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虚数空間の攻防 1

 携帯電話を耳に当て、トレンチコートの男が歩いている。開いているのかどうかわからないほどの細い目の端と、薄い唇の端を共にわずかに吊り上げて。

 駅に向かう片側二車線の道路脇、民家より商店が目立つ。よく晴れた十月の午後、男の他にもサラリーマンや学生が行き交っているが、それらの人々とすれ違うのに不自由するほど狭い歩道ではない。

 道路と反対側、男の右に見えるフェンスは中学校のものだ。どうやら放課後のようで、校庭からは部活動の喧騒が聞こえてくる。

 男は無言で歩いていく。相変わらず、携帯電話は耳に当てたままだ。やがて中学校の正門が見えてきた。歩みを止めることなく、男は中学校の正門前を通り過ぎていく。

 辛抱強くコールを続けていた相手がようやく出たのか、男は丁寧な口調のテノールで話し始めた。

「ロズィス・ルーフです。……おや、いつもの所員の方ではありませんね」


 彼の背が校門から離れると、ツインテールの女子生徒が校門から出てきた。銀髪碧眼、北欧系の顔立ち。フィリス・ウイルソンである。おそらく下校するのであろう。ロズィスが歩き去ったのとは逆方向へと歩いてゆく。

 一方、ロズィスは歩を緩めず、駅前へと歩きながら話し続ける。

「これはこれは、エラクレオ・クスタ博士でしたか。まさか、博士御自らこちら側へお出ましとは」

 歩みを止め、片眉を吊り上げたロズィスは「ほう」と笑いを含んだ声を漏らす。

「私がここにいることを密告した連中のことがわかったのですね。それをわざわざ博士が?」

 一瞬だけ背にした中学校を振り返ったが、再び正面を向いて歩き出す。

「ほう。第二遊撃班が私を。なるほど、IM対策というより、この私を捕まえるためのSクラス派遣でしたか。して、私のことを密告した連中は?」

 相手の話が長いようで、ロズィスは黙って聞いている。

「我々の資金源のひとつ、麻薬『カナイド』を持ち逃げし、潜伏先不明……。日本(こちら)での最初の潜伏先からは、彼らに与えておいたSEデバイスだけが回収された、と。そうですね、きっとカナイドを言い値で買ってくれる独自の販売ルートを開発したのでしょう」

 口元の笑みはそのまま、少しだけ目を見開く。

「まあ、あの三人組に委ねたカナイドの量など、惜しむほどのものではありません。それよりも、元はEクラスに過ぎなかったあの連中にCクラス相当の魔力を与える見返りとして我々の駒となってもらっていたのですが。武器となるSEデバイスを置いていったのは、魔力よりも金に目がくらんだということですかねえ」


 足を止め、目の前の建物を見上げる。複数の事務所や商店が入居するビルがそこに建っており、看板の一つは『ルーフ商会』と読めた。

「ところで博士、ブラック・ブロックは? おお、完成なさいましたか、流石ですな。こちらのスタッフだけでは手に余る作業で、時間がかかっていましたからね」

 そして突然、抑えた仕草ながらも楽しげに笑い出す。

「たしかに……。博士のような天才と、うちのスタッフを比較してしまったこと、お許しください」

 ビル内へと歩を進める。

「今回の件は、ブラック・ブロックのテストにちょうど良いかもしれませんね。それでは、第二遊撃班の皆さんもご招待しましょう。ボスは何と? はあ、泳がせておけ、とね。私とて、IMを完璧に意のままにできるとは言い難いのですよ。うっかり死なせてしまう可能性くらいは大目に見ていただきたいですね」

 扉に『ルーフ商会』の文字が書かれた部屋。その正面に到着した。

「こそ泥の話に戻します。魔法はもういらない。でもお金は欲しいというわけですな。魔法さえ使わなければ、こちらの探知網に引っかからないとでも思っているのでしょうか」

 再び細めた目に、妖しい光が宿る。

「随分と甘いことです」


 携帯を切って部屋に入るや、すぐに着信音が鳴った。手に持ったままだった携帯を耳に当てる。

「私です。……これはこれは。君はもうこちらに着いたのですね。ご足労を煩わせました、ゴラゾ。…………なんですと?」

 薄笑いしているような表情のまま、片眉を少し吊り上げた。

「三人の部下が監視機構に仕掛けたのですか。虚数空間の中で、連中のフリゲート艦に。私はそんな命令、出していませんよ」



 虚数空間——それは世界を隔てる(キャズム)。人間が居住できる世界(虚数空間の対義語として実数空間と呼ぶ場合もある)とは時間の流れ方や物理法則が異なる。

 本来交わることのない平行世界、その中のいずれかに誕生した生命は、別の世界へ移動することはできないのだ。

 だが、宇宙空間を航行する宇宙船のように、虚数空間を航行する航虚船を建造できれば、異世界への往来は夢物語ではなくなる。

 監視機構とFT(フェアリーテイル)はそれを実現したのだ。前者はIM対策を進めるうちに。後者は前者の技術を盗む形で。



 ロズィスは薄笑いの表情をやめることなく、ぴしゃりと言い放つ。

「援護ですと? 却下します。……ですが、いいでしょう。首尾良くフリゲート艦を沈め、自力で戻って来られたならば特別ボーナスを与えましょう。……但し」

 そう言って言葉を切った。両目に宿す妖しい輝きがいよいよ強くなる。

「万に一つでもこちらの座標を監視機構に知られたくはありません。よって、今から二時間は超時空リンクを切断しておきなさい。……はい、もちろん彼らが無事に戻って来られる確率が減りますね」

 相手が反論でもしているのか、ロズィスはしばらく黙って聞いていた。

「いいですかゴラゾ。一隻のフリゲート艦など、いま叩いても戦略的な意義はありません。それでも沈めたら褒美を与えると言っているのですよ、私は。それが最大限の譲歩です」

 ロズィスは声を低めて続けた。言葉に有無を言わさぬ響きが宿る。

「その三人はCクラス。それに対し、君たち七人はA+からBクラス。本人たちも魔法力で劣ることは自覚していたはず。どうせ手柄に逸ったのでしょう。虚数空間内では個人の魔法力などそれこそSクラスでもなければ——いや、恐らくはSクラスでさえほぼ無意味、戦闘艇操縦の腕前が問われる世界ですからね。幸い、君たちの艦ボンダリューの艦載機、トリアホーンは機動性に優れています。だからこそ、下手に手助けなどせず存分にやらせてあげなさい」


 電話を切ったロズィスは、細い目を妖しく光らせたまま、口調だけはぼやくように言った。

「ご覧の通り、部下の忠誠心のなさには困ったものです」

 それは、目の前にいる相手に話し掛ける口調である。応えはすぐに返ってきた。

「けけけ、愚直なゴラゾはうまく言いくるめたようだが」

 声の主は白衣のポケットに両手を突っ込み、応接用のソファに身を沈めた人物だ。

 わずかに白髪の混じるアッシュグレーの髪をオールバックにしている。見た目は五十がらみの男性で、四角張った顔は身体の割に大きい。眼鏡のフレームだけで隠れてでもいるのか眉毛の存在が確認できないが、吊り上がり気味の双眸は大きめで、絶えずぎらぎらと輝いている。

「先程の電話、私は研究室におかけしたはずなのですがね、クスタ博士」

「ほれ」

 白衣の人物——クスタ博士はそう言って腕時計を掲げる。それはSEデバイスに違いない。

「移動魔法ですか。今後はあまり派手な魔法はお控えくださいね」

「なぜだ。監視機構の連中、監視とは名ばかりでろくな探知能力など持っておらんではないか」

「……イギリスからSクラスが派遣されてきたんです。そうでなくても、うっかり一般人に目撃されでもしたら、もみ消すのは私の仕事なんですからね」

「しょうがないのう。我慢するか」

 ロズィスは薄く笑い、「ご不便をおかけします」と告げてわずかに頭を下げて見せた。

「ところで」

 そう言ってクスタ博士は眼鏡のレンズを光らせる。

「監視機構のフリゲート艦が、たかが戦闘艇三機で墜とせるはずもあるまい。どう考えてもお前さん、そいつらを『見せしめ』にするつもりじゃな」

 命令違反も裏切りも許さないという意味を込めた、FT構成員たちに対する警告。クスタ博士はこの一件をそのように見ているのだ。

 手に持ったままだった携帯電話をポケットにしまいつつ、ロズィスは無言で口の端を吊り上げた。


 * * * * *


『……以上だ。貴班の健闘を祈る』

「了解。ありがとうございます」

 定時報告を終え、天井を見上げたユッチは、待機モードで最小限しか点灯されていない艦内照明を視界に入れた。天井高は三メートル、幅と奥行きは十五メートルずつの空間に、監視機構の制服を着た人間がユッチを入れて六名。

 監視機構の航虚フリゲート艦スタブスター。ここはそのブリッジだ。六名のうちユッチ以外の五名はブリッジクルーであり、ユッチ班のメンバーは割り当てられた船室で大人しく待機している。


 航虚艦とは、虚数空間を超えるために建造された船である。船に搭載された〈バブルバリア〉が虚数空間に干渉することにより、擬似的な実数空間を発生させるのだ。

 現在までにギファールの研究者により、理論的に存在が確認されている世界はいくつかある。しかし、安定した『航路』を設定するのは難しいのだ。そんな中、ギファールとリエイル間では定期便が就航するに至っていた。

 実数空間における時間の概念において約二十時間。それが、ギファール・リエイル間の片道の移動にかかる時間である。


 ユッチはまだ肉眼で艦の外観を見たことはないが、艦内の端末に表示された3D画像を見る限り、艦首にクワガタムシの大顎を備えた巨大エビといった印象だ。

「全長三百メートル、乗組員四十五名。これだけの艦を指揮するのは気持ち良さそうだな。さすがに、俺なんかだとまだ十年は修行が必要だろうが」

「そんなことはないぞ、サワヌマ中尉。君の働きは高く評価されている」

 がっしりした体つきをした六十近い壮漢が、ユッチの背後から声をかけた。襟元の階級章で、中佐と知れる。

「マルケス艦長。お褒めにあずかり光栄です」

「艦隊勤務に興味があるなら、今回の件が終わったら私の元で修行せんか?」

 そう言ってユッチの肩を叩くマルケスの身長は百九十センチ。かなりの長身だ。

「誤解させるようなことを申し上げてすみません。たしかに、艦隊勤務は魅力的です。ですが、しばらくは遊撃班の現場を離れるつもりはありません」

「うむ。今の任務に誇りを持っておるか。良いことだ」

 マルケスの豪快な笑い声に、さすがのユッチもやや辟易していると、ブリッジクルーの女性通信士が「お話中失礼します」と大きめの声を張り上げた。

「サワヌマ中尉。キュラムス少尉から通信です。回線を回します」

 助かった、とばかりに通信機に向き合うユッチを見て、マルケスは咳払いをしつつ艦長席へと戻っていった。


『通信可能時間が短い。要件のみ一方的に伝えるので聞いててくれ。三名の元FTメンバーが日本へ逃亡した。FTの船に密航したのだ。ロズィスの所在を密告してきたのはその三名。もっとも、正確な住所まではわからない』

 ユッチが通信機に座った途端、モニターの向こうでランパータは早口にまくし立てた。

『貴班の任務の優先順位については既に通達のあった通りだ。だからこれは、私の個人的な依頼ということで検討だけしておいてくれ。その三名のうち女性メンバーについて、病気療養中の家族がこちらにいる。その治療をエサに彼女を懐柔し、さらなる情報を引き出せるかもしれない。だが当然、彼らはFTに粛正される危険がある。可能であれば、その三名を保護し——』

 通信機が沈黙する。画面がブラックアウトしたのだ。しかし、まだ通信可能時間は残っているはず。

「おい、どうした——」

 ほぼ同じタイミングで壁面パネルの一部が赤く明滅し、アラートが鳴り響く。先程の女性通信士が緊張した声を張り上げた。

「未確認物体、三。距離、一二〇〇キロ」

 ブリッジクルーが一斉に配置につき、各々コンソールを操作し始める。

 男性の索敵オペレータがコンソールを見つめたまま報告した。

「形状、ギファールの単座戦闘艇・トリアホーンに酷似。本艦のバブルバリアに接触しています」

 敵襲だ。瞠目して立ち上がるユッチ。

 それに対し、マルケス艦長の行動は素早かった。すぐさま館内放送回線を開いたのだ。

「総員、第二種戦闘態勢」

 次いで艦長は、通信士に「民間チャンネルで呼びかけろ」と指示を出す。

「座標A・4・4付近を航行中のパイロット、応答せよ。所属と目的を明らかにせよ。こちら監視機構所属フリゲート艦・スタブスター。貴機は本艦のバブルバリアに接触している。バリア内に侵入した場合、本艦は貴機を速やかに攻撃する。繰り返す」

『うっせー、やれるもんならやってみろ! 俺たちゃフェアリーテイルだ。てめえらが監視機構だってこたぁ端から承知なんだよ。仲間の仇だ、今から沈めてやるぜハッハァ!』

 野卑で頭の悪そうな、典型的な濁声による返信があった。ユッチは思わず失笑を漏らしてしまう。タイミングから見て定時報告による超空間通信の波動を探知されたのだろう。

 定時報告にせよランパータとの会話にせよ、高度に暗号化された通信内容については簡単に解析されることはあるまい——などと考えていたユッチの鼓膜を、悲鳴のように裏返った索敵オペレータの声が叩いた。

「バブルバリア突破されました! は、早い! 距離、一〇〇〇!」

 席上で腰を浮かせたマルケス艦長が、片手を横に広げて命令を下す。

「第一種戦闘態勢! 戦闘機隊発進準備!」

 いよいよ緊張感を増すブリッジの片隅で、笑みを消したユッチも腰を浮かせた。

 防御オペレータが冷静に告げる。

「熱源反応。三方向より実体弾です。前方、一〇時方向・俯角五、一一時・仰角一〇、一時・仰角五。映像、出ます。距離八四〇、八二〇、八〇〇……」

 オペレータの報告と共に、ブリッジ正面を覆い尽くす巨大モニターに細部まで明瞭な魚雷が大写しとなる。遠距離を移動中の魚雷に完璧にピントの合った映像を撮影する技術はユッチにとって未知のものだが、魚雷の形状は彼の知識の範疇から大きく外れたものではない。モニターは一つだが、複数のウインドウが表示され、そのうちの一つが敵機の姿を捉えている。

 機体は生物的なフォルムをしている。球体の頭部を持ち、その後ろに縦に平べったい胴体。胴体上部の突起と機体底部の翼、尾部に見られる複数の突起は、それぞれ背鰭、胸鰭、尾鰭のよう。球体の頭頂部と底部左右に、いずれも進行方向に伸ばした合計三つの砲塔を備え、胴体を有機的に折り曲げて魚類さながら進路変更する様子が見て取れる。

「距離五〇〇、直撃コースです!」

 ——なんだと!

 ユッチは胸中で悲鳴を上げた。


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