


「…………あ」


 斧の刃がどこかに落ちる音。自分の手に残るは、ただの木の棒。睨みつけてくるリザードマンの眼光。這いつくばった体勢の私。


 これ、詰んだよね。


 心のどこかで、冷静沈着な私がそんな言葉を呟いた。


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