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後半

と、いうわけで後半です。

ただでさえバカバカしいアレが、更に加速します。

紳士同盟に巻き込まれてしまった尚子女史の運命やいかに(笑)

  †


「それでは改めて――諸君、我らに真実の叡智を」

「「「真実の叡智を!!」」」

 校長――もとい長の掛け声に、紳士諸君が唱和する。どうしてこうなった、とぼんやり考えていた尚子は、全員の視線か自分に集まっているのに気がついた。

「あー。そのう」

「真実の叡智を!」

「「「真実の叡智を!!」」」

「……叡智を」

 しぶしぶ小さな声で尚子も参加すると、揃って全員が席に着いた。全員でコレをやるのが紳士同盟とやらの決まりらしい。正直叡智などどうでもいいからすぐに帰りたいのだが。

 はぁ、と内心で巨大な溜息をついた後、尚子は考え方を切り替えた。

 彼女もそこそこいい歳いっている社会人である。酸いも甘いも噛み締めた、とまではいかなくとも、世間の理不尽はそれなりに経験しているわけで。

 その経験から言えば、この手の面倒事は積極的に参加するフリをして面倒は可能な限り背負い込まないように立ち回り、物事を進めて行った方が結果としてラクなのだ。

「それで、真実の叡智とやらは一体どうやって手に入れるの? なんかディスカッションとか討論めいたことをするようだけど」

 隣に座る明智くん――紳士エーが答えてくれた。

「討論。まさにそれです。ある議題について複数の陣営に別れ、互いの主張を相手に受け入れさせる――」

 議題に対する答えそのものより、論理的な思考能力とそれを相手に呑み込ませる弁舌を重要視している訳ね。

 なるほどね、と尚子は思った。学校の授業より、確かにより実践的かつ実社会で役に立ちそうだ。

 尚子が一人納得していると、紳士オーが長に問うた。

「長、今日の議題は。中東の領土問題ですか? あれは確か決着がついていないはず」

「それとも以前アナウンスしていたチェ・ゲバラの功罪について? あるいは某政党が与党になった際に行った失政について?」

「それは既に決着してるだろ。それより俺は増税問題について興味があるね」

「いやいや、経済だったらスポーツの国際大会誘致がもたらす経済効果について――」

 皆が我も我もと議題を提案する中、ターン、という硬い音が地下室に響いた。

 一段高い場所に座る長が、その机を叩いた音だ。静まり返る一同をゆっくりと見渡し、長は口を開く。

「突発的な出来事だったとはいえ、今日、我々紳士同盟は新たな同志を迎え入れた」

 いえ、パン一変態の同志とかご冗談をほほほほ。全身全霊ご辞退申し上げます。

 思ったけど口には出さない。空気は読む物だ。特に今は読み間違えれば身の危険がある。

「この紳士同盟の長い歴史において、女性を迎え入れたのはこれが初めて。なればこそ、今日というこの日に、最も相応しい議題があるではないか」

 勿体ぶった言い回しの校長、ではなく紳士同盟の長の言葉を聞きながら、ふと思いついた疑問。それを尚子は、隣に座る紳士オーに小声で訊ねた。

「ねぇ。そう言えばなんだけど。この地下室ってえらい古いわよね。それにこの変質者――紳士同盟ってのもなんだか歴史があるみたいだし。……一体何時から存在しているの?」

「私も若輩ですから、詳しくは。ですが、長の話では、長がこの学校の学生であった頃から殆ど変っていないそうです。当時既に結成数十年とか……」

 え。

 校長が学生時代ってことは、最低でも四十年とか?

 ていうか戦前? 大東亜じゃなくて、日清? それとも戊辰?

 この学校の創設期を考えれば、あながち冗談ではないかも知れない。この部屋が校内に用意された防空壕だったということも考えられる。

 こんなパンツ同盟に数十年規模の歴史とか。尚子は額に手を当てた。こんなに無駄に壮大な歴史とか初めて聞いた。なんかもう死にたい。

 尚子が独り重たい溜息をついていたとしても時間は進むし歴史は回る。長の話も終わりに近づく。

「……というわけで、我が紳士同盟が結成当時より挑み、そして未だ決着のつかないあの最大の難問こそ今日の議題に相応しいとワシは思う。紳士諸君、同意なれば挙手で以て、異議なれば沈黙で以て示して欲しいが、如何」

 その言葉と同時に、尚子を除く全員が右手を上げた。

「えっ、えっ?」

 手を上げていないのは尚子だけだ。全員が、彼女を見ている。まさか話を聞いていなかったとは言いだせない雰囲気だ。付和雷同、右に倣えの悪い日本人の精神で、恐る恐る尚子も手を上げた。

 すると。

「……やった!」「ついに、決着の時が来たんだ――彼女を相談役に迎えたのはこういうことだったんだ!」「流石は紳士オー、切れ者だ」「お、俺は……俺は! ううう」

感極まって泣き出す者までいる始末。

「えっと、あの……まだ議題を何にするか決まっただけ……なんでしょ?」

「その通りです、清水相だ――相談役シー」

 あ、私はそう呼ばれるのね。

「ですが、今日の議題は我ら紳士同盟結成当初より幾度となく議論がなされ、千の弁と万の論を尽くしても未だ決着がつかない議題です。それが……それが貴女の登場で、もしかしたら決着がつくかも知れない……!」

 態度こそ変わらないものの、紳士オーの言葉の端々に興奮が滲んでいるのが伺える。彼もまた決着を期待している議題であることが伝わって来た。

 その気迫に、尚子は息を飲み――そして訊ねた。

「それで、議題っていうのは?」

 一つ頷くと、紳士オーは至極真面目な顔で、しかしハッキリと、こう言った。

「……おっぱいです」 

「………………は?」

「ですから、おっぱいです。女性の胸部。乳房。――そう、我々紳士同盟は長年議論を競わせてきた。至高のおっぱいとは何か? 大っぱいか、それとも小っぱいか。それが問題だ。我ら紳士、いや全ての男性が苦悩し、懊悩の涙を流したこの永久不解の難問に、今日こそ答えが見つかるかも知れない」

 歓喜の表情を浮かべて、紳士オーは呆然としている尚子の胸をズビシと指差した。

「そう、貴女のお陰で!!」

「セッ、セッ、セクハラァーーーーーーーーーーッッッ!!!!!!」

 尚子渾身の平手打ちが紳士オーの頬に炸裂した。


  †


 尚子の拒絶もなんのその、紳士な方々は、女性の胸部について語る気満々である。

 円卓に、長が座る。その対面には尚子。

 尚子から見て右側が『大っぱい派』――紳士エイチ、エー、オーが座る。

そして左側が『小っぱい派』だ。紳士エス、ティー。

「……小さい派は少数派なのね」

 何となく呟くと、紳士エスが反論した。

「そんなことはありません! 確かこのメンバーの中では三対二ですが、それを統計的事実と認識するには圧倒的にサンプルが足りていません!」

「そうだ。それに嗜好する人間が少数だからと言って、小っぱいが至高であることは真理だからな」

「その通りです、ティーさん! 今日こそ彼ら大っぱい派に、小っぱいの素晴らしさを認めさせなければなりません」

 あー、あるよね。人数少ない分ディープな絆が育まれることって。

 小っぱい派の二人の熱いやり取りを、尚子は冷めた目で見ていた。正直どうでもいい。

 二人が盛り上がるのを冷めた目で見ているのは尚子だけではなかった。

「ふん、要するにテメェら幼女が好きってことだろ。ハッ、犯罪じゃねーか」

 紳士エイチである。自慢のリーゼントを揺らす彼に、小っぱい派は口々に反論した。

「違う! 確かに幼女は小っぱいが標準だが、小っぱいイコール幼女じゃない! 僕らは犯罪者じゃない!」

「小っぱいは……小っぱいは、可能性だ! 未来への希望と成長の象徴なんだよ!」

「例えば想像してください。胸が小さな事をコンプレックスに思っている娘のことを! 街を歩いているとき、向こうからやって来た大っぱい娘の胸元に注ぐその視線。その横顔をこそ、僕は愛したい!」

(愛したいて。力強く叫んでるし)

「そうだ! 想像してみろ! デートの最中むこうからやって来た大っぱい娘の胸元に俺の視線が釘付けだったと怒っている小っぱい彼女がむくれているところを! 優しく抱きしめたくなるだろう!?」

(女としてはンな対応されたら、ビンタしたくなりますが)

「っていうか、貴方達、彼女いるの?」

「居ませんが、何か問題でも?」

「居ないが、それが?」

(え、彼女いないのにそんなこと議論してるの?)

「大体だな、巨乳って言葉に俺は問題があると思うがな!」

 小っぱい派の紳士ティーが大っぱい派に指を突きつけた。

「全部を否定する訳じゃない。時には本当の意味で巨乳な人もいる。だがな――多過ぎるだろ、自称巨乳の事実デブ!」

「ぽっちゃり系について厳密な定義付けを要求する!」

 興奮した小っぱい派二人が一部の女性に対し非紳士的な非難を叫ぶ。だが、小っぱい派に敢然と立ち向かう姿があった。

 バン、と力強く円卓を叩いて立ちあがったのは、果たして紳士エーだった。

「デブじゃない――ふくよかなだけだ!」 

 紳士エーの視線に、小っぱい派が気圧された。

「古の時代素焼きの土偶にあるように、乳房そのものが女性のシンボルであること、これは最早言を俟たない! ならば女性の胸部とは、ただ膨らんでいればいいのか? だとすれば一部のエロ漫画に散見される極端な巨乳――あるいは奇乳、魔乳と呼ばれるような、立位で胸が床に届くような巨大で非現実的な大きさであればそれがおっぱいの至高極致か!? 否!! 断じて否である!! 巨乳とは……我々が求める真の巨乳とは――それは、包容力だ!! 自分の存在全てを余すことなく受け入れてくれる存在。受け入れられることで得られるあの安心感。人それを母性という!! 我々大っぱい派はただ、女性の胸部を性的嗜好から見ているのではない!! その巨乳とふくよかな肢体の向こうに、赤ん坊だった我々が確かに感じていた根源的な母性。それをこそ、我々はみているのだ!! ゆ・え・に!! おっぱいの至高とは巨乳である!! 小っぱい? ああ良いだろう。君たちがそれだけ夢中になるのだったら、小っぱいだって良いものなのだろう。未来がある? 希望がある? 希少価値だ、ステータスだ、とのたまうのなら、その価値を認めよう。しかぁぁぁぁし!! おっぱいの真価はそんなところには存在しない。母性。それこそがおっぱいの真髄だ!! であれば自ずと、小っぱいやロリにおっぱいの真髄が備わっていないことは明白となる!! 故に至高のおっぱいとは巨乳である!! これが結論であり、そして唯一絶対の――真実なんだッ!!!!」

 その場に居る全員が呆気にとられている中で、紳士エーは荒い息をつきながらズレた眼鏡を押し上げると、無言で椅子に座った。

 沈黙が場を支配する。

 気まずい空気の中を彷徨う尚子の視線と、小っぱい派である紳士エスのそれがぶつかった。二人は声を介さず目と目で会話する。

『今の、紳士エー、なんかすごい気迫だったけど。もしかして』

『相談役シー、ご明察です。紳士エーのお母さんは、その……なんというか。実にふくよかな体格をしていらっしゃいます』

 やっぱり。

 っていうか、おっぱい談義どころかこれじゃ単なるフェチ暴露大会じゃないの。

 尚子は隠そうともせず大きく溜息をついた。ただでさえバカバカしかったこの場の実態が、よりバカバカしいものだと判って、本当にもうここから帰りたい。

 しかし、帰れない。非常に下らない話だが、ここから帰るにはこのおっぱいフェチ男どものクソ会議に何らかの決着をつけねばならないからだ。決着とは引き分けでもいいし保留でも良いし、どちらかの勝利でもいい。とにかく、今日はココまで、という判断を皆が納得する形で示さねばならないのである。

 どうしたものか、と考えを巡らせるついでに何かヒントにならないかと居座る面々の仮面をぐるりと眺めまわして、尚子はふと思い至ることがあった。

「そう言えば、織……紳士オー。あなた私をこの場に誘ったくせに、さっきから何も話していないのよね」

 一斉に、視線が紳士オーへと集まった。沈黙を破るのは、皆のざわめき。

「そう言えば……お前はこの議題となるといつも大人しいな」「大っぱい派であるのに小っぱい派を擁護するようなことも言うし」

 ありゃ。私、なんか地雷踏んだかしら?

 そんな彼女の思いを余所に、紳士オーは周囲の視線を受け、しかし怯むことは全くなかった。

「……私の、意見ですか」

 小さく呟くようでありながら、その声は良く通った。

「確かに私は、大っぱい派に属しながら積極的に大っぱい派を推すことはなかった。なぜなら、ある時ふと思ったのです。果たして――おっぱいの大小、ただそれだけでおっぱいの真価を測ることができるのだろうか、と」

 彼の言葉に、全員が息を飲む。

 おっぱいの大小だけがその真価ではない。それは、長い歴史を持つ紳士同盟の中でずっと重ね続けられていたこの議論の根底を否定する言葉だ。

「私個人の意見を言えば、小さいよりも大きい方が好みであることを否定はいたしません。アメリカン・ポルノに見られるようなスイカも斯くやというサイズは極端に過ぎると思うのですが、こう――たわわに実った、大ぶりの桃――この手に乗せて確かな重みのあるサイズ。それが私にとってのジャスティスです。そしてそのマイ・ジャスティスサイズは小っぱいではない。故に、私は大っぱい派に属しいている」

 この変態め。正義ときたぞ。

 大発見だ。変態が正義を振りかざしたら変態度が跳ね上がる。

「だ、だったらお前は大っぱい派で問題ないじゃないか。そういうことだろう」

 同じ大っぱい派の紳士エイチがうろたえた様子で問い掛けた。しかし紳士オーは首を横に振って否定する。

「いいえ、事はそう単純ではない――いつかの議題で、時代により場所により、そして個人により正義の定義は変化すると結論付けられたことを覚えていますか?」

 紳士オーの問い掛けに答えたのは紳士エーだった。

「だが、一方で不変の正義が存在する可能性を疑ってはならず、自らの抱く正義が不変のものであるかと常に問い掛ける事を忘れてはならない。そう僕たち全員が確認したじゃ――はっ」

 自らの言葉で、紳士エーは紳士オーの意図に気がついたようだった。

 驚愕の表情をその仮面の下に宿し、紳士エーは逆に、紳士オーへと問い掛けた。

「ま、まさか君はおっぱいの大小以外に、普遍にして不変の正義を見つけたというのかい?」

 慄きをもって問う紳士エー。うん、真剣な表情のとこ悪いけど、貴方達どこまで行ってもアレだから。変態だから。

「だとすれば、君の言う不変の正義とは――大小ではない、新たな正義とは一体……!?」

 その言葉を受けて、紳士オーはゆっくりと立ち上がる。

 自らに注がれる視線を堂々と受け止め、自信たっぷりな笑みをその口の端に浮かべ、こう言った。

「それは勿論――感度です」

 私は猛然と立ち上がると、紳士オーの頬っぺたに平手を叩きつけていた。

「だからセクハラ発言は止めなさいッ!?」

 とっくに手遅れであることはわかってるんだけど。それでも私は叫ばずにはいられなかった。

「まったく、さっきから大人しく聞いていれば、一体なんなの!? この紳士同盟とやらは世界の真理についてもっと真面目に議論する馬鹿と思ったら! それがなんなの!? おっぱいの大小? 感度? あんたら、もっと他に大事なモンがあるでしょう!?」

 誤字が混じっている気がするが気にしない。むしろ間違っている気がしない。

 おっぱい以上に大事なモノ? あるのか、そんなものが?

 いや、大小は大事だろう?

感度とは……やはり紳士オー、ただものじゃねぇな……。

そんなひそひそ声が聞える。私はキレた。

「は な し を き け えぇぇぇぇぇぇ!!」

 怒りに任せて円卓を叩いた。その気迫に、一同が首を竦めて大人しくなる。

 いや、一人だけ動じなかったバカが居た。ひっぱたかれてズレた蝶の仮面を直しつつこちらに向かって言い放つ。

「ですが、相談役シー。感度は……大事です」

「まだ言うかッ!」

「想像してみて下さい――後輩の女の子が、『私、小さいですけど……』などと言いつつ顔を赤らめ、私たちにその裸身を預ける。先端部分に触れた時に小さく『……んっ』と声を上げる場面を。或いは、経験豊富な年上の女性が『アタシに任せていればいいわ』と余裕な態度を見せていたのが、意外な反撃をされて小さく『……あッ』と声が漏れてしまった瞬間を」

 紳士オーは、何やら遠くを見ながらえらく具体的なシチュエーションを語っていらっしゃる。その言葉に皆もまた想像の世界に意識が飛んでいるようなのだが。

 最初からそうだったけど、なんかもうバカバカしくなって尚子

はドッカリと椅子に座ると、「大体ねー」と先ほどから心の片隅にあった疑問をぶつけてみた。

「大っぱいだ小っぱいだ、挙句感度だなんだ、とか言ってるけどさ。あんたらそもそも、実物のおっぱいを実際に見たり触ったりしたことあるの?」

 数人が不敵な笑みを浮かべやがったのでイラッとした。何か言う前に黙らせることにする。

「勿論母親以外のおっぱいで」

 不敵な笑みを浮かべた奴らはことごとく視線を泳がせた。そんなことだろうと思いましたよ先生は。

「まったくもう、馬鹿じゃないのあなた達は」

 あまりの馬鹿さ加減に、溜息しかでてこない。

「大きいの小さいのでワーワー騒ぐ前にさ、あんた等経験無いんじゃ話にならないじゃん。今更不純異性交遊どうこう野暮な事は先生も言いませんけど、そんなンでおっぱいの大小語られても、不毛も良いところでしょ」

 大体、こいつら男どもは女の方の苦労や気分だって解っていないのだ。

 この変態紳士どもがおっぱいの大小を気にしていた様に、女の子にとっても非常に重大で重要な懸案事項である。年頃のオトコノコにとってそれは興味の対象だが、年頃のオンナノコにとってそれは自らの身体の事なのだ。時には、オンナとしてのプライドが懸っている。

 大きければ大きいで大変だ。

おっぱいとは要は脂肪の塊なので、すなわち体重問題と直結する。ちょっと間食が過ぎれば脇腹がたるみ、一念発起してジョギングでも始めれば胸から脂肪が落ちて行く。スタイル維持だって気を遣うし、大きいのは実際肩が凝ったりもするし。

 ちっちゃければちっちゃいで問題だ。

仲の良くなった女子生徒から内緒の相談で、どうやったら胸がおっきくなりますかとかもうどう答えりゃいいのよ。女性ホルモンが沢山分泌されればいいのよ〜とでも? 女性ホルモンを手っ取り早く分泌させるのに有効なのは性行為と妊娠である。どちらも女子学生に対する回答として不適切極まりない。

 ちっちゃければちっちゃいでコンプレックスだし、おっきければおっきいでコンプレックスだし。

 満員電車で痴漢に遭うのが悩みです、と胸が大きな子が落ち込んで。

 痴漢に遭ったことがありません。そんなに私、魅力が無いですかと落ち込むちっちゃな子がいて。

じゃあ痴漢されたいのかと言えばそうではない。

痴漢に狙われない=魅力のない貧相な身体と認定されて、プライドが傷ついたのだ。

 解りやすい女性として最も比較される身体的特徴。

 それがおっぱいなのである。

 そういう女性側の大っぱい小っぱい問題を身近に――そして自分自身もかつて悩みを抱いた元女子学生として、この紳士どもの単なるフェチとしての大っぱい小っぱい問題は怒りを通り越してもう呆れはてるしかない。

 でもま、仕方のないことなのかも知れない。

 こんな悩み、男にはわからない。何千何万の言葉で伝えてもその深刻さを理解してはくれないだろう。だって自分の身体のことじゃないから。

 だから尚子は投げやりに言い放った。

「いーじゃないの、もう。結局あんたら、好みの大小があるだけで、要はみんなおっぱい星人ってことなんでしょ? 好きなだけ女の尻……じゃなかった、おっぱいを追いかけていればいいんじゃない?」

 そこでふと思い出す。

「あー、失礼。こうちょ、じゃなくて長は、奥様がいらっしゃいますね」

 失礼というならとっくに手遅れだ。というか、招かれざる客であったとは言え女性の前でこんな恰好している時点ですでに礼など失われているようなものだ。

 それで女のおっぱい追いかけていれば色々と大問題だ、と尚子が投げやりついでに下手な笑いにしようとした時、今まで沈黙を貫いていた長が、彼女の方を真っ直ぐに見た。

 そしてゆっくりと口を開く。

「いいや、私は妻帯したことはない」

「……は」

 そう言えば、校長の奥様の話とか、聞いたことが無いことに尚子は気がついた。例の飲み会の時、一生を教育に捧げた――とか何とか言っていたが。

「相談員シー。我ら紳士同盟の掟に、『清らかにして崇高なる精神と肉体を有するべし、穢れたるは同盟に参加する資格無し』とあります」

 え。

 思わず、紳士オーの目を見る。言外に、長すら例外ではないと語っていた。

 沈黙が、場を支配する。

 重く立ち込めた空気は、偉大なる長が、永きに渡って支払い続けてきた何かに対する労わりであり、その覚悟に対する敬意であり、下手なコメントしてこの白髪のおっさんの大切な何かを抉ってしまわない様に配慮する残酷な優しさだった。あと、将来の自分がこうなっているかもしれないと我に返った者も。

 全く、どいつもこいつも死ねばいいのに。

 これ見よがしに何度目かの溜息をついて、尚子は言い放った。

「大体さ、あなた達前提として巨大な勘違いをしてるじゃない」

「巨大な……勘違い?」

 聞き返すのは紳士ティー。小っぱい派の巨漢。彼が小っぱいな彼女とかできて私服で並んで歩いていたら、通報とかされるのだろうか。というか今すぐこの場を摘発してくれないだろうか。おまわりさんこいつらです。予備軍です。

「おっぱいってさ、男のためでも女のためでもなくって」

「男でも……女のためでもなく?」

 紳士エー。大っぱい派の最右翼。っていうかこいつ、単なるデブ専なんじゃなかろうか。マザコン疑惑も信憑性が高いし、この中で一番おっぱいがどうでもいい人なのでは。

 小っぱいについて熱弁をふるった紳士エス。外ではリーゼント目につけられていたが、意外とここでは常識人の範疇に近い気がする紳士エイチ。

大っぱい派、小っぱい派。

こじらせてこんなになるまでになってしまった長。彼はきっと魔法使いどころか、大魔道士と呼ばれるに足る人物かもしれない。死ねばいいのに。

そしておっぱいとは感度と、トチ狂ったことをのたまった紳士オー。変態ども全員の視線が集まるのを待って、彼女は言い放つ。

とても当たり前のことを。

「赤ちゃんのためものでしょ」


  †


 あの地下室で狂気の会合が行われて、数年が過ぎた。

 

 授業を終えて職員室に戻った尚子は、ノートパソコンに紙片が挟んであるのに気がついた。

 またかとウンザリしながらそれを開くと、記してあったのは、簡潔な一言。

『母様へ   5時より』

 彼女はその文字を氷のように冷たい視線で眺めると、グシャリと握り潰す。

 今日の五時から、例の場所で紳士同盟の集まりがあるというその連絡である。今回みたいにパソコンに挟んであることが殆どだが、バックの中に滑り込んでいることや書類の束に紛れ込んでいること、どうでもいいメールが来たと思ったら縦読みだったこともある。

 あと下駄箱にラブレターっぽく仕込むのは本気で止めていただきたいと彼女は思っていた。

そして勿論、呼びかけに応じて参加したことはなく、今後参加するつもりもなかった。

 あの後――尚子の「赤ちゃんのもの」発言の後。彼らは叫んだ。

 それは驚愕の叫びであり、真理に至ったという喜びの叫びであり、そして賞讃の声だった。尚子自身はこれまでの平凡な人生の中でこれほどまでの賛辞を受けるということは無かったのだが――おそらく、こんな受けて嬉しくない絶賛の嵐も他にはあるまい。

 そして尚子は、『紳士同盟の相談役』という肩書から就任後一時間足らずで解放された。代わりに得たのは『紳士同盟の母』の称号である。冗談ではない。あんな変態どもの母親など。


 織田くんは、周囲が期待していたようにT大へと進学した。のちのちアメリカに留学が予定されているのだという。弁護士を目指す者、柔道でオリンピックを目指す者、鳶職になった者。様々だ。

 校長は、去年縁あって同じ年代の女性と結婚した。

 歳が歳だし、相手方は再婚なので派手なことはしないとの事だったが、せめて身内でささやかなお祝いの席を設けようということになった。それに参加した私は実に複雑な気分だった。特に校長直々に、「教え子たちを頼む」と囁かれた時にはもう、尚子は本当に泣きそうだった。

 あれから、紳士同盟がどうなったのか彼女は知らない。

 だが、半ば慣例的に会合の開催を知らせるメモは届き続けているということは、織田くん――紳士オー達が卒業した今でも、存続はしているらしい。不本意ながら尚子の存在も受け継がれながら。

 全く迷惑な……本気で迷惑な話である。

 いっそのこと、本当におまわりさん連れて乗り込んで行ってやろうかしら。

 そんなことを考えてついた溜息は、誰にも知られる事なく宙に溶けて消えて行くのだった。



                                                   了



というわけでみなさまこんにちわ、鶏です。

拙作「紳士同盟」はいかがでしたでしょうか。


この作品のジャンルはコメディとさせていただいていますが、僕自身はギャグのつもりで執筆しました。ギャグとコメディの細かい違いについて議論する場でもないのですが、コメディが綿密な構成の笑いとしたらギャグとはまぁ力技かな、と。


前後編に分けたとはいえそれなりの分量でもありますし、読んでいただくにも時間はかかるかと思います。

その中で腹を抱えて笑っていただければ重畳、「バカジャネーノ」と失笑していただければそれはそれで作者冥利というもの。

いずれにしろ、楽しんでいただければ幸いでございます。


それでは、また。

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