第五章「ズレ」
会議室の白い壁に、プロジェクターの青白い光が淡く反射していた。
長テーブルの上には、資料の束と、ノートPCが整然と並んでいる。
その中心に、神谷潤と川島優が並んで座っていた。
今回のプロジェクトは、会社でも注目度の高い新規案件だった。
部長から直接任されたチームリーダーは優、サブリーダーが潤。
社内の期待は高く、失敗は許されない。
「ここ、俺はもっとインパクトを重視したい」
優が画面を指差す。
そこにはクライアント向けの提案資料の中間案が映し出されていた。
「確かにインパクトは大事だけど、データの裏付けが弱いと説得力に欠ける」
潤も資料を見つめながら応じた。
「数字をしっかり積み上げて、安心感を与える方が――」
その瞬間、目の前に“いつもの”白いパネルが浮かぶ。
【A】優に従う
【B】強く反論する
【C】論理的に話し合う
――いつも通りだ。
この数週間、この選択肢に従ってきたことで、潤は失敗らしい失敗をしていない。
今回も迷う必要なんてないはずだった。
「……C」
小さく呟き、選択肢を選ぶ。
すると、自然と口が動き、言葉がスムーズに流れ出した。
「確かに目を引くのは大事だ。でも、向こうは慎重な企業だ。数字を積んで筋道を立てる方が、信頼されやすい」
完璧な返答だった。
自分でも驚くくらいに滑らかな説明。
だが――
優は、眉をわずかにひそめた。
「……潤、それって“正しい”けど、“面白くはない”よな」
「面白く?」
「相手を納得させるだけじゃダメなんだよ。感情を動かさなきゃ。数字だけで勝負したら、どこにでもある企画になる」
いつもは柔らかい優の声が、少しだけ硬かった。
潤の胸に、じくりとした違和感が広がる。
――また、選択肢が浮かんだ。
【A】譲る
【B】反論する
【C】冗談で和ませる
いつもなら悩まず選ぶ。【C】。
それが“正解”だったから。
今回もそのはずだ。
「……C」
「はは、まぁ……お前が言うと説得力あるな。俺が数字ばっかの人間だからな」
そう冗談めかして笑ってみたが、優の表情は緩まなかった。
「……潤、最近、妙に“正解”っぽいこと言うようになったよな」
その言葉が、胸に刺さった。
優は視線を画面に戻しながら、静かに続けた。
「前はもっと、勢いとか直感でぶつかってきただろ。お前、そういうとこが良かったのに」
言葉に詰まる。
何も言えない。
だって――今の自分には「直感」なんて必要ない。
“選べばいい”だけなのだから。
ーーーー
その日を境に、優との会話は少しずつ噛み合わなくなっていった。
会議で意見が分かれたとき、潤は迷いなく「正解」を選ぶ。
けれど、それは優にとって“人間味のない”言葉に聞こえていたのかもしれない。
「……お前、最近ちょっと変わったな」
優がふと、休憩スペースでコーヒーを飲みながら呟いた。
「いや、悪い意味じゃない。ただ……なんか、俺と話してても壁があるっていうか」
潤は笑って誤魔化そうとした。
でも、自分でも分かっていた。
心の奥で、何かがほんの少し――ズレ始めている。
ーーーー
その夜。
ひとりで帰り道を歩いていると、また選択肢が現れた。
【A】優に謝る
【B】気にしない
【C】明日、話し合う
「……」
いつものように声を出そうとしたとき、喉の奥が固まった。
どれを選んでも、本当の“自分の言葉”じゃない気がした。
心がざわめく。
選択肢が、少しだけ――冷たく見えた。




