第二章「修正」
カーソルが、点滅している。
無機質な白い画面の上で、チカチカと規則的に。
まるで「まだ終わってないぞ」と言われているようだった。
昼休みが近づくにつれ、オフィスは弛緩した空気に包まれ始める。
周囲では雑談が始まり、弁当のフタを開ける音、コンビニ袋のカサカサという音が響く。
その中で、神谷潤のデスクだけが取り残されたように静まり返っていた。
――何やってんだ、俺。
テンキーを打ち込む指先に、力が入らない。
数字を修正しては確認、修正しては確認。
そのたびに目が霞み、集中力が少しずつ削がれていく。
「すぐに修正します」
――あのときの自分の声が、耳の奥に何度も反響する。
“すぐに”なんて、何度言った?
“すぐに”直して、次のミスで、また同じように怒られて。
その繰り返しの中で、何かが少しずつ、削り取られていった気がする。
同期たちはもう、追いつけないところにいる。
優は別のプロジェクトで中心的な役割を任されている。
斜め前の席の後輩は、先日営業成績で表彰された。
――俺だけが、ずっとここにいる。
「“普通”でいい」って、昔は思っていた。
特別じゃなくてもいい。ただ、ちゃんと働いて、ちゃんと生きていければいいと。
でも今、目の前の数字と向き合いながら、心の奥で小さな声が呟く。
――それで、本当にいいのか?
小さな違和感が、胸の中で形を持ち始める。
その違和感は、焦りでも、怒りでもなく……まるで“空洞”のようだった。
ふと視線を上げると、斜め向かいの優が同僚たちに囲まれて笑っているのが見えた。
まぶしい笑顔。自然と人が集まる空気。
彼のまわりには、いつも温度のある世界がある。
――俺と、何が違うんだろうな。
溜息を一つ、そっと吐いた。
プリンターから修正した資料を出力し、提出用の封筒に入れる。
誰にも聞こえないくらいの声で、小さく呟く。
「……このままで、終わるのかよ」
それは、自分でも驚くほど、静かな声だった。
自分の心の奥底に沈んでいた“何か”が、少しだけ顔を覗かせた瞬間だった。




