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《番外編》②



窓の外では、春の陽光が穏やかに世界を照らしている。


晃希さんからのプロポーズを受けて、少し経った頃。

私は、懐かしい匂いのする佐伯家のリビングにいた。


「素敵な指輪だね……! さすが晃希さん、シンプルだけど気品があって。本当におめでとう、咲花さん」


「ありがとうございます。……私には、勿体ないくらいで」


お昼寝中の咲良ちゃんを起こさないよう、声を潜めて。

奥さんの桂良さんと、手土産の《さくら餅》を囲む。

もちもちとした食感と小豆の甘さが、緊張していた心をふんわりと解いてくれた。


「そういえば……先日は、お騒がせしてすみませんでした。香澄さんと芹沢さんのこと、私ってば、うっかり口を挟んでしまって」


「ふふっ、いいのよ! おかげで場が和んだし、あのフリーズした旦那の顔、傑作だったんだから」


桂良さんは悪戯っぽく笑う。

その笑顔に救われながら、私はふと、気になっていたことを口にした。


「香澄さんから聞いたお二人の馴れ初め……なんだか、周囲には反対されていた時期があったって伺ったんですけど。私の知っている健悟さんからは、想像できなくて」


「あぁ、それね」


桂良さんは少し遠くを見るような目をして、湯呑みを置いた。


「実は私、この近所が実家なの。もともと佐伯家のことは知っていたんだけど、接点はなくて。……きっかけは、私が交通事故で入院したことだったの」


そこで一度、言葉が区切られる。

私は自然と息を呑んだ。


「手続きのために訪ねてきた保険会社の担当者。それが、当時バリバリ働いていた香澄さんだったの。香澄さんは本当に仕事が丁寧でね。おかげで治療に専念できたんだ」


佳良さんは、懐かしむように微笑んだ。


「退院後、お礼を言いたくて佐伯家に伺ったの。……その時に対応してくれたのが、旦那だったのよ」


だが、その日の健悟さんの表情は、とてつもなく暗かったという。


『……香澄は、ボロボロになって帰ってきたばかりなんです。申し訳ありませんが、今は取り次げません』


胸の奥がきゅっと締め付けられた。

普段の穏やかな健悟さんからは想像できない姿だった。


「それから、私の体調を気遣ってくれた旦那がね、

『リハビリを兼ねて整体をしませんか?』って、ちゃっかり営業してきて。……気付いたら、心まで癒やされていたみたい」


佳良さんは照れくさそうに笑う。


「でもね、そこから『一年間の空白』が始まったの」


私は思わず息を止めた。


「付き合い始めても、旦那は香澄さんには絶対に内緒にしてくれって言ったの。……あの子、あの頃は本当に限界だったらしいから」


桂良さんは、痛ましいものを思い出すように目を伏せた。


「仕事で傷ついて、やっと家に戻ってきたばかりでね。そんな時に、自分の幸せを見せつけるなんてできないって。……あの人らしい、不器用な優しさよ」


周囲からは「反対されているから隠しているのか?」と勘繰られ、あらぬ噂を立てられたこともあったという。


けれど健悟さんは、沈黙を貫いた。

香澄さんが再就職し、ようやく自分の足で立ち上がったと確信できるまで。


「本当に、誰よりも妹を大切にしている人なのよね。だからこそ、芹沢くんには香澄さんを幸せにしてもらわないと困るわ!」


その言葉が熱を帯びた瞬間、隣の部屋から『ンマァ~!』という愛らしい産声が響いた。


目覚めた咲良ちゃんを抱き上げる健悟さんの、あの柔らかな笑顔が瞼の裏に浮かぶ。


「……健悟さんの幸せは、家族の幸せそのものなんですね」


「うん。だからこそ、私も旦那を支えていかないと。……しっかりと食べてね!」


私たちは顔を見合わせ、幸せな予感に満ちた二つ目の《さくら餅》に、そっと手を伸ばした。


***


夜の余韻が、甘く溶けた空気の中に漂っている。

私たちは、ベッドの中で互いの熱を確かめるように身を寄せ合っていた。


晃希さんの右手がスルリと私の左手を取り、愛おしげに薬指をなぞり始める。


「……何か、気になりますか?」


「……ちゃんと、嵌まってるなぁって安心してるんだ」


手探りで指輪の感触を確かめ、晃希さんは安堵したように息を吐いた。


「ふふ……当たり前ですよ。こんなに素敵な指輪を、ありがとうございます」


すると彼は、そのまま私の薬指を自身の口元へ寄せ、指輪へ静かにキスをした。

離した後、少し照れくさそうに微笑む。


「……咲良ちゃんの、名前なんだけど」


静かに悶絶していた私に、晃希さんが少し遠慮がちに切り出した。


「実は……嫉妬したんだよね。取られたな!って思って」


「……嫉妬? 取られた??」


「僕と咲花さんに、女の子が授かったら……付けたい名前だったんだ」


胸の奥がじんわりと熱くなる。


「咲花さんがこの屋敷に来たの、春だったでしょう?」


「そうですね……確か、晃希さんの淹れたハーブティーをいただいたんでした」


「あれ、全部飲んでくれたの、咲花さんが初めてだったんだよ」


「そうなんですか!? あんなに美味しいのに……」


晃希さんは“ククッ”と笑った。


「きっと、あの時から咲花さんは特別なんだ」


「……ハーブティーが、飲めたからですか?」


「それもあるけど……話がズレたな。えっとね、咲花さんが来た日、庭の桜が開花したんだよ」


「えっ? 桜の樹……ありましたか?」


「うん。もう大分古い樹で、ここ暫くは花も咲かなくなっていたんだけど……」


「そうだったんですか……でも、どうして解ったんですか? 香り?」


「さすがに、一輪咲いただけじゃ僕もわからないよ。……表札のことは、覚えてる?」


「……あっ! 葉っぱで隠れてた……」


「そう! それで、明くる日に庭師さんに剪定してもらった時、『桜が咲いてますよ』って教えてくれてね」


晃希さんは、少し照れくさそうに笑った。


「昨日、天気がよかったから、久々に頑張って咲いたのかな~って言われて」


「それが、私がこの屋敷へ来た日だったんですね……」


「僕は、そう確信してる!!」


だからこそ、指輪の内側に桜の花が刻印されていたのだ。


「あの日、君が春を告げに来たんだよ。……それから、ずっと咲花さんは特別なんだ」


胸の奥で、静かに何かが花開く。

自身を季節の使者に例えて「特別」だと言ってもらえるなんて、……それは少しだけ、夢みたいで恐れ多い。


けれど私にとっても晃希さんは、暗い道を照らしてくれた星のような、静かな光だったから。

その気持ちを、胸の奥からそっと掬い上げるように伝えた。


「……咲花さん……本当に、そういうところ……!!」


晃希さんは耳まで赤くなって、ぎゅうぎゅうと抱き締めてきた。

……お互い様だと思うのは、私だけだろうか?

あと、少し苦しいです……!


その腕の温もりが、これから続いていく未来の約束のように感じられた



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