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置いてきぼりの女

 闇夜に靴音が響いている。かなりのハイペースで走っているらしい。

 ここは民家もまばらな田舎道、街灯もほとんどない。

「はっ、はっ、あの男ども、もともと頼りにしてなかったけど、あたしを置いてきぼりに、するなんて……っ」

 走っているのは黒髪ショートの女性だ。ブラウスの上にデニムを羽織っている。飛び込むように角を曲がる。

 そこは駅へと続く道。街灯が灯り、少しだが開いている商店もある。街灯に照らされた女性の顔は二十代前半といったところか。

 この時間ならまだ終電に乗れるはずだ。

 彼女はやや安心したかのように早歩きに変えたが、気力を振り絞るかのように首を振ると、もつれそうな足を引き摺るようにして再び走り出す。が、すぐに立ち止まった。

「ひ……っ!」

 喉の奥から絞り出すような悲鳴は、あまり大きな声にはならなかった。恐怖に引きつる目を正面に向ける。

 そこには、進行方向を塞ぐかのように何者かが立っていた。


 身長百八十センチ、女性にとって頭ひとつ見上げる高さ。黒っぽいブルゾンとジーンズ姿の、二十歳前後の青年だ。

「こんな時間にそんなに慌ててどうしました、お嬢さん。もしよかったらお力になりましょうか」

 凍りついたように動きを止めていた女性は、この一言で解凍したかのように動き出した。男を一瞥し、脇をすり抜けるようにして走り出す。

「なにがお嬢さんよ。いくつに見えているのか知らないけれど、あなたよりは年上よっ。あたし急いでるの、放っといて」

「これは失礼。ところであなたはイ――」

「ナンパなら他を当たって! これ以上つきまとうなら警察呼ぶわよ!」

 声を荒げ、青年を突き飛ばしかねない勢いで傍をすり抜けた。


 青年はユッチだ。彼は走り去る女性の背中を見送ると、言った。

「さて、追いかけるとするか」

「中尉殿! 任務放棄なさるおつもりですか」

 少女の尖った声が上がる。闇のカーテンをかき分けるようにしてユッチの脇に歩み寄ってきたのは女子中学生――銀髪ツインテールのフィリス。

「ここはリエイルです。中尉殿のギファールでの実績など知ったことではありません。私が配属されたからには怠慢は許しませんよ」

 三十センチほどの身長差をものともせず、薄い胸を反らせて上官を睨み付ける。

「なあフィリス、ここは日本だぜ。階級名で呼び合うのは目立つから具合が悪い。あと君のその制服。昼ならともかく、夜は補導されかねない。次から私服を着てくるように。

 ……つーか、この時間だから待機を命じたはずなんだけどなあ」

 にやにやと笑いながら言うユッチに対し、吊り上げた目をまっすぐに向け、フィリスが答えた。

「は、了解であります」

 刃物のような視線に精神を削られ、ユッチはこっそりと溜息を吐く。

「お前、規則にうるさそうな娘のくせに、俺の言うことなんて聞く気なさそうだなぁ」

「それはユッチ殿の勤務態度が不真面目だからです。ところでユッチ殿――」

「呼び捨てでいい。それが嫌なら先輩とでも呼んでくれ」

「――ユッチ殿」

 ユッチの言葉をあっさりと無視したフィリス。諦め顔のユッチは再びこっそりと溜息を吐き、視線で先を促す。

「我々はわざわざ隣の県まで遊びに来たわけではないのです。ナンパなど後回し、いえ、むしろ自粛してください。治安維持を目的とする我らの部隊が、社会に迷惑をかけるなど容認できることではありません」

「お前、ちょっとランパータに似てるなぁ、口調とか態度とか。

 ……いいかい、遊撃班ってのは抵抗する相手を闇から闇に葬り去る任務を帯びた暴力実行部隊だ。治安維持なんて別の班に任せとけ。武器を使って言葉の通じない相手をねじ伏せる以上、そこに正義なんてもんはないんだよ」

 終始薄ら笑いを浮かべたままで言うユッチに、今度はフィリスが大げさに嘆息を吐いて見せ、目を閉じた。

「どうやら大きく考え方が異なるようですね。この話はいずれ、また」

 再び目を開けたフィリスは、歳下の相手を説得でもするような口調で言う。

「我々が検知した反応は西側。今の女性が走り去ったのとは逆の方向です。ならば、女性を追うのではなく西側を調査すべきです」

「かー、堅いねぇ。ランパータ以上だな。あのさ、フィリスが信じる治安維持の中に、人命救助とか魔法犯罪未然防止って含まれてる?」

「当然です」

「んじゃ、あの女性が現在俺たちが追っている三人組のうちの一人に特徴が似てることは理解してる?」

「ここは日本です。黒髪ショートの女性などいくらでもいます」

「うん。でもさ、この人通りの少なさだぜ? 捜査ってのは小さな可能性があれば疑ってかかるのが基本ってもんだ」

「……ナンパ野郎の口車になど乗るものか」

「おいこら」

 ユッチはずっと笑顔のままだが、その額に青筋が浮いていた。

「とにかく、タレコミがあった潜伏場所近辺で、それっぽい年恰好の女性を見つけた。なら職務質問だ。だが俺たちは警察じゃない。聞き方は当然、俺のやり方で」

「……………………」

 半目で睨みつける銀髪少女。全く信用する気がないらしい。

「仕方ない。この手は使いたくなかったが……、班長命令だ。二チームに分ける」

 言うが早いか、ユッチは携帯電話を取り出した。

「ツッキー。お前はフィリスのバックアップだ。西側を調査。そこにミュウはいるか。俺と合流だ、東側へ向かうように伝えろ。目印は、駅前通りの信号交差点だ」

 携帯電話をしまうと同時、フィリスは上官の正面に立ち塞がるかのように仁王立ちする。

「ユッチ殿」

 目と声色に非難を込めたフィリスに対し、ユッチは上官としての視線を返した。

「陽動って知ってるか。敵の所在が完全に特定できるまでは、容易にチームを一箇所に集めるべきではない。ま、今回の三人は敵っつーより保護対象だがな」

 陽動というより囮と言った方が近いかも知れない。三人組を二チームに分け、どちらかが逃げ切れればよい、という考え方だ。

 無論、実際に密告者たちがどう考えているかは分からない。だがおそらく、FTから追われる身となっていることは自覚しているはずだ。従って、三人で固まることなく行動している可能性が高い。

 それは言葉にはしなかったが、フィリスとて通り一遍の訓練は受けているのだ。ユッチの言いたいことは一応伝わったらしい。

「作戦中にこれ以上の説明は不要だな……、さっき言った通り、これは班長命令だ」

「はっ」

 睨み付ける視線はそのまま、背筋を伸ばして形だけ敬礼をすると、フィリスは踵を返して西側へと走って行った。


「やれやれ。新しい部下はとんだ堅物だぜ。Sクラスのプライドってやつかねえ。この仕事、あんまり真っ直ぐすぎたら危なっかしいんだがな。こりゃ、ランパータ以上に扱いにくそうだぜ」

 フィリスの背を少しだけ見送り、東へと走り出したユッチは、いくらも進まないうちに異変に気付いた。

 まばらにいたはずの人通りが完全に途絶えており、黒っぽい霧が視認できる。IMの気配は感じられないが、自然現象でもなさそうだ。焦げ臭さもなく、どこかで何かが燃えているわけでもない。

(思い出した。あの日――ミュウとツッキーが大怪我を負った日、俺はSEデバイスの起動に疑問を感じた。ロックを外した後、起動がひと呼吸遅れたような気がしたんだ)

 その後、彼等の負傷という事態に直面したこともあり、ユッチはSEデバイスに感じた微かな異常のことを忘れていた。少なくとも、戦闘中は所定の機能を発揮していたのだ。

(気付いてるか、ミュウ。この霧、嫌な感じだ。……? ミュウどうした。ツッキー? シシナ!)

 返事がない。ユッチは携帯電話を取り出した。

「ミュウ! 黒い霧が見えるか? そうか、そっちにも出てるんだな。SEデバイスのロックは解除しておけ。くれぐれも慎重にな」

 走っているからではない、別種の汗が顎と背に流れる。終話ボタンを押したユッチは、すぐさま別の番号を呼び出す。

「ツッキー! 特例を許可する。SEデバイスのロック解除。フィリスにもそう伝えろ。……ああ、用心してかかれ」

(まさか、シシナの身に……)

 ひとまずその先は考えず、ユッチは足を速めた。

 目の前の角を勘にまかせて左へ曲がったユッチは、

「うわ……っと!」

 咄嗟に飛び込み前転をし、すぐさま立ち上がった。

 背後の路面が抉れて粉塵を巻き上げているが、ユッチは前方から目を逸らせずにいた。


「手出しは無用。身内のけじめです」

 突然テノールが響き渡る。中空に波紋を揺らし、その中心からトレンチコートを着た中肉中背の男が現われた。

「貴様、ロズィス・ルーフ」

「はじめまして。あなたがユーイチ・サワヌマ中尉ですね。以後お見知りおきを。

 広域魔法、亜空間結界。今この場は、私が設定した範囲内にCクラス以上の魔法士だけが存在する空間になっています」

 こちらの素性を知られている事実に少なからず驚いたものの、ユッチは半ば無視して視線を下げる。

「助けて……! カナイドは返すから。見逃して!」

 さっき声をかけた女性だ。両腕両脚に霧状の黒い物質がまとわりつき、身体を大の字に固定された状態でもがいている。

「甘いですね、イブ・カショレ。一度目の願いは聞き届けました。君たちからはその見返りを頂いてもいないのに、二度目の願いを聞くとでも?」

「な、なんで……。あたし、デバイス持ってないのにっ」

「まさか、SEデバイスさえ持たなければ、元のEクラスに戻れるとでも思っていたのですか?」

 ロズィスは片眉を上げ、口端も片方だけ吊り上げて、見下す視線をイブに突き刺した。

「愚かなことです。私はあなたたちの身体に施術したのですよ。デバイスを携行せずとも、Cクラスであることに変わりはありません。なにより愚かなのは――」

 ロズィスの細い瞳から冷たい光が漏れる。

「デバイスを放棄したことで、ほんの微かに存在した逃げられる可能性まで手放したことです。せっかくCクラスなのに、魔法が使えなければ魔力の持ち腐れですよ」

 ――嘘だ。

 ユッチの眉間に皺が寄る。

 奴は強い。Cクラス魔法士がいくら束になっても余裕で退ける自信があるに違いないのだ。

 ただ単に、言葉で獲物の心を折ることを愉しんでいるだけなのだ。

「虫唾が走るぜ」

 実際に、イブの表情は絶望と諦念の混じったものとなりつつある。

「うう……っ」

 そんな彼女の正面の空間で波紋が揺れた。その中心から染み出してきた黒い気配が凝集し、明確な形をとる。

「くっ、IMかっ!」

 現れたのは身長二メートルほど、全身真っ黒な怪物だ。

 イブは震えながらも半ば観念したように顔を背けて視線を下げた。

 一方、ユッチは脱力したように呟く。

「はあぁ? なんじゃこりゃ。巨大カマキリだと」

「ああ、失礼」

 ユッチの呟きを耳聡く聞きとったロズィスは、彼に顔を向けた。

「この世界の生き物の姿をとらせているのは私の趣味だと思っていただければ」

「ふん。ギファールで熊のIMを見た時から変だとは思っていたぜ。操っていたのは貴様か。何をするつもりか知らんが、よせ。その女、仲間じゃないのか」

 ユッチの言葉に、ロズィスは嘲笑を返した。

「滑稽ですな。監視機構では裏切り者でも仲間と見なすのですか」

 ところで、と言葉を続ける。

「熊型のIMをデザインしたのは私ですが、ギファールでは活動しておりませんよ。念の為」

「どうでもいいよ、んなこたぁ」

 吐き捨てるように応じつつ、ユッチは眉を顰めた。

 FTにはIMの外見を変更する技術がある、ということか。

 喉をくつくつと鳴らす笑い声が聞こえた。

「やめさせたければとめて見せたらどうです。中尉ご自慢の魔法で」

 挑発だ。しかし、それでもユッチはSEデバイスに手を触れる。

「ああ、止めてやるぜ。ZIS(ズィス)コード、アクティベート!」

 そして、限界まで目を見開くことになった。デバイスに光が灯らない。

 夜闇が駆逐されることはなく、静寂が広がる。


「SEが……、起動しねえ!?」


 ロズィスの含み笑いが少し大きくなった。

「どうです、起動しないでしょう。SEジャマーです。ようやく実用に漕ぎ着けましたのでね」

「……んだと」

「そこで大人しくしていてくだされば、今夜はあなた方にまで危害を加えるつもりはありません」

「ちっ!」

 唇を噛むユッチの目の前で、カマキリは右腕の鎌を大きく持ち上げた。

 イブはきつく目を閉じ、がたがたと震え出す。

「くそったれ」

 ユッチはその様子を睨みつけ、拳を握る。

「落ち着いてください、中尉。

 イブも落ち着きなさい。ちょっと質問するだけです。もしあなたがわがFTに害をなす存在でなければ、見逃してさしあげる可能性もあるのですよ。

 そういうことですので、中尉も今しばらく手出しはお控えいただけるとありがたいです」


 どこにも光源がないというのに、黒カマキリの鎌がギラリと輝く。

 薄笑いを浮かべるロズィス、震えおののくイブ、歯ぎしりするユッチ。鎌の輝きは、それぞれの顔に三者三様の陰影を落とすのだった。


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