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できると思って、やっぱり赤ちゃん  作者: 臥亜


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8/11

泣いても、だめな日

ある日。

 その日は、朝から空気が違った。

 六時三分。

 いつもの時間。

 僕は目を開ける。

 隣に母。

 父もいる。

 状況、良好。

 僕は小さく息を吸う。

「ふぇ」

 いつもの序章。

 母は動かない。

 もう一度。

「ふぇぇ」

 父がもぞもぞする。

 だが、起きない。

 これは――

 想定外。

 僕は最大出力へ移行する。

「ぎゃああああああああああ!!」

 完璧な音量。

 角度。

 持続。

 それでも。

 母はゆっくり目を開け、僕を見る。

 そして、言った。

「……ごめんね。今日はちょっと待って」

 待って?

 その言葉は、僕の辞書にない。

 母は起き上がらない。

 目の下が、すこし暗い。

 父が起きる。

 抱き上げる。

 でも、いつもの高さじゃない。

 元気がない。

「ハル、ちょっと静かにしよっか」

 静かに?

 僕は泣き続ける。

 だって、それが解決策だから。

 でも今日は、

 解決しない。

 ◇

 朝食。

 ミオが黙っている。

 トーストをかじる音だけ。

 母はコーヒーを二口で飲む。

 父はスマホを何度も見る。

 僕はスプーンを落とす。

 カラン。

 誰も見ない。

 ……え?

 もう一度。

 カラン。

 母が言う。

「あとでね」

 あとで?

 世界が、動かない。

 ◇

 午前中。

 家に電話がかかってくる。

 母の声が低い。

「……はい。今日、ですか」

 長い沈黙。

 僕は母の足にしがみつく。

 母はしゃがんで、僕を抱く。

 ぎゅっと。

 でも、すぐ離す。

 強くない。

 抱っこが、短い。

 不安。

 僕は泣く。

 小さく。

 でも母は言う。

「ごめんね、ハル」

 ごめんね?

 なんで?

 ◇

 昼。

 ミオが突然泣いた。

 声を殺して。

 静かに。

 僕は止まる。

 泣くって、ああいう音もあるのか。

 父がミオを抱きしめる。

 母も一緒に。

 三人が固まる。

 僕は少し離れたところに立っている。

 世界の中心が、

 僕じゃない。

 初めて見る景色。

 胸が、きゅっとなる。

 でもそれは、

 いつもの「抱っこが欲しい」じゃない。

 もっと深い。

 わからないけど、

 大きい。

 ◇

 夕方。

 母が僕を抱く。

 静かに。

「ハル、今日はね。ひいおじいちゃんが、お空に行ったんだよ」

 空?

 飛ぶの?

 違う。

 母の目が、少し赤い。

 父も、ミオも、静か。

 僕は考える。

 泣けば、解決する?

 ……しない。

 僕は泣かない。

 ただ、母の服を握る。

 ぎゅっと。

 母が、少しだけ笑う。

「ありがと」

 僕、何もしてない。

 でも、母は言う。

「いてくれて、ありがと」

 ◇

 夜。

 暗い部屋。

 今日は僕が先に泣かない。

 母の胸に耳を当てる。

 どくん。

 どくん。

 少し早い。

 母も、怖いのかもしれない。

 僕は顔を押しつける。

 泣くかわりに、

 そこにいる。

 それだけ。

 ◇

 僕は一歳。

 泣けばだいたい解決する。

 でも。

 解決できない日もある。

 世界は僕だけじゃ回らない。

 悲しい日は、

 みんなで丸くなる。

 その真ん中に、

 たまたま僕がいるだけ。

 それでも。

 母の鼓動は、同じ。

 父の手も、同じ。

 ミオの「おやすみ」も、同じ。

 世界は少し揺れたけど、

 家族は、崩れなかった。

 僕は目を閉じる。

 今日は勝利じゃない。

 でも。

 悪くない。

 だって僕は、

 ちゃんと、

 この家の一歳だから。

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