ねぇねは、すぐには笑えない
ハルが絵をだめにした日。
わたしは泣いた。
声はあまり出なかったけど、
胸の奥がずっと熱かった。
あの絵は、三週間かけた。
学校から帰って、宿題をして、
夜ごはんのあとに少しずつ描いた。
テーマは「わたしの大切なもの」。
わたしは、家族を描いた。
パパはちょっとだけ背を高く。
ママは笑っている顔。
ハルは真ん中で、やたら大きく。
ほんとは小さいのに。
でも、なんか真ん中に描きたかった。
それが、にじんだ。
水で、ゆっくり。
顔が溶けたみたいに。
◇
「ハル、きらい」
言ったあと、
すぐに後悔した。
でも止まらなかった。
だって本当に、
あの瞬間はきらいだった。
パパとママはハルを怒らなかった。
「だめだったね」
それだけ。
わたしは、
もっと怒ってほしかった。
ちゃんと怒って、
わたしのほうを見てほしかった。
◇
夜。
ハルがこっちを見ていた。
なんか、いつもと違う顔。
泣くのを我慢してるみたいな顔。
ママが言う。
「ハル、ミオに何て言う?」
正直、聞きたくなかった。
だって言えないと思ったから。
まだ一歳だし。
どうせわかってないし。
そう思ってた。
「……ご」
小さい声。
え?
「ごめ」
空気が止まる。
「……ごめん」
はっきりじゃない。
ちょっと変な発音。
でも、ちゃんと「ごめん」。
胸が変なふうに痛くなる。
ずるい。
そんなの。
怒りづらいじゃん。
◇
それでも、すぐには「いいよ」って言えなかった。
本当はまだ怒ってる。
まだ悔しい。
まだ悲しい。
でも、ハルはこっちを見てる。
逃げないで。
ちゃんと立って。
泣かないで。
それがわかった。
だから言った。
「……いいよ」
本当は、
“まだちょっとやだけど、でもいいよ”の意味。
ハルはわかってないかもしれないけど。
でも、なんか、
ちゃんと伝わった気がした。
◇
そのあと、部屋で一人になって、
少しだけまた泣いた。
絵は戻らない。
コンクールにも出せない。
たぶん先生にも言われる。
「どうしたの?」って。
説明するの、やだな。
でも。
机に残ったにじんだ紙を見ながら、
ちょっと思った。
ハルは、わざとじゃない。
わざとじゃないけど、
壊した。
わざとじゃなくても、
傷つくことはある。
それって、
たぶんわたしも同じ。
◇
次の日。
わたしは新しい紙を出した。
もう一回、描こうと思った。
前よりうまく描ける気はしない。
でも。
今度は、ハルを少し小さく描いた。
真ん中じゃなくて、
わたしの横に。
そして、
その横に小さく、
ぐちゃっとした青い線を一本入れた。
にじみの色。
昨日の色。
消えなかった色。
それも、家族の色だと思った。
◇
ハルが横で言う。
「ねぇね」
「なに」
「すき」
まだ発音はへた。
でも、まっすぐ。
わたしは答える。
「知ってる」
昨日より、ちゃんと笑えた。
すぐには許せなかった。
でも。
“ごめん”を聞いたとき、
半分は、もう許してた。
たぶんそれが、
家族ってやつなんだと思う。




