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暗躍する魔法士たち

 霧雨に煙る街並みに、闇の帳が降りてきた。ここはイギリス南部、ロンドン郊外。十一月ともなれば既に冬時間、午後四時過ぎには日没を迎え、五時を回った現在は真夜中の暗さだ。

 闇の向こうから、湿り気を帯びた路面に何かを引きずる音が響いてきた。二度、三度……不規則に。少しずつ大きくなる音は、移動のたびに別の微かな——液体状の何かを撒き散らすような——音を伴うようになった。音はこの場所へと近付きつつある。

 ここには街灯が立っているが、その光は霧と闇を駆逐するにはいささか心許ない。今やかなり大きな音を立てる何かを、未だに照らすことが出来ずにいる。


 唐突に、街灯の真下に人影が現れた。街灯の頼りない光でもはっきりとわかる、大柄な男だ。高さ二メートルの位置にスキンヘッド、そのすぐ下にはこの暗い中外そうともしないサングラス。広い肩幅を誇示するかのように仁王立ちしている。

 一方、断続的に音を響かせつつ近付いていた何かは、音を立てるのを止めた。不気味な気配が闇にわだかまり、周囲の空気は湿気とは別の粘りを帯びた。

 闇の中に静寂が満たされる。

 不気味な気配は存在の密度を高め、睨みつけている。その進路上に立ちはだかるスキンヘッドの男を。

 睨み合いの均衡。

 大男もサングラス越しに刃の視線を投げる。それは真っ直ぐに闇の気配へと突き刺さり——闇が、立ち上がった。

 いくつかの破片が地面を叩く。硬い音だけでなく、液状の柔らかい何かを撒き散らす音が混じる。霧雨の中、血臭が漂う。


「応答しろ、ルーシー」

 大男は口元に手を当てると呟いた。外見通りの、低く野太い声だ。街灯の薄明かりの中、イヤホンマイクを装着していることが見て取れる。

「おいルーシー。お前、たしかこの世界(リエイル)のギリシャ神話の本を読んでいたな。……こういうことか」

『ふふ、どうやらあたしがマーキングしたIMと接触したようね、ゴラゾ。そいつAクラスよ、気をつけてね』

 若い女の声で応答があった。高い声だが、場末の飲み屋が似合いそうな、甘く絡みつく話し方だ。

『ヒュドラって言うのよ。大きな犬の胴体から伸びる九本の大蛇。神話だと、そのうち一本の頭部は不死身だとか。さすがにそこまでは再現できないけど、どう?』

「どう、とは」

『いいデザインセンスだと思わない? 可愛いでしょ』

 闇の中、輪郭を微かに赤く光らせた怪物が、徐々に明確な形を現わしつつあった。ひとつの犬の胴体から九つの大蛇の首を伸ばし、うねうねと揺らしている。巨大だ。四メートルを超える高さから、九つの頭部が見下ろしてくる。いずれも鋭い眼光を宿す吊り上がった目で睨みつけ、大きな口を開いて大量の牙を覗かせている。蛇と言うよりは竜と呼ぶべき凶暴さだ。

 大男は吐いた溜息と共に「ユニークな美意識だな」とルーシーに返し、自らの左手首に触れた。

「そんなことよりこのIM、もう一般人を殺っているぞ」

『あら、ゴラゾ。あなたまだ監視機構の戦士さんの意識が抜けないの? あなたも今や一般人なのよ』

「ふ。どちらにせよ、真っ当な一般人とは言えないがな」

 自嘲の響きを帯びた呟きを返しながら左手を頭上に伸ばし、直後に左下へと振り下ろす。次いで正面に伸ばすと、大男の左手首を中心とした六角形の魔法陣が出現し、銀色に輝きつつ時計回りに回転を始める。

「【シールド】」

 ゴラゾと呼ばれた男がやや声を張った。すると六角形の各頂点に小さな円形の模様が出現し、回転しながらベースとなる六角形の面積を広げていく。やがて銀色の魔法陣の回転半径が約一メートルほどになったところで拡大を終え、完成した。

 ゴラゾが左腕に嵌めているのは動作入力・音声入力複合型のSEデバイスなのだ。

 魔法陣の輝きは闇を押しのける。そして、ヒュドラの姿をしたIMが先程地面に投げ捨てたものを克明に照らす。それらはもはや原型を留めてはいない。漂う血臭の中、どろどろの赤黒い物体や硬そうな白い物体が散乱している様子が視認できる。

「酷いな。もとは人体だったことがかろうじて判る程度だ。いったい何人分の肉の塊なのかさえ判ったものではない」

 ヒュドラの頭部のうち、三つがゴラゾ目掛けて突進してきた。強烈な頭突きを銀色の魔法陣に激突させる。が、魔法陣はその都度、少し強めに銀の輝きを増すだけだ。びくともしない。

「このIM、ここまで凶暴なのは何故だ」

『凶暴? ヒュドラとしては、あなたに言われたくはないんじゃないかしら。〈狂戦士〉ゴラゾの言葉とは思えないわね』

「やめろ。その二つ名は監視機構に背を向けた時点で捨て去った」

 ヒュドラの残り六つの頭部が銀色の魔法陣の上や左右を回り込み、ゴラゾへ攻撃を加えてくる。

「【ジャイロ】」

 魔法陣の各頂点から六つの円が分離し、ゴラゾの周囲を不規則に飛び回り始めた。

 高い音が連続して響き渡る。

 残像を残す勢いでゴラゾに迫る六つの頭部は、素早く飛び回る六つの円がことごとく阻んでいる。

 攻めあぐねたのか、ヒュドラは一旦攻撃を中断して後退し、少し距離を取った。

 ここまでゴラゾは一切反撃していない。ヒュドラを睨みつけてはいるが、泰然と立っている。

 ゆらゆらと揺れるヒュドラの頭部はいずれも油断なく相手を睨み付けている。

 ゴラゾが六つの円を魔法陣の各頂点に戻した瞬間——。


「……っ!」

 突然の熱風。ゴラゾの右側だ。

 ヒュドラによる攻撃ではない。

 轟音が響き渡り、ゴラゾの右半身とヒュドラの左半身が赤く染まる。

 どうやら個人の邸宅が炎上しているようだ。

 ゴラゾは意識の半分を火災に向けつつも、身体の正面と視線はヒュドラに固定したまま警戒を続けている。

『ゴラゾ聞こえる? そっちひとりでいけそう?』

 ルーシーの声からは絡みつく甘さが消えており、イヤホン越しにも緊張に尖っていることがよく判った。返事をする暇も与えず、ルーシーは一方的に言い募る。

『ボゴヤとタシクが押されてるの。今の爆発はIMの攻撃。彼らの相手よ。あたし、ボゴヤたちをフォローするからしばらく通信を切るわよ』

「うむ、構わん」

『あ、それと。センサーの調子が悪いだけかもしれないのだけど、あなたとエンカウントしてからというもの、ヒュドラのクラスがA+と表示されてるのよ』

「……そうか」

『ふふ、落ち着いてるわね。もし手こずるようなら倒しちゃっていいわ。向こうのIMさえ確保できれば充分だから』

 ゴラゾが「了解」の返事をマイクに吹き込んだ直後——


「きゃああああ!」

 女の子の悲鳴が鼓膜をつんざく。


 ヒュドラの九つの首のうち三つが悲鳴の主を見据える。

 つられるようにゴラゾもそれらの視線の先を目で追うと、着の身着のまま燃える家から飛び出してきたらしき女の子が路上に倒れていた。

 年齢は十歳になるかならないか。家を焼く炎にセミロングの銀髪を照らされ、碧眼を見開いてヒュドラを見据えたまま震えている。

「おい! どこだ、どこにいる!」

 離れた場所から男性の声が聞こえてくる。声の主の姿は見えないが、どうやら路上に倒れている女の子を呼んでいるようだ。名前も叫んでいるようだが、はっきりと聞き取れない。

 ゴラゾが視線を戻すと、ヒュドラの首のうち一つが限界まで口を開く様子が目に入った。その首は女の子を真正面に睨みつけている。

「うぬっ」

 考えるよりも先に駆け出した。

 ヒュドラの首のうち六つがゴラゾの動きを追う。

「——ちっ」

 しかし、全ての首は女の子を視界の正面に捉えると動きを止めた。そのうちの二つが大きく口を開く。

 先に口を開いていた一つと、後から開いた二つ。合計三つの口の正面で、蜃気楼のように空気が揺れはじめた。直後、光の粒が三つの蜃気楼を囲むように出現し、中心へと収束するかのように渦を巻き始める。

 何かを吐き出すつもりだ。

 ゴラゾの経験に照らせば、それは破壊的な衝撃波を伴う攻撃に違いない。

「【ジャイロ】」

 ゴラゾが飛ばした円盤は三つ。女の子とヒュドラの間を遮るようにして空中に留まる。


 荒れ狂う轟音。

 路上がオレンジ色に染まり、新たな熱波があたりを吹き抜けた。

 ヒュドラが火を噴いたのだ。渦巻く炎が女の子を襲う。

 両手で頭をかばい、地面に伏せる女の子。しかし、三つの円盤が炎を防ぐ。

「ぬう……っ」

 残り六つの首がゴラゾを睨む。一斉に口を広げた。

「やむを得ん。【アクセラレーション】、【ファイアーウォール】」

 ゴラゾは雪山の斜面を滑り降りるスキーの如き勢いで移動すると、女の子を背にかばった。

 ヒュドラによる火炎攻撃を二箇所同時に防ぐのは厳しいと判断したのだ。

 激しい炎の渦がゴラゾを襲う。

「うおお……っ!」

 強烈な火炎が渦を巻く。しかし、女の子にはマッチ一本分の熱さえも届かない。

 頭をかばう手の隙間から、女の子は恐る恐る見上げてみた。

 九つの首を持つ巨大な邪神。

 その口から吐き出される強烈な火炎。

 しかし、大男が立ちはだかっている。こちらに広い背を向け、果敢に邪神と対峙している。

 銀色に輝く幾何学模様が炎を堰き止めているのだ。

 それを理解するや、男の背を見つめる女の子の目が輝き始める。


 地面が揺れた。

「…………っ」

 小さく息を呑み、再び頭をかばって顔を伏せる女の子。

 そちらに視線の一つも向けることなく、ゴラゾは身構えた。

 地響きを立てる勢いで、ヒュドラが走ってきたのだ。

 両手を正面に突き出した大男は、肩幅に開いて右腕を固定し、左腕を小さく時計回りに回し始めた。両の掌が白銀の燐光を発し、魔法陣は左腕と同じ回転速度で回り出す。同時に、光を強めた魔法陣からスパークが弾け出す。

「【ヴォルテックス・キャノン】」

 魔法陣の中心から白銀の光が飛び出した。巨大な滝が地面と平行に流れていくかのような奔流だ。

 一方、ヒュドラの首のうち五つの頭部から閃光が迸った。地面と平行に走る黄金の稲妻が五本、ゴラゾへと迫る。

 白銀の奔流と、黄金の稲妻。

 空中で拮抗し、せめぎ合う。

「うおおおっ!」

 裂帛の気合い。白銀の奔流が稲妻を押し返した。

 光の奔流は螺旋状に渦を巻いてヒュドラに押し寄せてゆく。

 衝突。


 この夜で最大となる爆音が轟き渡った。


 やがて強烈な爆光が収まると、銀色に輝く光の残滓が薄れてゆく。炎上する家を残し、ヒュドラが居たはずの場所には何事もなかったかのような闇が戻ってきた。

「お父さん!」

 少女の声。父親らしき男性が足を引き摺って歩いてくる。

「無事か、————」

 念のため警戒を続けつつ、背中越しに父娘再会の様子を窺っていたゴラゾは、小声でマイクに吹き込む。

「ルーシー、こちらは片付いた。一般人がいる。通信を切ったままそちらに合流する」

 ゴラゾはイヤホンマイクをポケットにねじ込んだ。そこに、サイレンの音が聞こえてくる。

 当然ながら消防車だけではなくパトカーのサイレンも混じっている。長居は無用とばかりに走り出そうとしたゴラゾを、父親が呼び止める。

「あの、もし! 娘を助けてくれてありがとうございます!」

「————と申します、おじさま! 危ないところを助けてくださって、ありがとうございます!」

 優しげな声の父親と思しき男性と、元気で礼儀正しい娘だ。

 しかしゴラゾはにこりともせず背を向ける。

「何のことかわからんな。俺は忙し——」

 そっけないゴラゾの言葉を遮り、男性は言葉を重ねてきた。

「監視機構の方ですよね。後で必ずお礼をしますのでお名前を」

 凍りついたように動きを止め、ゆっくりと振り向いたゴラゾは、サングラス越しに鋭い視線を男性に突き刺した。

「貴様。関係者か」

「お時間ないのはわかってますので単刀直入に言いますと、監視機構の協力者です」

「あたし、魔法の才能があるらしいの! でもあたし、誰も——パパも、自分さえも守れなかった。おじさま、すごくかっこよかった!」

 礼儀正しい少女の仮面があっさりと剥がれ落ち、元気少女がまくしたてる。

「監視機構からスカウトが来たけど、あたしではまだまだ何もできないって思い知った。それでもあたしはスカウトを受けたい。だから、おじさま! 魔法を教えて!」

 真摯な碧眼に真っ直ぐ見つめられ、ゴラゾは暫し立ち尽くす。

 燃える家屋の炎をサングラスに反射させ、ぼそりと告げる。

「————と言ったか」

 SEデバイスを掲げて見せ、言葉を続けた。

「こいつを持つからには、さっきのような異形と戦わねばならない。だがな、こんなもので誰かを守れるなどとは考えないことだ」

 守るために揮う力は、いとも容易く誰かを傷付ける。その『誰か』というのが他でもない、自分が守りたかった相手だとしたら——

 喉まででかかった言葉を呑み込む。代わりに別の言葉を投げつけた。

「もっとよく、パパと相談するがいい」

 銀髪少女は頬を膨らませる。

「なんで? おじさまは、あたしを助けてくれたわ」

「たまたまだ。俺の戦い方は我流だし、引退間際だ。次の仕事のことで忙しくなる。弟子をとって教えてやる余裕もなければ、その気もない」

「おじさま、監視機構やめちゃうの?」

「…………」

 実のところ監視機構などとっくに辞めており、それどころか真逆の存在となっている。苦い表情をサングラスに隠し、告げる。

「魔法の師匠なら、俺なんかより適した奴がいる。そいつはもうすぐ、このイギリスに赴任する。若い女だが腕は確かだ」

 瞳を輝かせる少女を見ていると、つい苦笑が漏れる。

 化け物クラスのIMに襲われたばかりだというのに、豪胆なのか能天気なのか理解に苦しむ。

 普通の父親なら、そんな危険な戦場に娘を送り出すことはあるまい。そう思って男性を見ると——、彼はにこにこしている。娘の言うことにノーをつきつけることなど、しそうにない。

 ——こいつはだめだな、主に親として。

「俺には権限がなくてな。紹介してやるわけにはいかん。だがお前が本当にスカウトされるほどの才能を持っているのなら、その女が相談に乗ってくれるだろう。赤毛の長髪でな、名前を——」

 少女は聞き漏らすまいと真剣な表情をする。

「ランパータ・キュラムスという」


 親子のそばから歩き去り、充分に距離が離れてから、ゴラゾは呟いた。

「ランパータ。お前が俺を止めるか、俺がお前を潰すか。二つに一つだ——」

 瞳に灯る決意の炎がサングラスごしに光る。それは暗い光であった。

 会ったばかりの銀髪少女を思い浮かべる。

 一度は助けてしまった。できれば彼女とは二度と会いたくない。だが、万が一戦場で出くわしてしまったら。

 才能があるとの話だったが、Cクラス以下であればいい、などと考えていることを自覚し、苦笑が漏れる。

 魔法やIMの存在に触れることのない世界。魔法を知り、IMと対峙する世界。両者の間には深い溝がある。

 無論、前者の中にもそれと知らずにIMの被害に遭うものもいるが、IMという存在は魔法と無縁の場所になど、まず現れることはない。

 自ら進んで溝を超えることはない。

「元気な少女よ。お前には、SEデバイスよりもテディベアが似合っている。溝を超えることなかれ、フィリス・ウィルソン」



 それは、フィリスがユッチ班に配属される四年前。

 IMが暴れ、監視機構の魔法士が現場に到着する前に去ってしまった事件。

 フィリスらウィルソン親子によると、監視機構の魔法士による鎮圧がなされたとのことだが、この夜出動した魔法士がIMにエンカウントした記録はない。

 監視機構にとって未解決のままお蔵入りした事件の一つである。

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