激戦の行方
数メートルほど吹っ飛ぶ黒カマキリ。
さすがのロズィスも、これには目を大きく見開いている。
「ミュウ! まずは保護対象の確保だ」
「了解」
両脚を黄緑に光らせたミュウが連続で蹴りを繰り出し、イブを拘束する霧状の物質を引きちぎっていく。
「左上に気をつけろ! 奴は雷撃系の魔法を使うっ」
ユッチは指示を飛ばしつつ、念話を試してみる。
(だめか、くそっ。シシナ、無事でいろよ)
いつまでも寝ていられるものかとばかり、立ち上がろうとするユッチだったが、半身を起こすのがやっとの有様だ。
指を鳴らす音が聞こえた。
「しまっ——! 先輩、上っ」
ミュウの声。
ユッチは反射的に懐から魔力封印テープを取り出し、テープを伸ばして頭上に掲げる。
降ってきた白光がテープにぶつかり、スパークを散らせて霧散した。
「あちっ」
「先輩、ナイスっ!」
ミュウのウインクに親指を立てて応えつつ、ユッチは心のメモに書き込んだ。
しょぼい支給装備だと思ったが意外と使える。日本支部長の佐々木に頼んでテープを余分にもらっておこう、と。
「もっとも、同時に物理攻撃してきやがるIMには使えない防御法だが、なっ!」
語尾のあたりでテープの端を掴み、芯の側を空中に投げ上げる。
ヨーヨーよろしく振り回すと、ユッチの横や背後から襲いかかる雷撃をことごとく防ぎ切った。
「お見事。中尉殿は楽しい人ですな」
「そりゃどーも」
歯を食いしばると、意地で立ち上がって見せた。
「しかし、君の班はSE不要の固有能力部隊なのですか? やれやれ、せっかくの準備が空振りですよ。ま、それはそれとして」
ロズィスの瞳が冷たく光る。
「拝見したところ、ジャマーの影響下で使える魔法はお一人につき一種類。サワヌマ中尉におかれては長い呪文詠唱を必要とする召喚魔法のみ」
——ちっ。
ユッチの舌打ちが響く。
軽く顎を上げ、饒舌に語るロズィスは満足げだ。
「これならば、我が構成員のうちBクラス魔法士でも、そこそこ君たちと渡り合えそうです。そう簡単には捕まってあげられそうにないですな」
鈍い音が響く。
先ほどから数えて何度目になるだろうか、ミュウによって再び黒カマキリが蹴り倒される音だ。
彼女が吠えた。
「ふざけんな。この場から逃げられること前提で話してんじゃねえよ。俺たちはてめえを捕まえに来てんだ」
「たかが数人の魔法士ごときがこの私を? ジョークにしても質が低いですな」
「なにを——」
「落ち着け、ミュウ。耳を貸すんじゃない。イブから少し離れてるぞ」
「ほう」
ユッチが部下に声をかけるのを聞くと、ロズィスは大仰な仕草とともにさも感嘆したかのような声を漏らす。
「流石は中尉殿。ほとんど魔法が使えぬ状況でも冷静ですな。いやあ、手強い」
「そういうお前はどうして魔法が使えるんだ」
ユッチはそう問いかけはしたが、はなから答えなど期待していない。
しかしロズィスはあっさりと「闇魔法ですよ」と答えて見せた。
「…………は?」
間の抜けた声を出しつつも、敵の一言によってユッチの脳内で一つの推論が瞬時に組み立てられた。
闇魔法。それはユッチが知る限りにおいて、文献の形で記録に残る最古の魔法である。
使いこなすための『手続き』が面倒な上、使うたびに何らかの代償を払うことになるという、術者にとってこの上なく厄介な魔法だ。
使う魔法による事象改変効果の強弱と支払う代償の多寡とはだいたい釣り合っているが、必ずしも比例するとは限らない。ほんの些細な魔法でさえ、使い終えた途端に急激な老化や発狂といった事態に陥る場合もあるのだ。
ユッチの召喚魔法も闇魔法の一種である。広範囲の空間把握と同時攻撃という、彼が使える魔法の中で最強の切り札だが、代償として体力が奪われ、あまり使いすぎると後遺症が残る可能性が高い。その特徴は、時間が経てば回復を見込めるマギ・アウトとは一線を画するものだ。
そんなわけで、今や闇魔法を学ぶ者などいない。少なくとも表の世界においては。
SEが発明された現在、術者にとって諸刃の剣と呼ぶのも愚かな闇魔法など、最早ロストテクノロジーなのだ。
ロズィスの言う「ジャマー」との言葉の響きから、SEが起動しないのは何らかの機械による現代的な妨害装置を開発したのではないか——というのがつい先ほどまでのユッチの考えだった。
だが、ロズィスが使っているのが闇魔法となると話は別だ。
ユッチが瞬時に脳内で組み立てた推論は次のような内容である。
闇魔法が得意とする事象改変効果の一つに『呪い』がある。
指定空間内において一定時間、魔法が使えなくなるように呪いをかけるのだ。ただ、その呪いを文字通りに発動した場合、後で術者が払うべき代償は計り知れない。そこで『闇魔法は使えるが、SEデバイスは使えない』というように、効果範囲を絞った条件設定がなされているのではないか。
現代において戦闘に備えて出動する正規の魔法士ならば、SEを携行しない者はいない。
つまりSEデバイスさえ封じれば、闇魔法士の独壇場となるはずなのだ。……そのはずだったのだ。
「とんだ計算違いでした。でも楽しかったですよ。楽しい時間が過ぎるのは早いものです。もうあまり時間をかけてはいられません」
締めの口上のようなロズィスの物言いに、噛み付く勢いでミュウが怒鳴った。
「なにお別れの挨拶みたいなことほざいていやがる。てめえは封魔ケージに押し込まれ、ギファールへと旅に出るんだよ。本当のお別れはその時だ」
黒カマキリを蹴り倒し、休まず振り上げる足技で雷撃弾を打ち落とす。絶えず動き続ける彼女の表情に疲労の色は窺えない。
サイボーグ脚の高機動出力の限界時間はまだ半分以上残っている。
だが、そのタイムリミットは彼女にマギ・アウトが訪れる時でもあるのだ。
「できれば手の内を晒したくはないが、そんなものより失いたくないものがある」
ユッチが腰を落とし、身構えた時——
「なんだ?」
ふと、耳に手を当てる。
ロズィスを視界から外さないよう気を付けながら、視線を左右に走らせる。
(い。サ…………うい)
(シシナか?)
(……マ中尉、応答願います。サワヌマ中尉)
(ロミュレイ!?)
それはスタブスターの人格コンピュータの声である。
彼は、かのフリゲート艦スタブスターの制御中枢たる人格コンピュータその人である。否、正確には複製だ。
艦の制御に必要な機能を除く、対人インターフェイスと演算能力の一部がメモリーチップに格納された状態なのだ。そのメモリーチップをタブレット端末に搭載した上で、ユッチ班の日本での拠点にて『同居』している。
今回の作戦では彼の力を借りる必要がないという判断で置いてきたのだ。
(よかった。シシナさんから連絡をいただきまして、そちらの状況を可能な範囲で調査しておりました)
——シシナが無事。朗報だ。それなら、ひとまず目の前の状況に集中するのみ。
ユッチの口端が吊り上がる。
(悪いが取り込み中だ。重要な情報があるなら一方的に伝えてくれ。できるだけ聞いているから)
(駅前一帯は現在、闇魔法『人払いの結界』の影響下にあります。三十分ほど前から段階的に影響が始まっていたようで、シシナさんから連絡をいただいた時点においては、有線や携帯の電話回線まで妨害されています。これはギファールの技術を使ったものであり、FTによる工作の疑いが濃厚です)
ユッチは目付きを変えた。獲物を狙う鷹の目だ。
(ロミュレイ。敵さんの親玉と遭遇した。改良してもらったやつ、早速実戦で使わせてもらうぜ)
(……わかりました。ただし、二分三十秒以内に戦闘終了してください)
(心得た)
「出し惜しみしている場合じゃねえな。YAMIコード、アクティべート!」
見た目には何の変化も起こらない。しかしユッチは、先ほど麻痺させられた影響を感じさせない機敏さで立ち上がると前方を睨みつける。
指を鳴らす音。
先程ユッチを襲った雷撃が複数、ミュウ目掛けて殺到した。
ユッチの時と同じだ。前方からの数発を『見せ弾』に、本命の弾で背を撃つ。
「させるか! 【韋駄天】!」
地面を一蹴り。それだけで十メートル移動した彼は、その背をミュウのそれと密着させる。
「先輩! ……はああっ!」
「【天狗の団扇】!」
巻き起こる強風。ユッチの黒髪とミュウのツーサイドアップが逆立つ。
ミュウは連続蹴りを繰り出す。
ユッチは両腕を伸ばし、掌で見えない壁を保持するかのような姿勢をとる。
二人に襲いかかる雷撃弾がスパークを爆ぜさせるが、何のダメージを与えることもなく霧散する。
ユッチは決断した。
——攻勢に出る。
部下とアイコンタクト。
茶髪少女に意図が伝わったようだ。彼女はウインクを返してきた。
(莫迦、この近距離で! 照れるだろうが……。味方にノックアウトされかかるなんて予想外だぜ)
どうやらこの娘、自分が美少女だということを自覚していないらしい。
敵に集中。身構える。
黒カマキリが立ち上がり、彼らめがけて突進してきた。
「たたみかけんぞ!」
「おっけー、先輩っ」
まだ距離があるというのに、ミュウは連続で蹴りを放つ。
黄緑の光が夜闇に残像を描いた。
「【双頭龍の咬牙】!」
火花が飛び散り、カマキリの突進が止まる。
蹴りの残像は魔法陣。IMを阻む壁となる。
そこへ殺到する青く輝くナイフの群れ。ユッチによる攻撃魔法だ。
「そこまでにしてもらいましょうか」
ロズィスの両掌から放射状に雷撃が迸る。
雷撃はユッチのナイフを相殺し、ミュウの魔法陣をもその大半を消し去ってしまう。敵も一段階本気度を上げたというわけだ。しかし——
「うぬっ」
いま初めて笑みを消すと、ロズィスはトレンチコートの裾を靡かせて振り返った。
「ちいっ!」
彼の背後から襲いかかったのは青いナイフ。そのことごとくを相殺すると、再びこちらへ振り向いた。
「くそう、意趣返しは失敗か。背中に目でもついてんのかてめえ」
ユッチは憎々しげに告げる。見下ろすロズィスは薄い笑顔に戻っていた。
「なるほど。想像以上の強敵ですよ、君たちは。手加減しようなどと考えていたのは、私のとんだ思い上がりでしたな」
再び指を鳴らそうとした途端、ロズィスの肩から指先までが薄桃色の光に包まれた。両方ともだ。
「これはこれは。今日は驚かされてばかりです。まさかジャミング範囲の外側から拘束魔法を使うとは。さすがSクラス」
フィリスによる支援だ。
勝機。この機を逃してはならない。
「ミュウ、目標はIM。かかれ!」
「はあああぁっ!!」
飛び上がったミュウは前方宙返りをすると右脚を高々と振り上げる。
「【青龍の息吹】!!」
腰を落としたユッチは両腕を伸ばすと手首を合わせる。
黄緑の光を纏う踵がIMの脳天に。
青く輝く光の奔流がIMの胴体に。
それぞれ突き刺さった光は、その勢いのままに黒カマキリの身体を引き裂いてゆく。
「グギャアアアァァ!!」
断末魔とおぼしき叫びを残し、粉々に砕け散った。
漂うコアがユッチのSEに吸い込まれる。
表示された文字は『A+』だった。
「お見事。滅多に他人を褒めることのない私ですが、脱帽するしかありませんな」
拘束されてなお余裕の笑みを浮かべ、ロズィスは穏やかにそう告げる。
一方、すでに拘束を解かれていたイブは動く気力もないのか、地面に座り込んでいる。
「ふう。状況終了。ツッキーたちが合流するまで、ミュウはロズィスを監視」
「了解」
「俺は周囲を警戒しつつ、イブを保護する」
歩み寄るユッチへと顔を向けてはいるが、イブの目はどことなく虚ろだ。
(ま、無理もないわな。元FTと言っても荒事とは無縁そうな顔してるし)
「安心してくれ、イブ。あんたの家族、ウチらの仲間が保護しているよ。病気を治療する用意もあるとさ」
これを聞くや、イブの顔に見る見る生気が戻ってゆく。
満面に笑みを浮かべたかと思うと、すぐに泣き笑いのような表情に変化し、しまいには頭を抱えて本格的に泣き出してしまう。
その様子は、とてもではないが嬉しさによるものとは思えない。
「な、なんだ」
「……んのために。あ、あたしはなんのために……っ! 妹に合わせる顔がないっ。あああああっ」
喉も嗄れよという慟哭が闇夜に響きわたる。
彼女の様子に面食らったから、というのは理由になるだろうか。
少なくともユッチ自身は、この夜の一件を大きな反省と後悔をもって胸に刻み込むこととなる。
これまでに積み重ねてきた数え切れない失敗の中でも、上から五本の指に入るほどの——
イブの背後に波紋が生じた。
これに対応すべきユッチの初動はワンテンポ遅れた。
波紋から黒い霧が沁み出したと見るや——。
「ああああっ」
イブの胸を、背後から黒カマキリの鎌が貫いていた。
弾かれたように敵を見上げるユッチ。
「ロズィスてめえ!!」
これに対し、トレンチコートの男は薄笑いを浮かべたままだ。
「当初の目的は達成しました。裏切り者の始末、完了です」
ユッチの顔から表情が消える。氷の視線をロズィスへと突き刺す。
ミュウが走った。黄緑色の軌跡を描きつつ、ハイキックで黒カマキリの鎌を叩き折る。敵は折られた右側の鎌をイブに突き刺したまま、バランスを失って彼女の背から後退した。
倒れ込むイブをユッチが抱きとめる。下手に鎌を抜こうとせず、彼女を仰向けに寝かせた。
一方、黒カマキリはトリッキーな動きでミュウの背後に回り込んだ。相手の背を斬り裂くべく左の鎌を頭上に振り上げている。
首だけで振り向いたミュウは歯を食いしばる。左だけではない。見る間に再生した右の鎌も振り上げられており、今や振り下ろすばかりとなっているのだ。
額に汗を光らせる。間に合わない。
ミュウはきつく目を閉じる。
そして、鎌が振り下ろされた。
「しまった、ミュウ!」
ユッチは裏返った声で叫んだ。
限界まで腕を伸ばす彼の目の前を——
濃紺の光線が横切った。
光線は鎌に命中した。
火花を飛び散らせ、鎌が二本とも折れ飛んでゆく。
「ミュウ! 先輩!」
ツッキーが駆け寄ってくる。
「敵IM、少なくともあと一体はいます!」
「了解だ、ツッキー。助かった」
「ありがとう!」
鎌を失ってバランスを失った黒カマキリだったが、数歩よろめいている間に元通り再生してしまう。両方ともだ。
肩が触れる距離で左右に並ぶミュウとツッキー。万全の状態に戻った黒カマキリ。真正面に対峙して睨み合う。
合図はない。
ミュウがローキックを繰り出すのと、ツッキーが光線を発射するのは同時だった。
飛び散る火花は黒カマキリの全身を包み込むかのようだ。
脚を折られ、胴体を大きく抉られた黒カマキリは、歩行もままならぬ様子で立ち尽くしている。
「【魔猿の強弓】!」
ユッチは左腕をまっすぐ前に伸ばし、右手を顔の横に構えた。
次の瞬間、青いオーラが全身から立ち昇り、光の矢が具現化する。
「————————っ!」
見えない弓から矢を放つ。
それは吸い込まれるようにしてカマキリの胴体へと突き刺さり、ひときわ眩い光を弾けさせた。
轟音。粉々に砕け散る。
ほどなく消え去ると、コアがユッチのSEへ。
「……っし!」
ハイタッチを交わすミュウとツッキー。
今度は『S』の文字が浮かび上がった。
二分三十秒経過。軽い目眩がして、ユッチはその場に膝をつく。
彼らの頭上で、よく通るテノールの声が響き渡る。
「ふむ。素晴らしいお手並みでした。
お互いまだ全力ではないでしょうが、SEジャマーのハンディキャップをいただいた私がかくも追い詰められるとは。全くもって予想外でした」
まだ、霧が晴れない。ミュウたちが声の主を振り仰ぐと、中空で喋り続けるロズィスの隣に黒カマキリが浮いていた。
ユッチは声を張り上げた。
「何をいまにも立ち去りそうな台詞を吐いてやがる。あんたを拘束してる魔法は並の魔法士のものじゃないんだぜ。IMにだって切れはしない」
しかし、ロズィスは涼しげな顔で笑うのみだ。
「白状しますと、SEジャマー内蔵型IMはまだ量産できません。それを一晩で二体失ったのはそれなりに痛手でした。この初戦は私の敗北です。あなた方とはこの先何度もお手合わせすることになるでしょう。ひとまず、今宵はこれにて」
ロズィスは薄桃色の光に包まれた両腕を左右に広げ、身体の正面を黒カマキリに向ける。すると——。
「なにいっ!?」
黒カマキリは両方の鎌を頭上に持ち上げて振り下ろし、ばっさりと切断した。
ロズィスの両腕を、それぞれの肩口から。
「脱出、成功です」
彼は左右に噴き出す血潮を撒き散らし、大口を開けて哄笑するのだった。