第三章「選択肢」
夜の街は、昼とはまるで別の顔をしている。
昼間あれほど賑やかだった駅前の通りも、終業時間を過ぎれば人の流れはまばらになり、街灯の下を行き交う影だけが静かに揺れていた。
潤は、ひとりコンビニの袋を片手に、ゆっくりと歩いていた。
袋の中には安い缶ビールとカップラーメン。それが、いつもの“夕食”だった。
「……また、怒鳴られたな」
ポツリと、誰に聞かせるでもなく呟く。
冷たい夜風が頬を撫で、言葉をあっけなく夜空に攫っていった。
会社を出てからずっと、頭の中で部長の怒声がこだましている。
言い訳も、反論もない。
自分が悪いと分かっているから、余計に何も言えなかった。
優が気を遣って飲みに誘ってくれたが、潤は断った。
あのまぶしい笑顔の輪の中に、自分が入れる気がしなかった。
横断歩道の信号が赤に変わり、足を止める。
街灯の光がアスファルトを照らし、風が高架下を抜けていく。
車のエンジン音が遠くで響く。
それ以外、何もない。
――その時だった。
目の前に、突如として“それ”は現れた。
【A】コンビニに寄る
【B】真っ直ぐ帰る
【C】歩道橋の上で空を見上げる
黒い夜空の中に、ぼんやりと白いパネルが浮かび上がっていた。
光は柔らかく、まるでゲームのUIのように淡く輝いている。
一瞬、現実感が遠のいた。
「……は?」
潤は目をこすった。
もう一度見ても、それは確かにそこにある。
まるで、自分にだけ見えているかのように、静かに浮かんでいた。
怖さよりも、理解できないという感情の方が勝っていた。
通りを歩く人々は、誰もこの異物に気づいていない。
自分だけが取り残されたような感覚。
【C】歩道橋の上で空を見上げる
パネルの選択肢に視線を合わせると、わずかに揺らめいた。
心の奥に「選べ」とでも言うような圧が伝わってくる。
拒否もできるのかもしれない。だが、何故か――選ばずにはいられなかった。
「……C」
口の中で呟いた瞬間、世界がわずかに“軋む”音がした。
次の瞬間、自分の足が自然と歩道橋の階段を上っていた。
まるで操られているように、でも確かに自分の意志で歩いているような、不思議な感覚。
歩道橋の上から見下ろす夜の街は、いつもと同じはずなのに、妙に鮮やかに見えた。
空気が澄んでいて、街灯の明かりが線のように流れている。
風が頬を撫で、胸の奥の淀みを少しだけさらっていった。
「……なんなんだ、これ」
あまりにも不自然で、あまりにも静かな夜。
でもその瞬間、胸の奥に、ほんのわずかな“揺らぎ”が生まれていた。
毎日が決まりきったレールの上だったはずの人生に、初めて“分岐点”が現れたのだ。




