月酔えし記憶
「そういうわけだ。手掛かりになったか?」
ミロはこの全てを淡々と静かに語ってみせた。
「はい。少し、分かった気がします」
「泣く要素などどこにもない」
「こういう時、何と言うべきなんでしょうか…」
私は涙が止まらなかった。
ミロの生きてきた軌跡。それは壮絶な悲劇だったのだ。大切な人に気が付くたびに己の弱さ故に手放さなければならなくなる。
それはまるで泡沫のような記憶。
「ミロさんは強い人です」
私だったらどうしただろうか。
友と培った永久の絆。子と誓った生の命。変えられぬ運命。それに翻弄され続けた彼はもう既に人ではないというのは分かる。むしろ、そうでなければ彼はここに生きていない。彼の見た戦場に舞い降りし化け物のように…。
それはまるで…そう、まるで"悪魔"に心を売ったかのように。
いや、ここでは"神"と言っておこう。
「強いです。ここにこうして生きているあなたは強い」
ミロは私の頭に手を置いた。
「泣くな。俺はどこまでも弱い。だから、今もこうして怪我を負っている」
「…私を守るために、でしょ? もう二度と…二度と」
「大切な人、を死なせたくないと思ったから。勝手に体が動いた。おかしな話だ。とうの昔にあいつに心を奪われているはずなのに」
「いいえ、シリウスさんは心を奪い、そして、与えたのだと思います」
「…!」
「まさに、それは"神"の所業」
静かに一つ星が流れた。そのすぐ後、追うようにもう一つ星が流れた。
「俺はシリウスもルーカスもマノンも、そして、サクラ、お前も守りたいんだ。詰まる話、俺が今の話で言いたかった事ってのはな、シリウスのせいでまた誰かを守らなければならなくなったってことだ」
「ふふ、そうですね」
「迷惑な話だ。どうせ、死ぬ運命、覚悟しておけよ」
「はい」
照れているのだろう。ミロはその瞳をこちらへ向けることはしなかったが、私は確かに彼の心が分かった。
「ミロさん、命を大切にしてくださいね。私はあなたの生をどうするつもりもありません。でも、あなたの死だけは私の…私たちのものにさせてくださいね」
「ふん、生意気だな」
心なしか彼は嬉しそうだった。
「ミロさん! サクラ! 食事が出来ましたよ」
私たちを呼ぶ声がする。
ミロの記憶を聞いた今、それを耳にすることができるだけで何故だか幸せな気分になった。どうか、この幸せだけは続きますように。
きっと、きっとこれが最後なのだから…。
「ミロさんと長く、話をしていたようですね」
「はい、人の記憶を心に流すのは何だか不思議な気分です」
「それは酔っているのですよ」
「そんなことあるんですか?」
「ありますよ。他人の記憶は酒と同じですから」
私はシリウスの作った食事を鍋から皿へ、よそいながら話した。
「私、お酒はあまり飲まないんです」
「そうでしたか」
「オレは好きだぜ、酒!」
「ルーカスは控えた方がいいよ。騒いでうるさいんだからさ」
「マノン! お前、飲めないくせに偉そうなこと言ってんじゃねぇよ」
「僕は好まないだけだよ。飲めなきゃ人付き合いが回らないでしょ」
「人付き合いこそ、お前の好まないものじゃねぇか」
「ルーカス、マノン、煩い。静かにしてくれ」
いつの間にか皆が集まってきて自然に机を囲んだ。
「サクラ、明日、僕の職場に来ませんか?」
「職場、と言うと調査隊ですか?」
「はい。そうです」
「いいなぁ、サクラ。僕たちは一度も連れて行ってもらったことがないんだよ」
「そうなんですか?」
「あぁ、その通りだ。オレたちを連れてけない理由があるらしい」
ルーカスが冗談めいた様子で笑った。
「そんなことはありませんよ。来たければいつでもいらしてください」
「やめておくぜ。あんな堅苦しいとこ」
「そう言うと思っていました」
「あはは、僕も気が引けるなぁ」
皆が笑った。
この空間はまるで切なく輝く小さな泡のようだった。今を愛おしく思う自分と、客観的にそれを見る自分がいることに気付いた。
「もう戻れない」
もう一人の自分が囁く。
懐かしい声だ。
空耳はいつも子どもの声をしている。その声に気付かないふりをするほどに私はこの人たちを信じたいと願った。
翌日、私はシリウスの背中を見ながら歩いていた。
「もうすぐ着きますよ」
シリウスは笑顔でそう言ったが、日が登り始めた頃に家を出てから、もう随分と歩いている。もう日は傾きかけている。
何もない草原や砂漠をひたすら歩いたが、さっきからやっと建物が見え始め、景色は町中へと変わっていた。
彼はある建物の前でぴたりと足を止めた。
その建物は実に立派だ。全体的に白く塗られており、二階建てで奥行きも相当あるようだ。ここが調査隊本部なのか…。建物に入るためには、門にいる番人に許可を貰わねばならないようだが、シリウスは構いなく門を通った。私もその後を続いた。
「今日は紹介したい人がここにいる日なんです」
「私に、ですか?」
「はい。僕の恩師です」
彼の行くままに私はついて行った。階段を上がり、一番奥の部屋へ彼は入った。
その部屋は殺風景というのだろうか、大量の書類が乗った机と本棚が二つあるだけだった。しかし、その窓は大きく、町の景色を一望できた。
「今、呼んで来ます。少し、お待ちくださいね」
そう言い残して、シリウスはこの広い部屋に私を一人置いて、去って行った。
第二章が終わり、第三章の幕開けです。
ここまでお付き合いいただいた方には感謝の気持ちでいっぱいです。
これからは更新頻度を少し落とそうと思います。
週一かそれより多い頻度での更新を考えています。
まだまだ続く予定ですので、どうぞこれからもよろしくお願いします。




