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路地裏の戦闘 2

 歩いているのと変わらぬ移動速度だというのに、ユッチの息は上がっている。

「はあ……、くそっ」

 つい声に出して毒づいた時、ようやく右側ビル裏の路地が見えてきた。

 路地に飛び込んだ途端、断続的に輝くスパークが周囲を照らす。光源までの距離は二十メートル。ユッチから見て左手に黒い熊、右手にそいつと交戦中の少女たち。

 部下たちが健在なのを確認してひとまず安堵の息を吐くと、現状を冷静に観察する余裕が生まれた。

 茶髪の少女ミュウは地面に片膝をつきながらも、背後の黒髪少女ツッキーをかばっている様子だ。ミュウが片手を脇腹に当てているのを見たユッチは、彼女が自分と似たような戦闘経過を辿ったであろうことを知る。

 こちらの熊も三メートルほどの背丈。そいつとミュウたちを隔てる空間に浮く魔法陣は黄緑色に輝いている。ミュウの魔法色だ。彼女はぎらつく眼光を目に宿しているが、冷静な戦意を保っている様子が見て取れる。

 一方、ツッキーは胸の前で合掌しており、その両手は濃紺色に輝いていた。

 よく見ると、二人とも制服のあちこちに小さな裂け目や焦げ目ができている。両足でしっかりと立っているツッキーは、あまり大きなダメージを食らっていないように見える。

 ツッキーが両手を身体の前へと伸ばした。バスケットボールのパスと良く似た動作だ。

「【奔】!」

 声を張り上げた直後、彼女の掌から濃紺の光条が迸り、黄緑色の魔法陣へと伸びて行く。

 ミュウの魔法陣を無抵抗に貫通した光条は、次の瞬間幾筋もの光弾に分裂し、熊の身体に突き刺さった。味方の攻撃を通し、敵のそれを防ぐ不可逆の盾。

 熊は顔面をかばう仕草とともに、数歩後退した。

「【雨】!」

 ツッキーが声を張り上げると、熊の頭上で濃紺色の光が弾けた。

 つられて仰ぎ見る敵の顔面めがけ、水滴型の光弾が降り注ぐ。やがてそれらのうち一滴が、熊の右目に直撃する。

 上手い。部下を褒めるユッチの呟きは、強烈な音に掻き消された。


 霹靂が轟く。


 音の発生源は熊、耳を聾する雄叫びだ。一匹の生物に出し得る声量とは思えない。

 敵は、なおも全身を突き刺す光弾を意に介さず、残った左目でツッキーを睨みつける。高く振り上げた爪が深紅に染まり、硬質な輝きを放った。

 真っ赤なオーラを身に纏ったその様子は、まるで怒りの波動を放出しているかのようだ。仁王立ちする熊は、見る者に巨体が更に一回り大きくなったかのような錯覚を惹き起こさせずにはおかない。

 ツッキーの足が微かに震えている。ユッチにはそれを咎めるつもりなど毛頭ない。恐怖を知る戦士をこそ大事にすべき。命知らずの戦士は往々にして部隊全体を危機に陥れるものだ。もとより、ツッキー本来の任務は後方支援とオペレーション。あまり戦闘向きではないのだ。

 しかしそれでも、彼女は気丈にも敵を睨み返している。一歩たりとも後退りする気配を見せない。

 よく堪えた。内心で労うと、ユッチは足音と気配を消して熊へと近づく。現在十数メートル。右目を潰された敵にとって、こちらは死角だ。まだ接近できる。

 今だ。素早く腰のホルスターに手を伸ばした次の瞬間——。

 マズルフラッシュと共に銃声が轟く。

 銃口正面で先刻と同様の魔法陣が輝いている。

「ぐ……うっ」

 脇腹の痛みに顔を顰めつつも発砲すること十回、全弾が熊に命中。凄まじい早撃ちだ。

 対する熊の反応は、僅かに身体を揺らしただけ。まっすぐにツッキーを睨み続けている。どうあっても右目の恨みを晴らしたいというところか。

「無視すんじゃねえっ」

 大きめの声を出すだけでも脇腹が痛む。万全の状態で戦うためには、魔法で手っ取り早く止血したいところだ。

 しかし、と思い直す。残りの魔力はわずかだ。予め弾に魔力を込めておいた拳銃——サイキックウエポンが効かない以上、自身の魔力は可能な限り攻撃に割り当てるべきだ。そうでないと、ここまで我慢してきた意味がない。

 突如、底冷えのする悪寒にぞくりと身を震わせた。背を這い上る悪寒の正体を見極める前に、反射的に叫ぶ。

「————っ! 【壁】!」

 ユッチの目の前で金属音さながらの高い音が響く。熊の身体から飛来した光弾がユッチを襲ったのだ。

 間一髪、展開した魔法陣が光弾を止めた。

 どうやら、食らった銃弾を魔法で弾き返してきたようだ。

「顔はミュウたちに向けたまま、こっちを牽制しやがるとはな。上等だ」

 呟きながら頭を冷やす。もし止血魔法を使っていたら、対応が遅れていたかも知れない。

 わずかながら熊の注意がこちらに逸れたところを狙ってか、ツッキーが次の攻撃を仕掛けていた。濃紺の光弾が多数、熊の顔面へと殺到する。しかし、敵はそれを避けようともしない。

 直撃。

 しかし、まるで効いていないようだ。目を凝らしたユッチは、見たものを理解するのに時間がかかった。

「シールドだと⁉」

 IMは複雑な魔法を使わない。どんな形態の奴でも爪や牙、それに類する武器による肉弾戦で人間を襲う。稀に尻尾や触手状の器官を武器として使う奴もいるが、それとてさほどの遠隔攻撃をしかけてくるわけではない。ただ単に、間合いに入れば半ば自動的に襲いかかる。それが、これまでの常識だった。

 しかし今、熊の目の前には円形のシールドが浮かんでいる。白っぽく半透明に光っているだけで複雑な紋様は現れていないが、大きさはミュウのそれとほぼ同じ。おそらくは彼女の魔法を真似したのに違いない。

 シールドの円周部が太陽のフレアのように滲んでいる様子を見るに、消費魔力の大きい非効率な魔法だ。魔法生命体たるIMという存在は、その身に無尽蔵な魔力を宿しているのだろうか。

 場の全員がフリーズする中、逸早く再起動したユッチが叫ぶ。

「まずい! 踏ん張れ、ミュウ」

 熊が己の魔法陣を前方へと押し始めたのだ。そのままミュウの魔法陣に押し付ける。

 両者が重なった途端、眩い白光のスパークが飛び散った。

「うお……っ」

 スパークの余波はユッチの周囲にも降り注ぎ、これ以上は迂闊に近づけない。時折こちらに視線を向ける熊の様子はまるで、三人の戦士がおいそれと連携をとれないように計算して攻撃しているかのようだ。

「こいつ、知能があるってのか。……くそ。ミュウ無事か、しっかりしろ!」

 防御に専念しているミュウは苦しそうだ。ユッチの声が届いているのかどうか、返事を寄越す素振りも見せない。片膝立ちで踏ん張っているにも拘らず上体がふらふらと揺れ始めていた。その口から漏れる苦鳴も心なしか弱々しくなっている。長引けば長引くほど不利だ。

 一か八か。ユッチは魔法陣を消した。

 気合いの叫びを振り絞り、光の槍を作る。

 投擲の構えを見せた途端、ユッチの身体に一条のスパークが突き刺さる。ヘルメットが弾け飛び、その場に立ち尽くす。やや遅れて、発光していた肘と膝のプロテクターも光を失い、ユッチの体からちぎれて落ちた。

 切れた額から流れる血が汗と混じり、顔面に赤い筋を描いていく。呻き声をあげて膝を折ると、そのはずみに槍が消滅してしまった。

「くそったれ」

 罵り声を敵にぶつけながらも、己の判断の甘さを呪った。今ので残り少ない貴重な魔力を大きく消費してしまったのだ。

 片膝立ちで上体を支えるものの、ダメージと疲労で膝が笑い始めている。少しでも気を抜くと、今にも意識が飛びそうだ。

 こいつを倒すまでは、気絶するわけにはいかない。

「ぐあ!」

 怪我した部分を自ら抓り、意識を繋ぎ止める。

 ひときわ大きな熊の咆哮が轟いた。至近距離での落雷もかくやという威圧感だ。

「うおおおおお!」

 ミュウが声を限りに叫ぶ。緑の色合いを増す魔法陣に照らされ、熊は顔をかばう仕草を見せた。次の瞬間、熊のシールドが霧散する。

 コンディションはユッチよりも酷いはず。その部下が根性を見せたのだ。

「ミュウ……!」

 労いの意味を込めて部下の名を呼ぶと、奥歯を噛み締めて気合いを入れ直す。

 敵は再び、両腕を交互に繰り出して魔法陣にぶつけ始めた。爪と魔法陣が激突するたび撒き散らされる火花は、ユッチの上にも降り注ぐ。

 鋼と鋼が打ち合うのに似た、余韻を残す高い響き。絶え間ない火花に照らされ、ミュウの額に青筋が浮いているのが視認できる。

 音が変わった。さらに高く。魔法陣の光は、さながら消えかけた蝋燭のように不規則に薄くなる。

 やがて魔法陣の紋様に罅が生じたかのような不規則な綻びが生じ、広がっていった。

 魔法陣は硬い盾。その強度を支えるのは術士の認識だ。ミュウの認識に干渉する熊の爪は、罅という形で綻びを広げてゆく。

 今やミュウは両膝を地面につけ、肩で息をしている。そんな状態でも両手を広げ、背後のツッキーを庇おうとしている。

 相手の劣勢に勢いづいたのか、熊はそれまでより素早く両腕を振り回し始めた。

 魔法陣を蝕む罅は、全体に広がってしまった。割れるのも時間の問題だろう。

「ミュウ、諦めるんじゃないぞ!」

 部下にかけた言葉は自身を鼓舞するためのものでもある。なんとしても部下を、仲間を助けたい。しかし、すでに疲労はピークに達しており、両手から生じるスパークは線香花火さながらだ。

「ならば殴りつけるまで……っ!」

 スパークが槍を形作るのを待つことなく、ユッチは地面を蹴って踏み込んだ。アドレナリンのせいで痛覚が鈍くなっている。

「いける!」

 しかし、一歩遅い。

 ガラスが割れるような音が響きわたる。

 瞠目するユッチの視界の端で、ミュウの魔法陣が粉々に砕け散った。

 無防備のミュウ目掛けて振り下ろされる熊の腕。

 認識だけが肥大し、時間の進みが遅く感じられる。悪夢を見ているようだ。自分の身体ものろのろとしか動いてくれない。槍は未だ具現化せず、拳の先に光を纏うのみ。

 ミュウは熊に背を向け、ツッキーに飛びついた。少しでも距離を開けようとするその努力を嘲笑うかのように、熊の爪が迫っていく。

 その距離、わずか三十センチ。

 一方、ユッチの拳から熊の身体までの距離、一メートル。

 焦れて叫ぶ。意味を為さない絶叫。

 そのとき、眩い閃光が闇を切り裂いた。


 白く塗り潰された視界。続いて、渦なす青い輝きが出現する。


 烈風纏いし青い剣。刀身およそ一メートル。ユッチ渾身の魔力が今、武器として具現化した。

 敵は首をねじ曲げ、剣を視認するや瞬時にシールドを展開した。

 ユッチは剣に両手を添え、体重を乗せて振り下ろす。

 紫電一閃。

 障子紙をはさみで切るかのごとく、シールドを両断してしまう。なお些かも速さの鈍らぬ剣が黒い巨体へと沈み込む。

 袈裟切りにされた熊は、あっという間に全身を青い光で包まれてしまった。

 しかし、それで終わりではなかった。

 敵の指先から抜けた爪は、執念深く部下たちへと迫る。

「な——!」

 体重を乗せた一撃の直後なのだ。地面すれすれまで重心が低くなっていたユッチは、その様子をただ見ていることしかできない。

「避けろ!」

 振り絞る叫びも虚しく、部下の身体に到達した爪は——。

 爆発した。


 引き延ばされていた時間感覚が元に戻る。

 爆風に勢い良く転がされるユッチの手からは剣が消え、視界が再び闇色に塗り潰されていく。

 蒸発する熊を確かめもせず、ユッチは仲間たちの元へと、半ば這いずるようにして近寄った。彼の顔面には新たな裂傷が増えているが、全く構う様子がない。

 ようやく辿り着いたが、部下たちに向けて伸ばしたユッチの手が無様に震える。仰向けのツッキーにミュウが覆い被さる格好で、二人とも気を失っていた。

「うわあああ!」

 ユッチの大音声が響き渡る。

 仲間たちのプロテクターの隙間、制服にはどす黒い染みが広がっている。ミュウの下半身は特に酷い。

「ミュウ」

 熊による最後の一撃は、部下の身体に深刻なダメージを与えていたのだ。彼女の両脚は失われていた。

 一方、ツッキーは五体満足に見える。だが……。

 彼女の両目から流れ出る液体、それは涙などではない。破裂した眼球だ。落ち窪んだ眼窩の無惨さに、ユッチの声が裏返る。

「ツッキー」

 ユッチは仲間たちを呼ばわりつつ、残った魔力を全て使って止血措置をした。

「身体を再生する魔法があるのなら、俺は悪魔とだって契約するっ」

 何か叫んでいないと気絶しそうだった。

 魔法を使いすぎた魔法士は、気絶同然の深い眠りに陥る。俗にマギ・アウトと呼ばれる疲労状態だ。敵との交戦中にマギ・アウトに陥れば命に関わる。撤退時の体力温存のため、SEにはマギ・アウト直前に機能停止させるストッパーが組み込まれている。

 ユッチはそのストッパーを外していた。いつマギ・アウトに陥ってもおかしくない状態だ。今にも手放しそうな意識に鞭打って救護班を呼ぶと、その場で俯せに倒れ込む。

「くそっ。くそ……、くそおっ。なんだよお前ら……。お前らの復讐は、IM狩りはまだ始まったばっかじゃねえか。お前らは俺の初めての部下なんだぞ。簡単にやられてんじゃねえよ」

 路面に頬を押し付けた状態で彼が漏らす呟きは、闇の中に溶けていく。拳を握ったものの、最早地面を叩くほどの力さえも残っていない。

 すまん、ミュウ。すまん、ツッキー。俺が……俺がおまえらを、こっちに連れてさえ来なければ……。

 最後の呟きは、肉声を伴うことなく途切れた。


 熊が蒸発したあと、ふわふわと漂っていた青白い球は、倒れ込んだ彼の左手へと吸い寄せられていく。

「おっと」

 唐突に男の声がしたかと思うと、球とユッチの間を一本の腕が遮る。腕以外の姿は闇を纏ったように輪郭が曖昧で、よく見えない。

 彼の手首にはユッチのそれと良く似たSEが巻かれていた。そして球は、その中へと吸い込まれていく。

「横取りして悪いな。だがIMの(コア)が必要なのは君だけではないのでね」

 男は、ユッチが聞いていないことを知りつつそう呟く。

 デバイスの表示部に文字が現れた。Sと表示されている。

「そうそう、君の昇進が決まったよ。おめでとう、サワヌマ中尉」

 救護班の車両が鳴らすサイレンが近付いてくる。

 見下ろす男の視線のもと、ユッチの脇腹に広がる染みは、徐々にその面積を広げていく。

 男はそれを無関心に見下ろすだけで、特に何をしようともしない。

 次の瞬間、男の姿は闇に溶けるかのように掻き消えてしまった。


 * * * * *


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