魔法少女はSクラス
「十月とは思えぬ。なんという暑さなのだ日本は」
時代がかった日本語とメゾソプラノのミスマッチが夜闇に響く。夜の街をひとり歩いているのはセーラー服を着た女の子だ。この付近の中学校の制服である。
多くの自治体同様、この街の条例にも十八歳未満の青少年が夜間外出するのを制限する項目が存在する。制服のままひとりで歩いている以上、警察官に見つかれば職務質問を受けるか、最悪補導されかねない時間帯なのだが、彼女は堂々と歩いている。
「ふん、出たな。二体とはいえ、どちらもBクラスか」
何も見えない闇に向け、薄い胸を張って宣言する少女。良くて演劇部の台詞の練習、悪ければ残念な妄想癖を持つ女の子といった体である。パソコンの前に座っているわけでもないのにイヤホンマイクを装着しているその姿は、後者の印象を強めている。
やがて、街灯が照らす円錐型のスポットライトを浴び、女子中学生の細く小柄な全身が闇に浮かび上がる。風になびくツインテールはプラチナブロンド、淡いレモン色の光沢を放つ銀色の髪。前方を睨み据える両目は透き通る碧眼。そして、不敵に笑いつつも口調に見合わぬあどけなさを残す顔立ちは、見紛うことなき北欧系だ。
彼女の視線の先で、闇より濃厚などす黒い気配が空気を揺らす。それまでは曖昧な気配に過ぎなかった存在は、少女に気付くと敵意を向ける。その途端、存在を凝集させて明確な形をとりはじめた。
「日本支部。こちらフィリス・ウイルソン。BクラスIM確認、数は二体。単独で対処する」
『ウイルソン伍長か。支部長の佐々木だ。なんて時間に出歩いているんだ、君は。仮にも女子中学生だろう。補導でもされたら面倒だぞ』
少女——フィリスのイヤホンから中年男性のバリトンが聞こえてきた。呆れた口調ながら、その声には親しげな笑みが含まれている。
『……ふむ、仕方ない。SEのロック解除を許可する。速攻で仕留めろ』
「ありがとうございます、佐々木支部長。一分で片付けます」
にこりともせずに言い終え、左手首の腕時計型SEに手を触れた。闇夜を照らす薄桃色の光。それは瞬時に複数のアルファベットへと収束し『FLASH』の文字列が浮かび上がる。
光の文字列がSEへと吸い込まれた直後、フィリスの爪先は彼女の身長のほぼ倍、約三メートルほどの高さまで浮き上がる。助走も予備動作もなく、見えないワイヤーで吊り上げられるがごとき唐突さだった。
「ほう、熊か。人を怖がらせるには有効かも知れぬが、私には無駄だ」
フィリスの足下に殺到した二つの闇——IMは二頭の熊の姿をしていた。二本足で立ち上がっているが、いずれも身長二メートル。フィリスに前足が届くことはなく、地面で空しく唸り声を上げる。
「怖がってなどやれぬ。なぜなら、熊はかわいいからな」
一瞬だけ、フィリスは笑顔を見せた。気配だけの存在だったIMを見破った時とは違う、愛玩動物を愛でる際の弛緩した笑顔だ。
すぐに表情を引き締めた彼女は、同じ高さに身体を浮かせたまま指をパチンと鳴らす。
あらぬ方向に光が生じ、熊たちは慌てた様子で首を巡らせた。
前方の熊の腹と後方の熊の背、それぞれ一メートルずつの距離をあけ、直径二メートルの魔法陣が出現し、薄桃色に輝いている。熊たちがそれぞれの魔法陣と正面に向き合った刹那、それらはより強烈な桃色の光を弾けさせた。
光を恐れるかのように狼狽える熊たちは、お互いの背を合わせてその場に蹲る。彼らはそれっきり、二度と再び自らの意志で動く機会を与えられなかった。
「【消えろ】」
次の瞬間、前方の魔法陣から渦巻く光が噴出し、熊たちに襲いかかると彼らを巻き込んで回転した。回転する光は後方の魔法陣に押しつけられ——、あろうことか、後方の魔法陣はそれらをあっという間に呑み込んでしまったのだ。
魔法陣の消滅と同時に、音も立てずにフィリスが着地した。銀のツインテールがふわりと垂れる。
「ジャスト三十秒。まあ、こんなところか」
熊たちが消えてしまうと、彼女の勝利を一片も疑っていなかったのか、先程の通信相手——佐々木支部長が落ち着いた声で話しかけてきた。
『見事だ。だが、君の配属は明後日。非番にはしっかり休むのも隊員の務めだ。君ほどの手際はとうてい無理だが、それまではこちらのスタッフで対処する。だから、休みはしっかり取るように』
佐々木支部長の声は終始柔らかく、責めるような調子が含まれてはいなかったが、フィリスは神妙に返事をした。
「了解であります。勝手な真似をして申し訳ありませんでした」
『期待している、ウイルソン伍長』
「は」
フィリスが立ち去ると、もともと何もなかったかのように、辺りは闇と静寂が支配する空間となった。
数分が経過し——、ふと、闇が揺れた。水面に石を投げ込んだ際の波紋に似た模様が闇に浮かび上がり、それが文字通り揺らいだのだ。
波紋がおさまると、その中心から中肉中背の男が出現した。スーツの上にトレンチコートを着込んだ四十がらみの男だ。薄い唇と、どこを見ているのかわからない細い目。口の端を吊り上げ、笑った表情を作ってはいるが、その印象は周囲の気温を下げるほどに冷たい。
「これはこれは……」
やがて、少しだけ喉から笑い声を漏らすと、独り言を呟く。
「幾つになっても隠れんぼは楽しいですね。いつ見つかるかと冷や冷やしましたが」
若干テノール気味の、よく通る若々しい声だ。
「意外に早く動きますね、魔法管理局は。こちらはまだほとんど暴れていないのに」
話しかけるべき相手は見当たらない。だというのに彼は丁寧語で楽しげに呟き続ける。
「十代前半のお嬢さんに見えましたが、侮ると痛い目に遭いそうですねえ。正直、例のものが使い物になるまではお手合わせしたくありません。しばらく、目立つ活動は控えることにしましょうか」
男は、独り言を中断すると訝る目つきをした。視線の先はフィリスが熊を退治した場所。闇が波紋のように揺れ始めているのだ。
やがて波紋のカーテンをくぐるようにして現れたのは、黒目・黒髪の日本人らしき特徴をもつ青年だ。左手首に巻いたSEの周囲に、桃色をした拳大の球体が二つ漂っている。
「なんて退治の仕方をするんだ、あのお嬢ちゃんは。拾ってくるのに苦労したよ」
青年の呟きはトレンチコートの男と目を合わた上でのものだ。どうやら知り合いらしい。
「いつ、こちらへ? 聞いていませんが」
「今日からさ。どうやらあんたの居所、三下にリークされたみたいだぜ」
「ほう。その三下とやらの人数と居場所は掴んでいるので?」
「さあな。ゴラゾの旦那の船で密航して、こっちに来てるらしい。まさかと思うけど、旦那、わざと見逃したのかねえ」
それには答えず、男はわずかに笑みを深めるのみだ。
「まさかのノーリアクション。ま、いいけどよ。でも、悪人になりきれない部下なんて邪魔なんじゃねえの?」
「ゴラゾは愚直ですが優秀な男ですよ。ちょっと得がたい駒です。……今の所は」
その返事に肩を竦めると、青年は闇に溶けるかのように消えてしまった。
「せっかちなことで」
月明かりが顔に落とす陰影の中、細い目だけがやたらキラキラと妖しい光を放つ。話し相手がいなくなったというのに、Vの字に吊り上がった口からは楽しげな声が漏れ続ける。
「柄ではありませんが、楽しいショータイムを開催しますか。少し忙しくなりそうですね」
低い声で、こう付け加えた。
「……見せしめは必要ですから」
雲が月を覆い隠す。刹那の間をおいて雲が流れたとき、男の姿は既に消え失せていた。
* * * * *
明るい茶髪のツーサイドアップとミニスカートの裾を揺らし、大きな黒瞳をもつ美少女が部屋に入ってきた。その部屋の扉には『第二遊撃班』のプレートが嵌め込まれている。
ちなみに、彼女ら遊撃班は出動時には規定の戦闘服を身につける。出動時以外に義務付けられた制服はジャケットのみなので、ボトムズは原則として私服である。
「あれ、ユッチ班長は?」
第二遊撃班に割り当てられた部屋に入るなり、彼女は開口一番にユッチの所在を訊ねた。
「あらミュウ、おかえり。ユッチは昼休憩よ。居場所は……さあね、また女の子と会ってるか、会う前に断られてるか。多分後者だと思う。お望みならテレパシーで行方をトレースするわよ。あまり気が進まないけど」
答えたのは白猫のシシナだ。デスクの一つで優雅に寝そべったまま、ミュウを見上げている。
「何言ってんだ。ストーカーなんかしたら班長に嫌われちゃうだろうが」
「ふふ。好かれたいなら、その言葉遣いをどうにかしたら?」
「言葉遣いだと? キュラムス少尉だって女言葉を使ってるところを見た覚えがないぞ。それでもユッチ班長と仲が良いじゃないか」
「あなた、ランパータとユッチが恋仲になる可能性、想像できて?」
「できねえな……っと」
ミュウは訝るように天を見上げ、すぐにシシナと視線を合わせて質問した。
「なんでキュラムス班のシシナがここに?」
わずかに沈黙が訪れる。
「……はぁ。あんたもいい加減事務仕事に慣れなさいよ、ツッキーを見倣って。はい、そこの端末で辞令を読む、ミュウ軍曹」
「了解っす、シシナ曹長。で、ツッキーは? いやごめん。そういや非番だって聞いてたよ俺」
眉間に皺を寄せ、机の一つに置かれた端末で画面を読み始めたミュウは、ぶつぶつと独り言を呟く。
「……俺、会話には困らなくなったんだけど、文字の方はまだちょっとアレなんだよなぁ」
それでも一つ、二つと頷きながらしばらく読み進め、ようやく納得顔で言った。
「へえ、遊撃班が増えるのか。リパルとマルガンの兄貴が班長にね。
シシナ曹長は配置転換で、……俺たちの副班長!?」
シシナは澄まし顔で立ち上がるが——
「で、俺たちは……。しばらく日本で作戦行動!?」
「あら」
前脚を滑らせ、またすぐに寝そべる姿勢に戻る。
「そか、こっちの装備はSE以外ほぼ持ち込み不可、必要に応じて現地で調達、と。日本でもよろしくっす、副班長殿」
「何よ、その棒読み口調は」
低い声で言うシシナに対し、ミュウは精一杯の笑顔を見せた。
「本心ですって」
「ふふふ。ところで、よかったわねミュウ」
本気で拗ねていたわけではないようで、シシナは陽気な声を出した。
「何が?」
「両脚よ。病院で見た時は、義足だと思ったんでしょ。今日の診察はどうだったの?」
その言葉に背筋を伸ばしたミュウは、深く頷いた。
「ああ、病院で機械仕掛けの自分の脚を見た時は、もう激しい運動はできないと思ったからな。クビだと思ったよ、遊撃班」
だが、運が尽きたわけじゃなかった……と言葉を続ける。
「一日三十分とは言え超人的な脚力を使えるし、その間はAクラス相当の魔力さえ発揮できるんだぜ。それが今日の診察結果さ」
ミュウは嬉しそうに両脚を眺める。
「今じゃ合成皮膚で覆ってもらって、見た目にも、元の筋力で生活する分にも何の違和感もない。まさに自分の脚そのものだ。この脚さえあれば! これまで以上に戦えるぜ、俺は」
熱っぽく締めくくったミュウは、朗らかな視線をシシナに向けた。だが。
「だからあんたは! ひとりで背負いすぎるのよ。そこを直しなさい!」
シシナは唐突に前足を突き付けて怒鳴った。唾を飛ばしてたしなめる勢いに、ミュウは思わず首をすくめ、「な、なんだよ」とうわずった声を漏らす。
「ユッチがどれだけ心配したと……もう、いいわ。あんただって大人なんだし」
ミュウは椅子に腰掛け、しばらく黙っていた。
シシナはテレパシー能力者。ミュウが言葉にしなかった部分も筒抜けなのだ。
「初めてIMに襲われたあの日、俺は何もできなかった。脚を失ったらまた逆戻りだ。俺はまだまだ奴らを斃したい。目に触れるIMどもを、全て!」
シシナは黙って聞いている。さっき言葉にしなかった部分をあえて呟くミュウの意図を汲み取り、言わせているのだ。
「つい気持ちが先走って、取り返しの付かない大怪我をするところ……いや、しちまった。ユッチ先輩にも、ツッキーにも迷惑をかけちまった。だから俺はもう少し自分の気持ちを抑えなきゃならない。何と言っても俺たちは——」
「チーム、よ」
シシナが柔らかい声で被せてきた。ミュウの目をまっすぐに覗き込む。
「お、おう。身に染みたぜ。さて、続けて敵さんの情報を読んでおくか」
ろくに鳴らない口笛を吹いて視線を逸らしたミュウは、再び端末の画面を凝視した。
「なになに? ロズィス・ルーフ、三十九歳、男。逮捕歴一回。二十二件の暗殺を成功させた凄腕の殺し屋にして無資格魔法士。関与の疑いが濃厚な余罪が複数件あり、捜査中。収監後すぐ魔力封印措置を施された。逮捕前におけるフェアリーテイルとの関係は不明。二年前に脱獄。この脱獄にはフェアリーテイルが関与した疑いが濃厚。脱獄の時点で違法SEの所持が確認された上、魔法行使の形跡があり、魔力封印措置の失敗を確認。クラスは不明だがAクラスを上回る可能性が高い。現在第一級指名手配中」
画面にはロズィス・ルーフの胸部から上が映し出された。薄い唇と、どこを見ているのかわからない細い目が特徴の、中肉中背の男だった。