第十四章「再び、隣へ」
「――この案件、お前たち二人に任せる」
会議室の空気が、ひときわ緊張に包まれた。
部長の低い声が響き、プロジェクターに映し出されたのは、これまでにない規模の大型プロジェクトだった。
クライアントは業界でも名の知れた大手企業。
一つのミスが会社全体の信頼を揺るがす可能性すらある、重要案件だ。
部屋の視線が、潤と優に集まる。
一瞬だけ息が詰まった。
けれど――今の潤は、もうあの頃の自分ではない。
「はい。やらせてください」
迷いのない声で答えた潤の隣で、優も同時に頷いていた。
プロジェクトは、想像以上に複雑だった。
膨大な資料と各部署との調整、仕様変更の可能性、納期の圧迫。
数週間にも及ぶ準備と折衝が必要になる。
だが、以前の潤の胸にあった“恐れ”は、今はもうなかった。
「優、ここは俺が先方とのスケジュールを詰める」
「了解。じゃあ俺は内部の調整とデザイン側をまとめる」
自然と会話が噛み合う。
かつてのように“どちらかが引っ張る”のではなく、今は“並んで”進んでいた。
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ある日の夜。
社内はすでにほとんどの社員が帰宅しており、オフィスの明かりがぼんやりと二人を照らしていた。
「……潤、さ」
「ん?」
優が手を止めて、少しだけ真面目な顔で言った。
「お前、ほんとに変わったよな」
「……そうか?」
「前はさ、なんていうか、“誰かに決めてもらう”みたいな生き方してた気がする」
潤は思わず苦笑した。
「否定できねぇな」
「でも今は違う。お前、ちゃんと自分で考えて動いてる。……俺、正直ちょっと羨ましいくらいだよ」
優の声は、いつになく穏やかだった。
潤はしばらく黙ってから、ゆっくりと口を開いた。
「俺さ、あの時、全部失ったと思ったんだ。信頼も、お前との関係も、仕事の立場も」
「……ああ」
「でも、あれがなかったら、たぶん今の俺はいなかった。正解を“選ばされてた”頃より、今の方がずっと、生きてる気がする」
「……そういうの、いいな」
優が少しだけ笑って、PCを再び叩き始める。
「じゃあ、俺たちでやってやろうぜ。このデカい案件」
「おう」
その声には、昔と同じ熱が宿っていた。
でも、それは“過去”ではなく、“今”を共に歩む熱だった。
⸻
数日後。
クライアントとの初回プレゼン当日。
以前、潤がプレゼンの場で声を詰まらせ、すべてを失いかけたあの日と――まったく同じ場所。
けれど、心の中にある感情は、まるで別物だった。
優が前半を担当し、潤が後半を引き継ぐ。
息の合ったコンビネーションで、会場の空気が動いていくのが分かる。
「つまり、私たちの提案は“現場と顧客の目線を一つに繋げる”ことを目的としています」
潤の声は震えていなかった。パネルも出てこなかった。
でも、頭の中には“自分で考えた”言葉が、ちゃんと刻まれていた。
質問を受ける。
緊張もあった。少し言葉に詰まった瞬間もあった。それでも――逃げない。
優がすぐに横から補い、潤が続ける。
二人の言葉は、途切れることなく会場に響いていった。
プレゼンが終わると、会場に一瞬の静寂が訪れ――拍手が鳴り響いた。
潤は深く息を吐いた。優と視線が交わる。
そこにはもう、かつての“上と下”の関係はなかった。
対等な仲間として、共に歩む信頼だけがあった。
⸻
夜。
オフィスの外に出ると、柔らかい風が二人の頬を撫でた。
久しぶりに浮かんだ白いパネルが、街灯の下でゆらりと揺れる。
【A】この瞬間に甘える
【B】今を守る
【C】さらに前へ進む
潤は迷わず【C】を選んだ。
優の隣で笑いながら、静かに呟く。
「ここからだな、俺たち」
優が横で、ふっと笑った。
その笑顔は、あの頃よりずっと自然だった。




