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空しらぬ雨

 いつかは話さなければと思っていた。


 だが、こんなに早くなるとは。俺は戦場で死ぬかもしれない。もし、そうなったら全ての信実を知る者がいなくなってしまう。


「あぁ、話すよ。よく聞いておけ。もう二度と話すことはない。これは俺の大切な人たちの話だ。いいか。 二人の名はジャンヌとメリーナ」


 ジャンは瞳を一段と大きく開いてこちらを見つめた。その瞳には光しか宿らず、闇はどこかへ押しやられていた。


 俺はジャンヌの死を語った。出来るだけ多くを考えないようにしながら。


「…ミロさん」

「なんだ?」

「やっぱり、行かないでよ」


 ジャンはその小さな小さな手で俺の腕を力一杯引いた。しかし、そんな小さな力では俺はよろめきもしなかった。


「さっき、言っただろ。もう決めたんだ」

「また…、病気になっちゃうかもしれない」

「……」


「…お母さんの話もしてよ」

「分かった、話そう」




 メリーナはジャンヌを追うように死んだ。


 俺はジャンヌの葬儀の時に泣き崩れるメリーナを支えた。必ず守る、ただそれだけしか考えていなかった。


「もう…終わりだわ、全て」

「まだ何も終わってない」

「いいえ、いいえ違うのよ」

「ジャンヌは俺にお前と子どもを託した。共に生きよう、メリーナ」


 メリーナはただただ泣くだけでそれ以上は何も言わなかった。俺はその後も可能な時はいつでも、どんなに短くても彼女に会いに行った。目にしておかないと彼女も俺の元から去ってしまうような気がしたから。


 今日もまた、俺はメリーナの家を訪ねた。


「メリーナ」


 返事はなかった。


 ただ奇妙な静寂があるだけだった。俺は焦った。メリーナの命は無事なのだろうか。急いで部屋へあがり、彼女を探した。そこには床に倒れこむ彼女の姿があった。心が凍り付いた。


「メリーナ!」


 そう叫ぶと、気を失っていたのか彼女は目を開けた。彼女は一言も喋らずに、ただ苦痛に顔を歪めていた。


 陣痛、その瞬間分かった。急いで医者を呼んでこなければ。


「待っていろ! 今、医者を呼んでくる! それまでここにいてくれ」


 それだけ言い残し、俺は外へ出て、走り出した。夕方だと言うのにやけに暖かかった。もうすぐ日が沈む。そうしたら、砂明が出てくるだろう。


 その前に、急げ。


 俺の努力は初めて報われた。医者を呼び、家に帰って来た時には子どもが生まれていた。消衰しているものの母子共に無事だ。


 全員生きている! 俺はひとまずジャンヌとの約束を破らずに済んだ。


 その日から俺はメリーナと共に暮らした。メリーナがそうしてほしいと言ったのだ。彼女に子どもという生きる希望が出来た。


 この時、全てが前を向いたような気がしていた。




「じゃあ、行ってくる」


 仕事に行くときには必ずメリーナが送り出してくれる。子どもの、ジャンの顔を見てから家を出る。


 何もかもが上手く行き過ぎて少し恐いくらいだった。


 出産から一か月が経って、すっかり暑い季節となった。仕事帰り、砂明の飛び交う道を歩きながら帰った。


「ただいま」


 子どもの泣き声が聞こえた。メリーナも手が離せないのだろう。着ていた作業着を脱いだ。そして、泣き声のする部屋へ向かった。


 …おかしい。


 何故こんなにも泣いているんだ。何故あやす声が聞こえないんだ。何かに焦るように飛ぶ砂明が窓から見えた。相変わらず綺麗な光だ。そんなことで気を紛らわせながら部屋の戸に手を掛けた。


 部屋には子どもがいるだけだった。子どもを置いて彼女はどこへ…? そんなことを考えていると、玄関の扉を叩く音が聞こえた。


「ミロさん! お、落ち着いて聞いてくださいね。メリーナさんが、メリーナさんが崖から落ちました」

「何だって?! どこの?」

「すぐそこのです。…昼間、なんだか…様子がおかしかったと聞きました」

「…………それでは彼女は、自殺をしたというのですか」

「…そう思います。ジャンヌさんが亡くなられてから日々落ち込み気味でしたから」

「そんな…。立ち直ったとは言わないが、前を見て歩いていると思ったのに」

「いいえ。あなたの前ではそう振る舞っていたのでしょう。私たちの前ではそうではありませんでした」

「……案内してください」

「はい」


 連れてこられた場所には確かに崖があった。その下にメリーナが…。見てしまったら死を突き付けられるようで苦しかった。


 何故、死んだんだ。


 ジャンヌの代わりになれるとは思っていない。だが、生きるために、真っ直ぐ歩くために支えになることは出来ると思っていた。自惚れていたんだ。もう彼女は帰ってこない。


 どんなに願っても。


 どんなに泣いても。


 それはもうジャンヌの時に痛いほど知った。泣く場所など、とうにないんだ。

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