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耳を塞いでも聞こえてくるような、セミたちの大合唱。
真夏の太陽が、道路をじりじりと焼いている。
今年は雨が少なくて、水不足だとかで大変らしいけど、蒸し暑さはいつもの夏と少しも変わらないみたいだ。
つばが頭の後ろに来るようにかぶった赤い野球帽の隙間から、汗が滝みたいにあとからあとから流れてくる。かっこいい英語のロゴが入ったお気に入りの白いTシャツはもちろん、背中に背負ったリュックまでもう汗でびっしょりだ。
憎らしいほどに真っ青な夏の昼の空の下、緑の大地を一直線に横切るコンクリートの道を、ぼくは愛用の青い自転車で駆け抜けていた。
ちょっと古ぼけてはいるけどしっかりと手入れをしているマウンテンバイクは、誰もいない道路を風を切って走る。家を出る前に空気を入れてきた太いタイヤがしっかりと道路を捕らえて、とてもいい感じだ。
山の中にあるぼくらの町はどこもそうだけど、ここの道もやっぱり坂だらけで、下り坂は気持ちいいけど上り坂はきつい。
こんな暑い日には、クーラーの効いた涼しい部屋で冷たい飲み物でも飲みながらテレビゲームをしてたりするのが一番だ。なのにどうしてぼくが炎天下の中自転車を走らせているのかと言うと、今日は友達と約束があるからだった。
今日は7月22日。
夏休みが始まってから三日たった今日は、ぼくたちが自由に遊べる最後の日。明日から、ぼくもリョータも、夏期講習が始まるんだ。夏休みといったって、六年生にもなると無邪気に遊んでばっかりもいられないもんなんだ。
だから、せっかくの自由な時間を有意義にすごそうと、ぼくたちは今日、ちょっとした旅行を計画した。
旅行といってもそんな大げさなものじゃない。自転車で、三時間くらい行ったところにある海まで出かけようって話なんだけど。
ぼくたちの町は山の中だから、なかなか海に行く機会なんてない。今年は大好きなプールも水不足で中止になっちゃったから、ぼくたちは泳ぎたくってしょうがないんだ。
そういうわけで、ぼくは今こうして青い自転車にまたがって焼けた道路を疾走してるってわけ。とりあえずの目的地は、待ち合わせ場所のリョータんち。リョータんちは、ぼくの家からひとつ山を越えたとこにあって、そう、ちょうどこの坂を上りきれば……ふぅ、見えてきたぞ。
「おーい、タツヤー!」
家の前にはすでにリョータが待っていて、坂を上りきったぼくを見つけて手を振ってきた。
黒っぽいマウンテンバイクにまたがった、茶色く脱色した髪が目立っているのが山岸涼太。赤いTシャツや、肩からかけた黒いスポーツバッグがすごく似合ってるし、テレビに出てくる俳優みたいな顔は男のぼくから見てもかっこいいと思う。
そんなリョータはぼくの今のクラスメイトであり、幼馴染でもある。まぁ、この町は小さいし、人の出入りもそんなに多くないからいわゆる「幼馴染」ってのはいっぱいいるんだけど。でもリョータとぼくは幼稚園のころからなぜか気が合って、しょっちゅう一緒にいる。ぼくはリョータのことを親友だと思ってるし、多分リョータもそう思ってくれてるんじゃないかな。
「ああ、ナツミももう来てたんだ。遅くなってごめん」
汗でびしょびしょになった赤い帽子を脱いで、ぼくはリョータと、その後ろにいたもう一人に声をかけた。
もう一人は女の子。真っ黒なストレートの髪をショートカットにして、黄色いTシャツにジーパンという、活動的な服装をしてる。自転車は赤い、カゴつきのやつ。ぼくやリョータのクラスメイトの風間夏海だ。
ナツミはここでは珍しい転校生で、五年生になってはじめて知り合った。誕生日が誰よりも早い4月3日らしくって、だからって妙にお姉さんぶるのが玉に瑕だけど、はっきりとした性格がなかなか気持ちいいとぼくは思ってる。他の女子と違ってみんなで集まってこそこそ話をしたり、グループを作ったりするのは好きじゃないみたいだから、よくぼくたちと一緒に遊んでるんだ。
「おそーい。もう待ちくたびれちゃった」
「ごめんごめん、さすがに暑くてさぁ。さて、行こうか……ってあれ?」
ナツミに軽く手を合わせてから、自転車のペダルに足をかけようとして振り返った瞬間に、そこにいた小さな女の子とばっちり目が合う。
「タツヤだー、おはよー」
「……何でミナがここにいるのさ?」
「いやぁ、だめだっていったんだけど、付いてきちゃってさ」
ぼくの言葉に、リョータが、決まり悪そうに頭をかきながら答える。
ぼくと目が合った、ピンク色の子供用自転車に乗った女の子は山岸水奈。
小学校二年生で、リョータの妹だ。つぶらな真っ黒な目でぼくを見つめてくる。ちょっと茶色っぽいふわふわの巻き毛にやわらかそうな真っ白な肌。どこかのアイドルかと思うくらい、かわいらしい女の子だ。服装も白のふわふわしたワンピースだし、それがすごく似合っちゃってる。
リョータはおしゃれで、運動神経もよくて、クラスの女子からひそかに人気があるくらいなんだけど、妹にはめっぽう弱い。シスターコンプレックス、ってやつじゃないかと思うくらいだ。まぁ、これだけかわいい妹だと、しょうがないのかもしれないけど。
きっと今回も、ミナに泣きつかれて、断りきれなかったんだろう。
「でもさ、ミナがいたら海までなんか行けないじゃん」
ぼくはちょっと不満げに言ってやった。ミナは一応自転車には乗れるけど、やっと補助輪が取れたばっかりだし、いくつも山と谷を越えて三時間もかかるとこにある海になんて、行けるわけがない。
「そうね、さすがにミナちゃんに海は無理だと思う」
ナツミも心配そうにうなずく。
「大丈夫、ミナ、海まで行けるもん」
胸を張って言うミナは、この際無視だ。ミナはいつも子ども扱いされるのを嫌がって「平気だもん」とか言うけど、結局あとでできなくて泣き出しちゃうんだ。それで苦労するのはいつも僕たちなんだからさ。
近所の公園かなんかで泣き出されるくらいならまだいいけど、せっせと自転車を飛ばして行ったすごく遠いところで「もう帰るー」とか言われたらたまったもんじゃない。
ぼくとナツミの抗議の視線を受けてるってのに、リョータは平然とした顔をしていた。
「それでさ、相談なんだけど。……目的地変更しない?」
「変更って、どこにさ?」
ぼくの質問に、リョータが待ってましたとばかりに指を鳴らす。
「水浪山だよ」
得意そうに答えたリョータとは対照的に、ぼくはがっかりしてため息をついた。
「水浪山なんて、しょっちゅう行ってるじゃないか。もう見るところなんてないよ」
「ほんと。あそこなら月に三回は行ってるわ」
ナツミも不満そうな顔でぼくに同意する。ミナだけはよくわかっていない顔できょとんとしていたけど。
水浪山ってのは、ぼくの家やリョータの家から歩いて大体三十分くらいのところにある、小さな山のことだ。木がたくさん生い茂ってて、いろんな種類の虫や、リスとか、鳥なんかもいっぱいいるから確かになかなか面白いところだ。だけど、この町には他に遊び場もないから、ぼくたちはホントに毎週のように水浪山に遊びに行っている。さすがに飽きてきちゃってるから、わざわざせっかくの自転車旅行の目的地にするようなところじゃない。
だけど、なぜかリョータは自信たっぷりだった。
「ふふん、違うんだなぁ」
「違うって何がよ?」
首を傾げたナツミに、リョータはひっくり返りそうなくらい胸をそらして言う。
「こないだオレ、水浪山で大発見しちゃったんだ」
「大発見?」
ぼくがけげんな顔で聞き返すと、リョータはそう大発見なんだ、と言って大きくうなずいた。
「こないだ圭兄と水浪山探検に行って、かなり山の奥の方まで入って行ったんだけど」
リョータが興奮した声で話し始める。
ちなみに圭兄ってのはリョータの家の近くに住んでる中学三年生で、ぼくたちが小学校低学年だったときに色々と教えてくれたりした、ぼくたちのお兄ちゃんみたいな人だ。特にリョータは圭兄と仲がよくて、よく一緒に遊びに連れて行ってもらってるみたい。
「そのときにさ、山のちょうど真ん中辺りかな、急に崖みたいになってるところがあって、そこを下っていったらさ、なんと」
話をそこで切って、リョータはぼくとナツミの顔を交互に見た。そして、さも大事な話をするみたいに声を低くする。
「滝を見つけたんだ」
「滝?!」
リョータの言葉に、思わずぼくの声が裏返った。
滝。
ごぉっという音を立てて、岩壁のてっぺんから一気に流れ落ちる水の柱。
理科の教科書やなんかで写真を見たことはあるけど、本物の滝は一度も見たことない。きっとすごくかっこよくて、きれいなんだろうな。
いいなぁ。滝かぁ。
すっかり目を輝かせたぼくに気をよくしたリョータが、さらに話を続ける。
「その日は滝を見つけた途端にすごい夕立が降ってきちゃって、あわてて帰ったからあんまりしっかりとは見てないんだ。だけどあれはマジでかっこよかったぜ」
「本当? それは見てみたいな!」
ぼくの横で、ナツミが歓声を上げた。
「なぁ、今日は水浪山に行って、滝を見に行かない?」
リョータがぼくに聞いてくる。隣ではナツミも、きらきらした目でぼくを見つめている。話がわかっているのかいないのか、ミナも「滝だー滝だー」なんて言ってはしゃいでる。
もちろん、ぼくの答えはもう決まっていた。
「よぉーし、滝を見に行く旅に、れっつゴー!」
ああ、そうそう。ぼくのことを話すのを忘れてた。
ぼくは谷崎龍也。自然と冒険が大好きな、小学校六年生だ。