表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

夢か現か

作者: 凪葉音

  むかし、荘周夢に胡蝶となる。

      栩栩然として胡蝶たり。

 自ら喩しみ志に適するかな。 

         周たるを知らざるなり。

       俄にして覚むれば、則ち遽遽然として周なり。

    周の夢に胡蝶と為りしか、胡蝶の夢に周と為りしかを知らず。




「やば・・・大学遅れる」

うるさく時間を告げる目覚ましを止め、周平は起き上がった。

上京して一人暮らし。

大学二年生。

荘矢周平そうやしゅうへい、二十歳。

彼女もおらず、ごく普通の生活を送っている。

「あー・・・電車乗り過ごした・・・」

時計の針は、周平がいつも乗る電車の発車時刻をとっくに回っていた。

「もういい・・・たまには歩こう」

小さめの冷蔵庫から、ペットボトルのスポーツドリンクを取り出し鞄に入れる。

顔を洗って歯磨きをして、投げ込まれている新聞をそこらへんに置いて。

「行ってきます」

誰もいない部屋に挨拶をして、鍵をかける。

すれ違うマンションの住人に適当に挨拶をしてエレベーターに乗り、マンションを出る。

「つまんねぇの・・・」

いつも通りのライフスタイルに愚痴をこぼして、周平はのんびりと歩き出した。




いつもは電車に揺られて大学まで行く道。

歩いてみると、いつもと同じ風景が違うものに感じられる。


・・・あ、こんなとこに自販機あったんだ。

あれ、ここのコンビニつぶれたんだ。

お、新しい家が建つのか・・・。


普段なら気付かないところを次々と発見し、周平は何だか嬉しくなる。

そして。


・・・・・・公園?こんなとこにあったか・・・?


電車の窓ガラス越しに見ていた風景の中の一つだろうか。

周平は、何かに惹かれるようにその公園へと足を踏み入れた。

シーソー、ブランコ、シャングルジム・・・。

別にそこらにあるような公園と何ら変わりは無い。

周平はベンチに腰を下ろした。

「やっぱこんな時間に人なんか来ないよなー・・・」

ふと空を見上げる。

青いキャンパスに白の絵の具。


そういえば、空なんて、ずっと見てなかったな・・・。


周平の視界に、ひらり、蝶が一匹舞い込んだ。

黒い羽に青い筋。

ひらひらと周平の視界を舞う。

まるで周平を誘っているかのように。

ふと彼は、大学の講義で学んだ、哲学の一節を思い出した。

そう、たしかあれは―――・・・。


むかし、荘周夢に胡蝶となる。

栩栩然として胡蝶たり。

自ら喩しみ志に適するかな。 

周たるを知らざるなり。

俄にして覚むれば、則ち遽遽然として周なり。

周の夢に胡蝶と為りしか、胡蝶の夢に周と為りしかを知らず。



ツツジだ。ツツジが咲いている。

赤い花びらに足を乗せ、甘く香る蜜を飲む。

それだけでは足りなくて、隣に咲いていたツツジの蜜も飲む。

体は軽く、風に乗る。

一枚、緑の葉が、視界の横を通り過ぎていった。

子供達の笑い声が聞こえる。

幼い子供達が、追いかけっこをしていた。

一人、逃げていた少女が転び、膝をすりむいて泣いた。

鬼ごっこは中断。

ふと目を向けた先、ツツジを見つけた。

気がつけば、喉が渇いている。

先ほどと同じように、ツツジの赤い花びらに足を乗せ、甘い蜜を飲む。

隣のツツジが甘く誘う。

その誘いに乗り、隣のツツジの蜜も飲んだ。

・・・そういえば。

確かこんな一節があった。



むかし、荘周夢に胡蝶となる。

栩栩然として胡蝶たり。

自ら喩しみ志に適するかな。 

周たるを知らざるなり。

俄にして覚むれば、則ち遽遽然として周なり。

周の夢に胡蝶と為りしか、胡蝶の夢に周と為りしかを知らず。




ヴヴヴヴ・・・ヴヴヴヴ・・・。

「・・・!」

鞄に入れた携帯が、着信を告げている。

気がつけば、青いキャンパスはいつのまにか、オレンジのキャンパスへと様変わりしていた。

体が痛い。

「・・・夢・・・か?」

いつの間にか、携帯は静かになっていた。


それにしては現実味があったような・・・。


「・・・帰ろう」

周平は、ベンチから立ち上がり、鞄を肩にかけて歩き出した。

道端に赤いツツジが咲いている。

そのうちの一輪に、見覚えのある蝶が止まっていた。

「・・・・・」

周平は立ち止まり、ツツジを一輪、摘んだ。

ひらり、蝶が視界から消えていく。

「・・・甘い」

この味も、知っている。

周平の脳裏を、またあの一節が横切った。



むかし、荘周夢に胡蝶となる。

栩栩然として胡蝶たり。

自ら喩しみ志に適するかな。 

周たるを知らざるなり。

俄にして覚むれば、則ち遽遽然として周なり。

周の夢に胡蝶と為りしか、胡蝶の夢に周と為りしかを知らず。


「・・・俺は・・・」

夢か現か。

現か夢か。

「・・・・・・・」

周平は、摘んだツツジをそっと手に持って家路に着いた。




「ただいまー・・・」

いつもの通り、誰もいない部屋に挨拶をして、靴を脱ぎ、結局一度も飲んでいないスポーツドリンクを冷蔵庫にしまった。

「そうだ・・・ツツジ・・・」

手の中の赤いツツジ。

しおれかけたその赤い花びら。

周平は何ともなしに窓を開ける。

さぁ、と風が部屋に舞い込んだ。

この風も・・・知っているような気がする。

手すりに手をかけ、外を見る。

オレンジのキャンパスの中、赤く染まった太陽が落ちていく。

「むかし、荘周夢に胡蝶となる。

栩栩然として胡蝶たり。

自ら喩しみ志に適するかな。 

周たるを知らざるなり。

俄にして覚むれば、則ち遽遽然として周なり。

周の夢に胡蝶と為りしか、胡蝶の夢に周と為りしかを知らず。

か・・・」

幾度も思い出した一節を口に出し、周平は、赤いツツジを空に投げた。

窓を閉めたそのとき、ツツジを追うように、視界の端、蝶が舞い降りていったのを、周平は見た。

「・・・・ホント、どうなんだろうなぁ」

ヴヴヴヴ・・・ヴヴヴヴ・・・

鞄の中で、再び携帯が周平を呼んだ。

「誰だー?」

ディスプレイには友人の名前。

「あ、そっか・・・俺、今日大学行ってない・・・」

その代わり・・・。


その代わり・・・俺は・・・。


ヴヴヴヴ・・・ヴヴヴヴ・・・

「おっと・・・はい、もしもし」


夢か現か。

現か夢か。


 むかし、荘周夢に胡蝶となる。

      栩栩然として胡蝶たり。

自ら喩しみ志に適するかな。 

  周たるを知らざるなり。

     俄にして覚むれば、則ち遽遽然として周なり。

    周の夢に胡蝶と為りしか、胡蝶の夢に周と為りしかを知らず。



夢か現か。

現か夢か。


誰も、知らない。

荘周の「胡蝶の夢」を題材に使ってみましたが、いかがでしょうか。久しぶりの短編なので、結構楽しく書けました。連載も続けているので、そちらも良ければお読みくださると光栄です。



         凪 葉音  拝

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ