前門の虎、後門の狼
『告げる。本艦はこれより単独で五隻の艦隊との戦闘に入る。だが、ロミュレイが構築した——』
『サワヌマ大尉の発案です』
『——割り込むなよロミュレイ。……ごほん。構築したシステムが本艦の守りを固めている。総員、落ち着いて訓練通りに力を発揮されたし』
数の上での圧倒的な不利。しかしそれをものともしないようなのんびりした副長の声。
それは、スタブスターのクルーに安心感を与える効果を齎した。
クルーにとってユッチはヒーローである。
個人の魔法でフォノンメーザー二発を防ぎ、さらには敵戦闘機による体当たりの被害を最小限に抑えた。その結果、死者なしで切り抜けたのだ。
前回の不意打ちにおける戦果は、揺るぎない信頼を育んでいた。
艦内に警報が鳴り響く。
『総員第一種戦闘態勢! 戦闘機隊発進準備!』
たとえ医務室といえども艦内放送を伝えるスピーカーは備えられている。
防音も完璧とは言い難い。床を蹴る複数の靴音や配置につくクルーたちの掛け声などが微かに聞こえてくる。
両目を見開いた。透き通る碧眼が左右の様子を探る。
「医務室……。あたし、寝てたの!? 行かなきゃ!」
英語で呟き、勢い良く上体を起こす。銀髪ツインテールが揺れ——
「はぅ。うえぇ、気持ち悪い」
頭を抱えた。
きつく目を閉じる。刹那の沈黙。
再び見開く。
SEデバイスが薄桃色の光を宿した。彼女——フィリスはデバイスのロックを解除していないというのに。
乗り物酔いの症状が吹っ飛んだのか、ベッドから飛び降りた。艦尾の方向を睨みつける。
「何か、来る!」
『ご安心を、ウィルソン伍長』
ベッド脇サイドテーブルに置かれたタブレット端末から、落ち着いた男性の声がした。ロミュだ。
ついさっきまで医務室で寝ていた人間の、医務室の中での呟きにまで反応するなどというのは、いかに万能な対人インターフェイスといえども越権行為にあたる。この場合、フィリスが身だしなみを整えて呼びかけるまでスリープモードを続けることが対人インターフェイスとしてのエチケットだ。
だが今回に限っては、ユッチによる命令という免罪府があった。
今回ユッチが用意した戦術において、Sクラス魔法士であるフィリスの存在は大きい。そこで彼はフィリス回復への望みをかけ、ロミュに『経過観察』させていたのだ。もっとも、観察とは言っても意識が覚醒したかどうかをチェックしていただけなのだが。
『ルルマッカの対人インターフェイス、スールンから連絡がありました。距離二百五十、友軍艦載機が転移してきたところです。それにしても、ヒョードー軍曹の〈目〉も届かない距離だというのによくお気付きで』
「違うわ、もっと『奥』よ! 得体の知れないのが来る! ユッチ大尉殿に伝えて!」
(起きたか、フィリス。その話、詳しく聞かせろ)
銀髪少女とユッチを除くユッチ班のメンバーは戦闘機に同乗して出撃中である。シシナも例外ではなく、皆あっという間にスタブスターから数十キロ離れてしまった。
ユッチとフィリスの念話はロミュが中継したのだ。
フィリスからの報告を聞いたユッチは(少し考える。病み上がりで悪いが、フィリスにも働いてもらう)と告げた後、艦内放送に肉声を吹き込んだ。
『艦尾側、友軍艦載機の転移を検知! 艦尾パルスレーザー砲撃手は識別信号の確認を怠るな!』
この時点において、フィリスもユッチも確信があった。
ルルマッカは沈んだ。スタブスターは挟み撃ちに遭っている。
(ブリッジクルーも察しているようだが、黙って対処してくれ)
(わかってます)
索敵オペレータの声も艦内放送で流れてくる。
『六時方向、仰角一、距離二百五十。識別信号を確認、友軍アルタライ3。交信途絶中のルルマッカより何らかの伝令の可能性あり。続いて空間転移の波動を検知。六時方向、仰角〇・五、距離三百五十。敵艦載機による追撃を予測』
『艦尾魚雷、電磁バリア放射弾頭。目標、アルタライ3の後方、距離二百五十五。二番、四番発射準備——魚雷発射』
——足りない!
根拠のない、しかし胸を焦がす危機感に苛まれ、フィリスは叫んだ。
「だめです、突破されます。追いつかれる!」
思わず肉声を張り上げたが、思念波も問題なく伝わったようだ。
(わかった。船外魔法陣のリソースの一部をフィリスに回す。俺も胸騒ぎがする。後門の狼は特に厄介そうだ。だがブリッジと艦載機隊は前門の虎に全力を注ぐ。……後ろはお前に任せるぞ)
「はい!」
フィリスはこの時点でようやくSEデバイスのロックを解除した。それまでに何度も空間認識を行っていた事実など、彼女は全く意識していないのだった。
ユッチとフィリスによる呪文詠唱。ぴたりと一致する。
(【空間を統べるゴルベリマの魂よ——】)
「【——我らに仇為す輩に天雷の鉄槌を下したまえ!】」
船外魔法陣が純白の輝きを宿す。戦闘開始前、フィリスたちユッチ班の面々が艦載機に同乗し、スタブスターの周囲に施した準備作業の成果である。
今、この艦を中心に魔法陣が描かれた状態となっている。その素材は虚数物質。ユッチ班全員の魔力を流し込んだ巨大魔法陣は、魔法士による魔力供給を続けることなく長時間に及ぶ魔力発現を続けることが期待できる。
不安材料としてはぶっつけ本番であること。しかし、この状況でゆっくり検証などしていられるわけがない。
『目標空域にて魚雷爆発。電磁バリア展開を確認。——と、突破されました! 未確認飛行物体接近!』
艦内放送。防御オペレータの声だ。
戦闘モード。フィリスは思考も言葉もセクダーン語に切り換えた。
「味方機は墜とさせない。——行け!」
銀髪少女の意識は魔法陣の一部に接続され、艦尾後方の空域を正確に把握する。
アルタライ3を追いかけるのは巨大な人型メカ。他に敵影はなく単独だが——
「強敵だ。だが」
人型メカが手を伸ばす。
逃げるアルタライ3の反撃。真後ろに向けてレーザーを放つ。
命中。
しかし、人型メカはそれを片手の掌で受け止め、放射状に拡散させてしまう。
人型メカの両肩が光った。
そこには『砲塔』が据え付けてあるわけではない。半円状の隆起があるだけだ。だが、それこそが周囲三百六十度への攻撃を可能とする『砲台』なのだ。
太い光条が迸る。
「好きにはさせない」
桃色の光が唐突に出現し、放射状に展開する。アルタライ3の真後ろだ。
それは魔法陣によって増幅された、フィリスによる障壁。
人型メカの光条は桃色の光に阻まれ、拡散した。
「喰らえ」
雷撃。
急停止——縦旋回。
「……外した」
旋回を終え、首を左右に動かして警戒する人型メカ。
やがてこちらに視線を固定すると、その両目にあたる部分が光を放った——ように見えた。
目が合った。
(ふふ。こんなすっごい手応えなんて、初めて。パウラ楽しいっ)
——パウラ? 自分の名前? あたしが自分のことをフィリスと呼ぶようなものかしら。……というか、同い年くらいの女の子?
(フィリス? ふふふっ。パウラ負けないよ)
相手にも空間把握系および精神感応系の能力に関する心得があるということか。
銀髪少女の意識と緑髪少女の意識が一時的に繋がった。
「ふ——上等だ」
好敵手。
互いの認識が、戦闘空域に幻の火花を散らす。
パウラの関心から外れたアルタライ3は戦闘空域を離脱し、スタブスターへと接近してゆく。
* * * * *
ユッチは艦首側から迫る敵艦隊の情報を見逃すまいとモニターを睨みつける。
(ユッチ大尉殿! リソースの追加、一割を要求します)
ブリッジとの直通回線を備えていないはずの医務室からフィリスの声が届く。もちろん念話だ。
(……五割追加する。そのかわり三十分でけりをつけろ)
(二十分で充分です)
(甘く見るな。アルタライ3にはルルマッカの人格インターフェイス、スールンが乗っていた。彼の情報によるとその人型、空間転移を使う。しかもルルマッカの必殺技、攻性被膜による面攻撃の中から脱け出すほどの強力な奴だ)
(……ふむ、そうですか)
その落ち着いた返答に、ユッチは半秒だけ思案する。
(よし。二十分だけだ。今の倍のリソースをそちらに回す)
(しかし、それでは大尉殿が)
(こっちにはランパータがいるんだ。必ず虎を狩ってみせる。だからお前は狼狩りに全力を傾けろ)
(了解!)
フィリスの闘志は飛躍的に肥大していく。
その様子を感じながら、ユッチは艦首側に待ち受ける敵へと意識を集中した。
「艦載機隊。フォーメーション・ペンタグラム」
『アルタライ・リーダー、了解! 各機、フォーメーション・ペンタグラム』
「ユッチ班、SEデバイス、ロック解除」
『ランパータ、了解! 各員、SEデバイス、ロック解除』
やがて、敵の駆逐艦ロンサムがハイライト表示される。バブルバリアを突破されたのだ。
スタブスターのバリア内は艦尾側も艦首側も戦闘空域と化した。
「全機、突撃!」
船外魔法陣が一際眩く輝いた。




