凛として
「この少女をいくらで買ったのでしょう? 僕はその十倍お支払いいたします」
星の瞬く夜、広い草原で出会ったシリウスと名乗る青年は、私の仕える主人を前に奇妙なことを言い出した。
私は彼の無理難題に押し負かされ、奴隷として働いていた家へと案内をした。その結果として今の奇矯な場面に到るのだ。
その家は一介の商人であり、決して裕福ではなかったが、私自身の身分ではそこへ雇われるだけで充分なくらいだった。
何故そんな何の価値も無いものを大金を払ってまで欲するのか。
主人は驚きこそしきたものの、渋る様子など微塵も見せずにその良心的な申し出を快諾した。
「シリウスさん! 私は…」
「よく見ていてください。たった今、僕はあなたを買います」
そう言うと、彼は腰に下げた袋から溢れんばかりの金貨を取り出した。
それは私がこれまで目にした中で最も多かった。それはじゃらじゃらと音を立て、得も言えぬ輝きを放った。
シリウスはそれを惜しげもなく主人に渡した。
そして、その聡明さ溢れる顔に笑顔を浮かべた。
「これであなたは僕のものです」
「……はい」
私は売買されることに慣れていたが、今回ばかりはどうしても納得がいかなかった。シリウスは人を買うという喜びで心を満たすような下等な人間に思えなかったから。
「よほどこの娘が気に入ったようだな、兄さん。言うことをよく聞くやつだから惜しい気もするけどな。まぁ、これからは兄さんの奴隷だ」
主人はシリウスにそう告げると私の背中を強く押した。その勢いに思わず転びそうになる私の肩を彼は優しく支えた。
「惜しい…? 見てください、この痣。僕なら、このように酷い仕打ちはしませんね」
その口調は全く穏やかであり、少しも嫌味たらしくはなかった。
「ふん、どうせ一緒だ。お前も俺もな。同じ類の生き物だ、そうだろ?」
「ええ、仰る通りです。ですが、一つ勘違いなさいませんよう。僕はサクラの自由を買ったのです」
「自由? そりゃあ大した偽善だ」
至って真面目なシリウスを前に、主人は笑った。
「僕が買ったのはあなたの言っている類の自由ではありません。サクラ、この意味が分かりますか?」
「いいえ」
「あなたは凛としている。奴隷としての運命に縛られながら自由をその手にしている。僕はどうしてもそれを手にしたいのです」
意味が分からなかった。
なぜなら、私は自由などとは無縁であり、それを望んだことなど一度たりともなかったから。
困惑の色を隠せない私にそっと彼は微笑んだ。それは全てを見透かし、全てを知り尽くしたかのような笑顔だった。
「あなたを僕たちの仲間として迎え入れたいのです。僕たちの行っていることはとても物騒で、その思想は野蛮です。いいですか。世界を終わらせようと考えています。そのためにあなたが必要なのです」