魔獣狩り
黒一色に塗り込められた闇の中、風に運ばれる木の葉が乾いた音を立てる。低く唸る風の音は、辺りの静寂をいや増すばかりだ。
上空では雲が風に流されたようだ。月明かりが射し込み、少しだけ視界が開けた。すると、中層ビル群とアスファルト路面が照らし出され、この場所がオフィス街だと知れる。
次の瞬間、明らかに人工的とわかる光が灯った。二十歳くらいの青年の顔が露わになる。ヘルメットを被った頭部から闇と同色の髪が額に垂れ、風に揺れている。光源は、ヘルメット右の側頭部に括り付けられた小型サーチライトだ。
『ユッチ班長、ツッキーです。エリアサーチ完了。IM二体、座標を特定。識別コード一致。いずれも民間ガードマンを殺害した個体です。正面ビルの裏に一体。右側ビルの裏に一体。詳細な座標を送ります』
明瞭で落ち着いた、若い女の声が漏れ聞こえる。音源は、青年——ユッチのヘルメットに装備されたヘッドフォン。ツッキーと名乗った声の主はユッチの部下だ。長い黒髪を無造作にひっつめにし、化粧にもあまり気を遣わない彼女は普段からあまり目立つ存在ではないが、事務処理スタッフ兼通信オペレータとして高いスキルを持つ。
「こちらユッチ。了解だ」
口調だけは鷹揚に応えたが、その声はやや高めだ。しかも口元に緩んだ笑みが貼り付いており緊張の色がまるでない。それなりに整った面差しをしているにもかかわらずだらしない印象を漂わせているのは、その表情と間延びした声のせいであろう。
彼はヘルメットの額部分に収納されたバイザーを下ろした。そこには周辺のマップ情報と共にツッキーから送信されてきた座標を示す光点が表示されている。
新たな光が灯った。光源はユッチの制服だ。彼はカーキ色の制服の上にベストと肘当て・膝当てを装着している。いかなる仕組みによるものか、それらのプロテクターが淡く発光したのだ。装備越しにも細身とわかる彼の全身が明らかになった。
ひと呼吸おいて、ユッチはマイク越しに呼びかけた。
「ツッキー。民間人の避難誘導は完了してる?」
『はい班長、二ブロック以内は完全に無人。野次馬は災害対応班とテロ対応班が抑えています』
間を置かず、落ち着いたアルトが耳に届く。それに対してユッチが何か言おうと口を開いた矢先——。
『早速突入しようぜ、班長!』
大きな声が通信に割り込んだ。ユッチの鼓膜を震わせ、口の端をひくつかせる。
「でかいだけならまだしも、お前の声は高いんだよ」
ツッキーと同期の部下だが、こちらは落ち着きや渋味のない直情径行型の性格が透けて見えるような声だ。ユッチはヘッドフォン越しに部下の姿を幻視しつつ、その高さ故に声が上から降ってくるかのような錯覚に顔をしかめた。窘める口調で、いつもより低い声をヘルメット内蔵マイクに吹き込む。
「落ち着けよ、ミュウ。作戦開始後は名乗ってる暇はないが、今は開始前だぞ、まず名乗れ。……それに俺たち第二遊撃班は正規職員とは名ばかりのいわゆる外人部隊。給料分の働きをしてりゃそれでいい」
『こちらミュウ、以後気をつける。……給料分の働きの件だけど、俺は納得してないぜ。俺たちには普通の人間がいくら鍛えても手に入らない力がある。この力は——』
「力を持たぬ者を守るためにある、だろ。耳にタコができてるよ。そう熱くなるなって」
のんびりとした、との形容が当てはまるほどの口調で熱すぎる部下を冷まそうと試みる。
とはいえ本気で説得しているつもりはなく、対称的な部下たちの様子につい苦笑を漏らしていた。
——こいつらを部下に迎えた時、二人とも恋人はいないと言っていたな。
……などと、関係のないことを思い浮かべつつ。
ミュウは口調や態度こそ残念なのだが、外見はツッキーよりも派手だ。明るい茶髪をツーサイドアップに纏め、大きめの黒瞳が印象的な美少女なのである。
『班長の言う通りよ、ミュウ』
ツッキーの声が通信に割り込み、ユッチを援護射撃した。
ところで、ツッキーもミュウも女性なのだが、この二人の言葉遣いは大きく異なる。
ユッチたちは普段からギファール語で会話しているが、それは彼らの母国語ではない。ユッチはすでにギファールで長く生活しているが、二人の部下はこちらで生活するようになってからまだほんの一年ほどなのだ。
ギファール語には男言葉と女言葉がある。同時にこちらの言葉を覚え始めた二人は、同僚であるにもかかわらず、片や女言葉、片や男言葉で覚えてしまったのだ。
尤も、故郷の言葉にも性別による言葉の違いがあり、そちらでも似たような言葉遣いだったはず、というのがユッチの認識だ。その頃の二人をよく知らない彼としては、あまりはっきりと覚えていないのだった。
閑話休題。
『敵は二体とも魔力反応Bクラスだけど、民間人が四人も殺されている。被害者は軍人じゃないし、魔法士でもないけれど、一通り訓練を受けたガードマンよ。しかも、四人全員が対魔法装備を身につけていたにもかかわらず。魔力はさておき、物理的なパワーなら向こうが圧倒的に上。慎重にならないと』
尖った口調にならず、それでいて同僚を窘めることができるのはツッキーの長所の一つと言えよう。
——復讐を優先するな。任務を優先しろ。
ツッキーに続いてさらに言葉を続けようとしたものの、喉まで出かかったその言葉を飲み込んだ。代わりに、冷静な部下の言葉に賛同しておく。
「……そういうことだ」
ミュウとて耳にタコができているはずだ。作戦前だと言うのに小言じみた説得に時間を割き、部下のテンションを下げるわけにはいかない。代わりに決まり文句を舌に乗せる。
「そして俺たちは——」
『チーム、だろ。大丈夫、無理はしないぜ。弁えているって、班長』
つい今し方まで熱くなっていたくせに、いやに落ち着いた声で決まり文句を奪われてしまった。ミュウがいるであろう方向を半目で睨むと口をへの字に曲げる。
それも束の間、苦笑と共に溜息を吐くと、一旦表情を消した。眼光鋭く前方を見据えて指示を飛ばす。
「ミュウ、ツッキー。SEデバイス、ロック解除。フォーメーション・ブラボー」
敵一体につき味方複数で攻撃し、各個撃破するのがフォーメーション・アルファ。それに対し、一対一で同時撃破を目指すのがブラボーだ。
ひと呼吸置いて、獰猛な笑みを口元に貼り付けた。
「突入」
『了解!』
彼らの所属する組織は魔法管理局。主要任務の一つは魔獣IM狩り。その任務が、いま始まる。
SE——スペル・エンコーダ。その多くは腕時計型の小さなデバイスであり、開発されてからまだ十年と少ししか経っていない。これを身につけることで手を使わずに物を動かしたり燃やしたりできることから、SEを扱う者は魔法士と呼ばれている。誰もがSEを身につければ魔法を使えるわけではなく、魔法士と呼ばれるに値する者はごくわずか。
その稀少な魔法士たちはSEを駆使し、今日も今日とてIMを狩る。