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できると思って、やっぱり赤ちゃん  作者: 臥亜


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2/11

泣けばだいたい解決する

世の中には、いろいろな力がある。

 腕力。

 財力。

 権力。

 そして――

 泣力きゅうりょく

 一歳に許された、最強の交渉術である。

 ◇

 午前十時三十二分。

 僕はカートに乗せられ、スーパーの通路を進んでいた。

 母は今日の特売を確認し、

 人参を握り、

 鶏むね肉を比較し、

 卵の値段に眉を寄せている。

 生活という戦場で、母は常に戦っている。

 その横で僕は、静かに機をうかがっていた。

 ――ターゲット発見。

 レジ前の低い棚。

 色とりどりの袋。

 光沢。

 しゃかしゃかという音。

 お菓子。

 母が気づく前に、僕は指を伸ばす。

「ばっ!」

 母は即座に察知する。

「今日は買わないよ」

 早い。

 だが甘い。

 僕は一度、静かになる。

 ここでいきなり泣いてはいけない。

 交渉は段階だ。

 まずは視線固定。

 次に唇を震わせる。

 そして、間。

「……ふぇ」

 小規模な波。

 母はカートを揺らす。

「だめだよ。おやつは家にあるでしょ」

 揺れでは落ちない。

 よし、第二段階。

「ふぇぇぇ……」

 音量を上げる。

 周囲の視線が少し集まる。

 母の背中が固くなる。

 まだだ。

 僕は背を反らす。

 カートの中で、完璧なアーチを描く。

 これが最終兵器――反り返り。

「ちょ、ちょっとハル! 落ちるから!」

 声が半音上がる。

 周囲が振り向く。

 僕は全力を出す。

「ぎゃあああああああああ!!」

 店内BGMに勝った。

 母、崩れる。

「……ひとつだけ。ひとつだけね」

 勝利。

 僕はすぐに泣き止む。

 母はため息をつきながら棚から一袋を取る。

「絶対わかってやってるよね……」

 わかっている。

 もちろんだ。

 ◇

 帰宅。

 袋が開けられる。

 僕はお菓子をひとつ口に入れる。

 甘い。

 悪くない。

 だが――

 目的はすでに達成している。

 僕は二口目を拒否する。

 ぽい。

 床へ落とす。

 母、固まる。

「……え?」

 僕は拍手をする。

 ぱちぱち。

 母は天井を見上げる。

「なんでなの……」

 なぜなら。

 お菓子は副産物だ。

 欲しかったのは、

 ・母が困る顔

 ・周囲が振り向く緊張

・そして最終的な勝利宣言

 つまり、

 世界が僕を中心に回る瞬間。

 それだけで十分だ。

 ◇

 夕方。

 父が帰宅する。

「ただいまー」

 僕は即座に泣く。

「うぇぇぇん!」

 父、靴も脱がずに抱き上げる。

「どうした!? パパいるぞ!」

 母が台所から叫ぶ。

「さっきまでご機嫌だったよ!」

 父は僕を揺らす。

「ママが怖かったか〜?」

 違う。

 タイミングだ。

 僕は泣き止む。

 父は誇らしげだ。

「ほらな?」

 母が笑う。

「単純」

 父は否定するが、顔は緩んでいる。

 僕は思う。

 泣けば、だいたい解決する。

 泣けば、抱っこされる。

 泣けば、注目される。

 泣けば、世界は少しだけやさしくなる。

 ◇

 夜。

 布団に寝かされる。

 静か。

 暗い。

 昼間の僕なら、

 この家を動かせる。

 でも今は違う。

 天井が遠い。

 部屋が広い。

 胸が、すこしきゅっとする。

 僕は小さく声を出す。

「……ふぇ」

 昼間の戦略とは違う音。

 すぐに足音。

 母が来る。

「どうしたの?」

 抱き上げられる。

 胸の鼓動。

 一定のリズム。

 あたたかい。

 僕は母の服をぎゅっと握る。

 昼間、世界を動かすために泣く。

 夜、安心するために泣く。

 どちらも同じ音だけれど、

 意味は違う。

 母の胸に顔を埋めながら、

 僕は目を閉じる。

 泣けば、だいたい解決する。

 でも。

 本当に欲しいのは、

 解決じゃない。

 抱っこだ。

 それを知っている僕は、

 まだちゃんと、

 一歳である。

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