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その空に未来を捧ぐ  作者: うわの空
第三章
13/33

友達

「ナシロ。お前、何か難しいことを考えていないか」


 宿屋の食堂。朝食のマフィンを食べていたエミリアが、頬杖を突きながら言った。スコーンに生クリームをつけていた私は「なんのこと」と訊き返す。

 エミリアは、自分の頭上を――そこにある数字を指さした。


「これのことだ」


 思わず、スコーンを紅茶の中に落とした。エミリアは、どんくさい奴だなと笑う。樹海ちゃんは不思議そうに首を傾げながら、昨日と同じくジャムつきのクッキーを食べていた。

 エミリアはしばらく笑ってから、ふう、と溜息をついた。


「昨夜眠る直前に、お前の声が聞こえたものでな。答えようかと思ったが、あまりにも眠くて、そのまま眠ってしまった」

「…………」

「それでいいのか、と言っていたな。それは、『このまま死んでいいのか』ということか?」


 無言で頷くと、エミリアは「なるほどな」と肩をすくめた。ベリージャムを紅茶に落としてかき混ぜ、一口飲んでから私を見る。


「ナシロ。あたしは、『幸せを強制される』のが嫌いだ」


 言葉の意味が分からなくて、私は「どういうこと」と訊いた。先程も似たような反応をした気がする。けれどエミリアは、怒ったり呆れたりしなかった。


「葬儀なんかに参列するとな、たまにこういう言葉を聞く。『あの人の分まで幸せになる』。短命の人間に対してよく使われているイメージがあるな。――ところでナシロ。お前は牛肉を食べる時、『この牛の分まで自分は幸せにならなければ』と思うか?」


 考えたこともなかった。私が首を振ると、では、とエミリアは続けた。


「もしもお前があたしの立場だとして、転移者からその余命を奪ったとしたらどうだ」


 薄く微笑んだエミリアは、私を試すように小首を傾げた。私はふやけたスコーンの浮かぶ紅茶を見る。


「それは……」

「転移者の分も『幸せにならなければ』と思わないか。きちんと生きなければならないと、考えないか。……今、あたしとナシロはこうして向かい合って喋っている。ナシロは確かに生きているし、話しているし、笑うし、余命があと四十二年以上あるのも分かっている。なのに、その四十二年を奪ってしまったら、あたしは一生お前の影を背負って生きることになるだろう。その四十二年を、お前ならどう過ごしただろうかと考え続けるだろう。――あたしは、そういうことを考えたくないし、幸せになることを強制されたくはない」


 それに、とエミリアは首をまっすぐにした。


「あたしは自分の寿命が短いのを知っていたから、これまでずっと全力疾走してきたつもりだ。死ぬ直前、自分は頑張ったと思えるようにな。……それが今更、何十年も死期を延ばされたら息切れしてしまう」


 冗談のようにそう言って、エミリアはすっかり冷めた紅茶を飲み干した。私は紅茶の中でどんどん溶けていくスコーンと、表面に浮かぶ生クリームを見ながら、反論の言葉を探していた。

 けれど、思いつかなかった。そもそも私の立場で、反論するのも妙なのだ。それでは、自分から殺してくださいと言っているようなものだ。

 エミリアは「まだ難しいことを考えているな」と、私の顔を見ながら笑った。


「お前は、自分の世界に戻ることだけを考えていればいいんだ」


 そこまで言って、そういえばとエミリアは身を乗り出した。


「ニッポンのことを詳しく聞いていなかった。どんなところなんだ?」


 興味半分、話題を変えたかったのが半分だろう。私は少し困って、無難な答えを返した。


「どうって……普通だよ。平和な国」

「菓子はあるのか?」


 そこ、こだわりますね。


「ここみたいにお菓子ばっかりの街はないけど、どこにでもお菓子は売ってるかな。あ、チョコレートフォンデュとかもあるよ」

「フォンデュ? なんだそれは」

「チョコレートの噴水」

「チョコの噴水!?」


 エミリアは目を見開き、更に三十センチこちらに身を乗り出した。テーブルが傾くのではないかと不安になる。

 ……もしかすれば、エミリアの庭にあったような、ものすごく大きな噴水ものを想像されているかもしれない。まあいいや。

 エミリアは好奇心に満ちた顔で、私を見た。


「それを、そのまま飲むのか?」

「ううん、果物とかにつけて食べるの」

「そのまま飲めばいいと思うのだが……」


 さすがに濃すぎるだろう。

 チョコレートフォンデュがこちらにはないことを知って、私は思いついた。


「こっちの世界って、ケーキバイキングとかはないの?」

「ケーキ……バイキング?」


 あ、これもなさそうだ。


「一定料金を払ったら、時間制限付きだけどケーキが食べ放題になるシステムのこと」

「食べ放題!?」


 テーブルがついにガタッと音を立てて、四本中、二本の脚を浮かせた。

 テーブルの上に座っていた樹海ちゃんが、するするとエミリアの方にスライドしていく。頭を左右に振り「きゅうきゅう」と鳴いている樹海ちゃんを、私は慌てて手のひらに乗せた。エミリアはテーブルの傾きを戻す。幸い、お皿やカップが床に落ちることはなかった。

 エミリアは三回深呼吸をしてから、私の方を向いた。その顔は深刻で、しかし目の奥に野望というか夢というか、そういうものが溢れていた。


「お前……素晴らしい国にいたのだな……」

「そうだね、本当に平和だったと思う」

「他に、日本で何か自慢できる点は?」

「自慢というか、この世界と違うことはいっぱいあるかな。たとえば移動手段も馬車じゃなくて、車とか電車とか船とか飛行機とかあったし」


 エミリアは眉根を寄せた。


「……船、は分かる。しかし、あとのはなんだ」

「鉄の塊が高速で走ったり、空を飛んだりするの」


 エミリアは眉根を寄せたまま、口を半開きにした。美人が台無しだ。


「お前、気が触れたか。鉄の塊が高速で走るなんて……」

「それが走るんだよ」

「ゴキブリより速くか」

「……ゴキブリの時速は知らないけど、新幹線なら確実に速いと思う」

「シンカンセン……。鉄に足が生えているのか?」

「生えてない。車輪が、高速で動くの」

「馬も使わずに、勝手に車輪が動くのか」

「勝手に……。まあ、勝手にというか……」


 よほど不思議だったのだろう。エミリアは小難しい顔をして、何やらぶつぶつと呟いている。お前の世界には魔法があったのではないか? と言われても困る。あれは科学的に証明されているというか物理的に作られたものであって、けれども私はそれを説明できない。

 エミリアは「奇想天外」「半信半疑」「疑心暗鬼」「興味津々」などといった四字熟語を顔に貼りつけたまま、私に質問を重ねた。


「もうひとつのその、飛ぶというのは」

「ああ、飛行機? 鉄に翼がついてて、飛ぶの」

「……鉄の塊が、はばたくのか?」

「ううん、はばたいたりはしない」

「……はばたきもせずに、鉄の塊が空を飛ぶのか?」

「うん」

「ゴキブリよりも速いスピードで飛ぶのか?」


 どうして常に比較対象がゴキブリなの?

 結局、一時間半ほど私は日本について話すこととなった。室内では靴を脱ぐこと、電話という機械ひとつで遠距離の人間とお喋りできること、パソコンという機械ひとつで色んな調べものができること、ロケットで宇宙に飛ぶこと。

 エミリアはどこまでも真剣に私の話を聞いて、やがて大きく溜息をついた。


「お前、やはり素敵な世界に住んでいたのだな。一度行ってみたいものだ」

「連れて行ってみたいなあ。エミリア、はしゃぎそう」

「そうだな。……異世界旅行というのも、面白いかもしれん」


 エミリアは微笑んで、そろそろ行くかと立ち上がった。行くかと言っても、違う街にではなく、この街の中のお菓子屋さんのことだ。私は樹海ちゃんを肩に乗せて立ち上がった。

 いつかエミリアを日本に招待したいな、と思いながら。



 結局、お菓子の街には五日間滞在した。街にあるお菓子屋さんのうち、八割くらいは回れたと思う。五日間もお菓子ばかり食べたのだ、しばらく体重計にはのりたくない。

 更に、五日間ずっとシングルベッドの部屋に泊まる羽目になったので、私の身体はバキバキに凝っていた。背後から抱きつかれるのには慣れたけれども、割り箸ポーズのまま眠るのは慣れない。エミリアは平気なのだろうか。

 エミリアはその夜、「明日の朝から移動する」と宣言した。そして、大きな地図を広げる。縮尺が分からないので、全体的に横長の世界が、日本より狭いのか広いのかは比較できない。


「今いるのがここだ。ここから東に向かう。目的地は、この山だ」


 エミリアの細い人差し指が、すすす、と地図の上を移動する。私は地図から顔を上げた。


「……ここに何かあるの?」

「お前をこの世界に召喚した、魔導士の家がある」


 ああ、あのローブ男。目深にかぶったフードのせいで顔は確認できていないけれど。

「無論、お前の余命を移すために行くのではない」と、エミリアは私の方を見た。


「あたしはこれまで、転移者を元の世界に戻す方法を探していた。しかし、魔導士ですらそれは知らないと言われていた」

「じゃあ、この魔導士だって何も知らないんじゃないの?」

「――ナシロ。お前はいま、この部屋に入ってくる時、どこから入った?」

「え?」


 いきなり話題を変えられて、私は戸惑いながらも木製の扉を指さした。


「そこの扉からだけど」

「では、この部屋から外に出る時はどこを通る?」

「そこの扉……」


 エミリアの言わんとしていることを察して、私は目を見開いた。エミリアはそうだ、と頷く。


「扉は、入り口にも出口にもなり得る。つまりお前をこの世界に呼んだ――入り口であるこの魔導士が、出口になる可能性はあるんじゃないか? 何か、隠しているのかもしれない。ジュカイに行く前に、魔導士の家に寄っても損にはならんだろう」

「なるほど」


 そこまで聞いて、地図を見直して、私は「うん?」と首を捻った。


「……エミリア」

「なんだ」

「エミリアの屋敷はどこ?」

「ん? ここだが」


 広大な土地を指さすエミリア。問題はその広さではなく、現在地にある。

 現在地――お菓子の街は、エミリアの家から見て、魔導士の家と正反対に位置していた。更に、アオキ・ガ・ハラ・ジュカイとも正反対だった。

 私は眉間にしわを寄せ、老眼のおじさんがスマホを見るような目で、エミリアを睨んだ。


「……ほんっとーに、この街は寄り道だったんですね。めちゃめちゃ遠回りになってるじゃないですかこれ」

「い、いや。あたしだってちゃんと考えているのだぞ。ほら、この菓子の街から魔導士の家まで、このルートを通ろうと思っているのだ。すると途中に、本の街がある。街中、本だらけの場所だ。そこで、ジュカイに関する資料を集めよう。何か手がかりがあるかもしれんだろう。うむ、そうだろう」


 正当化するようにエミリアはまくしたてて、今日はもう寝る! と宣言した。仕方がないので、私も布団に入る。次の街からは、ツインの部屋がいいなと心の底から思った。せめてダブル。シングルに二人はきつい。

 エミリアは相変わらず後ろから抱きついてきた。これに五日で慣れた自分も偉いと思う。身体はバキバキだけど。


「――……ナシロは」


 背中からくぐもった声が聞こえた。


「向こうの世界に、友達はいたか?」


 いつもより弱々しいその声は、眠いからなのだろうか。私が肯定すると、エミリアは「そうか」と囁いた。少し、笑っているような声だった。


「あたしは、いなかった」

「……他のお嬢様と仲良くしなかったの?」

「あたしが、お嬢様と仲良くできそうな人間に見えるか? 大体、他のお嬢様は……」


 言葉が途切れる。その続きが気になって、私は訊ねようとした。けれど、すぐに思い出した。

 この世界では、貴族は十五歳で結婚する。結婚して家庭を持ったら、尚更『遊ぶ』のは難しくなるだろう。結婚したお嬢様同士ならいい。でも、寿命のために結婚を捨てたエミリアと、他のお嬢様たちが遊ぼうとするだろうか。

 とん、と私の背中に何かが当たった。恐らく、エミリアの額だったと思う。


「――……ナシロみたいな友達が欲しかったな」


 その弱々しさが眠気のせいではないと気づいた時、けれど私は何もできなかった。水中にいるような沈黙が続いて、やがてエミリアが「寝たか?」と聞いてきた。私は、答えられなかった。

 エミリアは再度、「寝たか」と呟く。それは疑問文ではなく、勝手に確定されたことだった。


「家族も友達も。お前のことを心配しているだろう。……早く、お前を元の世界に戻す方法を見つけられるよう、尽力する。もう少し辛抱してくれ」


 おやすみ、という言葉が聞こえてしばらく経ってから、呼吸の音が規則正しくなった。私はエミリアの方を向けないまま、日本のことを少し考える。


 確かに、友達はいた。けれど親友というほどでもなく、クラスから浮かないために作られていく女子グループに勝手に組み込まれたような、不思議な集まりだった気もする。学校は何故か、グループに属さない生徒を奇妙な目で見る。いや、学校じゃなくて社会そのものがそうなのかもしれなかった。

 私はその目が嫌で、だから無難なグループに属していただけだ。私が日本からいなくなったからといって、『友達のような人たち』が心配しているかどうかは分からない。

 エミリアは、これまでどんな気分で過ごしていたのだろうか。寿命の短いお嬢様。腫れもののように扱われたのかもしれないし、見て見ぬふりをされたのかもしれない。

 彼女が私と一緒にお風呂に入りたがったり、一緒のベッドで寝ようとする件について、私はこの世界の習慣だとか、エミリアの人懐っこさのせいだと想像していた。それは勝手な想像だった。事実は違うのかもしれない。


 寂しかったのかも、しれなかった。


 エミリアは私のことを、どういう関係だと思っているのだろう。ただの転移者だろうか。それとも友達?


 ――お前は、自分の世界に戻ることだけを考えていればいいんだ。


 もしも友達として考えているのなら、あの言葉を言った時、彼女は何を感じていただろう。

 眠気は一向に訪れなくて、私は背中のぬくもりが寝返りを打って隙間を開けるまでずっと、目を開いたままだった。


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