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「ねぇ、お兄ちゃん、あそこ、穴が開いてる!」
三人の沈黙をあっさりと破ったのは、ミナの無邪気な声だった。ミナは岩壁の近くにいて、その付け根あたりを指差して一生懸命に叫んでいる。
「穴?」
ミナの言葉に、リョータが首をかしげて立ち上がった。ぼくも続けて立ち上がり、ミナのいる岩壁の方に近づく。
「本当だ。穴が開いてるぞ」
「洞窟かな?」
「洞窟っていうより、ほこらみたい。ほら、奥のほうにちっちゃな鳥居みたいなのが見えるわ」
いつの間にかすぐ後ろにいたナツミも合わせて、みんなで壁に開いた『穴』を覗き込む。
ミナが指差していたのは、岩壁に刻まれた縦の線の一番下の方。つまり、もし滝が流れていたらちょうどその裏に隠れてしまうはずの、滝壺のあたりだ。
そこに小さな、ぼくたち子供がなんとか一人通れるくらいの穴が、ぽっかりと口を開けている。ナツミの言うとおり、奥にぼんやりと赤く見えている柱のようなものはたぶん鳥居だろう。
「ほこらってことは……何か、神さまとかを祀ってるってこと?」
ぼくは誰にともなく疑問を口にした。
ぼくたちの住む水浪町は、もともと水浪村っていう名前で、何百年も前からあったらしい。そんなところだから、今でも町のいたるところに神さまを祀るほこらがある。特に山のてっぺんだとか、湖のほとりなんかには、その山や湖の神さまがいるって昔の人は信じてたみたいで、必ずと言っていいほど小さな鳥居とお供え物を置くための祭壇を備えたほこらがあるんだ。
「滝の裏にあるってことは、滝の神さまなのかな?」
リョータがそう言って、腕を組んで考え込む。
滝がなくなっていて落ち込んでたなんてことはすっかり忘れて、その顔はもう好奇心でわくわくしてる。
ぼくだって同じだ。
だって、滝が干上がったときだけ見える、滝の裏に隠されていたほこらだなんて、なんだかすっごくかっこいいじゃないか。
「中は真っ暗だな。リョータ、懐中電灯持ってきた?」
「もちろん、ちゃんと用意してあるぜ。二本あるから大丈夫だな」
「ちょ、ちょっと、中に入るつもりなの?」
すっかり乗り気で探検の相談をはじめたぼくとリョータに、ナツミが驚いたような声を上げる。
「あったりまえだろ。こんな面白そうなこと、そうそうないぜ!」
「滝の裏のほこらなんて、すっごくわくわくするじゃん!」
ぼくとリョータが次々に言った。すっかり興奮してるから、思わず声も大きくなる。
「でも……仮にも神さまを祀るほこらなんだから、勝手に入ったらなんか祟りとかありそうだよ……」
不安そうな声でナツミがつぶやく。普段は気が強いくせに、意外と怖がりなんだなぁ。
「大丈夫だって! 何かあったらオレたちが守ってやるよ。なぁ、タツヤ?」
リョータが、すっごく恥ずかしいことをさらりと言う。フツー、女子に向かって「オレたちが守ってやるよ」なんて言えるか?
しかもそれが様になっちゃうからリョータってばずるい。
「どうした、タツヤ?」
思わず黙って考え込んでしまったぼくを覗き込んで、リョータが声をかけた。
「いや、なんでもないよ」
「なぁ、オレたちがいるから平気だよな? ほら、タツヤもナツミに言ってやれよ」
リョータはその顔にニヤニヤ笑いを貼り付けながら、まだそんなことを言ってる。
「え? ああ、うん。心配しなくても大丈夫、だよ」
リョータに促されて思わず言ってから、自分がすごく恥ずかしいことを言っちゃったことに気づいた。ナツミの顔をまっすぐに見られなくて、とっさに目をそらす。視界の端でチラッと見えたナツミも、同じように目をそらしたみたい。
ちくしょう、リョータのやつ、引っかけたな。
ぼくは抗議の気持ちで、リョータの顔をにらみつけてやった。でもリョータはどこ吹く風で、口笛なんか吹いている。
「で、でも、ミナちゃんが」
話をそらそうと思ったのか、ちょっとあせった感じでナツミが言った。
「ミナちゃんがいるから、中に入るのはちょっと……」
「そうだなぁ、ミナが問題だよなぁ」
ぼくもナツミに同意して言うと、ミナがまたほっぺたを膨らませる。
「ミナ、へーきだよ、こわくないもん」
相変わらずミナはそんなことを言ってるけど。
リョータもミナのことが心配なんだろう。ミナとほこらを交互に見つめて、困った顔をしている。
その時だった。
ピシャアァッ!
でっかいビルの窓ガラス全部に一気にひびが入ったみたいな、鋭くて激しい音と、目がくらむような閃光。
ドゴゴオオォン!
一瞬遅れて、耳をつんざくすごい音があたりに響き渡る。あまりの音に、ぼくは思わず首をすくめた。
轟音と閃光の正体は、雷。それも、すぐ近くで落ちたみたいな、ものすごい雷だ。
「やだ! 怖いよー!」
ミナが泣きそうな声を上げて、リョータにしがみつく。リョータの背中に顔を埋めるみたいにして、思いっきり抱きついてる。
ふと隣を見ると、ナツミが目をぎゅっと閉じて、泣きそうな顔をしていた。顔は真っ青で、肩が小さく震えている。
やっぱり、ナツミって実は怖がりなんだなぁ。ナツミを見て、ぼくはそんなことを思う。
ピシイィッ! ドガガァアアン!
もう一度、雷が鳴った。さっきよりも激しいみたいだ。
ミナとナツミが、同時に悲鳴を上げる。
ミナはさらに力を込めて、リョータの背中にしがみついた。きっとリョータの背中は、指の跡で真っ赤になって痛いんだろうけど、リョータは何も言わないでミナのことを心配そうに見ている。
ぼくはとっさにナツミの右手を、自分の左手でそっと握ってあげた。そうした方が、少しは怖いのがまぎれるかなって、思ったんだ。
ナツミは一瞬おどろいた顔をしたけど、もう一度大きな雷の音がすると、また小さく悲鳴を上げて、ぼくの手をぎゅっと握り締めた。ナツミの手は思ったよりも柔らかくて、ぼくは少しだけドキッとした。
立て続けの激しい雷は、たぶん五分くらい続いた。
雷がやむと、今度は、ザアアアアッ、という音を立てて、それこそ滝みたいな大雨が降ってきた。バケツどころか、プールをひっくり返したみたいな、ものすごい夕立だ。
「やーん、びしょびしょー!」
「うっわ、すっごい雨! 取り合えずどっか避難しようぜ!」
ミナがかわいい顔をしかめて口をとがらせ、リョータが雨の元に負けないようにほとんど怒鳴るみたいにして言う。
巨大な雨粒が体に当たって痛いくらいで、口の中まで水が入ってくるから息も苦しくなる。
ぼくたちは、あわてて、あたりをきょろきょろ見回して雨宿りができるところを探した。でも、目の前を大きな岩壁で囲まれた谷底のようなこの場所に、雨宿りできるところなんてなかなかない。木の下でやり過ごすには、雨の勢いが強すぎる。
「ねぇ、あそこ、あそこに避難しよう!」
とっさに思いついてぼくが指差したのは、滝の裏のほこらだ。
ぼくの言葉にリョータもうなずいて、ぼくはナツミの、リョータはミナの手を引いてほこらに向かって走る。
ナツミはまだ少し怖がってたみたいだけど、滝に打たれてるみたいな雨の中にずっといるわけにはいかないと思ったのだろう。振り返ったぼくに小さくうなずいて、ほこらに向かって走り始めた。
ほこらの前にたどり着くと、まずリョータとミナが、そのあとにぼくとナツミが中へ飛び込んだ。
あわててはいても、真っ暗なほこらの中には何があるかわからないから状況確認を怠っちゃいけない。
ぼくらはほこらの入り口の、何とか雨がしのげるあたりでいったん立ち止まった。リョータが肩から提げていたスポーツバッグを開けて、懐中電灯をふたつ取り出し、ひとつをぼくに投げてよこす。
スイッチを入れてみると、あたりがほのかに明るくなった。雨でびしょびしょになっていたけど、壊れてはいないみたいだ。とりあえずみんなの顔が見えるように、ぼくとリョータは懐中電灯を上向きにおいた。
「ふー、すごい雨だな」
リョータが赤いTシャツのすそを絞りながら言った。すそからは、ジャバジャバと音を立てて、大量の水が零れ落ちる。
四人とも、服のままプールに入ったみたいにびしょ濡れだった。今が夏でよかった。これが冬とかだったら、寒くて絶対風邪引いてたな。
「ちょっと、二人ともこっち見ないでよ、えっち」
「えっちー」
びしょびしょのTシャツを手で隠しながら、ナツミが僕とリョータをにらみつけてくる。隣でミナまでナツミの真似をしてる。
「だ、誰が見るかよ!」
ぼくはあわててナツミから目をそらす。
ちぇっ、かわいくないの。さっきまで雷が怖くて震えてたくせに。
ほんの少しだけどきどきしたことを気づかれないように、ぼくはみんなに背中を向けて、ほこらの奥に目をやった。
目がくらやみに慣れてきたのと懐中電灯のかすかな光とで、ほこらの中の様子が少しずつ見えてくる。
そしてぼくは、その光景に目を奪われた。
「湖だ……」
入り口からは想像もできないほど広大なほこらの奥に広がっていたのは、大きな湖だった。
ぼくらのいる、ほこらの入り口のすぐそばに大人の男の人の背丈くらいの古びた赤い鳥居があって、その向こうにはコバルトブルーの絵の具みたいな色をした青い水面が、かすかな光に照らされてきらきらと輝いていた。
「すごい……こんな洞窟の中に、湖があるなんて」
「湖、きれー」
ぼくの隣でナツミとミナが、感動した声を上げた。
それは本当にきれいで、神秘的な光景だった。
「なぁ、あそこ、建物みたいのがあるぜ」
リョータが、湖の方を指差して言う。
リョータの指差す方向を見ると、湖の真ん中あたりに小さな島のようなものが見えた。半径2メートルくらいしかない、小さな小さな島だ。そしてその島いっぱいに、神社をちっちゃくしたみたいな建物が建てられていた。
「社……かな?」
ナツミがつぶやく。
ナツミの言うとおり、神さまをまつるための社みたいに見える。社全体がかすかに青く光っているみたいに見えるのは、湖の青さを反射しているからだろうか。
「あ、橋があるよ」
ふと気が付いて、ぼくは湖を指差した。
よく見るとぼくたちのいる湖のこっち岸から、社が建てられた島まで、立派な石の橋が架けられていて、歩いていけるようになっていた。
「行ってみよう」
つぶやくように言って、リョータが湖の方に歩き出した。
あんなに怖がっていたはずのナツミも、それにミナでさえも、何も言わずに社にむかって橋を渡りはじめる。その後ろから、ぼくも続いた。
怖いとか気味が悪いとか、そんなことは少しも思わなかった。
みちびかれる、っていうのかな? 誰かに呼ばれているような、そこに行かなければならないような、そんな気がしたんだ。
橋を渡り終えて、青い湖の真ん中に浮かぶ島にたどり着く。
先頭を歩いていたリョータも、橋を降りたところでぼくらを待ってくれていた。
間近で見る社は、やっぱり青白く光っていた。社自体が光っている、というよりは、社の中にある何かが光っていて、その光が隙間から漏れ出しているような感じだった。その光は、夏の夜の川辺に集まった蛍の光を何倍も強くしたみたいな色をしていて、すごくきれいだった。
「ここになんか書いてあるぞ!」
島を色々と見て回っていたリョータが、社の脇に細長い石を発見した。石にはぼくたちがまだ習ってない難しい漢字が掘り込まれている。たぶん、石碑っていうやつだ。
ナツミが好奇心に目を輝かせてそれに近づく。
「きっと、ここにまつっている神さまの名前よ! ええっと、タテ、ハヤ……ダメだ、ぜんぜん読めない」