班長たち
その一週間後、ユッチの姿は円筒形のビルの中にあった。この建物、全高は五十メートルほどだが、全周は四キロにも及ぶ。虚数空間監視機構の一セクション、魔法管理局が占有する建造物である。
今、彼は女性と一緒に長い廊下を歩いている。ユッチの背丈は百八十センチに達するが、隣の女性も長身で、彼とほぼ同じ高さに肩を並べている。年格好もユッチとそう変わらないようで、二十歳前後に見える。彼女のストレートロングは背の半ばまで垂れており、一歩歩くごとに左右に揺れている。燃える炎を想起させる鮮やかな赤毛だ。細身ながら姿勢の良い彼女は均整の取れたプロポーションをしており、制服の胸元を押し上げる見事な曲線美といい、ただ歩くだけでも周囲の目を惹きつける。
「ユッチ。沢沼裕一中尉殿」
ややハスキーな声には貫禄があり、現場での指揮に慣れた戦士たる様子が窺える。
「たしかに辞令は受け取ったけどね。今まで通り『ユッチ』で頼むよ」
「意外だな。君が呼び名に頓着するような人だとは思わなかった。おっと、すみません。今後は気をつけて敬語を使うようにしますので」
「マジで止してくれ。佐官以上ならともかく、尉官クラスまでの階級なんて……うぉほん、聞き流してくれ」
「アイ、サー」
「からかうなよ。ミュウやツッキーにもタメ口を頼むような奴だぜ、俺は。ま、ツッキーはあの性格なんで敬語をやめられないようだがな」
一つ深呼吸をすると、ユッチは幾分真面目な面持ちで赤毛の女性を見つめた。
「ランパータ。俺にとっちゃあなたは先輩であり、師匠なんだ。今回の昇進は、俺たちに無理ゲーじみた任務を押し付けるための飴に過ぎん。だから、俺とあんたの立場が入れ替わるなんてことはあり得ない」
赤毛の女性――ランパータも表情を引き締めると、ユッチとまっすぐに視線を合わせた。
「わかった。その言葉、額面通りに受け取ろう。だが、たとえお飾りの肩書きだろうと今後はお前が私の上官なのだ。その自覚は持っていてもらうぞ」
「…………」
相手の沈黙を意に介さず、彼女は会話を続ける。
「我々は複数の世界にまたがる広域治安維持組織の一員だ。組織としての大きさに見合わず、あらゆる意志決定が柔軟かつ迅速に行われる。もちろん、ギファール側の流儀に拠る部分が多いから、リエイル側の住民である君としては納得いかない点もあることだろう」
ユッチは立ち止まった。赤毛の女性もそれに気付いて立ち止まりつつ、未だに返事をしないユッチに辛抱強く話しかけ続ける。
「説得口調になってしまうのは性分だ。我慢してくれ。だが、形はどうあれ今回の人事は君の実力が評価された結果でもあるのだぞ。君の言う『無理ゲー』というのは困難な任務のことだと推察するが、我々の任務はもとより困難なものしかない。不安ならともかく不満を感じる要素など、私には――」
そこで言葉を切った彼女は、続けるべき言葉を飲み込み、明るいブラウンの瞳を見開いた。次いで半目になり、溜息を吐く。
ユッチは体ごと振り返ってランパータに背を向け、元来た廊下を振り向いたのだ。彼は獲物を狙う鷹のごとき目に強い光を宿し――。
「なんと麗しい金髪のお嬢さん。おや、誰かと思えばアイリスじゃないか」
天に突き抜けるハイテンション、雲よりも軽い声が廊下に響き渡る。声の主は誰あろうユッチその人だ。
満面の笑みを浮かべる黒髪の青年は、ランパータと会話していたのと同一人物とは思えないほどの変貌ぶりである。鷹のごとき目はそのまま、今にも片膝をついて求愛を始めそうな雰囲気さえ醸し出している。
周囲を歩いていた職員は「またか」とばかりに――女性職員は苦笑し、男性職員は顔を顰め――、それまで通りのペースで歩き去る。赤毛の女性はと言えば、片手でこめかみを掴んでいる。再び、先刻よりも深く溜息を吐いた。
「二重人格か、この男は。同じ男の声とは思えぬ。これさえなければ良い戦士だというのに」
同じA+魔法士として恥ずかしい。そう呟く彼女の声は、ユッチに届いている様子はない。
「いやー、今日はまた可愛いミニスカートだね。いいよ、すっごく似合ってる」
一方、ユッチは相好を崩して金髪の女性職員に近寄っていく。話しかけられた女性職員は、大きなグリーンの瞳を細め、にこやかに応じている。
「今からオフ、明日までか。じゃ、今夜俺と遊ぼうよ。おっと、何か先約がある?」
「はい。父が言うにはお見合いではないとのことなのでお会いしてみることにしました。でも本当はあたし、父が薦める初対面の殿方よりもユッチさんとご一緒した方が楽しいです」
金髪女性、アイリスの口調は良家の子女のそれである。
「ううむ残念だ。今の内にアイリスのきれいな太ももを目に焼き付けておこう」
「もう、ユッチさんったら。あたし、こう見えても身持ちが固いんですのよ」
「うん知ってる。俺は、そんな君を狙う悪い虫だからね」
アイリスは両膝を合わせて恥じらってみせるが、まんざらでもなさそうだ。
「残念だけど仕方ない。また今度誘うよ。その時はもちろん、ミニスカートでね。約束だよっ」
「…………はい、お約束します」
名残惜しげな笑顔を見せ、小さいながらもはっきりと返事をしたアイリスは、背を向けた後も何度かこちらを振り向きつつ歩き去っていく。
見送るユッチの横で、赤毛の女性はこめかみを押さえた姿勢のまま押し黙って立っている。彼女の周囲に圧力を増した黒い空気が蟠っているように見えるのは錯覚に過ぎないのだろう。それでも廊下を行き交う職員たちは、ユッチたちを大袈裟に避けて歩き去っていく。
「おいこら、ユッチ」
「は、キュラムス少尉殿」
真面目くさった顔で直立するユッチだが、わざとらしさを隠すつもりはないようだ。赤毛の女性はしばらく彼を睨み付けていたが、やがて根負けしたように肩を落とすと溜息を吐いた。
「昨日までは同じ階級の班長。今日から君は上官なのだ。普段からランパータで構わんよ」
「おや? 説教されると思ったんだが。言いたいことを言わないなんて君らしくないね、ランパータ」
笑顔ひとつ見せずにそう言ってのけるユッチに睨む目を向けたランパータだったが、彼女の口から紡ぎ出される言葉は説教ではなかった。
「私とて学習能力があるのでな。言っても無駄なことを言い続けて時間を浪費する趣味はない。
ところで、私には君が何らかの不満を抱えているように見えてならん。愚痴なら聞くし、局長に上申したい意見があるのなら一緒にかけあっても良いのだぞ」
だから、独りで抱え込むな。そう続けるランパータに対し、ユッチはこの日おそらく初めてであろう、彼本来の自然な笑顔を見せた。
「ありがとうな、ランパータ。こぼすほどの愚痴も上申したいほどの意見もないよ、今のところ。どっちの世界でも組織の流儀ってやつは変わらないさ。むしろ、俺が元いた世界の方が酷いかもしれない」
「じゃあ何なのだ、君の態度は」
落ち着いた物腰の中に苛立ちの火種を燻らせ始めたランパータ。それに対してユッチは、いっそわざとらしいほど不思議そうな表情を作って応じる。
「何、とは。俺はこちらの作法に則り、階級と新任務をありがたく拝命したつもりだが。それとも気づかないだけで、局長室で何か粗相をしたのか、俺は」
「そうではないが……。いや、誤魔化すな。上の連中はともかく、私の目は節穴ではないぞ」
その言葉を受けたユッチは、口元を笑みの形に歪めてみせた。
「気に入らないんだ。せっかく二匹斃したのに、手元に残ったのは一匹分のコアだけだったんだからな」
「なんだそんなことか」
彼女は拍子抜けしたように肩をすくめると、腰に手を当てて呆れた口調で言葉を続けた。
「いいじゃないか、君が二匹を斃したことは戦闘レコーダが証明している。コアなんて、所詮は君のコレクションなんだろう? 解析班の連中が言うには何の役に立つわけでもないのだし」
言い終えた彼女ははっとしたように虚空を見上げ、再びユッチと視線を合わせて睨みつけた。
誤摩化されないぞ――言葉より雄弁な視線に対し、ユッチは降参のジェスチャーをしてみせた。ようやく笑みを消し、彼女の視線を真正面から受け止める。
「ミュウの両脚、ツッキーの両目。たったの一日で擬似人体パーツを用意しただけでなく、移植までしてみせたタイミングの良さって、なんなんだ?」
「それは……。Bクラス以上の戦闘魔法士は極めて稀少だから、予めデータベースに登録してある身体情報に従ってだな……」
「ほう。予めデータベースに、俺たちの身体に適合する高出力機動用の擬似人体パーツの情報が登録してあるってわけか。しかも、いつでも移植できる状態で」
そう、入院先のガルメダ病院において、ミュウとツッキーは失った脚や目の替わりに擬似人体パーツが移植されたのだ。二人の希望を聞くこともせずに。
この人体パーツは単なる義足・義眼ではない。電力ではなく魔法力を動力源とする機械であり、二四時間の日常機動の間に宿主から魔力を「充電」し、一日につき約三十分間だけ高出力機動を可能とする。有り体に言って戦闘兵器だ。病室でツッキーが実践してみせたように、義眼は透視を可能としている。義足は高出力機動の最中、もとの筋力の三十倍のパワーを発揮すると試算されている。しかもその三十分間に限り、SEなしでも魔法が使えるというのだ。
「要は俺たちが怪我をすることまで織り込み済みってことだろう。特に、戦闘要員としては不安材料のあるBクラス魔法士を底上げするために」
ランパータは眉間に皺を寄せたものの、結局何も言い返さなかった。
「俺はいい。単に給料目的、それこそ傭兵感覚だ。俺にとって魔法とは飯を食うための道具。だが部下たちには戦う理由がある」
「復讐、か」
ユッチは幾分眼光を和らげ、落ち着いた声で話を続ける。
「俺たちはギファールじゃ異世界人だが、元いた世界には既に戸籍がない。仮にこの仕事を辞めたとして、いざ故郷に帰ったところで定職に就けるわけでもない。幽霊みたいなもんだ。それだけの覚悟をもってここにいる。
手足を失った戦士が戦闘用人体パーツの移植を受けるのは当然さ。それ以外の選択はわがままってもんだ。費用は管理局もちだしな。俺が似たような怪我をしたなら希望してでも移植を受ける。
だが、あいつらは俺の部下だ。移植する前にひとこと相談があっても良かったんじゃないか。あいつらの意識回復を待っていられないのならせめて俺に……いや、やめておこう」
この世界でなら、お金さえ払えば非戦闘用の義眼や義足は簡単に手に入る。その場合、ツッキーは今まで通りの任務をこなせるが、ミュウはろくに走ることができなくなる。
戦闘用か非戦闘用か。事前にあの二人に意志確認ができたとしても、答えは自明だ。
ユッチは、まるで話題を締めくくるかのように押し黙ると、ここではない遠くを見るかのように目を眇める。
(シシナ、近くにいるか。中継しろ)
了解の思念がユッチとランパータの意識に流れ込んだ。ユッチは「内緒話」を始めた。
(ランパータ。人体パーツのメーカーのこと、知ってるか?)
(たしか、フォーテクス社と言ったかな。すまん、民間企業のことには疎くて。名前しか知らん)
(その会社な、ツェダーラ・コンツェルンの系列外なのさ)
それが何か、と首を傾げる様子のランパータに対し、ユッチは辛抱強く説明する。
(魔法関連技術の公開情報については、管理局が厳重に制限している。俺たちが使ってるSEに耐魔法アーマー、サイキックウエポンから車載センサーに至るまで、メーカーは全部ツェダーラの系列企業だ。情報漏洩を避けるため、系列外の企業は参入できない)
(それは知っている。だが、人体パーツは医療分野だ。ツェダーラの系列には民間用医療魔法ライセンスをもつ企業がないのだから、系列外のフォーテクス社が参入することに何の問題もないだろう?)
ランパータはユッチの横顔を一瞥する。未だに彼が言わんとすることを理解できない様子だ。
(経済紙に書かれていたが、フォーテクス社はツェダーラからの系列参入要請を蹴ったんだぜ。それでも今回、管理局は人体パーツのメーカーとしてフォーテクス社を選んだ。医療ライセンスを持ち、なおかつツェダーラの傘下に入りたがっている企業なら、他にもいくつかあるってのに)
フォーテクス社でなければならない理由があるということか。そう質問するランパータに対し、彼としても明確な答えを持ち合わせてはいない。
(さあな。ただ、ツェダーラの傘下に入らなかったことにより、魔力充電に関するコアテクノロジーは企業秘密の名の下、管理局にも開示されていない。それを認めてまでフォーテクスを選んだ理由、気になるとは思わないか? 金の最中とか、さ)
(キンノモナカ……。日本語か?)
(賄賂だ。すまん、現場の俺たちには関係のない話だな)
話題を変えようと提案するユッチに、了解の念が伝わる。
次に彼が持ち出した話題は、ここ最近のIM撃退記録だった。Bクラス以上のIMとの対戦回数は、第二班の方が圧倒的に多いのだ。それを伝えると、ランパータは即座に疑問という形で否定してみせた。
(気持ちはわからんでもないが、それこそ勘繰り過ぎではないか?)
(そうか? ミュウたちが入院するまでの二週間ほどの出動記録を見てどう思う。リパルあたりは何か気付いているんじゃないのか)
表情を隠しきれずランパータは目を見開いてしまった。
彼女の部下であるリパルは確かに言っていたのだ。魔力の高いIMの出現ポイントが予めわかっていて、そこから一班を遠ざけているようだ、と。その代わりに二班をぶつけているようにさえ思えてくる、とも。
しかし、それはあくまで冗談めかした雑談の中で出た発言だ。
首を振り、無理矢理苦笑を浮かべる彼女に対し、ユッチは無表情のまま次の思念を送りつける。
(今回の敵、SクラスのくせにセンサーにはBと表示させる欺瞞テクニックを使いやがった。この事実をそのまま解釈すれば、奴らには俺たちのツールに対する正確な知識があるってことになる)
(おい、初耳だぞ。何故それを上に報告しないんだ)
ランパータの眉がはっきりと吊り上がる。すんでのところで内緒話の最中であることを思い出した彼女は、ユッチに向けそうになる視線を苦労して前方へと固定した。
(……シシナ! ユッチの飼い猫のお前なら、この話知ってたんじゃないのか)
(知ってたわよ)
遅滞なく割り込んできたシシナの思念に、ランパータは声を上げそうになる。半開きとなった口の端が微かにひくついた。
(落ち着けランパータ。話を続けるぞ)
一方、ユッチは特に表情や態度を変えたりはしない。
(……連中にその手の知性があるとは思えない。仮にあったとしても、そんな小手先の欺瞞にこだわるかどうか甚だ疑問だ。……前回の出動までは、そう思ってた)
あの時、敵は一対多数の戦闘に慣れているかのような動きを見せた。ミュウの魔法陣シールドを、劣化版とは言え真似して見せた。ユッチにとって初めて対峙する、知能を持つIM――。しかし、本当にそうだろうか。
まるで、リモートコントロール。戦場を俯瞰する存在から指示を受けていたかのような。そう考えると、こちらを見もせず正確に牽制してみせた動きにも納得がいく。
(どこかで人間が関わってるのでは、と疑いたくもなる)
ここに至り、ランパータはようやく理解した。ユッチが何に苛ついていたのかを。
(本気でそう思ってるのかっ)
(我ながら、考え過ぎかもしれないとも思う。だがはっきりするまでは信用できない)
——信用できない。たとえ身内であっても。
ユッチが言語化しなかった思念まで、ランパータには正確に伝わった。
局内の人間による裏切り。その可能性に息を呑み、ユッチの目を覗き込んだ。その黒瞳は全く揺らがず、自分のことを信頼できる身内だと認めた色を湛えている――。彼女は口を真一文字に引き締めた。
そこに、後方から複数の靴音が届いてきた。内緒話を打ち切った二人が同時に振り向くと、丸顔の男と長身の男が視界に入った。第一遊撃班のメンバーだ。
丸顔の男がユッチの正面で立ち止まった。
「聞きましたよサワヌマ班長。中尉へのご昇進おめでとうございます」
口調とは裏腹に胸をそらして挑むように睨み付けている。慇懃無礼な挨拶をするマルガンの裾を、長身を縮こませるようにしてリパルが引っ張った。やがてマルガンが形ばかりの敬礼を二人の上官に向けるのを見て、リパルもそれに倣う。
こちらも形ばかりの答礼を返したユッチの肩を目がけ、リパルの肩に乗っていたシシナが飛び移る。彼女の首筋を撫でたユッチは、ランパータの部下たちに告げた。
「俺たちの敵、広域魔法犯罪組織FTに動きがあった。FTの構成メンバーが日本で確認されたのだ。同時に、日本ではIMの発生も確認されている。IMの発生とFTとの間に関連があるかどうかはわからんが、出現時期が一致しているのは不自然だ。俺たち第二遊撃班が日本へ向かう」
「留守はお任せあれ。……お早いお戻りを、ユッチ」
「キュラムス班長。第二班なんて、いてもいなくても同じじゃないですか」
マルガンが棘を隠そうともしない口調でランパータに食ってかかる。公式には彼女とユッチの上下関係が逆転してしまったことが気に入らないのか——、否。
単に、ユッチとランパータが親しげに接していることが我慢ならないようだ。
「それに第二班のメンツだけじゃ、IMどもにやられて全滅するだけだと思いますぜ。なんなら俺がついて行ってやりましょうか」
相手をあからさまに小莫迦にした口調の同僚に、リパルはおろおろと視線を彷徨わせる。ユッチは微かに口許を歪めて苦笑する。
「必要ない、マルガン。ユッチたちには新戦力としてイギリス支部からSクラス魔法士の増援があるとのことだ。こちらはこちらで新兵たちの増員が決定した。彼らを指導するのも我々の仕事だ、忙しくなるぞ」
ランパータは無表情に告げたあとでマルガンを睨み据える。
「第二班がいなくても同じだと言ったな。その言葉を待っていた。私はこれまで通り第一班の班長を務める。ただ、部下は総入れ替えだ」
「班長!? 今、なんと」
息をのむふたりの部下――元部下に氷の視線を向けたランパータは、すぐに答えようとしない。しかしやがて、にやりと笑って告げた。
「ふたりとも班長に内定した。マルガン、貴様は第三班。リパル、貴様は第四班。私と同じ立場だな。今後ともよろしく頼むぞ」
「は、はっ!」
「ええっ、マルガンはともかく、私も班長ですか?」
慌てて姿勢を正すマルガンと、敬礼も忘れて頓狂な声を出すリパル。両者の反応は予想通りだったらしく、ランパータは表情を変えずに言葉を続けた。
「何を焦ることがある。貴様は私の部下だ。必要なことは全て教えてある。だがまあ、必要かどうかは別として正式な辞令が下りる前に私から伝えておきたいこともある。貴様たちは先に第一班のブリーフィングルームへ行っていろ。私は少し遅れていく」
去り際、マルガンはユッチを一瞥すると不敵な笑みを見せた。
その背に向け、ユッチは気の抜けたような声をかける。
「留守は任せたぜ」
ランパータから内示を受けて以来、落ち着きを失くしていたリパルは、ユッチの声に気付くと律儀にお辞儀をした。まるで民間企業の新人サラリーマンである。
既に遠ざかっていた同僚を追いかけ、リパルはあわてて駆け出した。
「俺が心配することじゃないが、だいじょうぶかいな」
彼とともに部下を見送ったランパータは、自信たっぷりに頷く。
「リパルもオンとオフの切り替えが極端なのさ。誰かさんと同じでな」
「はて。誰のことやら」
「……それより」
ユッチを正面に見据えると、シシナが乗っていない方の肩に手を置いた。耳許に説得口調で囁く。
「自粛しろなどと堅いことを言いたいわけではないが、部下が大怪我したばかりだというのによくナンパする気になるものだな。せめて、勤務中は控えたらどうだ」
「ふああ」
間の抜けた欠伸はシシナである。それまでユッチの肩の上でおとなしくしていた彼女は、ランパータの肩に飛び移った。あらためて、ぼそりと呟く。
「ランパータ班長、アイリスのフルネーム知らないの?」
「アイリス・フォーテクスだろう? ……!」
即答した瞬間、瞠目する。
それでは、アイリスはフォーテクス社の社長令嬢なのか――。視線で問うランパータに対し、シシナは気怠げに首肯した。
「ユッチ。君は……」
ユッチは口をへの字にした。
「そいつはいくらなんでも勘繰り過ぎ。娘と会社は無関係でしょーが。俺は単なる女好き……」
最後まで聞かず、ランパータは大袈裟に溜息を吐いた。
「まったく嘆かわしい。君は中尉に昇進したんだぞ、少しは落ち着け」
「あら、気のせいかしら。もっと私の方を見ろって言ってるように聞こえたけど」
「シシナ。貴様、猫鍋にして食ってやろうか」
「冗談よお、ランパータ班長。あたし今はテレパシー使ってないしぃ」
にわかに騒がしくなった一人と一匹に背を向けると、ユッチは片手をひらひらさせつつ歩き去って行った。
「ミニスカートね。任せなよ、班長」
独り言を呟いたのは茶髪の少女、ミュウだ。彼女はユッチたちからは死角となる柱に背を預け、拳を握るのだった。
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