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血の予感

「二人の話はこれで終わりだ。ジャン、お前は俺を恨むかもしれない。でも、これだけは胸を張って言える。お前は俺の大切な人だ。今度こそ、絶対に失いたくない。必ず守る…! そう約束しているんだ」


 ジャンは黙り込んでいた。言葉も出ないらしい。たった五つの子どもにこの話は重過ぎたかもしれない。


 だが、これが現実だ。


「そのメリーナって言う人はボクは好きじゃないなぁ」


 彼は小さく静かに呟いた。


「ボクのお母さんなのは分かってるけど。それでも、何でか好きじゃないんだ」

「…そういう意見もあるさ。さぁ、これで終わりだ。俺は仕事へ行く。そして、今日、徴兵の件を話して休暇を貰ってくる。いいな?」

「うん。ボクはそれでいいと思う。いってらっしゃい」


 俺はジャンを横目に家を出た。あの子はあれで物分かりがいい。いや、空気を読むのが上手いのか、それとも何かを理解しているのか。たまに彼のことを完全に分かりきっていない自分に嫌気が差す。


 多分、休暇を頼めば職場の方も快諾するだろう。時代が時代だ。村の名誉のために、そう言うだろう。ただ報酬が目的であるとも知らずに。そしたら全ての準備が整う。


 あと少しだ。あと、すこし。


 これを乗り越えれば、何もかもが叶う。大切な人を守れる。やっと手に入れられるんだ。明るい未来の予感を持つ幸せを。





 戦場で戦うことは想像以上に大変だった。こんなことが知らない間に起こっていたなんて。目の前で死に逝く戦友。転がるたくさんの死体。命の危険をすぐそこに感じながら過ごす毎日。


 何もかもが残酷で狂っている。


 ただでさえ、世界には十万人しかいやしないのに。殺し合わなければならないのか。ただでさえ、長くとも五十までしか生きられやしないのに。殺し合うのか。


 もう十分だ。十分、命の駆け引きをした。こんなところにずっといたらもう、戻れなくなってしまう。血を浴びても、この体が引き裂かれようとも、死体に躓いても、何も感じなくなったならばそれはまさしく人ではない。


 化け物だ。


 俺はジャンヌが死んだとき、あれだけ悲しみに支配され、前が見えなくなったのに、今では戦友が目の前で死のうが涙一つ出やしない。全く構いやしなくなっていた。弱い奴が悪いのだ、そう思い始めていた。早く、あの日常に帰らなければ。これが日常になる前に。


 この心が闇に支配される前に!


 だが、帰るなんて選択肢は戦士にはない。何が起ころうとも、任期が終わるか、この命が終わるか、どちらかでなければ永遠にここで人殺しをし続けなければならない。ここで起きていることは異常だ。この葛藤から逃れようと懊悩し、自分の命を捨てようかと考える時がある。しかし、そんな時、人生で二つ目にした約束を思い出す。ジャンとした約束だ。


「何があっても前だけを向いて耐えるんだ。俺は必ずここへ戻る。生きてまた会おう」


 生きて必ずあの場所へ帰る。こんな俺を待っている人がいるんだ。


 強くあらねばならない。ジャンとの約束があるから。それがあるから俺は己を保つことができる。


 戦士が与えられるのは僅かな食事だけだ。空腹、死の恐怖、殺人の感触、その記憶、全てを抱え込み、化け物へと変わっていく人は沢山いた。そうなった人々は必ず戦場で死んだ。そうだ、人間であることを辞めた時、そこには必ず死がある。俺は、全てのモノになるべく目を向けないようにした。


 そうして、あと六か月、から始まった日々も、気が付けば一か月、十日と減っていき、ついには最終日となった。俺の配属先の小隊の人数は半分以下にまでなっていた。この生活もあと一日だ。軍人は皆、可哀想だ。俺はもうすぐこの呪縛から解放される。


 最後の一日も無事に生き残った。明日にはあの砂漠の中にある家にいるだろう。





 久方ぶりだ。この村は変わらず砂漠に侵されている。一部の緑のある場所に人間は住んでいる。砂漠、それでさえ今は美しく見えた。はっきりとモノを見たのはいつ振りだろうか。きっと、ジャンは俺の帰りを待ちわびているに違いない。何か美味いものでも買って帰ろう。


 俺は買い物の帰りに直接、役所へ寄った。しばらく訪ねぬ間にすっかり静まり返ってしまったものだ。まるで誰もいないかのような佇まいだった。


「すみません。ミロと申しますが、子どもを引き取りに来ました」


 役所の戸を開けてそう言った。…しばらくの静寂の後に俺は気付いた。


「誰も…いない?」


 何故役所に誰もいない? 全員が休暇だなんてことはあり得ない。誰か適当な人間を探して話を聞こう、そう思って外に出た。そこに丁度、家の隣に住むスミスが通りかかった。


「スミスさん! すみません、聞きたいことがあります」

「ミロさんじゃあないですか! 戻っていらしたんですね」

「えぇ。そんなことより役所には誰一人いません。どうかしたのですか?」

「あぁ、そうよね。知らないわよね」


 どうしても鳴りやまない胸の鼓動を抑えつけながら俺は必死に次の言葉を待った。

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