雲居の空
広い部屋に一人。することもなく、私は窓の外を覗いた。庭一面に花が美しく咲き誇っていた。風に散る花びらを目に、泣きたい気分になる。
「お待たせしました」
私はその声に驚いた。何故だか後ろめたい気分だったからだ。シリウスはそれを知ってか知らずか、にっこりと笑った。
「なるほど。君が紹介したいというのは、この子だ?」
シリウスの横に立つ男は物珍しそうに言った。
「はい。サクラと言います」
シリウスはその男に私を紹介する。
「ふーん。僕はルシファー。よろしく」
苗字を名乗らないことを考えると、この人も貴族ではないようだ。
「なかなか可愛い子だね。気に入ったよ。好きなだけここにいるといいよ」
ルシファーは独特な雰囲気を持っていた。
「調査隊長のシリウスさんの恩師、ということは…?」
「あれ? 何も聞いてないのかな?」
彼はシリウスと目を合わせた。
「ふふ、あなたは秘密主義ですから。僕の口から言えることは少ないので」
「そうだね。でも、君は僕のことを良く分かってるじゃないか。僕は、うーん、なんて言うのかな…。放浪人?」
「放浪人?!」
「うん。調査隊長をシリウスに譲っちゃったからね。もう僕の仕事はないんだ」
呑気なものだ。大丈夫なのだろうか。
「世界を旅しているんだ。世界には見るものがたくさんあるからね。時間がいくらあっても足りないよ」
「世界ですか? 果てまで行けば砂漠ばかりな記憶があります」
「君の世界はね。でも僕の世界は違うんだ。果てなんてないよ。その先があるんだ」
「はぁ…」
少し変な人だな。私は彼の気迫に少々押されかけていた。
「ルシファー、それくらいにしてあげてください。彼女、少し困っています」
「これが分かる人って中々いないんだよね。シリウス、君以外は」
「僕はあなたに無理矢理連れていかれただけです」
「あはは、そう言って、今の君があるのは僕のせいじゃないか」
「その通りですね」
「そういう訳で僕は忙しいから、またね、お嬢さん」
ルシファーは私へ手を振ると戸に手を掛けた。
「あ、そうだ。シリウス、ハルトマン家に関わるんだろ? 気を付けた方がいいよ。あまり気のいい連中じゃないからさ。それに、僕の隊員が可哀想だ」
「今は"僕の"ですけどね」
「はは、そうだね」
そう言うと、彼は部屋から出て行った。
「ハルトマン家にも行くんですか?」
「はい。そろそろ本気で戦争しようと思います」
「しかけ…」
「しかし、今日ではありませんよ。五人で、です」
ハルトマン家と言えば、近衛隊を所有する一族だ。憲兵隊ほどではないが、多くの武力を持っているということになる。
「そんなに心配しなくても大丈夫ですよ」
シリウスは私の顔を覗き込んだ。
「僕たち調査隊も多少なりとも武力はあるんです。調査には常に危険が伴いますから、調査班は特に」
「物騒ですね」
「ふふ、最初に言ったでしょう。僕らの思想は物騒だ、と」
彼の優しい笑顔に少し安心させられた。
「ハルトマン家を落とせれば憲兵隊にも張り合えますから」
…彼は心が顔に出ない性質のようだ。
「―――という訳です。簡単に言うと、ハルトマン家と近衛隊を味方にします」
「面白くなってきたな!」
「ハルトマン家かぁ…。ミロさんはどうするんです?」
「まずは、ミロさん以外で軽く視察に行きましょう」
「俺は戦は嫌いだ。好きにしろ」
シリウス、ルーカス、マノン、ミロと皆それぞれに反応した。しっかりと覚悟が出来ていないのは私だけだと痛感した。
「サクラ、あなたもです」
「私も?!」
「当たり前だろ。行こうぜ」
「でも、私、皆さんの足手纏いになってしまうかも。この前のように…」
「怖がる必要はありませんよ」
「僕たちが今度はちゃんと守るさ」
「守られるのが…嫌なんです。心が苦しいんです」
私は何も出来ない。頭も良くないし、剣の腕もない。本当は世界を壊すだなんてこと実感できていない。皆に守られることしかできない。ただ、怯えることしか。
「…それでいいんだよ? ね、シリウスさん?」
マノンが静かに口を開いた。
「はい、それも計算のうちです。あなたがそこにいるだけで計画が全て上手くいく手筈です」
「……え?」
「しかも、この計画のすごい所っていうのが、君が下手をすればするほど完成していくところだよ。死なない限り、ね」
「どういうことですか? 私、そんな計画聞いていません」
マノンもシリウスもその質問には答えてくれなかった。
「オレもよく分かんねぇけどさ、安心しろよ。二人がいいって言ってんだ」
何も知らないことは怖いはずなのに、ルーカスは無邪気に笑ってみせた。
「いつ来てもぱっとしない所だなぁ…」
近衛隊の本部を前にマノンは面倒くさそうに言った。
「マノン、お前ここに来たことがあるのか?」
「うん、そうだね」
「いつ?!」
「昔、かなぁ…。ずっと前さ」
「近衛隊に関わる仕事でもしていたのか?」
「まさか。僕がそんなことしてたと思う?」
「はは、そうだな」
ルーカスとマノンは笑った。
「彼らはいくつだと思います?」
「え?」
「歳、ですよ」
シリウスの唐突の申し出に私は変な返事をした。
「うーん。多分、二人とも同じくらいじゃないですか?」
「いいえ、ルーカスはマノンより四つ上です」
「そうだったんですか」
「はい、マノンはあなたより一つ、歳が多いだけなんですよ」
「一つ?」
「たったの、一つです」
彼のこの言葉は胸に刺さった。たった少ししか変わらないマノンでさえ、命を懸ける覚悟を決め、負うべき運命を認めている。私は、甘えていたのだ。人に守られて生きることを知らずのうちに肯定していた。
「……私」
「いいんですよ。何も言わなくって」
「サクラ? どうしたんだ?」
下を向く私にルーカスが声を掛けた。
「いえ、何も…」
「シリウスさんにいじめられてたりしてね」
「シリウスさんがそんなことする訳ねぇだろ」
「いいえ、実際その通りです」
「あはは、僕の当たりじゃないか、ルーカス」
「私が…、私が悪いんです」
私は声が震えるのを抑えるのに必死だった。
「私、皆さんに甘えていました。覚悟も決めぬままここまで来てしまいました。でも、今度こそ、命を…命を懸けます。堂々と生きます。だから、お願いですから…」
ここまで言ってから言葉に詰まった。
「何をお願いするわけ?」
マノンが少しきつい口調で私に問いかけた。
「…私を認めてください」
「僕たちはどうすればいいの?」
「認めてほしいんです。ずっと、私は弱いがために皆さんに守られる、そういった意味で特別な存在です。そんなの嫌なんです。私も戦います。一緒に」
シリウスもルーカスも真面目に私の言葉に耳を傾けていた。しかし、マノンだけは堪え切れぬとばかりに笑い出した。
「あはは、君、面白い事を言うね」
「どういう意味です?」
「何で抗おうとするの? 僕たちに任せておけばいいじゃない」
「私は、私なんかは皆さんの命を懸けるに足りない人間だからです」
「つまり何、僕たちの命は…」
「皆さんの命は皆さんのために使ってください。私なんかに、他人のためなんかに使ったって仕方ありません」
「他人のために使ったって仕方ない、ねぇ…」
「はい、皆さんの命は掛け替えのない大切なものです」
「そう…」
「そうです! だから…」
「僕、君みたいな子はキライだなぁ」
マノンは余裕の表情を浮かべながら小さく言った。
今回からは少し長めを意識しています。




