第十七章「決断」
春の朝。
透き通るような青空の下、会社の会議室は異様な熱気に包まれていた。
長机の両側には、経営陣と複数の部長、そして潤と優。
テーブルの中央には、一つの大型案件の資料が積まれている。
この案件は、会社の今後を大きく左右する重要なものであり、
一歩間違えれば、今まで築いてきた信頼も足元から崩れる――そんな勝負の場だった。
「神谷。今回の案件、君が先頭に立って提案をまとめるように」
部長の言葉が落ちた瞬間、室内の空気が変わる。
今度は誰も、潤の手を引いてくれるわけではない。
選択肢も――もう現れない。
「……はい」
静かだが、芯の通った声が会議室に響いた。
数か月前の自分なら、こんな場面で立ちすくんでいただろう。けれど今は違う。
自分で考え、自分で歩くと決めた男――神谷潤がここにいた。
プロジェクト内容は、社内でも意見が割れる難題だった。
収益性は高いが、リスクも大きい。
経営陣の間でも方針は二分されている。
社内にいる誰もが「自分が決断したくない」種類の仕事だった。
「神谷くん、どうするつもりだ?」
役員の一人が問いを投げる。
「やるのか、やらないのか。これは“決断”が必要な案件だ」
空気が重くなる。
優が静かに潤の方を見た。何も言わない。
けれど、その目には「信じてる」という色があった。
心の奥に、昔の感覚がよぎる。
“選択肢”が現れて、道を指し示してくれていた頃。
でも今――何も浮かばない。
これは、
本当の意味でのーー俺の決断。
潤は目を閉じ、ゆっくりと深呼吸した。
胸の奥に小さな声が響いた気がした。
それはもう、誰かの囁きではなく――自分自身の声。
「……俺は、この案件を進めます」
静寂。
会議室の空気が一瞬、固まる。
しかし潤は、一歩も退かない。
「リスクは大きい。でも、このプロジェクトを成功させれば、会社にとっても大きな転換点になる。
俺は、その未来を見たい。責任は、俺が取ります」
「……神谷」
部長が小さく息を呑む。
経営陣の顔がざわめく中、潤の声だけが真っすぐに響いていた。
その瞬間、優が立ち上がった。
「俺も、潤とやります。責任は二人で背負います」
かつて、潤が優の背中をただ追いかけていた時代は終わった。
今は――隣に並んでいる。
「俺たちなら、やれる」
優のその言葉に、経営陣の中で空気が変わった。
やがて部長が腕を組み、ふっと笑った。
「……神谷、いい顔になったな。よし、任せる」
⸻
会議室を出た後、二人は並んで廊下を歩いた。
誰もいない昼下がりの廊下に、靴音だけが響く。
「なぁ潤」
「ん?」
「お前、昔は何か決めるとき、すっげぇ迷ってたよな」
「うるせぇ」
「でも、今のお前は……かっこいいよ」
「……そう言われると、照れるな」
ふたりは、昔のように――いや、昔以上に自然に笑い合っていた。
⸻
外に出ると、青い空の下に、もう“選択肢”は浮かんでいなかった。
でも、不思議と心は軽かった。
なぜなら今、未来を選ぶのは――
誰でもない、神谷潤自身だからだ。




