狐と狸
エターナル・チルドレンの応接室では今、男たちがソファに腰掛けていた。応接室とは言え、ここは地下。ごく限られた者しか立ち入ることのできない区画である。
男たちは三人いる。
目の細い男は薄笑いを浮かべてマグカップを手に持ち、コーヒーの香りを愉しんでいる。
眼鏡の男は頬を緩めて足を組み、イヤホンをつけて身体を揺らしている。いかにもアップテンポなナンバーを聴いているという風情である。
最後の一人、黒目黒髪の青年だけは口をへの字に曲げており、この中でただ独り不機嫌そうな様子に見える。
最初に口を開いたのは黒髪の青年だ。
「悪い冗談を聞かされている気分なんだが。俺の知る限り、フェアリーテイルは裏切者を確実に始末する組織のはず。それが何だ。虚数空間に逃げ込まれて追跡不能だと? 連中がトルーパーを稼働させても、こちらには戦闘データが得られないだと?」
どちらかといえば落ち着いた声ではあった。決して喚き散らしてはいないが、青年の額には青筋が浮いている。
「おまけにエボネルド・クリスタルの予備もないときた。話が違う」
眼鏡の男へと睨む目を向けた。
「クスタ博士。クリスタルを複数用意してからプロトタイプの製作にとりかかる。あんた、そう言ったよな」
確認を求める言葉に関心を示すことなく、眼鏡の男——クスタ博士は身体を揺らし続けている。
青年は眉間に皺を寄せた。しかし、小さく溜息を吐き、首を振ることで冷静さを取り戻す。ほとんど間を置くことなく、再び話し出した。
「ガスタフ——今はゴラゾか。奴の仲間の女によると、クリスタル精製に必要なのはSクラスIMの核が複数個だそうだな。俺が個人的にストックしている核ではクリスタルを作るには足りないということになる。これも先に聞いていた話と違う」
クスタ博士は身体を揺するのをやめた。青年の話をちゃんと聞いてはいたようだ。
「勘違いしてもらっては困るよ、ユージス」
「ユウジ・スズキだ。いい加減覚えたらどうだ」
「君の名前は発音しづらいんだ。前にも言ったと思うがね」
「流暢な日本語を話すくせによく言う。……それで、何が勘違いだって?」
「そうそう、勘違い」
クスタはへらへらと笑ってから話し始める。
「実験の過程において、我々研究者は様々な仮説を立てる。そこには当然、大量の勘違いが紛れ込む。私が君に伝えた情報についてはいずれも、必ずしも正しいとは限らないことを明言しておいたはずだよ」
「……ふん」
クスタ博士はイヤホンを外し、青年の視線を正面から受け止めた。眼鏡が室内灯を反射し、瞳が隠れる。
「最近になって明らかになったことがいくつかあってね。まずはSEジャマーのコアユニットとなるブラック・ブロック。これの素材として必要なのはIMの核だが、これはIMの魔力クラスに関係なく三つもあればよい」
言葉を切ると指を三本立て、ずれてもいない眼鏡の位置を直した。
「次に、AIMトルーパーの心臓となるエボネルド・クリスタル。これの素材もまたIMの核だが、こちらはSクラスばかり。しかも七つ必要だったのだ」
それを聞くや、青年は立ち上がった。
「七つ、だと」
低く抑えた声からは、爆発寸前まで内圧を高めた静かな怒りが伝わってくる。
「なら、のんびりしている場合ではない。とっととSクラスを召喚してもらおうか」
しかし、博士は首を横に振った。
「IMを呼べるのはそこにいる日本支部長だけ。しかしその彼をして、Sクラスを呼べるのは二か月に一体が限度だ」
「……おいおい、それはないだろう」
青年は再び座ると、ソファの背に深く凭れかかって天井を見上げた。
「トルーパーは年に一体。それでは商売にならん」
「それについてはプランがありますよ」
それまで黙っていた目の細い男は、コーヒーを飲み干すとカップを置いた。
「——ユージス」
「あんたもか、ロズィス。……はぁ。もうユージスでいいよ。で、プランとは?」
ユージスからの問いに、口の端を吊り上げて答える。
「A+クラスなら月に何体か呼ぶことができます。Aならもっと多く。それらを育てることでSにランクアップさせるのです」
「ほう。自信ありそうだが、実際にランクアップさせた実績でもあるのか」
「ありますよ。そうやって育てたものを含め、研究所の地下にはSクラスIMを三十体ほど保管してあります」
「トルーパー四機分か。……まてよ。博士、クリスタルの予備はないと言っただろう」
話を振られることは予想済みだったらしく、クスタは淀みなく答えた。
「けけけ。精製して保存しておけば奪われることもあるだろう。今回のようにね。だから精製することなくストックしてあるのだ。このことは寒波くんにも伝えてはいない」
「ふむ」
ユージスは視線の温度を下げた。
「その言い方から察するに、その寒波とやらもグルか。ルーシーのハニートラップにひっかかったように見せかけたのは演技だったと?」
表情を消し、クスタとロズィスを順番に見る。彼らは特に反応を示さないが、ユージスは言葉よりも明確に察したらしい。
「……ゴラゾめ、やってくれる。愚直を絵に描いたような男だったはずなのに、ツェダーラ側の産業スパイだったってわけだ」
「ははは。彼はそんなに器用な男ではありませんよ。ルーシーと寒波の二人でしょうな」
——ぎしり。
静かな室内に歯軋りの音が響く。ユージスのこめかみが小刻みに震えていた。
「あのブツは俺たちが買う予定だった。対IM兵器としての有効性をデモンストレーションし、吊り上げた値で監視機構に大量に納品するはずだったんだ。地道に進めてきた計画を、完成目前で……くそったれ」
「けけけけ。ユージスには他にもプランがあるのだろ——」
「トルーパー以外のプランなどゴミだ。利幅が狭い。まるで比べ物にならん!」
声を荒げ、クスタを遮る。
「なんとかして、奴等がツェダーラ側と接触する前に航虚艦ごと沈めてしまえ!」
ユージスの剣幕にも、他の二人は動じた様子を見せない。
ロズィスが指を鳴らした。
すると虚空から二つのマグカップが現れ、応接卓を挟んで対面するユージスとクスタそれぞれの正面でコーヒーの芳香と共に湯気を立てた。先ほど空になったはずのロズィス自身のカップからも同様に湯気が立つ。
「まあ落ち着きなさい。今の監視機構にとって、ゴラゾはこの私を上回る優先捜査対象」
「…………」
沈黙するユージスに対し、ロズィスは穏やかに言葉を続けた。
「都合のいいことに、この日本には監視機構のフリゲート艦スタブスターが停泊中です。ゴラゾを仇と憎むキュラムス少尉も。ここは一つ、彼らに任せてみようではありませんか」
「なあ、おい。さっきは追跡不能と聞いたはずだが」
「けーっけっけっ。我々には、な。実は午前中、サワヌマ大尉がここを訪ねてきてね。寒波くんに名刺を渡していたのだよ」
監視機構特製の名刺——
特に疑いの目を持たなければ、それは一般的な紙製のものだ。しかし、そこに埋め込まれたナノマシンは強力な追跡機能を有する。ただし、その追跡機能を余すところなく利用できるのは魔法士の中でも限られた者だけだ。
クスタが言わんとしたことを、ユージスは即座に脳内で補完した。憂鬱に表情を曇らせる。
「ユッチのやつ、やけに鼻が利くようになりやがって。今後、動きにくくてしょうがないな」
「ふふ。そちらの問題はご自身でご解決を」
「言われるまでもない」
「さて。寒波がトルーパーのプロトタイプを完成させる前にスタブスターが追いつけば、サワヌマ大尉の勝ち。そうでなければゴラゾの勝ちでしょう」
「待て待て。今回に限っては、ユッチに負けてもらっちゃ困るぞ。プロトタイプがツェダーラの手に渡ってしまう」
「けーけけけけけ!」
クスタは今日いちばん大きな笑い声をたてた。
「問題ないよ。ツェダーラも一枚岩の組織ではないのでね。トルーパーの技術情報は欲しいが、それを非友好的な手段で奪うのはまずいと考えているグループもある」
「ふむ」
「それに、ここが一番肝心なのだが。スタブスターの艦長はツェダーラ重役の身内なのだ。艦船のクルー情報は第一級機密だからな。ゴラゾたちはその事実を知らんのだ」
「あんたはよく知ってるな」
「それはお互い様だろう。で、だ。仮にスタブスターを撃沈した場合、ゴラゾはツェダーラを怒らせることになる。商談すべき相手を失うというわけだ」
静かにコーヒーを啜っていたロズィスはカップを置くと、あくまでも穏やかに告げる。
「多少前倒しになりましたが、もともとゴラゾには退場してもらう予定でした。サワヌマ大尉が返り討ちに遭うようであれば、その時は我々の手で改めて始末する必要がありますがね。手間を省くためにも、大尉にはがんばってほしいものです。そんなわけで、どちらにしても慌てる必要はありません」
「…………」
最後の最後に二人のフェアリーテイル幹部が余裕の態度を崩さずにいた理由を聞かされ、ユージスは大きく深く溜息を吐く。冷めたコーヒーを胃に流し込み、軽く顔をしかめるのだった。
* * * * *
天井高は三メートル、幅と奥行きは十五メートルずつの空間。
ユッチは再びスタブスターのブリッジに座らされていた。
「あの、マルケス艦長。俺が座ってるのって、いわゆる副長席ですよね」
「その通りだよ、サワヌマ大尉」
「…………」
二の句が継げず、苦笑を貼り付けた顔面に汗の滴を光らせる。
「安心したまえ大尉。このままなし崩し的にスタブスターに配属だなどという話にはならん。いくら私でもそこまで強引ではないよ」
「身に余るほどのご評価をいただいておきながら、不義理で申し訳ないことです。ですが——」
「いい、いい。気にすることはない。それより、敵さんはあのキュラムス中佐殺害犯だと聞いた。これ以上野放しになどできん。地の果てまででも追いかけてやろうではないか」
座らされている席のせいか、安易に「お任せします」と言える雰囲気ではない。ユッチは汗を拭い、恐る恐る発言した。
「艦長。いざとなれば、前回使った〈ゴルベリマ〉で敵艦に先制攻撃を仕掛けることもやぶさかでないのですが、ある事情でSEデバイスに特殊な改造を加えておりまして。〈ゴルベリマ〉を使った際の時間制限がかなりシビアな状況なのです」
SEデバイスと〈ゴルベリマ〉の間には本来相関関係はない。デバイスにYAMIコードをインストールしたことによる弊害だ。闇魔法を使うためのリソースをSmapテーブルに割くことで、たとえSEを起動していなくても〈ゴルベリマ〉を使うためのリソースが目減りしてしまうのだ。
「うむ。もとより艦隊戦において魔法士に頼り切りになるのは本意ではない。我々としても学習し、同じ失敗はくり返さないよ。そこで大尉には是非、その席上で戦闘指揮を執ってもらおうと思う」
端から見てそれとわかるほど、ユッチの汗の量が一気に増えた。
「いえ、艦長。艦隊戦においては素人ですから!」
「この虚数空間内における疑似実数空間となるバブルバリア内については、大尉は〈ゴルベリマ〉に頼らずともある程度空間把握できるのだろう?」
「……はい、仰る通りです」
「加えて、大尉はロミュレイとのコミュニケーションも完璧だ。ならば、必ずや私より上手くやれる。細かい部分はロミュレイに任せればよい。私もサポートをする」
どうやら逃げ道は用意されていないようだ。ユッチは観念し、口許を引き締めた。
「敵艦ボンダリューは我が方とほぼ同じ、三百メートル級のフリゲート艦だそうですが、火力の差はどの程度ですか」
「うむ。こちらが装備している武器と同程度のものは向こうにもあると思いたまえ。敵さんが何がしかのカスタマイズをしていれば話は別だが、大した差異はあるまい。ただ、艦載機トリアホーンは最大で十機搭載できるようだ。三機撃墜した後、奴が補給を受けたかどうか不明だが、最大数を予測しておくべきだろうな」
「こちらの援軍については予定がありますか」
「ロミュレイ。大尉に教えて差し上げろ」
『お久しぶりです、サワヌマ大尉。ようやく会話するお許しを得ました』
「無駄口を——」
嬉しそうに話し出す対人インターフェイスを、艦長は顰め面をして遮ろうとした。しかし、ユッチはとりなすように口を挟む。
「艦長。素人の私にとって、ロミュレイは大切なパートナーです。どうか、乗組員の一人として扱ってやってはもらえないでしょうか」
「いや、これはすまない。頭ではわかっているのだ。——すまなかったな、ロミュレイ」
『とんでもないことです。いつも通りに接してくださって構いませんので』
そんな会話をしているところへ、通信士の女性士官が歩み寄ってきた。
「例のトリアホーンによる襲撃事件以降、クルーは積極的にロミュレイと会話するようになりました。興味深いデータが出ています。航路チェック、航法制御、索敵、その他ほぼ全ての分野において、ロミュレイのパフォーマンスが向上しています」
「だーかーら。すまんかった!」
これにはユッチの方がばつの悪そうな顔をし、話を戻すことにした。
「いえ、こちらこそ余計な差し出口でした。——ロミュレイ、援軍の予定は?」
『はい。トレーサーによる敵艦の航路予測により、ツェダーラ支社の航虚艦ポート付近を目指している可能性が最も濃厚です。付近を就航中のフリゲート艦ボットルータ、駆逐艦ガトファラおよびグレイバーの三隻が作戦支援に応じるそうです』
「ツェダーラ……」
ユッチは思わず艦長に視線を向けてしまう。
「ふふ。任務に私情を挟むつもりはないよ。とは言っても、奴がツェダーラに手出しをしようものなら、このスタブスターの全火力をもって分子レベルで粉微塵にしてやるがな」
私情ばりばりだよ! というユッチの心の声に対し、ロミュレイからの返答があった。
(それでこそ我が艦長ですから)
(ん、まあ頭ではわかっているつもりだがな)
「ゴラゾたちは、日本を去り際によくわからない破壊活動を行っている。どうやらフェアリーテイルとの間で内輪もめがあったものと見ているが、奴には味方をする勢力でもいるのか」
『状況だけを見ると単独で動いているように思われますが、監視機構が把握していないテロリストや犯罪組織とのつながりがある可能性も否定できません。敵艦バブルバリアの干渉による死角には、何らかの伏兵が潜んでいる可能性を常に計算に入れる必要があるかと』
ユッチは腕組みをし、瞑目した。何やら迷っているようだ。
「艦長、ロミュレイ。一つ、戦術に関する提案があります。私の部下をブリッジに集める許可をください」
すぐさま艦内放送で呼び出す艦長にぼんやりと視線を合わせつつ、ユッチの視線はどこか曇っているように見えた。




