部下たちの入院
(ミュウ!)
先輩から呼ばれた。そう思って瞼を開く。
その瞬間、意識がクリアになる。どうやら、熟睡していたようだ。
「……ここ、どこだ?」
気を失う直前の記憶が蘇る。
今回の相手には、二人掛かりでも敵わなかった。たかがBクラスのIMだと言うのに。
悔しさに拳を握りしめる。ベッドを軽く殴りつけ、ろくに加減せず唇を噛む。鉄の味がした。
寝かされているベッドの頭部手すりを見る。そこには、この世界の共通言語であるセクダーン語で「ガルメダ病院」と書かれたプレートがあり、名前が表示されている。
ミユウ・カキザキ軍曹——柿崎美優、と。名前の横に書かれた数字は十六。彼女の年齢である。
「そうか、こっちに来て一年だもんな。俺、女子高生やってたのに。……どんな制服だったっけ」
閉じた目をすぐに開く。思い出すことを放棄したらしく、その顔には何の表情も浮かんではいない。
「くそIMめ」
歯を剥き出し、眉間に皺を寄せる。なまじ整った顔をしているだけに迫力があるのだが、残念なことに本人にはその自覚がない。
IM。その正式名称はイマジナリー・モンスター。最新の研究によれば、ある世界と別の世界の間に広がる『虚数空間』を住み処とする不定型生命体だという。彼らは稀に人間の住む世界に現れ、凶暴化する。
IMどもはなぜ人間の世界に現れるのか。知能はどの程度で、なぜ人間を襲うのか。全ては調査段階であり不明のままだ。
これだけははっきりしている。IMと戦うには対魔法装備が不可欠だ。それも、レベルの高い魔力を持ち専門の訓練を積んだ魔法士でなければ、命を落とす危険が極めて高い。
そして遊撃班に配属されたミュウたちにとって、凶暴化IMを狩ることこそが主な仕事だ——いや、仕事だった。
彼女は、訓練通りに自分の身体をチェックした。
痛む場所はない。両腕とも思い通りに動く。両脚は動かない。固定されている。
布団を捲ると、下腹部から爪先まで包帯が巻かれていた。満足に動かせないものの、爪先が包帯に触れているような感覚がある。
「…………?」
感覚があるということは、麻酔は効いていないということ。ということは、両脚のどこにも痛みを感じないというのは逆に不自然ではないか。そう思った瞬間から、彼女の想像は悪い方向へと流れていく。これは本当に自分の脚なのか、と。
彼女は「幻肢」という言葉を思い出す。交通事故などで手足を失った患者は、今までの記憶により手足があるように感じるという。
少なくとも骨折は免れないほどのダメージを負った。その瞬間まではまだ意識を手放していなかった。ツッキーを守るため、最小限のシールドだけは張り続けていたのだから。
あの攻撃を受けて両脚を失ったのかそうでないのか。この世界では医療にも魔法が採り入れられており、たとえどんな怪我だったとしても、元通りに治っているという期待もなくはない。どうせすぐにわかることなのだが、確かめるのが怖い。
ツッキーのことが気がかりだが、自分が生きているからには彼女も無事だと思いたい。IMは二体ともユッチが倒したのだろう。深く溜息を吐くと、昨夜の戦闘の記憶を頭から追い出した。
考えたくない。今は、まだ。
ギファール統合政府は「虚数空間監視機構」の一セクションとして「魔法管理局」を新設した。ミュウたちが配属された遊撃班はBクラス以上の魔法士のみで構成される部隊であり、魔法管理局の中でも花形の精鋭チームなのである。
——そうだ。精鋭チーム。それなのに俺は、復讐の歓喜に溺れて冷静さを欠いてしまった……。
精鋭が聞いてあきれる。彼女は久々の日本語で呟いた。
「情けない。ユッチ先輩に申し訳が立たない。せっかく俺たちを拾ってくれたと言うのに」
何もかも、戦闘技術としての魔法を修得する前の状態にリセットされてしまったようだ。己の身を苛む無力感に、彼女は握った拳を震わせた。
「そんなことないよ。ユッチ先輩、とってもミュウに感謝してたし、謝罪もしてた」
落ち着いたアルト。日本語での返答が聞こえてきたので視線を巡らせた彼女は、同僚の女性の姿を認めて上体を起こそうとした。するとツッキーは開け放たれた病室の入り口から素早く駆け込んでくる。
「だめ。まだ寝てて。酷い怪我なんだよ」
「よかった、ツッキーが無事で。……ん?」
違和感を覚えて目をしばたたく。彼女の服装はミュウのそれと同様のパジャマなのだ。そして胸元ではサツキ・ヒョードー軍曹——兵藤沙月、と書かれた入院患者用ネームプレートが揺れている。
「ああこれ? あたしもちょっと、ね。ミュウより全然軽傷なんだけど」
尻すぼみに小さくなる語尾を訝りつつも、「そうか」と言葉を返す。
「すまない。先輩に負担をかけて、オペレータ兼務のツッキーにまで怪我をさせて。俺ひとりがチームの足を引っ張ってる。悔しいよ」
ミュウの言葉そのものには沈黙を返すと、ツッキーは彼女の肩に手を当て、身体を起こさないよう優しく制してきた。
「ミュウはばかよ。防御魔法の下手なあたしなんか放っておいて、まず自分の身を守るべきなのに」
そのまま耳元に口を寄せ、ありがとうと呟く。
ツッキーは仕事中、長い黒髪を引っ詰めにしていることが多い。だが今はほどいて垂らしている。目鼻立ちは大きすぎず小さすぎず、十人並みと言ってしまえばそれまでの器量なのだが、彼女が浮かべる柔らかい微笑みは見る者の多くを癒す力を宿している。
「愛らしさと色気の中間。これは同性でも惚れちゃうわよ。ね、ミュウ?」
その場に突然、女性の声が割り込んだ。セクダーン語だ。ツッキーの声ではない。ミュウは声の主を求めて視線を彷徨わせている。
女性の声はミュウとそっくりだ。
「実は俺、そろそろ告白しようと思ってたんだ。付き合おうぜ、ツッキー」
「おいこら、俺の声真似するんじゃねえ。しかも何でたらめを言ってやがんだ、シシナ。このいたずら猫め」
声真似されたことで侵入者の正体に気付いたミュウは、セクダーン語で声を荒げた。しかし、返ってきたのは
「にゃはは」
という、反省の欠片もない笑い声だった。
「俺はたしかにツッキーのこと愛してるが、告白とかあり得ねえから」
「もう、ミュウったら。あたしも愛してるっ」
それに対しツッキーは、赤らめた頬を押さえるジェスチャーと共に身をくねらせてそう告げる。
単なる身内でのジョークの一環だ。それなのに、ミュウは素で頬が赤くなるのを自覚して、毛布を目のすぐ下あたりまで引っ張り上げた。
「……っ。ツッキーは先輩ひとすじだろっ?」
「あら。それについてはミュウだって人のこと言えないと思うのだけど?」
白い生き物が飛び乗った。どうやら、たった今までミュウの死角となる病室の床にいたようだ。その生き物は体長四十センチ程。ひげ、四本足、全身を覆う白色の毛並み、そして尻尾。どこからどう見ても猫そのものだ。
白猫が背後を振り仰ぐと、ミュウと似たような顔色をしたツッキーが所在なさげに立っている。
「ふふ、かわいいわね」
その言葉は、確かに猫の口から発せられた。ミュウの枕元に近付き、さらに言葉を続ける。
「あなたたちは正直で好きよ。思っていることと行動の齟齬がないもの」
テレパシー能力。それがこの猫、シシナの持つ魔力なのだ。SEの助けを借りることなく発動できる上、魔法士相互の遠話を中継することが可能。その能力により、シシナはキュラムス班の通信士を務めている。ただし、中継できるのは彼女と念話を交わしたことがある魔法士に限られる。また、有効半径は彼女を中心とした一キロ以内だ。
「キュラムス班は暇なのか? ここで油売ってていいのかよ、シシナ」
ミュウの憎まれ口を柳に風と受け流し、シシナは欠伸をしてから答えた。
「魔力A+クラスのユッチ班長は別として、あなたたちBクラスがSクラスのIMを倒しちゃうものだから、こちらに回ってくる仕事が少ないのよ」
魔法士には個人差がある。扱える魔法種の多さや魔法による影響力の大きさが魔法士ごとに違うのだ。そこで、魔法士はSを最高にA+、A、Bと続き、Fまでのクラスが設定されている。
Bクラス以上でないと戦闘任務に就くことができないというのが、監視機構における規定なのである。
SEの標準機能として相手の魔力を計測する機能が組み込まれており、これにより敵IMの魔力クラスも知ることができるのだ。
「今なんて言った。Sだって?」
ミュウは眉間に皺を寄せた。戦闘前の遠隔センサーの計測によれば二体ともBクラスだったはず。
「実際に戦ってみてどう思ったの? 戦闘レコーダの解析結果だから間違いないわ。今回のあなたたちの相手、少なくとも一体はSクラスだった。もう一体は第二班全員の気絶により記録が不完全だけど、解析班によるとまず間違いなくSクラスだったって話よ」
「気絶だ……と? ユッチ先輩もか!」
気色ばむミュウをツッキーがなだめた。
「IMを倒した後、私たちへの応急処置に全魔力を使って、マギ・アウト……」
「俺たちの——、俺のせいか……っ」
興奮が一気に冷め、ベッドの上で項垂れる。
「あたしの話聞いてた? あなたたち第二班単独で、明らかに格上の敵を撃破したのよ。胸を張りなさい。ま、今回の怪我はいい休暇だと思ってゆっくりしてて。今夜あたりからあたしたちの班も忙しくなりそうね……」
その時、開けっ放しにしてある病室のドアから咳払いが聞こえてきた。
「ここに居たのか、シシナ」
太い声だ。丸顔ではあるが鷹のように鋭い瞳に強い眼光を宿した男が病室を覗き込んでいる。背は低めだが筋肉質な体格が遊撃班の制服の上から見て取れる。
「マルガン曹長。お見舞いに来てくださったんですか?」
笑顔で話しかけるツッキーやベッドに横たわるミュウとは目を合わそうともせず、第一遊撃班・別名キュラムス班のマルガン・マクーサはシシナを見たまま言う。
「見舞い? ふん、まさか。そこの白猫を迎えに来ただけだ。ところで、普段から言っているだろう。前衛は俺たちAクラスに任せて、お前らBクラスはバックアップをやっていればいい。まあ、今回の怪我で目が覚めただろうがな」
「おいマルガン。そんな言い方は! ミュウとツッキーはSクラスの敵を倒したんだ。名誉の負傷じゃないか」
マルガンの後ろから、長身痩躯の男が声をかけてきた。マルガンの肩ごしに病室を覗き込む。横たわるミュウの視界からも、その顔を確認できるほどの身長差だ。彼はリパル・メパル曹長、マルガンの同僚である。
「倒したのはサワヌマ少尉だろう。こいつらじゃない」
「チームの戦果だよ。ユッチ班長は確かに強いけど——」
そこまで言った途端、相棒の視線に射竦められ、リパルは少しだけ首を縮こめる。が、結局最後まで言い切った。
「——個人プレーで二体のSクラスを倒せるわけがない」
ミュウは黙って聞いていたが、強く唇を噛んだまま自分の爪先あたりを睨んでいる。
「ごめんねミュウ、ツッキー。気にしないで……と言うのは無理だろうけど」
「いいえ、リパル曹長」
ミュウは何も答えず、ツッキーもようやくそれだけ返事した。リパルは気遣わしげな作り笑いを浮かべてから、シシナに話しかけた。
「ランパータ班長が呼んでいる。任務じゃないからまだ三十分くらいは余裕があ——」
「五分以内に降りてこい。下で待っている」
リパルを遮って低い声でそう告げると、マルガンは歩き去ってしまう。
「おい、マルガン! ……ごめんね、本当に」
軽く頭を下げると、リパルも彼を追って病室から離れていった。
ミュウとツッキーはしばらく呆然として、誰もいなくなったドア付近を見つめていた。
やがて、ツッキーは沈黙を振り払うように「あ、そうだ」と高めの声を出してシシナに顔を向ける。
「さっき、私たちのこと正直って……。キュラムス班の人たちは嘘つきなの?」
シシナも体の正面をツッキーに向けた。はずみで尻尾がミュウの鼻をくすぐる。
「くしょん!」
「もう、汚いわねミュウ。唾かけないでよ。……ああ、ツッキー。同僚、痛くても痛いって言わないし……おっと、それはあなたたちも一緒ね。それに」
シシナは意味ありげに首だけ巡らせてミュウを見て、再びツッキーを見上げる。
「あたしを呼びに来ただけなら、わざわざ二人で来る必要はないでしょ」
「ふふっ」
ツッキーに頭をなでられたシシナは、目を細めてごろごろと喉を鳴らした後、慌てたように数歩後退した。ミュウの枕にぶつかって仰向けに転がる。
「こっ、こら。やめなさいよツッキー。こう見えてもあたし曹長になったのよ」
「ほう、上官殿になったのか。でも今は任務中じゃないぜ。それに、シシナも正直じゃないね。ゆっくり撫でてもらえばいいのに」
その言葉を黙殺し、シシナはベッドの縁に前足をかけた。ゆっくりとミュウを振り向き、直前の遣り取りがなかったかのように告げる。
「あたしに読めるのは言語化された表層意識だけ。その人が心の深いところで何を考えてるのか、本当の気持ちはどうなのかまではわからない。本人だって自分の本心に気付いていないこと、意外と多いのよ。だけどマルガンのあなたたちに対する悪口や嫌味、言葉通りのものとは限らない。少なくともあたしは、あなたたちのこと認めているわよ。今日はそれだけ言いに来たの。じゃ、またね」
「待った。シシナ、最後に一つ聞いていいか」
「…………」
嫌そうに振り向くシシナは、ミュウが次に何を言うのかわかっているようだ。
「俺もツッキーも脳内では日本語で考えてることが多いはずなんだが、なぜそんなによくわかるんだ」
「忘れたの? あたし、ユッチの飼い猫だったのよ。
……ミュウが本当に聞きたいのは別のことよね。それについてはまた今度ね」
ベッドからひらりと飛び降りたシシナは、その後はこちらを振り返ることなく開きっぱなしのドアから出て行った。
シシナが去ってしばらくすると、ミュウは視線を落として呟きを漏らす。
「なあ、ツッキー。お前は知ってるんだろう。教えてくれ、俺の脚がどうなったのか……」
「いいわ、ミュウ」
ツッキーが発した強い声。しかも、あっさり伝えて寄越した了承の返事に驚いて振り向くと、彼女はミュウの手を握って視線を合わせてきた。
ミュウは息を飲んだ。ツッキーの両目が光り、その正面に小さな紺色の魔法陣が出現したのだ。ここは病室で、今は任務中ではない。SEを携行していないはずだというのに。
「視覚を同調するわよ」
「なに! ツッキー、そんな高度な魔法いつの間に——」
「目を閉じて、ミュウ」
驚きつつも、言われるままに目を閉じる。するとミュウの視界は、彼女の肉眼によるそれからツッキーのものへと切り替わった。鏡でも見るかのように自分の姿が見えている。
視界はゆっくりと動き、毛布に隠された自分の両脚を真横から見るアングルとなった。
ツッキーが首を動かし、ミュウの両脚に注目しているのだ。
「……っ!」
包帯を透過し、その内側に包まれた足が見えてくる。
「と、透視だと!?」
脚だ。ツッキーよりも幾分太いのがコンプレックスだが、慣れ親しんだ自分の脚。ひとまず安心したのだが、ツッキーが視覚同調を終わらせる気配はない。
「ふぇっ!?」
我知らず、妙な声が漏れた。
足の皮膚さえも透けて、その内側が見えてきたのだ。
「…………な!」
そして——息が止まった。
「機械、だと!?」
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