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路地裏の戦闘 1

 ユッチは正面のビルに向かって走りながら、左手首に巻いた腕時計型SEデバイスに触れた。その瞬間——。

「ん?」

 口許から笑みを消して疑問の声を漏らす。それをマイクが拾うことはなかったのかチームの誰からも返事はない。左手首を目の高さに掲げてかすかに首を傾げるものの、駆け足を緩めることはしなかった。

ZIS(ズィス)コード、アクティベート」

 SEが青く輝き、中空に光が生じた。意味ありげな紋様を象る光は、一つの文字へと収束する。漢字の『風』と読めるそれは、次の瞬間SEに吸い込まれるようにして消えた。

 ビルの裏に駆け込んだ途端、ユッチは目を大きく見開いた。理屈ではない。戦士としての本能とも言うべき感覚が肌を泡立たせ、身に迫る危険を察知する。

「——————っ!」

 反射的に身を沈める。ほぼ同時に頭上の空気を薙ぐ鋭い音がして、風圧で髪が靡く。

 続いて鳴り響く轟音に、ユッチは思わず左を見る。路面が大きく抉れ、アスファルトの破片が散乱していた。途轍もない威力だ。人間が携行できる武器で類似の破壊力を発揮するには、バズーカ砲が必要だろう。

 敵は近い。どこだ。

 眉間に皺を寄せ、不可視の敵の気配を求めて身構える。

「恥ずかしがり屋め。姿を見せなよ」

 闇に身を隠す敵との戦闘はこれが初めてではない。しかし、先ほど見せつけられた一撃の破壊力は驚異的だ。ユッチは不敵に笑ってみせようとしたが、うまくいかなかった。引きつる頬に幾筋もの汗が流れるのを自覚してしまう。

 敵の第二撃。

 これは、しっかりと気配を読むことができた。素早く真後ろに跳ぶ。

 轟音と共に、ユッチが立っていた場所の路面が大きく抉れる。

 次いで、燃え盛る炎が真夜中のビル街をオレンジ色に染め上げていく。

「ぐっ……」

 高速で跳ね回るアスファルトの破片や火の粉に見舞われ、たまらずバランスを崩してしまった。

 着地に失敗した彼は、転んだ勢いを利用してそのまま地面を転がる。爆風から顔をかばいつつ立ち上がるのとほぼ同じタイミングで、姿無き怪物が雄叫びを上げた。

「そこかっ!」

 耳を聾する破裂音。

 二度、三度。立て続けに轟く破裂音の正体は銃声だ。

 いつの間にかユッチの右手には拳銃が握られていた。銃口の正面が青白く光っている。明らかに口径より大きな光は、幾何学的な紋様を形成している。六芒星とそれぞれの頂点を結ぶ縁で構成された図形——魔法陣である。

「まいったね。この銃、特別製なんだが……。まさか効かないとはね」

 着弾点と思しき辺りで、周囲の闇よりも濃密な気配がゆらりと蠢く。

 拳銃を素早く腰のホルスターに戻したユッチは、開いた両手を正面に突き出した。

「【鎌鼬(かまいたち)】!」

 掌から乱れ飛ぶ無数の光弾が、怪物の気配へと殺到する。

 小さく鋭い破砕音が連続して響いた。気配の主がダメージを負った様子はない。

 気配に到達する直前、光弾は明らかに軌道を逸らして路面を抉ったのだ。

 それだけではない。いくつかの光弾はもと来た方向へ——ユッチへと跳ね返されてきた。

「【壁】!」

 声と共に彼の正面が青白く光り、円形の壁が出現した。それは瞬時に直径一メートル半ほどの紋様を形成する。

 先程、銃口の正面で光を放っていた魔法陣の相似形だ。その輝きは周辺を照らす。そして不可視の存在に姿を与えるかのごとく、敵の姿を闇の中から引きずり出す。

 跳ね返ってきた光弾は魔法陣にぶつかると、金属的な高い音を響かせて霧散する。ここに至り、ようやく完全に姿を現した敵と真正面に対峙する。

 魔法陣ごしに見る敵の姿は巨大だった。全身を墨で塗りつぶしたかのように真っ黒で、身長は約三メートルに及ぶ。しかしそれ以上に、ユッチを戸惑わせるには十分な身体的特徴を備えていた。

「……熊、だと?」

 まるで、ヒグマかホッキョクグマといったシルエットだ。炎を背に二本足で立つその姿は勇壮で、肉食獣としての誇りに満ちているかのようだ。

 ユッチがこれまで戦ってきたIMたちは、どちらかといえば自然界の動物に喩えることのできない不定形の怪物ばかりだった。自分たちの概念でいうところの生物とは違い、生命の息吹が感じられないのだ。攻撃パターンも自動的——機械がプログラムを実行するのに似た淡々としたもの——というのがIMに対する彼の評価だ。

 しかし、目の前の敵はよく知る生物の姿そのもの。そのせいだろうか、わずかながら逡巡が生じる。

 撃退か、捕獲か。

 せめて身体の一部でもサンプルとして持ち帰り、解析班に渡すとどうなるだろう。IMの謎がいくらか判明し、その分だけ今後の戦闘が楽になるかもしれない。

 しかし、その考えはすぐに否定する。

「いつものようにちゃっちゃとぶっ倒して(コア)を奪ってやるぜ」

 呟きながらも気を引き締める。自分たちは戦闘班であって、研究班ではない。それに、この怪物を相手に捕獲を考えるのは慢心の表れだ。


 相手は低く唸る声を出して威嚇するものの、警戒しているのかなかなか襲ってこない。こちらの力量を測っているのだろうか。いよいよ生物じみて見えてくる。

「まさか、な」

 このIMには飼い主のような存在がいて、意図的にこの街を襲わせたのでは。

 あり得ないことではない。だが、ここを襲って犯人は何を得るのか。

 ガードマンへの恨みか、テロ行為か。いや、大がかりな割に目的に見合った破壊行為とは言い難い。

 そこまで考えて、ユッチは頭を振る。

 今は考えている場合ではない。これまでと同様、突発的なIMによる襲来だ。一分一秒でも早く排除しなければならない。

「——うぐっ」

 相手の方が速かった。ユッチは歯を食い縛る。

 瞬き一つする間の出来事だ。

 鎖を解き放たれたかのように突進してきたかと思うと、魔法陣ごとユッチを押し始めたのだ。

 鋭い爪が赤く光り、魔法陣に直接触れる。すると接触面から激しいスパークが迸った。

 敵は魔法陣に弾かれるどころかじりじりと押し込んでくる。これほどの耐性を持つからには、このIMは相当強力な個体である。

 一歩、また一歩と押し込まれるたび、ユッチの顎から垂れる汗の量が増えてゆく。

「へっ。やってくれんじゃねえか」

 魔法陣を挟んだ力較べは筋力勝負ではない。魔力勝負なのだ。

 ユッチの余裕ありげな微笑は凍り付き、次第に余裕の仮面が剥がれていく。

 IMという存在は彼らなりの本能を持つ、広義における生物には違いないのだろう。しかし、少なくともユッチは複雑な魔法を使う個体になど出くわしたことがない。実のところ、IMが相手である以上、たとえ相手の魔力クラスがSクラスであっても経験でカバーできると思っていたのだ。

 今回の敵はBクラス。そして、ユッチはA+クラス。戦闘前、彼は己の優位を微塵も疑っていなかった。

 それが今や、優位を微塵も感じられない状況に陥ってしまっている。

「くそう、ミュウ!」

 部下が気がかりだ。だが、気遣う余裕さえもない。

 爪に灯る赤い光は相手の魔力を否定する力。闇を切り裂く強烈なスパークは、魔法陣を今にも割り破らんとする大きな干渉力の現れだ。

 左の爪を振りかぶり、勢いをつけて振り下ろす。次は右。

 一歩、また一歩と後退していく。頬を伝う幾筋もの汗が顎から滴り落ち、弾けるスパークを反射して白く輝く。


『ああっ!』


 ミュウの悲鳴だ。

 背筋が凍る。

 『手遅れ』の単語を必死で脳内から追い出し、バックアップの部下に指示を飛ばす。

「ツッキー、ミュウを援護!」

『了解。交戦ポイントに急行します』

 すでに行動を開始していたらしく、ツッキーの声は走りながらのものだとわかる。

「気をつけろよ、ツッキー!」

 叫ぶような声で呼びかける。迷いなく現場へ向かう彼女に、ある種の危うさを感じたのだ。まずい。ミュウの相手がこちらのIM同様の強敵だとしたら。

「いいか、絶対に無理するな」

 その間もミュウの苦鳴が聞こえてくる。

 部下が窮地に陥っている。敵をBクラスと侮り、同時撃破の作戦を立ててしまったがために。今から応援を呼んでも間に合わない。

 ——もう少し堪えてくれ、俺が行くまで。

 歯を食いしばると、自責という名の苦い味が口中に広がった。だが、今は目の前の敵に意識を集中しなければ。

「声が聞こえる間は生きてる証拠!」

 自らの言葉を勢いに変え、両手を前に突き出した。

 魔法陣に押し返された熊は、上体を仰け反らせる。刹那の好機。ユッチは鷹のごとき目つきと共に、瞳に闘志の炎を滾らせる。

 左拳を腹の前に、右拳を腰だめに構えて叫んだ。

「【槍】!」

 両拳を白光が繋ぐ。それぞれの拳の前後へも伸びて行くそれは、長大な光の槍を形作った。

 ユッチは防御用の魔法陣を解き、大きく一歩踏み込む。

 だがその時には相手も体勢を立て直していた。両者同様に踏み込み、その狭間でスパークが飛び散る。

 必殺の気合いを込めた初撃は爪に阻まれた。

 反撃せんと爪を振り下ろす敵に対し、そうはさせじと槍を振り回して牽制する。


 間合いを取って睨み合う。

 熊よりもわずかに早く、ユッチが次の動作に移った。束の間の膠着をよしとせず、槍を路面に突き刺したのだ。

「【旋】!」

 得物から手を離さぬまま、地を蹴って身体を持ち上げる。槍を支えに、地面と平行に伸ばした身体を両腕の力で保持すると、彼の全身は青白い光を纏った。その姿勢のまま、槍を軸にコンパスよろしく円運動を始める。身につけたプロテクターの輝きが合わさり、尾を引く光は中空に円形を描いた。

 ユッチの意図は明らかだ。蹴りによる攻撃、狙うは熊の顔面。

 爪先が熊の鼻を掠めるものの、空振り。着地と同時に青白い光は消えた。

 再び間合いをとって得物を構えた両者、真正面に対峙する。

 二度、三度。突き出す槍と薙ぎ払う爪。得物の激突が激しいスパークを生む。

 熊の豪腕が空気を凪いだ。

 全力の突きを弾かれたユッチは、数歩の後退を余儀なくされる。

 追撃する熊は、見た目以上に長いリーチを利して彼の右脇腹を掠った。

「ぐあっ」

 呼吸を止めたものの、絞り出すような叫びが漏れる。右脇腹から出血していた。

 なんとか槍を取り落とさずに済んだものの、次の攻撃動作に移れない。受けた傷そのものは浅い。が、全力の突きを弾かれるとは想定外だったのだ。

 自分の魔力が通用しない。

 ユッチは確信した。こいつはBクラスなんかじゃない。

 この瞬間、部下の苦境も忘れて目の前の敵に恐怖した。戦闘前の情報を疑わず、魔力の優位に胡座をかいていた自分を恥じた。

「それでも俺は、貴様の(コア)をもらう!」

 新たな闘志を燃やすが、敵はすでに次の動作に移っている。

 気付いた時には既に間合いを詰められていた。熊の巨体が月明かりを遮り、彼の頭上に影を落とす。このままでは——。

 ——やられて、たまるか!

「【如意】!」

 再び槍を地面に垂直に突き刺す。すると、柄がぐんぐん伸びて行く。

 三メートル、四メートル。ユッチの身体が浮き上がる。槍にしがみついた彼の姿勢は、ちょうど棒高跳びをしているかのような格好だ。

 一気に熊の頭上を飛び越えようとしたその時、強烈なスパークが弾けてユッチの背を焦がす。

「————っ!」

 声にならない悲鳴。熊の干渉力が勝り、槍をへし折られてしまったのだ。

 敵の頭上を飛び越えたはいいが、このままでは背中を地面に打ちつけてしまう。

「【緩】!」

 地面まで四メートル、ユッチは背から地面までの間に何層もの魔法陣を敷き詰めた。

 魔法陣がクッションとなり、落下速度が緩やかになる。しかし、暴れる熊が魔法陣を削り、少なくない量の火花がシャワーとなって襲いかかる。

「ぐ……っ」

 地面への激突こそ避けられたが、落下速度をゼロにできたわけではない。着地の衝撃は脇腹の傷を刺激する。

 痛みを無視して立ち上がると、槍を構え直した。折られて短くなった槍を、再び二メートルほどに伸ばす。

 熊は両腕を振り上げ、威嚇の牙を剥く。睨みあいの均衡、わずか一呼吸。


 裂帛の気合い。

 獣の咆哮。


 両者の大音声が静寂を切り裂く。

 突き出される槍。

 防がんと横薙ぎに繰り出される爪。

 しかし爪は空を切り、熊は姿勢を泳がせた。

 フェイクだ。ユッチは槍を手元に引き寄せている。そればかりか、彼の得物は槍とは呼べぬほど短くなっている。もはやナイフなみに縮んだそれは、右手一本に収まっていた。

「【疾】!」

 叫ぶユッチの全身が光った。タックルするつもりなのか、熊に向かって一直線に走って行く。

 それに対し、熊は素早く身体の真正面を向けると受けて立たんと両手の爪を構える。

 直後、熊が唸り声を漏らす。威嚇ではなく、戸惑いを感じさせる声だ。相手を見失ったとでも言いたげに、かすかに首をかしげていた。


 一方、ユッチは仰向けの姿勢で路上を滑っている。肉体の限界を超えた加速とともにスライディングし、今まさに巨大熊の股下をくぐり抜けようとしていたのだ。

「食らえ!」

 予備動作なしで彼の手から短剣が飛び上がる。

 ユッチの身体が熊の背中側へと抜けたその瞬間、熊の頭頂からナイフが飛び出した。

 断末魔の叫びが谺して、熊の身体は青白い光に包まれた。そのまま消滅するかのように小さくなっていったが、拳大の小さな球となって空中に留まる。

 球はユッチの左手首に引き寄せられ、SEに吸い込まれてしまった。

 一つ息を吐き、SEを確認したユッチは絶句した。

 そこには『S』の文字が表示されていた。それが意味するものは、たった今まで交戦していたIMの魔力クラス。このIMは、こちらの観測機器をごまかす能力を持っているとでも言うのか。

 しかし、考え込んでいる余裕はない。

 ヘッドフォンから、ツッキーの苦鳴とミュウの怒号が届いたのだ。

 ユッチは駆け出したが、その途端に表情を歪めた。食らってしまった右脇腹の怪我だ。一歩ごとの振動が、傷口に電流のような刺激をもたらす。止血の魔法をかけようと脇腹に手をかざしたものの、何もせずに手を下ろした。

 人間にとって、魔法は有限の力。疲労が蓄積すれば使える魔力も減り、回復には休息が不可欠だ。ミュウたちを援護するには、魔力を節約しなければならない。この一戦はユッチの魔力をそれほどまでに削っていたのだ。

 脂汗を流しつつ、重い足を引き摺るようにして交互に運ぶ。

「今行くぞ」

 一刻も早く駆け付けたい。だが、ユッチの速度は、傍目には歩いているとしか表現しようのないものだった。

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