お父さんはすぐ負ける
お父さんは強い。
背が高い。
声が大きい。
靴も大きい。
でも。
僕には弱い。
とても。
◇
夜七時四十分。
玄関のドアが開く。
「ただいまー!」
その声が聞こえた瞬間。
僕は顔を上げる。
タイミングがすべてだ。
母は言う。
「ハル、パパ帰ってきたよ」
よし。
僕は三秒待つ。
一、二、三。
「……うぇぇぇぇぇん!!」
父、靴を脱ぎかけたまま固まる。
「え!? なに!? どうした!?」
母が言う。
「さっきまでご機嫌だったよ」
父は鞄を放り、僕のもとへ一直線。
「パパいるぞ! パパいるぞー!」
抱き上げる。
高い。
勝利。
僕は一瞬で泣き止む。
父、誇らしげ。
「ほらな? 俺が必要なんだよ」
母が冷静に言う。
「タイミング狙ってるだけ」
父は聞こえないふりをする。
◇
夕食中。
父は僕の隣に座る。
「パパと食べるか?」
僕はスプーンを振り回す。
父のシャツにヨーグルト。
「おっとっと!」
母が言う。
「着替えなよ」
「いいんだよ! これくらい!」
父は笑う。
本当はちょっとショックだ。
僕は知っている。
父は僕のためなら、だいたい負ける。
◇
問題は、夜だ。
寝かしつけ。
今日は父担当。
母が宣言する。
「今日はパパね」
父、やる気満々。
「任せろ!」
僕は布団に寝かされる。
父が横になる。
「トントンするぞ〜」
とん、とん。
一定のリズム。
悪くない。
でも。
なんか違う。
僕は目を開ける。
父の顔。
少し疲れている。
でも笑っている。
「どうした? 眠くないか?」
僕は小さく声を出す。
「……ふぇ」
父、焦る。
「え、え? トントン強すぎた?」
とん、とん、とん。
リズムが崩れる。
僕は音量を上げる。
「ふぇぇぇぇぇぇん!」
父、動揺。
「ちょ、ちょっと待て!」
母が隣の部屋から声を出す。
「大丈夫?」
「大丈夫! いける!」
いけない。
僕は最大出力。
「ぎゃああああああ!!」
父、完全敗北。
「……ママお願い」
母登場。
抱き上げる。
胸の音。
とくん、とくん。
僕は即座に泣き止む。
父、沈黙。
「なんでだよ……」
母が小さく笑う。
「匂いと音」
父は僕を見る。
「パパの音、ダメか?」
僕は父を見る。
ダメじゃない。
ただ、少しだけ違う。
◇
翌日。
父は早く帰ってくる。
「今日はリベンジだ」
僕は父をじっと見る。
父は座って、僕を膝に乗せる。
何も言わない。
ただ抱く。
静かに。
僕は少し驚く。
今日は、騒がない。
揺らさない。
誇らしげにもならない。
ただ、抱いている。
父の胸に耳を当てる。
どくん。
少し速い。
でも、ちゃんと鳴っている。
僕はその音を聞く。
悪くない。
むしろ、あたたかい。
父が小さく言う。
「パパもな、ちょっと練習するわ」
その声は、強くない。
大きくもない。
でも、ちゃんとまっすぐだった。
僕は父のシャツを握る。
ぎゅ。
父が固まる。
「……お?」
僕は目を閉じる。
今日は泣かない。
試してみる。
父の音でも、眠れるか。
どくん。
どくん。
少し不器用なリズム。
でも。
世界はちゃんと小さくなる。
遠くで母が驚く。
「え、寝たの?」
父は小声で言う。
「……勝った」
違う。
勝ち負けじゃない。
僕はまだ一歳。
でも、少しずつ知っていく。
抱っこは、強さじゃない。
時間だ。
父の胸で眠りながら、
僕は思う。
お父さんはすぐ負ける。
でも。
本当は、
いちばん粘り強い。




